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Ally-02:強引なる★ARAI(あるいは、カノンオブザ/ラスターマン)
横須賀市立久里浜北高等学校は、京急久里浜駅から真北に上って徒歩約8分。平作川を渡ったすぐ先に、白壁の古めかしい威容ながら周りの風景に溶け込むようにして屹立している。
この四月から僕が通い始め、ようやくそのぼろい外装とか構造とか雰囲気とかに慣れ始めた高校の校舎であり、入学早々、アライくんと出会った運命の場所でもある……
「つ、つなぎばっと、野比工業高校の知り合いがおるとじゃにっき、調達はぬ、ぬかりなか」
と、学校から駅まで続く新緑の広めの遊歩道を、せわしなく首を左右に振りながら得意気に先を歩くそのアライくんから、そんな高揚した言葉が流れて来るのだけれど。「業者」を装うにはまずカッコから、ということらしく、いきなりまずはそれの調達と相成っているわけなのだけど。
え? いやもうやることは確定してるの? みたいな疑問で偽装した批難の言葉なんかは、その耳たぶがやけに福々しい耳にはもう届きそうもなかった。
午後五時を少し回るところではあるけど、まだくすみながらも青空がぶわと広がる見晴らしのいい道を、近年清浄さを取り戻した平作川からの心地よい風に吹かれて歩く。僕は制服の前ボタンを全て解放して、その清浄さをせめて外っ面だけにはまぶしておこうとの気の構えである。小太りゆえに冬でも通常の歩行速度で汗まみれになる燃費の悪い身体が、少し冷やされてさらに心地はよい。
取り巻く環境としては非常に優良であると思われるのだけれど、相方の頑なな決意をこれ見よがしに擦りつけるように押し付けられてきていることを肌で感じ、何か肺の中もちくちくしてきたような気がする。
ちなみにうちの高校は制服もあるものの私服も可であり、大体その比率は男女共に半々くらいだ。けど。
当のアライくんの今日の出で立ちはというと、パーソンズの赤白のスタジャンの下には黒地のTシャツのど真ん中に原色の赤黄緑と三分割に塗り分けられたボブ・マーリーの巨大な顔が斜め上を見上げて微笑んでいて、サスペンダー付きの緑白色っていうのか掠れた色のミリタリーフライトパンツは何故か膝下辺りで絞られており、目に眩しい脛の半ばまでの白ソックスが、蛍光イエローの地に蛍光オレンジの靴紐が通されたハイカットのスニーカーと相まって非常に目に来る。
豊かで、降ろすと肩まではあるという結構な長さの黒髪は、今日びフィクションの中でもお目にかかることは稀と思われる、いわゆるポンパドール+ダックテイル型のリーゼントにガチガチに固められていてテカテカで、前髪部分は前に20cm、上に15cmくらいに張り出しており、ひと目カタギの高校生とは見えないようなイキレた氣を周囲10mくらいに常に発している。
本人曰く、「‘85年感を自分の中で咀嚼して表現してみた」そうだけど、2085年くらいにはz軸方向に一周回ってこんな風体もありになるのかも知れないことも無きにしもあらざらむかな……
とは言え、此度いたそうとしている狼藉についても、このお世辞にも栄えていない海沿いの町にそぐう気ゼロのけったいな格好も、すべては、アライくんの譲れぬこだわりから端を発しているものであって。
お、親父さんはよぅ、わ、我ぁの魂がの師匠だがにき、そ、そんくら青春がばを、追体験せんばるこって、その高潔な意志を継ごかどぅっちゅう、そ、そだら寸法な訳じゃっどよ……
いつぞや頼んでもいないのに語ってくれたその言葉が、側頭葉辺りをつるりと滑り落ちるかのようにうっすらと思い出されてくる……
いま現在はその居所は杳として知れないアライくんの父親……お母さんは既に亡くなられているとのことで、言いにくいけれど要は捨てられたと言えなくもない状況であってもなお、なぜか信奉しているそのお父さんの生年が1969年……つまり1985年は、そのお父さんが「16歳」の年であり、今年16歳を迎えるアライくんは、その「時代の空気」をその身をもって感じたいと、至って素面に考えているのであった……
こうして。「四十年前」の幻想を追い求めるアライくんとそれに引きずり込まれるかたちで関わってしまった僕の、狂乱の季節はこんな風にずんめりと始まってしまったのであって。
……アライくんは、いつも強引だ。