R-15
君としたい(前編)
相澤と口裏を合わせているが、俺は官舎の所在地を優衣香に嘘を吐いている。
これまで官舎に優衣香を招くことが無かったから問題は無かったのだが、今日は優衣香が車で迎えに来る。
もちろん適当な場所で待ち合わせすればいいのだが、今日は大きな荷物があるから困っている。
その大きな荷物があるから優衣香が車で来るのだが、その大きな荷物を持ったままでも問題の無い適当な待ち合わせ場所はどこなのか、見当もつかず俺は困っている。
――バーベルを担いで待ってても大丈夫な場所ってどこかな。
バーベルのシャフトはただの金属棒だ。それだけなら問題無い。俺は警察官だし、万が一職質を受けても、まあ、大丈夫だ。とっても面倒だけど。
だが問題はバーベルプレートだ。クッソ重いバーベルプレートとシャフトで分けてしまったら、持ち運びがとても辛い。どうすればいいんだ。
――全ては、マッチョしかいないジムのせいだ。
そう思っているが、そもそも優衣香がマッチョしかいないジムに行った理由は俺のせいだ。だからバーベルを担いで途方に暮れている俺の責任だ。
――夢で揉んだおっぱいがおっぱいじゃなくても俺はよかったのに。
結局、正直に優衣香に官舎の所在地を教えて、車を横付けしてもらうことにした。
電話した時、優衣香は『車を買い替えたんだよ』と嬉しそうに話していた。車種は言わず、『楽しみにしててね』と言った優衣香の弾んだ声が可愛かった。
◇
一月二十日 午後三時二分
優衣香の到着予定時間になって百キロのバーベルを肩に担いで階段を下りていると、官舎の駐車場にバックでぶっ込むイカつい車が視界に入った。
官舎に存在するのはあまりよろしくないイカつい車――。
多分、優衣香だろう。膝から崩れ落ちそうになったが、バーベルを肩に担いでいるからそれも出来なかった。
――どうしてこう、優衣ちゃんはそうなのかな。
ダイエットに格闘技を選ぼうとした優衣香を全力で止めて、ホットヨガとかピラティスとか、なんとなく女の子っぽいものを勧めたら、『もちろんそれはいいと思うけど、なんか、あんまり……』と言葉を濁していた。
意訳するなら、『そんなしゃらくせーモンじゃやった気にならんわ』と言いたくて、適切な言葉が出てこなくて言い淀んだのだと、俺は考えている。風邪ひいてボーっとしてたし。
以前の車だってそうだ。公用車と同じ、一般的には高級スポーツセダンのカテゴリーに入る車を買った時も、『高速で百キロ出してもね、一般道で五十キロで流してるような安定性なんだよ』とか、『煽ってるわけじゃないのに前の車が避けるの。車線変更しても後ろの車はすんなり入れてくれるし、どんどん車間を空けるし、私の前に入って来る車もいないんだよ。ある意味安全だよね』と、楽しそうに話していた。
可愛いコンパクトカーに乗ってそうな見た目の優衣香だが、実際はそうではない。車のミュージックサーバーに入っている音楽はゴリッゴリのヒップホップだし。
優衣香は優衣香だから、優衣香がどんな性格でも俺は好きだからいい。だが今回の車はずいぶんとこう、どうなのかな、と俺は思った。
エンジンを止め、運転席から降りた優衣香は茶髪でカールした髪を靡かせて俺に笑いかけている。
――チンパンジー須藤と同じ車なんだね。
公用車のフルモデルチェンジした車に、エアロパーツを架装したイカつい車の脇で微笑む優衣香に俺も笑顔で応えた。
「いい車だね」
「うん、カッコいいでしょう?」
そういってトランクを開けた優衣香は、バーベルを見ていた。
優衣香が持って来たダンボールにバーベルプレートを入れ、シャフトを置いてトランクを閉めると、優衣香は俺の顔を見た。
「ん? 優衣ちゃん、どうしたの?」
「あの、車のナンバー……」
何かと思いながらトランクから後退り、ナンバーを見た。
――ぼくの誕生日だ!!
「誕生日!」
「そうなの。希望ナンバーでね、敬ちゃんの誕生日にしたんだよ」
――どうしよう、ぼくすっごい嬉しい!
優衣香に近づいて抱きしめようとしたが、ここは官舎だと思い出した。
「後で、後で抱きしめる」
「んふっ……うん」
「行こうか」
「うん」
イカついスポーツセダンに乗ってる優衣ちゃんは本当にカッコいいね。可愛いコンパクトカーなんてしゃらくせーよね。ぼくはカッコいい優衣ちゃんも大好きだよ。
◇
チンパンジー須藤の私有車はノーマルだった。警察官の私有車がイカついのはよろしくないから。
だが、優衣香のこの車はエアロパーツにホイール、マフラー、おそらく殆ど全てを装着したと思う。ステアリングにもロゴが入っている。
「優衣ちゃん、後付けパーツで百万、超えてるよね?」
「うん! 百五十万くらい!」
「そっかあー」
優衣香は働いて自分の力で生きている女性だ。俺は優衣香のカネの使い道にとやかく言う立場に無いし、俺だってカネの使い道にとやかく言われたくない。
――あれ、俺は何にカネ使ってるんだっけ?
酒、メシ、服、美容院、それに……あれ、そんなに使ってないな。優衣香に男がいた時は女遊びにカネ使ってたけど、ここ四年はそれも無いし。今の俺は休みも無く、酒は官舎に戻った時に数本飲むだけだ。そもそも官舎に戻ることが稀だ。
――でもこれからは優衣香に使えばいい。
「優衣ちゃん、マフラーとマッチョしかいないジムのTシャツのお返しをしたいんだけど」
「えー、いいよ」
「でも、お返しさせてよ」
「うーん……」
「ボーナス入ったし、何でもいいよ」
優衣香は何を欲しがるのだろうか。指輪、ピアス、ネックレス、カバンなど、身につけるものを言って欲しいと思いながら、欲しいものを思い浮かべて悩んでいる優衣香の横顔を眺めていた。
信号が変わって、優衣香は何かを思い出したようで、欲しいものを口にした。
「取っ手の取れるフライパンセットが欲しい」
――どうしてこう、優衣ちゃんはそうなのかな。
それも金属製でピカピカしてるけど、方向性が違うよね。
「アクセサリーとかは?」
優衣香はパドルシフトに慣れていないのか、減速時にシフトレバーに触れようとして、手が空を切っている。
「んふっ……慣れなくて」
「ふふっ」
左手の薬指には指輪はしていない。中指に大ぶりな指輪をしていて、手首にはブレスレットと腕時計をしている。
「優衣ちゃん、時計はどうかな?」
「目覚まし時計?」
――違う。そうじゃない。
「ペアウォッチ。腕時計だよ」
「ああっ! いいね。敬ちゃんはどんな時計がいい?」
――俺の希望を優先しなくてもいいのに。
「優衣ちゃんはどんなものがいいの?」
「うーん……」
「見てから考えようか」
「そうだね」
「じゃあ、これから行こうか。デパートかな?」
俺がそう言うと、優衣香の目が動いた。
そして、横目で俺を見て、すぐに前を向いた。
俺はその目の動きが何なのかわからなかったが、自分の服を見て理解した。
「コレじゃ、デパートは無理だね」
今日の俺はジャージだ。バーベルを担ぐからジャージの方がいいだろうと思ってそうしたから、よそ行きのジャージじゃなくて適当なジャージだ。ダウンコートは着ているが。
優衣香は俺を迎えに来た後はスーパーで買い物をすると言ったから、適当なジャージでも問題無いと思った。
デパートは想定外だった。それに仕事で外出していた優衣香はもちろんスーツで、優衣香とも服装が合っていない。しかも今気づいたが、俺は上下別のジャージを着ている。
――もう! 敬志のバカ!
「ごめんね、ジャージで」
「いいよ、私はジャージ姿の敬ちゃんが好きだよ」
「本当に?」
「うん。ふふふ」
◇
スーパーで買い物を済ませて車に乗って、優衣香がサイドブレーキを解除しないうちに俺は優衣香の名を呼んだ。こちらを向いた優衣香の頬に手を添わせて顔を近づけると優衣香も顔を寄せてきて、軽く、唇を重ねた。
「優衣ちゃん、今夜、やっと、続きが出来るね」
額をくっつけて優衣香の目を見ると、恥ずかしそうに目を伏せて、可愛いなと思った。
――三回戦は出来るな、ああ、俺なら出来る。二回と一回だ。連続三回はちょっと無理かな。
「あのね、仕事が終わらなくて、なんとか終わらせるように頑張る。でも敬ちゃんは寝ててもいいからね」
――あのっ! いっ一回は、一回は出来ますよね!?
「うん、優衣ちゃん、仕事大変だね」
「あー、うん……ごめんね、せっかく会えたのに」
「ふふっ、いいんだよ。仕事だもん」
――よくないよ! 事件も事故も無くなればいいのに!
優衣香が言うには、検察で謄写した刑事記録と事故発生当初の聴取内容に乖離があり、とっても困ったことになっているという。『保険会社の片方が全額払う事故じゃない』と。
守秘義務があるから詳細は言わないが、署に出向き、交通捜査課で担当警察官とも話したという。
「町沢署の交通捜査課の福岡さんって、いい人だった」
「あー、知ってる。黒縁の眼鏡かけてる奴だ」
「そうそう」
「でも、捜査のことは話せないでしょ? それにもう起訴されてるし」
「うん。でもね、私の事情もちゃんと聞いてくれて、その上で話せることは話してくれた」
――ああ、他は話をまともに聞かない奴ばかりだから、優衣香はそういう言い方をするのか。
「福岡さんね、私が持ってた判例タイムズを興味深そうに見ていてね、当該事故の過失割合について質問してきたの」
「民事は関係ないのに?」
「そう。福岡さんに『後学のために教えて下さい』って言われた」
「あー、福岡はそういう奴だよ」
「真面目で向上心のある人なんだね」
――それは刑法を思い出そうとすると脳内映像にモザイクがかかるぼくへの当てつけかな。
「うん、福岡はそうだよ」
今日は優衣香に会えてウッキウキなはずなのに、なんだか少しずつライフが減少していくような感覚になっているが、俺は気にしないことにした。
これまで官舎に優衣香を招くことが無かったから問題は無かったのだが、今日は優衣香が車で迎えに来る。
もちろん適当な場所で待ち合わせすればいいのだが、今日は大きな荷物があるから困っている。
その大きな荷物があるから優衣香が車で来るのだが、その大きな荷物を持ったままでも問題の無い適当な待ち合わせ場所はどこなのか、見当もつかず俺は困っている。
――バーベルを担いで待ってても大丈夫な場所ってどこかな。
バーベルのシャフトはただの金属棒だ。それだけなら問題無い。俺は警察官だし、万が一職質を受けても、まあ、大丈夫だ。とっても面倒だけど。
だが問題はバーベルプレートだ。クッソ重いバーベルプレートとシャフトで分けてしまったら、持ち運びがとても辛い。どうすればいいんだ。
――全ては、マッチョしかいないジムのせいだ。
そう思っているが、そもそも優衣香がマッチョしかいないジムに行った理由は俺のせいだ。だからバーベルを担いで途方に暮れている俺の責任だ。
――夢で揉んだおっぱいがおっぱいじゃなくても俺はよかったのに。
結局、正直に優衣香に官舎の所在地を教えて、車を横付けしてもらうことにした。
電話した時、優衣香は『車を買い替えたんだよ』と嬉しそうに話していた。車種は言わず、『楽しみにしててね』と言った優衣香の弾んだ声が可愛かった。
◇
一月二十日 午後三時二分
優衣香の到着予定時間になって百キロのバーベルを肩に担いで階段を下りていると、官舎の駐車場にバックでぶっ込むイカつい車が視界に入った。
官舎に存在するのはあまりよろしくないイカつい車――。
多分、優衣香だろう。膝から崩れ落ちそうになったが、バーベルを肩に担いでいるからそれも出来なかった。
――どうしてこう、優衣ちゃんはそうなのかな。
ダイエットに格闘技を選ぼうとした優衣香を全力で止めて、ホットヨガとかピラティスとか、なんとなく女の子っぽいものを勧めたら、『もちろんそれはいいと思うけど、なんか、あんまり……』と言葉を濁していた。
意訳するなら、『そんなしゃらくせーモンじゃやった気にならんわ』と言いたくて、適切な言葉が出てこなくて言い淀んだのだと、俺は考えている。風邪ひいてボーっとしてたし。
以前の車だってそうだ。公用車と同じ、一般的には高級スポーツセダンのカテゴリーに入る車を買った時も、『高速で百キロ出してもね、一般道で五十キロで流してるような安定性なんだよ』とか、『煽ってるわけじゃないのに前の車が避けるの。車線変更しても後ろの車はすんなり入れてくれるし、どんどん車間を空けるし、私の前に入って来る車もいないんだよ。ある意味安全だよね』と、楽しそうに話していた。
可愛いコンパクトカーに乗ってそうな見た目の優衣香だが、実際はそうではない。車のミュージックサーバーに入っている音楽はゴリッゴリのヒップホップだし。
優衣香は優衣香だから、優衣香がどんな性格でも俺は好きだからいい。だが今回の車はずいぶんとこう、どうなのかな、と俺は思った。
エンジンを止め、運転席から降りた優衣香は茶髪でカールした髪を靡かせて俺に笑いかけている。
――チンパンジー須藤と同じ車なんだね。
公用車のフルモデルチェンジした車に、エアロパーツを架装したイカつい車の脇で微笑む優衣香に俺も笑顔で応えた。
「いい車だね」
「うん、カッコいいでしょう?」
そういってトランクを開けた優衣香は、バーベルを見ていた。
優衣香が持って来たダンボールにバーベルプレートを入れ、シャフトを置いてトランクを閉めると、優衣香は俺の顔を見た。
「ん? 優衣ちゃん、どうしたの?」
「あの、車のナンバー……」
何かと思いながらトランクから後退り、ナンバーを見た。
――ぼくの誕生日だ!!
「誕生日!」
「そうなの。希望ナンバーでね、敬ちゃんの誕生日にしたんだよ」
――どうしよう、ぼくすっごい嬉しい!
優衣香に近づいて抱きしめようとしたが、ここは官舎だと思い出した。
「後で、後で抱きしめる」
「んふっ……うん」
「行こうか」
「うん」
イカついスポーツセダンに乗ってる優衣ちゃんは本当にカッコいいね。可愛いコンパクトカーなんてしゃらくせーよね。ぼくはカッコいい優衣ちゃんも大好きだよ。
◇
チンパンジー須藤の私有車はノーマルだった。警察官の私有車がイカついのはよろしくないから。
だが、優衣香のこの車はエアロパーツにホイール、マフラー、おそらく殆ど全てを装着したと思う。ステアリングにもロゴが入っている。
「優衣ちゃん、後付けパーツで百万、超えてるよね?」
「うん! 百五十万くらい!」
「そっかあー」
優衣香は働いて自分の力で生きている女性だ。俺は優衣香のカネの使い道にとやかく言う立場に無いし、俺だってカネの使い道にとやかく言われたくない。
――あれ、俺は何にカネ使ってるんだっけ?
酒、メシ、服、美容院、それに……あれ、そんなに使ってないな。優衣香に男がいた時は女遊びにカネ使ってたけど、ここ四年はそれも無いし。今の俺は休みも無く、酒は官舎に戻った時に数本飲むだけだ。そもそも官舎に戻ることが稀だ。
――でもこれからは優衣香に使えばいい。
「優衣ちゃん、マフラーとマッチョしかいないジムのTシャツのお返しをしたいんだけど」
「えー、いいよ」
「でも、お返しさせてよ」
「うーん……」
「ボーナス入ったし、何でもいいよ」
優衣香は何を欲しがるのだろうか。指輪、ピアス、ネックレス、カバンなど、身につけるものを言って欲しいと思いながら、欲しいものを思い浮かべて悩んでいる優衣香の横顔を眺めていた。
信号が変わって、優衣香は何かを思い出したようで、欲しいものを口にした。
「取っ手の取れるフライパンセットが欲しい」
――どうしてこう、優衣ちゃんはそうなのかな。
それも金属製でピカピカしてるけど、方向性が違うよね。
「アクセサリーとかは?」
優衣香はパドルシフトに慣れていないのか、減速時にシフトレバーに触れようとして、手が空を切っている。
「んふっ……慣れなくて」
「ふふっ」
左手の薬指には指輪はしていない。中指に大ぶりな指輪をしていて、手首にはブレスレットと腕時計をしている。
「優衣ちゃん、時計はどうかな?」
「目覚まし時計?」
――違う。そうじゃない。
「ペアウォッチ。腕時計だよ」
「ああっ! いいね。敬ちゃんはどんな時計がいい?」
――俺の希望を優先しなくてもいいのに。
「優衣ちゃんはどんなものがいいの?」
「うーん……」
「見てから考えようか」
「そうだね」
「じゃあ、これから行こうか。デパートかな?」
俺がそう言うと、優衣香の目が動いた。
そして、横目で俺を見て、すぐに前を向いた。
俺はその目の動きが何なのかわからなかったが、自分の服を見て理解した。
「コレじゃ、デパートは無理だね」
今日の俺はジャージだ。バーベルを担ぐからジャージの方がいいだろうと思ってそうしたから、よそ行きのジャージじゃなくて適当なジャージだ。ダウンコートは着ているが。
優衣香は俺を迎えに来た後はスーパーで買い物をすると言ったから、適当なジャージでも問題無いと思った。
デパートは想定外だった。それに仕事で外出していた優衣香はもちろんスーツで、優衣香とも服装が合っていない。しかも今気づいたが、俺は上下別のジャージを着ている。
――もう! 敬志のバカ!
「ごめんね、ジャージで」
「いいよ、私はジャージ姿の敬ちゃんが好きだよ」
「本当に?」
「うん。ふふふ」
◇
スーパーで買い物を済ませて車に乗って、優衣香がサイドブレーキを解除しないうちに俺は優衣香の名を呼んだ。こちらを向いた優衣香の頬に手を添わせて顔を近づけると優衣香も顔を寄せてきて、軽く、唇を重ねた。
「優衣ちゃん、今夜、やっと、続きが出来るね」
額をくっつけて優衣香の目を見ると、恥ずかしそうに目を伏せて、可愛いなと思った。
――三回戦は出来るな、ああ、俺なら出来る。二回と一回だ。連続三回はちょっと無理かな。
「あのね、仕事が終わらなくて、なんとか終わらせるように頑張る。でも敬ちゃんは寝ててもいいからね」
――あのっ! いっ一回は、一回は出来ますよね!?
「うん、優衣ちゃん、仕事大変だね」
「あー、うん……ごめんね、せっかく会えたのに」
「ふふっ、いいんだよ。仕事だもん」
――よくないよ! 事件も事故も無くなればいいのに!
優衣香が言うには、検察で謄写した刑事記録と事故発生当初の聴取内容に乖離があり、とっても困ったことになっているという。『保険会社の片方が全額払う事故じゃない』と。
守秘義務があるから詳細は言わないが、署に出向き、交通捜査課で担当警察官とも話したという。
「町沢署の交通捜査課の福岡さんって、いい人だった」
「あー、知ってる。黒縁の眼鏡かけてる奴だ」
「そうそう」
「でも、捜査のことは話せないでしょ? それにもう起訴されてるし」
「うん。でもね、私の事情もちゃんと聞いてくれて、その上で話せることは話してくれた」
――ああ、他は話をまともに聞かない奴ばかりだから、優衣香はそういう言い方をするのか。
「福岡さんね、私が持ってた判例タイムズを興味深そうに見ていてね、当該事故の過失割合について質問してきたの」
「民事は関係ないのに?」
「そう。福岡さんに『後学のために教えて下さい』って言われた」
「あー、福岡はそういう奴だよ」
「真面目で向上心のある人なんだね」
――それは刑法を思い出そうとすると脳内映像にモザイクがかかるぼくへの当てつけかな。
「うん、福岡はそうだよ」
今日は優衣香に会えてウッキウキなはずなのに、なんだか少しずつライフが減少していくような感覚になっているが、俺は気にしないことにした。