残酷な描写あり
92.ストール鉱山3
淵緑の魔女。魔獣討伐のあの場にいた人物なら、その名前と存在を忘れるわけがない。
奇妙な白い衣装で身を包み、海の底を思わせる引き込まれそうな深い青色の短い髪、小柄な身長とは裏腹にその何倍もの大きな自信と力を持った英雄。そう、彼女は英雄と呼ぶのが相応しい魔獣討伐の立役者。そして、マイン公爵の命によりその存在を秘匿され、魔獣討伐のあの場に居た者しか知ることがない人物だ。
その英雄が、ボノオロスを名指しで訪ねてきたというのだ。ないがしろに出来るわけがない。
この兵士は魔獣討伐のあの場に居合わせていたので、秘匿されたセレスティア、淵緑の魔女のことを知っていた。だから無理に追い返すわけにもいかず、こうして判断をボノオロスに仰ぎに来たのだ。
(いや、どうしますかって言われても……どうしろってんだよ!?)
ボノオロスは頭を悩ませる。普通なら四大公の一人と皇帝の相手を優先するのは当然であろう。しかしそうすると、ボノオロスは一日を二人の相手に丸々使うことになり、セレスティアの相手をするのは早くても明日になってしまう。用事があって訪ねて来た英雄を一日も待たせてしまうのは申し訳がなかった。
(マイン公爵様だけだったなら淵緑の魔女と会うことは問題ない。マイン公爵様と淵緑の魔女は元々知り合いの間柄だからだ。
しかし今、この場には皇帝陛下もいる。マイン公爵様が淵緑の魔女の情報を規制して存在を秘匿したのは、淵緑の魔女という存在を目立たないように、というよりかは世間に認知させないためだった。
つまり、淵緑の魔女という強大な存在を知らない皇帝陛下がいる今の状況で、淵緑の魔女に会うことは非常に不味い……。しかしそれでは英雄である淵緑の魔女を一日も待たせることになっちまう)
色々考えてみるも、自分だけで判断するには荷が重いと思い、助けを求めるようにボノオロスはチラリと視線を後ろにいるマイン公爵に向けた。
マイン公爵もこの状況に焦っていたようで額からツーっと汗を流していた。しかしボノオロスの視線を受け取ると、マイン公爵はボノオロスをしっかり見つめてこくりと頷いた。
それを見てその意を汲み取ったボノオロスは、兵士に向き直ると判断を伝えた。
「……俺は今日、マイン公爵様と皇帝陛下をご案内することになっている。この予定は最優先事項であり、変更は難しい。だから面会は明日にしてほしいと、魔女様にはそう伝えてくれ」
「分かりました。魔女様にはそうお伝えておきます!」
ボノオロスの言伝を受け取った兵士は敬礼して、早速セレスティアにその旨を伝えるために部屋を出る。
「ちょっと待て」
いや、正確には出ようとしたそのタイミングで、兵士を呼び止める声が投げ掛けられた。
兵士は咄嗟に振り返り、声の主を確かめる。すると、ボノオロスとマイン公爵も兵士と同じ動きをして声の主に振り向いていた。
二人の視線を追うように兵士が目を向けると、自分の方に目線を突き刺している皇帝エヴァイアと目が合った。
「な、何でしょうか、皇帝陛下?」
エヴァイアに呼び止められた理由が分からず、蛇に睨まれた蛙の様にガチガチに固まりかけながら兵士は恐る恐る尋ねた。
「我はその淵緑の魔女という人物に興味があるから会ってみたい。是非ここに連れて来てくれないか?」
「「「えええーーー!?」」」
エヴァイアのこのまさかの発言に兵士とボノオロス、そしてマイン公爵までもが驚愕の声を上げた。
「……なんだ、マイン公爵までそんな声を出して? そんなに淵緑の魔女という人物と僕を合わせたくないと思っているのかい?」
「い、いえ、そんなことは……」
慌てて否定するマイン公爵。こんなに慌てているマイン公爵の姿を見る機会はそうそうないだろう。
そんなマイン公爵に対してエヴァイアは余裕の笑みを浮かべた。
「だったら問題ないね。君、早く連れて来るんだ」
エヴァイアは兵士に淵緑の魔女を連れて来るように命令するが、そうはいかないと空かさずマイン公爵が異を唱える。
「皇帝陛下、今日は視察に来られたのでしょう? 目的を忘れられてもらっては困ります。ボノオロス達も鉱山の復興という忙しい合間に時間を作って、こうして私たちを持て成してくれているのですよ。そのあたりもご配慮してください!」
引き合いに自分の名前を使われて、心臓が何段階も飛び跳ねるボノオロス。
いくら咄嗟の思い付きだったとはいえ、マイン公爵の言い方は、国を治める王に「一介の庶民に配慮しろ」と言っているのと同義だ。
それは『実力主義』を掲げているブロキュオン帝国の皇帝相手に対して決して使うべき言葉ではない。権力や地位や立場で見ても皇帝であるエヴァイアがそんなことに配慮する必要はなく、ボノオロス達はエヴァイアやマイン公爵に反論することなく言う通りに行動するのが、エヴァイアの中では当たり前の事象である。そのことが分からないマイン公爵ではないはずなのに、この時ばかりは焦っていた所為か言葉の選択を間違えた。
そしてその引き合いに自分の名前を使われたのだから、ボノオロスにとってはたまったものじゃない。
恐る恐るエヴァイアに目をやると、マイン公爵を見るエヴァイアの目つきが相手を射抜こうとせんばかりに鋭くなったのをボノオロスは見逃さなかった。
(あっ……これ終わったかも……)
「マイン公爵……」
トーンの落ちた声で発せられたエヴァイアの声は、その場を凍り付かせるのに十分な覇気が付与されていた。
終わった……。マイン公爵はミスをした。しかも一番してはいけないミスだ。マイン公爵ほどの人物がこんなミスをすること自体考えられないことだが、大事な場面でマイン公爵に私情を挟ませることができるくらいに淵緑の魔女という存在はマイン公爵の中で大きなものだったのだろう。
エヴァイアの声を聴いてマイン公爵も自分のミスに気づいたようだったが、もう遅い。早く何とか修正しないと、今良好な関係を築いている二国間の関係に亀裂が入りかねない。
そんな予感がヒシヒシと感じられる空気が部屋を満たしたが、それもすぐに落ち着くことになった。何故なら、マイン公爵が何かを言う前にエヴァイアが自分自身で怒りを収めたからだ。
「……いや、ここは僕の国ではなかったね。郷に入っては郷に従えだ。僕の国の思想をこの国の人に押し付けるのは御門違いというものだったね」
「ありがとうございます皇帝陛下……」
「いやマイン公爵、謝るのは僕の方だ。こんなことで空気を悪くしてすまなかった」
お互いにギクシャクした空気は残ったが、無事に収まったことにボノオロスはホッと胸を撫で下ろした。
「しかし、淵緑の魔女に会ってみたいという気持ちは本当さ。何とかしてくれないかマイン公爵?」
「そうは言われても予定がありますし……」
諦めきれてないエヴァイアに対してマイン公爵は言葉を濁して誤魔化そうとする。その様子を見ていたボノオロスはふと、頭にある疑問が浮かんできて、好奇心でエヴァイアに訪ねてみた。
「皇帝陛下は、どうしてそうまでして魔女様に会ってみたいのですか?」
ボノオロスからの突然の質問に一瞬キョトンとした表情を見せるエヴァイア。その表情はすぐに無邪気な子供のような笑みに変化して、嬉々として得意げに語り始めた。
「淵緑の魔女といえば伝承に伝わる人物だろう? そんな伝承上の人物が来てると言うんだ。会ってみたいと思う興味的欲求が湧いてくるのは、何も不思議なことではないはずだ!」
皇帝の言葉に雷が走ったような衝撃を受けているマイン公爵。それを見て悪戯っ子の様に口元を釣り上げた笑みを浮かべるエヴァイア。
「なんだマイン公爵? まさか僕がその程度の伝承に疎いとっでも思っていたのかい? これでも僕は数百年の時を皇帝として生きているんだ。そんな中であった長い暇な時間の合間に情報収集を怠っていたとでも思っているのかい?
これでも僕はそういった伝承や逸話というものが大好きでね。各地域の、それも限られた範囲内でしか語られていないような伝承も全て網羅済みなのさ!
……勿論、淵緑の魔女の伝承も、そこから考察されるマイン公爵家と淵緑の魔女の関係もある程度承知している。そして何か訳あってマイン公爵家が淵緑の魔女の存在を隠し、あくまでも伝承という形でしか名前を残していないこともね!」
得意げにそう語ってみせたエヴァイアを見て、マイン公爵の口から諦めに似た大きな溜息が漏れた。
「……どうやら私はあなたという人物を甘く見すぎていたようですね……」
「お褒めに与り光栄だよ!」
「褒めたつもりはありませんよ。……ボノオロス、どうやらあなたに更に負担を掛けることになるりそうだわ」
「いえ、お気になさらないでくださいマイン公爵様。あまり事情に詳しくない俺でも、これは仕方ないことだと認識してます」
「そう言ってくれると助かるわ……」
マイン公爵は疲れ果てたように椅子にドサッと座り、また溜息を吐いた。
そんなマイン公爵の様子を見たボノオロスは、部屋を出ようとしてそのまま固まって様子を見ているだけだった兵士に向き直り、マイン公爵の代わりにこう言った。
「魔女様をここにお連れしてくれ」
奇妙な白い衣装で身を包み、海の底を思わせる引き込まれそうな深い青色の短い髪、小柄な身長とは裏腹にその何倍もの大きな自信と力を持った英雄。そう、彼女は英雄と呼ぶのが相応しい魔獣討伐の立役者。そして、マイン公爵の命によりその存在を秘匿され、魔獣討伐のあの場に居た者しか知ることがない人物だ。
その英雄が、ボノオロスを名指しで訪ねてきたというのだ。ないがしろに出来るわけがない。
この兵士は魔獣討伐のあの場に居合わせていたので、秘匿されたセレスティア、淵緑の魔女のことを知っていた。だから無理に追い返すわけにもいかず、こうして判断をボノオロスに仰ぎに来たのだ。
(いや、どうしますかって言われても……どうしろってんだよ!?)
ボノオロスは頭を悩ませる。普通なら四大公の一人と皇帝の相手を優先するのは当然であろう。しかしそうすると、ボノオロスは一日を二人の相手に丸々使うことになり、セレスティアの相手をするのは早くても明日になってしまう。用事があって訪ねて来た英雄を一日も待たせてしまうのは申し訳がなかった。
(マイン公爵様だけだったなら淵緑の魔女と会うことは問題ない。マイン公爵様と淵緑の魔女は元々知り合いの間柄だからだ。
しかし今、この場には皇帝陛下もいる。マイン公爵様が淵緑の魔女の情報を規制して存在を秘匿したのは、淵緑の魔女という存在を目立たないように、というよりかは世間に認知させないためだった。
つまり、淵緑の魔女という強大な存在を知らない皇帝陛下がいる今の状況で、淵緑の魔女に会うことは非常に不味い……。しかしそれでは英雄である淵緑の魔女を一日も待たせることになっちまう)
色々考えてみるも、自分だけで判断するには荷が重いと思い、助けを求めるようにボノオロスはチラリと視線を後ろにいるマイン公爵に向けた。
マイン公爵もこの状況に焦っていたようで額からツーっと汗を流していた。しかしボノオロスの視線を受け取ると、マイン公爵はボノオロスをしっかり見つめてこくりと頷いた。
それを見てその意を汲み取ったボノオロスは、兵士に向き直ると判断を伝えた。
「……俺は今日、マイン公爵様と皇帝陛下をご案内することになっている。この予定は最優先事項であり、変更は難しい。だから面会は明日にしてほしいと、魔女様にはそう伝えてくれ」
「分かりました。魔女様にはそうお伝えておきます!」
ボノオロスの言伝を受け取った兵士は敬礼して、早速セレスティアにその旨を伝えるために部屋を出る。
「ちょっと待て」
いや、正確には出ようとしたそのタイミングで、兵士を呼び止める声が投げ掛けられた。
兵士は咄嗟に振り返り、声の主を確かめる。すると、ボノオロスとマイン公爵も兵士と同じ動きをして声の主に振り向いていた。
二人の視線を追うように兵士が目を向けると、自分の方に目線を突き刺している皇帝エヴァイアと目が合った。
「な、何でしょうか、皇帝陛下?」
エヴァイアに呼び止められた理由が分からず、蛇に睨まれた蛙の様にガチガチに固まりかけながら兵士は恐る恐る尋ねた。
「我はその淵緑の魔女という人物に興味があるから会ってみたい。是非ここに連れて来てくれないか?」
「「「えええーーー!?」」」
エヴァイアのこのまさかの発言に兵士とボノオロス、そしてマイン公爵までもが驚愕の声を上げた。
「……なんだ、マイン公爵までそんな声を出して? そんなに淵緑の魔女という人物と僕を合わせたくないと思っているのかい?」
「い、いえ、そんなことは……」
慌てて否定するマイン公爵。こんなに慌てているマイン公爵の姿を見る機会はそうそうないだろう。
そんなマイン公爵に対してエヴァイアは余裕の笑みを浮かべた。
「だったら問題ないね。君、早く連れて来るんだ」
エヴァイアは兵士に淵緑の魔女を連れて来るように命令するが、そうはいかないと空かさずマイン公爵が異を唱える。
「皇帝陛下、今日は視察に来られたのでしょう? 目的を忘れられてもらっては困ります。ボノオロス達も鉱山の復興という忙しい合間に時間を作って、こうして私たちを持て成してくれているのですよ。そのあたりもご配慮してください!」
引き合いに自分の名前を使われて、心臓が何段階も飛び跳ねるボノオロス。
いくら咄嗟の思い付きだったとはいえ、マイン公爵の言い方は、国を治める王に「一介の庶民に配慮しろ」と言っているのと同義だ。
それは『実力主義』を掲げているブロキュオン帝国の皇帝相手に対して決して使うべき言葉ではない。権力や地位や立場で見ても皇帝であるエヴァイアがそんなことに配慮する必要はなく、ボノオロス達はエヴァイアやマイン公爵に反論することなく言う通りに行動するのが、エヴァイアの中では当たり前の事象である。そのことが分からないマイン公爵ではないはずなのに、この時ばかりは焦っていた所為か言葉の選択を間違えた。
そしてその引き合いに自分の名前を使われたのだから、ボノオロスにとってはたまったものじゃない。
恐る恐るエヴァイアに目をやると、マイン公爵を見るエヴァイアの目つきが相手を射抜こうとせんばかりに鋭くなったのをボノオロスは見逃さなかった。
(あっ……これ終わったかも……)
「マイン公爵……」
トーンの落ちた声で発せられたエヴァイアの声は、その場を凍り付かせるのに十分な覇気が付与されていた。
終わった……。マイン公爵はミスをした。しかも一番してはいけないミスだ。マイン公爵ほどの人物がこんなミスをすること自体考えられないことだが、大事な場面でマイン公爵に私情を挟ませることができるくらいに淵緑の魔女という存在はマイン公爵の中で大きなものだったのだろう。
エヴァイアの声を聴いてマイン公爵も自分のミスに気づいたようだったが、もう遅い。早く何とか修正しないと、今良好な関係を築いている二国間の関係に亀裂が入りかねない。
そんな予感がヒシヒシと感じられる空気が部屋を満たしたが、それもすぐに落ち着くことになった。何故なら、マイン公爵が何かを言う前にエヴァイアが自分自身で怒りを収めたからだ。
「……いや、ここは僕の国ではなかったね。郷に入っては郷に従えだ。僕の国の思想をこの国の人に押し付けるのは御門違いというものだったね」
「ありがとうございます皇帝陛下……」
「いやマイン公爵、謝るのは僕の方だ。こんなことで空気を悪くしてすまなかった」
お互いにギクシャクした空気は残ったが、無事に収まったことにボノオロスはホッと胸を撫で下ろした。
「しかし、淵緑の魔女に会ってみたいという気持ちは本当さ。何とかしてくれないかマイン公爵?」
「そうは言われても予定がありますし……」
諦めきれてないエヴァイアに対してマイン公爵は言葉を濁して誤魔化そうとする。その様子を見ていたボノオロスはふと、頭にある疑問が浮かんできて、好奇心でエヴァイアに訪ねてみた。
「皇帝陛下は、どうしてそうまでして魔女様に会ってみたいのですか?」
ボノオロスからの突然の質問に一瞬キョトンとした表情を見せるエヴァイア。その表情はすぐに無邪気な子供のような笑みに変化して、嬉々として得意げに語り始めた。
「淵緑の魔女といえば伝承に伝わる人物だろう? そんな伝承上の人物が来てると言うんだ。会ってみたいと思う興味的欲求が湧いてくるのは、何も不思議なことではないはずだ!」
皇帝の言葉に雷が走ったような衝撃を受けているマイン公爵。それを見て悪戯っ子の様に口元を釣り上げた笑みを浮かべるエヴァイア。
「なんだマイン公爵? まさか僕がその程度の伝承に疎いとっでも思っていたのかい? これでも僕は数百年の時を皇帝として生きているんだ。そんな中であった長い暇な時間の合間に情報収集を怠っていたとでも思っているのかい?
これでも僕はそういった伝承や逸話というものが大好きでね。各地域の、それも限られた範囲内でしか語られていないような伝承も全て網羅済みなのさ!
……勿論、淵緑の魔女の伝承も、そこから考察されるマイン公爵家と淵緑の魔女の関係もある程度承知している。そして何か訳あってマイン公爵家が淵緑の魔女の存在を隠し、あくまでも伝承という形でしか名前を残していないこともね!」
得意げにそう語ってみせたエヴァイアを見て、マイン公爵の口から諦めに似た大きな溜息が漏れた。
「……どうやら私はあなたという人物を甘く見すぎていたようですね……」
「お褒めに与り光栄だよ!」
「褒めたつもりはありませんよ。……ボノオロス、どうやらあなたに更に負担を掛けることになるりそうだわ」
「いえ、お気になさらないでくださいマイン公爵様。あまり事情に詳しくない俺でも、これは仕方ないことだと認識してます」
「そう言ってくれると助かるわ……」
マイン公爵は疲れ果てたように椅子にドサッと座り、また溜息を吐いた。
そんなマイン公爵の様子を見たボノオロスは、部屋を出ようとしてそのまま固まって様子を見ているだけだった兵士に向き直り、マイン公爵の代わりにこう言った。
「魔女様をここにお連れしてくれ」