残酷な描写あり
46.久しぶりの再会
契約書の作成自体は、専用の用紙二枚に契約内容と私とカグヅチさんの名前をそれぞれ書いて商人組合の印を押すだけだったので、結構あっさりと終わった。
そして受付の女性に預けた私の商人証明書は、偽造されていないかを確認をしているらしい。これは別に私の事を怪しんでいる訳ではなく、商人が商人組合を利用する際に誰にでも行っている通常業務だそうで、組合を出る前に受付に行けば返却してもらえるそうだ。
契約書を作成し、ゼウェンさんにカグヅチさんとの詳しい取引内容を説明し、少し雑談をしたところで私達は席を立つことにした。
「ああ、イワン殿、実は先日お願いされていた件についてお話しがありますので、残ってもらっていいですか?」
「わかりましたぞ。すみませんが、みんな先に戻っていてくださいですぞ」
仕事の話があるというイワンを残し、私達は執務室をあとにして商人組合の1階へと戻った。1階に降りると私は直ぐさま受付に行き、商人証明書を返してもらった。
「ミーティアさんはこれから用事はあるのか?」
イワンを持っているとカグヅチさんが唐突にそんなことを聞いてきた。
「ええ、あるわよ」
私が今回貿易都市に来たのは用事があるからだ。カグヅチさんと契約書を作ったのはその用事の一つで、私にはもう一つ別の用事が残っていた。
「じゃあここでお別れだな。イワンが用があるのは俺だからな、ミーティアさんまでイワンを待つ必要はないだろう?」
確かにそうだ。何となく流れで一緒にイワンを待つ体勢になっていたが、カグヅチさんの言う通り、私達を監視している八柱の一人であるイワンをわざわざ待つ理由なんて何処にも無かった。
「それもそうね。……じゃあまたね、カグヅチさん。カグヅチさんの仕事ぶり、期待しているからね!」
「ああ、任せてくれミーティアさん!」
こうして商人組合で無事に用事を済ませた私達は、カグヅチさんと別れて管理棟から出ると、再び馬車を走らせた。
管理棟から東門に続く大通りを通って管理区画を抜け、東の居住区画の真ん中を突っ切り、やってきました東門前広場! 本日二度目!!
なぜまたここに来たのかというと、それは……。
「ミーティア様、こっちですわ!」
私達に向かって手を挙げながら声をかけてきたのは、広場中央の噴水前で待ち合わせしていたニーナとサムスだ。そう、ここに来たのは二人と合流するためだ。
いや、ね……、なんだかんだで待ち合わせするのにこの場所はかなり適しているのだ。貿易都市で待ち合わせの定番といえば、貿易都市のシンボルで中央にそびえる『中央塔』なのだけど、貿易都市を経営している八柱に見張られている私達にとってそこは敵のおひざ元。そんな所で呑気に待ち合わせなんて出来るはずがない。
だから中央塔から最も離れていて、私の屋敷がある東の方角で、尚且つ待ち合わせに最適な場所……うん、ここしかない。
そもそもここで合流するなら、何故クワトルとティンクとだけ先に合流したのか。もちろんそれにも理由はある。
それは、ニーナとサムスの二人が暇になれるのが、この時間帯からだけだからだ。
ニーナは、『美化清掃員』と『宿屋従業員』の二つの仕事を掛け持ちして、サムスは『管理棟雑務員』の仕事をしている。二人とも有能なため仕事が多忙らしく今まで中々会えなかったが、私がここに来る今日に合わせて何とか時間を作ってもらったのだ。
「ニーナ、サムス、久しぶりね。元気だった?」
っと言っても、普段から念話で連絡は取り合ているので二人が元気な事は知っているし、久しぶりという感じもしなかった。そう分かっていてもこう聞いてしまったのは、今までに無いくらい長く二人の顔を見ていなかった所為なのだろう。
「元気でしたわ!」
「僕の方も元気です」
「なら良かったわ。それじゃあ、早速行きましょうか。サムス案内をお願い」
「かしこまりました。……っと言ってもここからすぐなんですが――」
――サムスの言う通り、本当にすぐだった。
東門前広場から三本ある大通りの内、南の『商業区画』に繋がる大通りに入って数分の場所に目的の建物はあった。
大通りに面して建つ建物は殆どが二階建て以上のレンガ造りの大きな建物なのに対し、その建物はある意味異色な一階建ての昔ながらの丸太造りの小さな建物だった。しかしそれは、建物がボロいと言っている訳ではない。現代建築の主流であるレンガ造りの建物が建ち並ぶ中に、一つだけ古風な味わいの丸太造りの建物があれば、違和感を覚えるのは当然というだけである。
建物の入り口の斜め上に小さいが看板があったので、ここは民家ではなくお店だとすぐ分かる。私達は馬車を降りてその店に入る。
カランコロンと軽快なドアベルの音が小さな店内に反響して、ちょっとした不思議な音楽を奏でる。
「いらっしゃい」
ドアベルの音に続いて聞こえてきたのは、年期のあるこもった声だった。声の方に目をやると、奥のカウンターに一人の老人がいた。ぼさぼさの白髪と皺だらけの顔をしたおじいちゃんで、小さな丸眼鏡の中からこちらをじっと見つめていた。
「こんにちは、エイラードさん」
「ん? ……おお、サムスとニーナか、待っていたぞ。……そっちの人達は初めてだな?」
「初めまして商人のミーティアです」
「ドラゴンテールというハンターパーティーのクワトルです」
「同じくティンクだよ!」
「わしはここ店主のエイラードだ。……なる程、サムス達と一緒に来たということは、お前達がサムスの言ってた知り合いだな?」
エイラードさんは小さな眼鏡の中にある目を更に小さくして私達を見据える。
「それよりエイラードさん、頼んでいた物は見つかりましたか?」
「ああ、見繕ったよ。ちょっとそこに掛けて待ってておくれ」
エイラードさんはそう言って立ち上がると店の奥へと行ってしまう。
私達はとりあえずエイラードさんの言う通り、来客用の椅子に腰かけて待つことにした。
「お待たせ。条件に合う物件はこれと、これぐらいだな」
エイラードさんは店の奥から持って来た二枚の紙をテーブルの上に広げて見せてくれる。紙には建物の見取り図と金額が書かれていた。
そう、エイラードさんの店は不動産屋なのだ。私のもう一つの用事とは、新しい拠点にする家の購入だ。
というのも、屋敷から貿易都市まではかなりの距離があるので、どんなに急いでも移動は日単位になる。そしてカグヅチさんに定期的に素材を卸すことになった今だと、荷物を運ぶ必要があるため今回のように馬車での移動になるので片道三日、往復で六日は掛かることになる。正直言ってこれは、私にとっては時間の浪費でしかなかった。
そこで私は貿易都市に家を買い、そこに転移魔法陣を仕込んで簡単に屋敷と貿易都市を移動する拠点にしようと考えた。丁度、魔獣討伐報酬の大銀貨9枚があったので金銭面の心配はなかったことが幸いして、この提案はミューダを含めてアイン達も賛成の意を示してくれ、早速取り掛かることになった。
ニーナとサムスには、「屋敷と少しでも距離が近い東の居住区画」、「人通りが少ない」、「5、6人が住める大きさ」、「なるべく安い」という4つの最低条件で候補を探すようにと事前に伝えて家を探してもらっていた。
そしてここ、エイラードさんが店主の不動産屋は、東の居住区画全域の物件の管理を貿易都市から一任されている、見た目の小ささからは想像できない程の大きな店なのだった。
エイラードさんが持って来た紙は、私が提示した条件に当てはまった物件の詳細が記されていて、エイラードさんはひとつずつ指差しながら説明してくれる。
「まず1つ目だが、こいつは中央塔と東門前広場を繋ぐ大通りから少し裏路地に入った場所にある物件だ。大通りに近いがこの家がある辺りは比較的人通りが少なく静かな場所で、家の大きさも申し分ない。ただし、土地の広さと立地の関係でそこそこの値がする。そして家には浴室が無く、家具も全く付属してないから、全てを一から用意する必要がある。だが、それを何とか出来る当てがあるなら、他の同じような家に比べてかなり安い物件になる」
家の見取り図を見ると、家は二階建てで、エイラードさんの言う通り広さもそこそこある。値段も銀貨1枚するが、この立地と土地の広さから考えると破格の値段なのだろう。
銀貨10枚が大銀貨1枚と同じ金額なので、家具やなんだらを揃えたとしても十分予算内に収まる優良物件だ。
「もうひとつの物件は、これだが……」
エイラードさんはなぜか口ごもりながら、もう1枚の紙を指差す。その様子を不思議に思いながらも、指差された紙を私とサムスは覗き込む。
「……エイラードさん、この物件、この広さで大白銅貨10枚は安すぎませんか?」
紙に書かれていた物件はさっきの家よりも大きくて、広い庭付きの家だった。大きさは私の屋敷よりも小振りではあるが、それでも別荘と言える程度の大きさは十分にある。
サムスの言う通りで、こんな物件が大白銅貨10枚というのはあまりにも安すぎる。サムスの疑問に私は首を縦に振って同意を示す。
それに対してエイラードさんは言いづらそうに重々しく口を開いて答えた。
「それはな……この物件が、とんでもない訳あり物件だからだよ」
◆ ◆
「それで話とは?」
セレスティア達が出ていき、二人きりになったところでイワンが話題を切り出した。
「それはもちろん、あのミーティアという商人についてですよ」
声のトーンを落として真剣な顔をするゼウェンに、イワンも眼つきが鋭くなり表情が変わる。
実はイワンは以前からゼウェンに『ミーティアという商人を調べるように』と頼んでいた。
以前の八柱協議でミーティアという謎の商人と、それと一緒にいた4人の人物の監視が決まった。そしてイワンはゼウェンに商人組合の独自の情報網から秘密裏にミーティアに関する情報を探らせていたのだ。
ゼウェンの言葉から、ミーティアに関して何か進展があり自分を呼び止めたのだとイワンは瞬時に察した。
「何か、分かりましたかな?」
「ええ、単刀直入で言いましょう……イワン殿、ミーティアという商人をこれ以上探るのは今すぐ止めるべきです」
「……八柱の決定に異議を唱えるとは、どういう意味ですかな?」
ゼウェンの言っている意味が分からず、イワンは更に目を鋭くしてゼウェンを睨みつける。
八柱協議で決定されたことは八柱協議でしか変更できない。つまり八柱のメンバーではないゼウェンには八柱協議で決まったことに口を出す権利などそもそも存在していないのだ。イワンが不機嫌になっているのは、その事を知っているにも関わらずゼウェンが自分達の決定した事に口出してきたからである。
しかしゼウェンは、対面する者を貫くようなイワンの鋭い視線を向けられても全く動揺する様子がなかった。それよりもゼウェンの目には、イワンを相手にしても一歩も引く気が無いという強い意思が宿っていた。
「……どうやら冗談で言っている訳ではないようですな。理由を、教えてくれますかな?」
ゼウェンの発言は下手をすれば八柱の不興を買って、商人組合組合長の地位を剥奪されてもおかしくはない行為だった。にも関わらずあえて発言し、イワンの脅しにも屈することのない強い意思を示してみせたゼウェン。その覚悟はイワンを落ち着かせるのに十分だった。
「はい、あのミーティアという商人はただの商人ではありません。彼女の背後には八柱でも手に負えない大きな力を持つ存在が付いています」
「……その存在とは一体?」
「プアボム公国四大公の一人、オリヴィエ・マイン公爵です」
「ッ!?」
とんでもない大物の名前が飛び出し、これには流石のイワンも驚きを隠せなかった。
「何故一介の商人にそんな大物が付いているのですかな!?」
「それはこっちが知りたいですよ……。ただ、それについては今ウェンドリンガーが調べている所で――」
――ガチャリ。
まさにその時、完璧に計算してタイミングを見計らったかのようにウェンドリンガーが戻って来た。
「……組合長、調べてきました」
「おお、ウェンドリンガー丁度いいところに! ……で、どうだった?」
急かすようにウェンドリンガーを自分の隣に座らせて、報告を求めるゼウェン。
「……ミーティアの商人証明書は、マイン公爵領『首都マイン』で、1週間ほど前に発行されたそうです」
「1週間前? それはおかしいですぞ。ミーティアが最初に貿易都市を訪れたのは一月も前で、その時に自分の事を商人と名乗っていたのですからな」
ウェンドリンガーの報告とイワンの証言が一致しないのは当然である。セレスティアが初めて貿易都市を訪れた時に商人と言ったのは、正体を隠すために適当に言っただけにすぎない。そのあと八柱に監視された事がきっかけとなり、マイン公爵に頼んで商人証明書を発行してもらったのだから。
しかし、その事を知らないイワン達のセレスティアの仮の姿であるミーティアの正体を探る推測は、事実から徐々に遠ざかっていくことになる。
「……もしや、ミーティアは元々地方商人だったのでは?」
「地方商人ですと?」
地方商人とは、各国を巡り商売をする商人組合所属の商人と真逆の存在で、限定的な決まった範囲でしか商売をしない商人組合未所属の商人達の通称である。
「地方商人は商人組合には所属していないので、商人証明書を持っていません。そして最近商売の幅を広げるために商人組合に登録したということなら、イワン殿とウェンドリンガーの証言の辻褄は合います」
「確かにそれだと辻褄は合いますな。しかし、たかが地方商人とマイン公爵程の大物に繋がりがあるとはとても思えませんが、それはどう説明するのですかな?」
「……地方商人といっても、地位が低いわけではありません。過去には、有力貴族と癒着して大儲けをしていた地方商人もいます。ミーティアという商人とマイン公爵に繋がりがあっても、不思議ではありません」
商人事情に詳しくないイワンは地方商人の地位は低いと思っていた。しかしウェンドリンガーの言う通り、権力者を背後に持っていた地方商人は実際に存在していて、むしろ商人組合所属の商人よりも権力者を背後に持つ一部の地方商人の方が財力が上という事がある。
ウェンドリンガーの説明に納得したイワンはゼウェンの推測に同意し、ミーティアがマイン公爵と繋がりがあった地方商人の可能性が高いと結論付けた。
「イワン殿、これでわかったでしょう? ミーティアの背後にマイン公爵が付いているのは、ミーティアの商人証明書が本物であることから疑い様の無い事実です。これ以上、ミーティアとミーティアと一緒にいた4人を監視や調査するのは止めてください! もしそれがバレてマイン公爵の不興を買ってしまえば、マイン公爵領からの支援や物流が止まるかもしれません。そうなれば貿易都市と我々商人が受ける打撃は無視できるものではありません! ……いえ、それならまだマシでしょう。もしマイン公爵が他の四大公に働きかけ、プアボム公国全体で貿易都市に対する制裁処置がなされたら、それこそ最悪です!」
「まさか!? そんな事が――」
「無いとは言い切れないはずです。マイン公爵家は四大公の中でも一番の古株です。それが動けば他の四大公も腰を上げるかもしれません。プアボム公国は産業力に特化した国です。そこから制裁措置をされたら、貿易都市に流れてくる物流の5割が減少するでしょう。そうなれば貿易都市にどれだけの被害が出るか……想像はしたくないですね」
「…………」
執務室の空気が沈黙し、どんよりと重たくなった。
ゼウェンの言いたいことはイワンも理解した。貿易都市は4ヵ国の何処にも属さない完全中立都市である。しかしそれは正確にいうと、4ヵ国の全てから支援を受けて成り立っている都市なので何処にも属すことが出来ないだけなのだ。八柱は貿易都市の経営を任されているが、その権力が及ぶのは貿易都市の中だけである。つまり、八柱に国と対立するだけの力はないのだ。
ミーティア達を監視している“隠者”の技術は完璧で、バレることは無いとイワンは確信している。しかし、もし万が一バレてしまいマイン公爵の知るところになれば、そしてもしその行為がマイン公爵に敵対行為とみなされてしまえば、対立は間違いないものとなる。そうなれば貿易都市に勝ち目などない。
「……分かりましたぞ。今度の八柱協議で話し合ってみることにしますぞ」
「イワン殿、ありがとうございます」
「よいのですぞ。むしろ儂等が危ない橋を渡っていることに気付かせてくれた事に感謝したいぐらいですぞ。……では儂はそろそろ行くとしますぞ。カグヅチ達も待ちぼうけているでしょうし」
そう言ってイワンはゆっくり立ち上がると、ゼウェン達に別れを告げて執務室をあとにした。
(……ミーティアの件、儂にも思う所がありましたぞ。初めこそは“見透し”の能力を防いだ得体の知れない人物としか思っていませんでした。しかし――)
「お、イワン。話は終わったのか?」
1階に降りて来たイワンに、カグヅチがすぐ声を掛けて来た。
「終わりましたぞ。待たせて申し訳ありませんな。……おや、ミーティアさん達は何処ですかな?」
「ミーティアさんなら用事があるらしくてな、もう行っちまったぞ。何か用でもあったのか?」
「いいえ特にないのですが、いなかったので気になっただけですぞ。それよりカグヅチ、早く戻って儂の刀のメンテナンスをお願いしますぞ!」
「そうだったな。じゃあ、さっさと戻るとするか」
カグヅチの後ろを付いて歩きながら、イワンはカグヅチの大きな背中を見る。
(お主の人を見る目は、儂よりも断然優れているのは分かってますぞ。そんなお主の目に留まった相手、信用してみるのも悪くはないでしょう……)
そして受付の女性に預けた私の商人証明書は、偽造されていないかを確認をしているらしい。これは別に私の事を怪しんでいる訳ではなく、商人が商人組合を利用する際に誰にでも行っている通常業務だそうで、組合を出る前に受付に行けば返却してもらえるそうだ。
契約書を作成し、ゼウェンさんにカグヅチさんとの詳しい取引内容を説明し、少し雑談をしたところで私達は席を立つことにした。
「ああ、イワン殿、実は先日お願いされていた件についてお話しがありますので、残ってもらっていいですか?」
「わかりましたぞ。すみませんが、みんな先に戻っていてくださいですぞ」
仕事の話があるというイワンを残し、私達は執務室をあとにして商人組合の1階へと戻った。1階に降りると私は直ぐさま受付に行き、商人証明書を返してもらった。
「ミーティアさんはこれから用事はあるのか?」
イワンを持っているとカグヅチさんが唐突にそんなことを聞いてきた。
「ええ、あるわよ」
私が今回貿易都市に来たのは用事があるからだ。カグヅチさんと契約書を作ったのはその用事の一つで、私にはもう一つ別の用事が残っていた。
「じゃあここでお別れだな。イワンが用があるのは俺だからな、ミーティアさんまでイワンを待つ必要はないだろう?」
確かにそうだ。何となく流れで一緒にイワンを待つ体勢になっていたが、カグヅチさんの言う通り、私達を監視している八柱の一人であるイワンをわざわざ待つ理由なんて何処にも無かった。
「それもそうね。……じゃあまたね、カグヅチさん。カグヅチさんの仕事ぶり、期待しているからね!」
「ああ、任せてくれミーティアさん!」
こうして商人組合で無事に用事を済ませた私達は、カグヅチさんと別れて管理棟から出ると、再び馬車を走らせた。
管理棟から東門に続く大通りを通って管理区画を抜け、東の居住区画の真ん中を突っ切り、やってきました東門前広場! 本日二度目!!
なぜまたここに来たのかというと、それは……。
「ミーティア様、こっちですわ!」
私達に向かって手を挙げながら声をかけてきたのは、広場中央の噴水前で待ち合わせしていたニーナとサムスだ。そう、ここに来たのは二人と合流するためだ。
いや、ね……、なんだかんだで待ち合わせするのにこの場所はかなり適しているのだ。貿易都市で待ち合わせの定番といえば、貿易都市のシンボルで中央にそびえる『中央塔』なのだけど、貿易都市を経営している八柱に見張られている私達にとってそこは敵のおひざ元。そんな所で呑気に待ち合わせなんて出来るはずがない。
だから中央塔から最も離れていて、私の屋敷がある東の方角で、尚且つ待ち合わせに最適な場所……うん、ここしかない。
そもそもここで合流するなら、何故クワトルとティンクとだけ先に合流したのか。もちろんそれにも理由はある。
それは、ニーナとサムスの二人が暇になれるのが、この時間帯からだけだからだ。
ニーナは、『美化清掃員』と『宿屋従業員』の二つの仕事を掛け持ちして、サムスは『管理棟雑務員』の仕事をしている。二人とも有能なため仕事が多忙らしく今まで中々会えなかったが、私がここに来る今日に合わせて何とか時間を作ってもらったのだ。
「ニーナ、サムス、久しぶりね。元気だった?」
っと言っても、普段から念話で連絡は取り合ているので二人が元気な事は知っているし、久しぶりという感じもしなかった。そう分かっていてもこう聞いてしまったのは、今までに無いくらい長く二人の顔を見ていなかった所為なのだろう。
「元気でしたわ!」
「僕の方も元気です」
「なら良かったわ。それじゃあ、早速行きましょうか。サムス案内をお願い」
「かしこまりました。……っと言ってもここからすぐなんですが――」
――サムスの言う通り、本当にすぐだった。
東門前広場から三本ある大通りの内、南の『商業区画』に繋がる大通りに入って数分の場所に目的の建物はあった。
大通りに面して建つ建物は殆どが二階建て以上のレンガ造りの大きな建物なのに対し、その建物はある意味異色な一階建ての昔ながらの丸太造りの小さな建物だった。しかしそれは、建物がボロいと言っている訳ではない。現代建築の主流であるレンガ造りの建物が建ち並ぶ中に、一つだけ古風な味わいの丸太造りの建物があれば、違和感を覚えるのは当然というだけである。
建物の入り口の斜め上に小さいが看板があったので、ここは民家ではなくお店だとすぐ分かる。私達は馬車を降りてその店に入る。
カランコロンと軽快なドアベルの音が小さな店内に反響して、ちょっとした不思議な音楽を奏でる。
「いらっしゃい」
ドアベルの音に続いて聞こえてきたのは、年期のあるこもった声だった。声の方に目をやると、奥のカウンターに一人の老人がいた。ぼさぼさの白髪と皺だらけの顔をしたおじいちゃんで、小さな丸眼鏡の中からこちらをじっと見つめていた。
「こんにちは、エイラードさん」
「ん? ……おお、サムスとニーナか、待っていたぞ。……そっちの人達は初めてだな?」
「初めまして商人のミーティアです」
「ドラゴンテールというハンターパーティーのクワトルです」
「同じくティンクだよ!」
「わしはここ店主のエイラードだ。……なる程、サムス達と一緒に来たということは、お前達がサムスの言ってた知り合いだな?」
エイラードさんは小さな眼鏡の中にある目を更に小さくして私達を見据える。
「それよりエイラードさん、頼んでいた物は見つかりましたか?」
「ああ、見繕ったよ。ちょっとそこに掛けて待ってておくれ」
エイラードさんはそう言って立ち上がると店の奥へと行ってしまう。
私達はとりあえずエイラードさんの言う通り、来客用の椅子に腰かけて待つことにした。
「お待たせ。条件に合う物件はこれと、これぐらいだな」
エイラードさんは店の奥から持って来た二枚の紙をテーブルの上に広げて見せてくれる。紙には建物の見取り図と金額が書かれていた。
そう、エイラードさんの店は不動産屋なのだ。私のもう一つの用事とは、新しい拠点にする家の購入だ。
というのも、屋敷から貿易都市まではかなりの距離があるので、どんなに急いでも移動は日単位になる。そしてカグヅチさんに定期的に素材を卸すことになった今だと、荷物を運ぶ必要があるため今回のように馬車での移動になるので片道三日、往復で六日は掛かることになる。正直言ってこれは、私にとっては時間の浪費でしかなかった。
そこで私は貿易都市に家を買い、そこに転移魔法陣を仕込んで簡単に屋敷と貿易都市を移動する拠点にしようと考えた。丁度、魔獣討伐報酬の大銀貨9枚があったので金銭面の心配はなかったことが幸いして、この提案はミューダを含めてアイン達も賛成の意を示してくれ、早速取り掛かることになった。
ニーナとサムスには、「屋敷と少しでも距離が近い東の居住区画」、「人通りが少ない」、「5、6人が住める大きさ」、「なるべく安い」という4つの最低条件で候補を探すようにと事前に伝えて家を探してもらっていた。
そしてここ、エイラードさんが店主の不動産屋は、東の居住区画全域の物件の管理を貿易都市から一任されている、見た目の小ささからは想像できない程の大きな店なのだった。
エイラードさんが持って来た紙は、私が提示した条件に当てはまった物件の詳細が記されていて、エイラードさんはひとつずつ指差しながら説明してくれる。
「まず1つ目だが、こいつは中央塔と東門前広場を繋ぐ大通りから少し裏路地に入った場所にある物件だ。大通りに近いがこの家がある辺りは比較的人通りが少なく静かな場所で、家の大きさも申し分ない。ただし、土地の広さと立地の関係でそこそこの値がする。そして家には浴室が無く、家具も全く付属してないから、全てを一から用意する必要がある。だが、それを何とか出来る当てがあるなら、他の同じような家に比べてかなり安い物件になる」
家の見取り図を見ると、家は二階建てで、エイラードさんの言う通り広さもそこそこある。値段も銀貨1枚するが、この立地と土地の広さから考えると破格の値段なのだろう。
銀貨10枚が大銀貨1枚と同じ金額なので、家具やなんだらを揃えたとしても十分予算内に収まる優良物件だ。
「もうひとつの物件は、これだが……」
エイラードさんはなぜか口ごもりながら、もう1枚の紙を指差す。その様子を不思議に思いながらも、指差された紙を私とサムスは覗き込む。
「……エイラードさん、この物件、この広さで大白銅貨10枚は安すぎませんか?」
紙に書かれていた物件はさっきの家よりも大きくて、広い庭付きの家だった。大きさは私の屋敷よりも小振りではあるが、それでも別荘と言える程度の大きさは十分にある。
サムスの言う通りで、こんな物件が大白銅貨10枚というのはあまりにも安すぎる。サムスの疑問に私は首を縦に振って同意を示す。
それに対してエイラードさんは言いづらそうに重々しく口を開いて答えた。
「それはな……この物件が、とんでもない訳あり物件だからだよ」
◆ ◆
「それで話とは?」
セレスティア達が出ていき、二人きりになったところでイワンが話題を切り出した。
「それはもちろん、あのミーティアという商人についてですよ」
声のトーンを落として真剣な顔をするゼウェンに、イワンも眼つきが鋭くなり表情が変わる。
実はイワンは以前からゼウェンに『ミーティアという商人を調べるように』と頼んでいた。
以前の八柱協議でミーティアという謎の商人と、それと一緒にいた4人の人物の監視が決まった。そしてイワンはゼウェンに商人組合の独自の情報網から秘密裏にミーティアに関する情報を探らせていたのだ。
ゼウェンの言葉から、ミーティアに関して何か進展があり自分を呼び止めたのだとイワンは瞬時に察した。
「何か、分かりましたかな?」
「ええ、単刀直入で言いましょう……イワン殿、ミーティアという商人をこれ以上探るのは今すぐ止めるべきです」
「……八柱の決定に異議を唱えるとは、どういう意味ですかな?」
ゼウェンの言っている意味が分からず、イワンは更に目を鋭くしてゼウェンを睨みつける。
八柱協議で決定されたことは八柱協議でしか変更できない。つまり八柱のメンバーではないゼウェンには八柱協議で決まったことに口を出す権利などそもそも存在していないのだ。イワンが不機嫌になっているのは、その事を知っているにも関わらずゼウェンが自分達の決定した事に口出してきたからである。
しかしゼウェンは、対面する者を貫くようなイワンの鋭い視線を向けられても全く動揺する様子がなかった。それよりもゼウェンの目には、イワンを相手にしても一歩も引く気が無いという強い意思が宿っていた。
「……どうやら冗談で言っている訳ではないようですな。理由を、教えてくれますかな?」
ゼウェンの発言は下手をすれば八柱の不興を買って、商人組合組合長の地位を剥奪されてもおかしくはない行為だった。にも関わらずあえて発言し、イワンの脅しにも屈することのない強い意思を示してみせたゼウェン。その覚悟はイワンを落ち着かせるのに十分だった。
「はい、あのミーティアという商人はただの商人ではありません。彼女の背後には八柱でも手に負えない大きな力を持つ存在が付いています」
「……その存在とは一体?」
「プアボム公国四大公の一人、オリヴィエ・マイン公爵です」
「ッ!?」
とんでもない大物の名前が飛び出し、これには流石のイワンも驚きを隠せなかった。
「何故一介の商人にそんな大物が付いているのですかな!?」
「それはこっちが知りたいですよ……。ただ、それについては今ウェンドリンガーが調べている所で――」
――ガチャリ。
まさにその時、完璧に計算してタイミングを見計らったかのようにウェンドリンガーが戻って来た。
「……組合長、調べてきました」
「おお、ウェンドリンガー丁度いいところに! ……で、どうだった?」
急かすようにウェンドリンガーを自分の隣に座らせて、報告を求めるゼウェン。
「……ミーティアの商人証明書は、マイン公爵領『首都マイン』で、1週間ほど前に発行されたそうです」
「1週間前? それはおかしいですぞ。ミーティアが最初に貿易都市を訪れたのは一月も前で、その時に自分の事を商人と名乗っていたのですからな」
ウェンドリンガーの報告とイワンの証言が一致しないのは当然である。セレスティアが初めて貿易都市を訪れた時に商人と言ったのは、正体を隠すために適当に言っただけにすぎない。そのあと八柱に監視された事がきっかけとなり、マイン公爵に頼んで商人証明書を発行してもらったのだから。
しかし、その事を知らないイワン達のセレスティアの仮の姿であるミーティアの正体を探る推測は、事実から徐々に遠ざかっていくことになる。
「……もしや、ミーティアは元々地方商人だったのでは?」
「地方商人ですと?」
地方商人とは、各国を巡り商売をする商人組合所属の商人と真逆の存在で、限定的な決まった範囲でしか商売をしない商人組合未所属の商人達の通称である。
「地方商人は商人組合には所属していないので、商人証明書を持っていません。そして最近商売の幅を広げるために商人組合に登録したということなら、イワン殿とウェンドリンガーの証言の辻褄は合います」
「確かにそれだと辻褄は合いますな。しかし、たかが地方商人とマイン公爵程の大物に繋がりがあるとはとても思えませんが、それはどう説明するのですかな?」
「……地方商人といっても、地位が低いわけではありません。過去には、有力貴族と癒着して大儲けをしていた地方商人もいます。ミーティアという商人とマイン公爵に繋がりがあっても、不思議ではありません」
商人事情に詳しくないイワンは地方商人の地位は低いと思っていた。しかしウェンドリンガーの言う通り、権力者を背後に持っていた地方商人は実際に存在していて、むしろ商人組合所属の商人よりも権力者を背後に持つ一部の地方商人の方が財力が上という事がある。
ウェンドリンガーの説明に納得したイワンはゼウェンの推測に同意し、ミーティアがマイン公爵と繋がりがあった地方商人の可能性が高いと結論付けた。
「イワン殿、これでわかったでしょう? ミーティアの背後にマイン公爵が付いているのは、ミーティアの商人証明書が本物であることから疑い様の無い事実です。これ以上、ミーティアとミーティアと一緒にいた4人を監視や調査するのは止めてください! もしそれがバレてマイン公爵の不興を買ってしまえば、マイン公爵領からの支援や物流が止まるかもしれません。そうなれば貿易都市と我々商人が受ける打撃は無視できるものではありません! ……いえ、それならまだマシでしょう。もしマイン公爵が他の四大公に働きかけ、プアボム公国全体で貿易都市に対する制裁処置がなされたら、それこそ最悪です!」
「まさか!? そんな事が――」
「無いとは言い切れないはずです。マイン公爵家は四大公の中でも一番の古株です。それが動けば他の四大公も腰を上げるかもしれません。プアボム公国は産業力に特化した国です。そこから制裁措置をされたら、貿易都市に流れてくる物流の5割が減少するでしょう。そうなれば貿易都市にどれだけの被害が出るか……想像はしたくないですね」
「…………」
執務室の空気が沈黙し、どんよりと重たくなった。
ゼウェンの言いたいことはイワンも理解した。貿易都市は4ヵ国の何処にも属さない完全中立都市である。しかしそれは正確にいうと、4ヵ国の全てから支援を受けて成り立っている都市なので何処にも属すことが出来ないだけなのだ。八柱は貿易都市の経営を任されているが、その権力が及ぶのは貿易都市の中だけである。つまり、八柱に国と対立するだけの力はないのだ。
ミーティア達を監視している“隠者”の技術は完璧で、バレることは無いとイワンは確信している。しかし、もし万が一バレてしまいマイン公爵の知るところになれば、そしてもしその行為がマイン公爵に敵対行為とみなされてしまえば、対立は間違いないものとなる。そうなれば貿易都市に勝ち目などない。
「……分かりましたぞ。今度の八柱協議で話し合ってみることにしますぞ」
「イワン殿、ありがとうございます」
「よいのですぞ。むしろ儂等が危ない橋を渡っていることに気付かせてくれた事に感謝したいぐらいですぞ。……では儂はそろそろ行くとしますぞ。カグヅチ達も待ちぼうけているでしょうし」
そう言ってイワンはゆっくり立ち上がると、ゼウェン達に別れを告げて執務室をあとにした。
(……ミーティアの件、儂にも思う所がありましたぞ。初めこそは“見透し”の能力を防いだ得体の知れない人物としか思っていませんでした。しかし――)
「お、イワン。話は終わったのか?」
1階に降りて来たイワンに、カグヅチがすぐ声を掛けて来た。
「終わりましたぞ。待たせて申し訳ありませんな。……おや、ミーティアさん達は何処ですかな?」
「ミーティアさんなら用事があるらしくてな、もう行っちまったぞ。何か用でもあったのか?」
「いいえ特にないのですが、いなかったので気になっただけですぞ。それよりカグヅチ、早く戻って儂の刀のメンテナンスをお願いしますぞ!」
「そうだったな。じゃあ、さっさと戻るとするか」
カグヅチの後ろを付いて歩きながら、イワンはカグヅチの大きな背中を見る。
(お主の人を見る目は、儂よりも断然優れているのは分かってますぞ。そんなお主の目に留まった相手、信用してみるのも悪くはないでしょう……)