残酷な描写あり
幕間5-1.蘇る魂1
200話目!
セレスティア達が暮らす大陸から、遠く遠く離れた場所にある名前の無い広大な海域。
周囲数千キロは空を写す鏡の様な海面しか存在せず、人の寄り付く理由も存在しない虚無の海域。
そんな海域のほぼ中央に、唯一海面から姿を現している孤島がある。
島の外周は全て高さが数十メートルもある断崖絶壁に囲まれていて、海からの侵入者を拒絶している。
この島に侵入する唯一の方法は、空を飛ぶこと以外にない。
そしてその唯一の方法で島に侵入していく大きな影があった。
鏡の様に光を反射する鱗で全身を覆い、頭には後ろ向きに生える2本の角。
背中には巨体を飛ばすための大きな二枚一対の翼を持つそれは、この世で『最強』の座を欲しいままにしている竜種の一角である“スペチオ”だった。
上空から易々と島に侵入したスペチオは、島のほぼ中央に聳える山の中腹にある開けた場所に降り立った。
山の中でも比較的平地になっているその場所には、驚くことに一軒の家がポツンと建っていた。
その家は丸太を積み重ねて造られた一階建てのログハウスで、人の寄り付く事が無い孤島には似つかわしくない建造物だ。
そんなログハウスを前にしたスペチオは、自分の巨大な竜の姿をそれよりも小さな人の姿へと変化させる。
小さいと言っても、人としては十分に大男として部類される体格をしている。顔つきは40代後半のダンディなおじさんで、鱗と同じ鏡の様に光を反射する銀髪が特徴的だ。
人の姿へと変化したスペチオは、躊躇すること無くログハウスの扉を開けて中に入っていく。
ログハウスの中は広々としていて、大男のスペチオでも窮屈さを感じることはない。
全体的に汚れはなく家具も最小限、多少綺麗に整えられ過ぎていて生活感は少ないが、いい家なのは間違いないだろう。
玄関を抜けてすぐの所にはリビングがあり、木製のリビングテーブルと、大きさの異なる座り心地の良さそうな一人用のソファーが2つ置かれている。
大きい方のソファーは大男のスペチオでも余裕で座れるほどのサイズで、スペチオは迷うこと無くそのソファーに腰を下ろした。
体重の全てをソファーに預け、息を吐いて少しリラックスしたところで、スペチオは徐に懐から一体の人形を取り出した。
それはつい先刻セレスティアに見せていた、可愛らしくデフォルメされた女性が一本の杖を握っている人形だった。
セレスティアの母親、ノルンの遺品であるその人形をスペチオは一瞥すると、無造作にテーブルの上に人形を放り投げた。
「――ぐえっ!?」
人形がテーブルの上にぶつかると同時に、空気が抜けた様な声がリビングに響く。
スペチオが声の出所に目をやると、机の上に放り投げた人形が、背中を抑えて悶絶している姿があった。
「ちょっとスペチオさん、いきなり放り投げるなんて酷いわよ……! ほら、おかげで背中を強打しちゃったわ……」
突然喋り始めた人形はゆっくりと立ち上がると、文句を言いながらテーブルで打った背中を器用に指差してスペチオに見せてくる。
「ふん、そもそも人形の身体に痛覚なんてあるわけないじゃろう」
「…………それもそうね」
スペチオに正論を言われてしまった人形は先程の態度も何処へやら、何事もなかったかのようにケロリと落ち着きを取り戻した。
その態度の変わり様を見て、スペチオは「はぁ……」と小さなため息を漏らす。
「……それで、おぬしはどうやって蘇ることができたのじゃ? 後で話すと言うから、セレスティアの屋敷からこのワシの住処に戻るまで聞くのを我慢していたのだぞ。いい加減そろそろ全てを説明してもらおうか……ノルンよ」
スペチオは目を細めて睨みながら人形……ノルンに詰め寄った。
獲物を逃がさないと言った感じの威圧感を放つスペチオだったが、当のノルンはそんなスペチオを意に介した様子もなく、わざとらしく首を傾げて恍けてみせる。
そんなノルンの意にも介していない態度を見て、スペチオは眉間にシワを寄せて少しイライラし始める。
「……ふふ、冗談よ。そんなにイライラしなくてもちゃんと話すから安心して。今のはさっきスペチオさんに放り投げられた仕返しをしただけよ」
そう言ってクスクスと笑うノルンを見て、スペチオのイライラは大きな諦めのため息とともに放出されてしまった。
「でもその前に、この体は動き辛くて仕方ないわ。――えい!」
ノルンは掛け声と一緒に両手を挙げると、足元に魔法陣を展開して魔術を発動させる。するとノルンの頭上の空間が大きく歪み、空間に大きな穴が空く。
「『空間魔術』か……。久しぶりに見たが、いつ見ても凄まじく非常識なものじゃな……」
空間魔術は、その名の通り空間を自在に操る魔術の事で、数ある魔術の中でも極端に限られた才能を持つ者にしか扱えないとされる、神話級の超最上級魔術だ。
生物界の頂点に君臨する竜種で、魔術の才能もあるスペチオでさえも、この空間魔術を扱うことが出来ない。
しかしその空間魔術を自らの最も得意な魔術としていとも簡単に扱うのが、このノルンという魔術師なのだ。
「ええと、確かこの辺りに…………あっ、あったあった!」
何かをまさぐるように頭上の空いた空間に向けて両手を動かしていたノルンは、ついに探し物を見つけたようでそれを空間の中から引っ張りだす。
ドスンという大きな音と共に床に落ちてきたのは、大きな氷の塊だった。
絶対零度に近い極低温の氷の塊は、周囲の空気に含まれる水分を急速に冷して、凄まじい量の白い煙を発生させる。
その影響はログハウス全体に及び、床一面があっという間に白い煙で覆われ、室温は急速に低下して真冬のような寒さになる。
「おいノルンよ、何だそれは?」
「これは私のとっても大事なものよ。『永久凍結』の魔術で冷凍保存して、亜空間に入れて保管していたの」
「最上級魔術のひとつをそんな使い方するのはおぬしくらいじゃ……。それで、大事なものと言われても、白い煙が多すぎて何も見えないぞ?」
大量に発生した白い煙は氷の塊そのものも霧のように厚く覆ってしまい、氷の塊に保存されたという物を視認することすら出来ない状態だった。
「大丈夫よ。この氷は私の魔術で出来た物。私が魔術を解除すれば――」
ノルンはそう言って新しい魔法陣を氷の塊の上に展開すると、次の瞬間には氷の塊に無数の細かいヒビが入り、ガラスが割れるような音と共に氷が砕け飛んで一瞬の内に霧散した。
「この通りよ」
誇ったような声色で胸を張る仕草をするノルン。
動かし辛いであろう人形でその様な細かい仕草が出来る所を見ると、人形の動かし方にはかなり慣れてきた様子だった。
「それで、中身は一体なんじゃ?」
そんなノルンを一切気に留める事もせず、スペチオは氷の塊から出てきたものを覗き込む。
煙の発生源だった氷がなくなった事で白い煙が徐々に晴れていき、その中から姿を現せたのは……人間だった。
見た目の年齢は10代半ばくらいで、如何にも魔術師という言葉が似合いそうな服装をしていて、至って平均的な身長と体型をしている少女だ。
お尻の辺りまで伸びる深い青色の髪は艶があってとてもきめ細かく、幼さが残りつつもどこか人形のような不思議な美しさを兼ね備えている。
……しかし、そんな少女が顔にかけている奇妙に曇った丸眼鏡が、その印象の殆どを台無しにしていた。
そんな奇妙な少女の姿を見たスペチオは、記憶の中にいる見知った人物をすぐに思い出す。
「こ、これは……おぬしの身体か!?」
「そうよ。この時の為に、セレスティアが産まれる前に自分の死体を冷凍して保管しておいたの」
「この時の為、だと……? つまりおぬしは、こうなることを予想していたと言うのか!?」
スペチオの問い掛けに、ノルンは躊躇なく頷いて答えた。
その答えにスペチオは言葉を詰まらせて、新たな疑問に頭を抱えそうになる。
しかしそれを聞くのは後だと言い聞かせ、今はノルンがこれを使って何をしようとしているのかを聞くことが先決だと、思考を無理やり切り替えた。
「……それでノルンよ。この死体をどうするつもりなのだ?」
スペチオは横たわるノルンの死体に指を差して、ノルンにまっすぐ目を向ける。
ノルン本人が死体ということからも解るように、スペチオの目の前に転がるこのノルンの身体は、すでに生命活動を停止していた。
そんなものをわざわざ冷凍してこの時まで保管していた事に何か思惑があるのは、ノルンの言葉からも確信できる。
まずはノルンからその思惑を聞き出さないことには、この後の対応をどうすれば良いのか見当が付かないと、スペチオは判断していた。
「さっき言ったでしょ。この体は動きに辛いって……えい!」
そう言ってノルンは自分の死体の上にピョンと飛び乗ると、胸の辺りに手を置いて再び魔法陣を展開する。ただし今度は先程とは違う2つの魔法陣を同時に展開させていた。
2つの魔法陣から魔術が発動すると、魔法陣から溢れた光がノルンと死体を包み、ノルンの魂が人形から死体へと移動する。そして人形は力尽きたように床に転がり落ちた。
それと入れ替わるように死体の目がゆっくりと開き、ノルンは上半身を起こしてスぺチオに目を合わせ、笑みを見せる。
「……やっぱり自分の身体が一番ね」
「『魂操魔術』で魂を肉体に戻して、死体の生命活動を無理矢理再開させるとは……何て無茶なことをしよるんじゃ」
「無茶は承知の上よ」
ノルンはそう言ってゆっくり立ち上がると、もうひとつのソファーにドサッと座り、脱力して体重を預ける。
「でもさっきまで死んでいた肉体だった所為かしら、まだ上手く動かすことが出来ないわね……」
座りながら手を軽く動かしてみるノルンだが、その動きはどこかぎこちない。確かにまだ完全に復活したとは言えないようだった。
「まあ何はともあれ、こうして無事に肉体も得て蘇ることが出来たし、約束通りスペチオさんに全てを話しましょう」
「ようやくか……待ちくたびれたぞ」
待たされた愚痴をこぼしつつ、スペチオも自分のソファーに腰を降ろす。
「聞きたいことは山ほどあるが、まずは最初の質問に答えてもらおうか。おぬしはどうやって蘇ったのじゃ? おぬしはセレスティアに『輪廻逆転』を託して死んだ。ワシも直接確認したから間違いないはずじゃ」
ノルンが死んだ時、スぺチオはノルンが死んでいるのをその目で見て確認していた。そしてセレスティアと共に、その死体の埋葬もしていたのだ。
しかしノルンはこうして蘇ってきた。数百年という長い年月を経て。その間、死んでいたノルンはどうしていたのだろうか?
いくら考えてもスぺチオは納得のいく答えを思いつかない。その答えを唯一知っているのは、他でもないノルンだけだからだ。
「……スぺチオさんの言う通り、私はセレスティアに『輪廻逆転』を託して死んだわ。でもその時、私の魂は死んでいなかったの」
「なに、どういう事じゃ?」
「『輪廻逆転』は簡単に説明すると、魂本体を別次元空間に保存して、複製した魂に記憶された情報を基にして輪廻の輪から逸脱する魔術。私は自分に掛けていたこの魔術を、そのままセレスティアに託したわ。……じゃあこの時、別次元空間に保存されていた私の魂本体は、一体どうなったと思う?」
「……まさか、そのままとはそう言う意味か!?」
ノルンはスペチオの考えていることを肯定するようにコクリと頷いた。
そのまま……それはつまり、ノルンは自身の魂本体を別次元空間に保存したままの状態で、『輪廻逆転』をセレスティアに託したということだ。
すなわち別次元空間には、セレスティアとノルンの2人の魂本体が保存されていたのだ。
「あとは事前に用意していたこの人形に、別次元空間に保存している私の魂本体を取り出してこの人形に移し変える魔術術式を組み込んで、それを私の血を持つ者の魔力でのみ起動する仕掛けを施しておけばいいだけ」
「だからおぬしはワシにこの人形を渡した時に、魔術術式の起動方法をわざと教えたと言うのか……?」
「そういうこと。……ただ、魔術の起動には大量の魔力が必要だったからセレスティアの魔力を使わせてもらったけど……まさか気絶しちゃうとはね。死闘を終えたばかりのあの子に、可哀想なことをしちゃったわ……」
ノルンは申し訳なさそうに言うが、話を聞く限りだと最初から魔術の起動にはセレスティアの魔力を使うつもりだったとわかる。
実の母親にいいように使われたセレスティアのことを考えると、スペチオは少しセレスティアに同情した。
「まあ、蘇ることが出来た仕組みは大体解った。では次の質問じゃ。……おぬしは何処まで予測しておったのじゃ?」
ノルンは自らの魂本体を残したまま輪廻逆転をセレスティアに託したり、魂を移し変える人形をスペチオに渡したり、蘇った後に必要になる肉体を冷凍保存していたりと、蘇ることを前提に予め準備をしていたのは疑いようがない。
「今までの話から、おぬしが何かしらの確信を持って蘇る為の準備をしていたのは明らかじゃ。そしてその準備はセレスティアが産まれるよりも前から始めていた。常識的に考えてそんな早い段階からここまで予測する事は不可能じゃ」
「…………」
「確かにおぬしは昔から頭が良かった。いや、先見の明があったとも言えるか。……数百年前、魔術師達が魔術という知識の秘宝を秘匿研究して誰よりも極めようとする思考が一般的だった時代に、おぬしはそれに逆らうように数多くの魔法陣を記した本を世に広めた。当然知識の流出を危惧した世界中の魔術師達がおぬしを批判したが、結果から言えばそのお陰で世界の文明は急速に発展して今の豊かな世界ができた」
ノルンは当時、世界中の魔術師達に袋叩きにされるのではないかと言う程の、批判の嵐に晒された。
だがノルン自身はそんな批判をものともせず、魔術の恩恵による文明の発展という、誰の目にも明らかな結果を示してその全てを黙らせたのだ。
「そしてその時、おぬしはワシにこう言った。『文明を加速させるためには魔術の普及が必要だ』と。急速に発展していく世界を見て、ワシはおぬしのその慧眼に感服したものじゃ。……だが今回の件は、その慧眼では説明しきれない程に不可解じゃ」
スペチオはぐいっと身を乗り出し、ノルンに詰め寄る。
「おぬしには、一体何が何処まで見えておったのじゃ……?」
スペチオは獲物を逃がさないと言いたげな、気迫に溢れた鋭い視線をノルンに向けて放つ。普通の人間ならこれだけでも卒倒してしまうほどの威圧感だ。
だけどノルンはそんな威圧にも一切動じていない。むしろ表情には余裕すらあるようだった。
「何処まで見えていた、か……。さっきの先見の明とかもそうだけど、本当に言い得て妙な言い方だわ。その言い方だとまるで、スぺチオさんはもうその答えに見当が付いているように聞こえるけど?」
「…………」
スぺチオはノルンの質問返しに沈黙する。それはノルンにとって言葉以上の明確な答えだった。
ノルンは顔にかけていた奇妙に曇った丸眼鏡をゆっくりと外し、フィルターが一切無い自分の素顔を初めてスぺチオに見せた。
その、夜空に瞬く星々の様に輝く美しい瞳を……。その、普通の人間とは違う不気味な瞳を……。
「スぺチオさんの見当通り、私は『未来』を見る事が出来るの」
周囲数千キロは空を写す鏡の様な海面しか存在せず、人の寄り付く理由も存在しない虚無の海域。
そんな海域のほぼ中央に、唯一海面から姿を現している孤島がある。
島の外周は全て高さが数十メートルもある断崖絶壁に囲まれていて、海からの侵入者を拒絶している。
この島に侵入する唯一の方法は、空を飛ぶこと以外にない。
そしてその唯一の方法で島に侵入していく大きな影があった。
鏡の様に光を反射する鱗で全身を覆い、頭には後ろ向きに生える2本の角。
背中には巨体を飛ばすための大きな二枚一対の翼を持つそれは、この世で『最強』の座を欲しいままにしている竜種の一角である“スペチオ”だった。
上空から易々と島に侵入したスペチオは、島のほぼ中央に聳える山の中腹にある開けた場所に降り立った。
山の中でも比較的平地になっているその場所には、驚くことに一軒の家がポツンと建っていた。
その家は丸太を積み重ねて造られた一階建てのログハウスで、人の寄り付く事が無い孤島には似つかわしくない建造物だ。
そんなログハウスを前にしたスペチオは、自分の巨大な竜の姿をそれよりも小さな人の姿へと変化させる。
小さいと言っても、人としては十分に大男として部類される体格をしている。顔つきは40代後半のダンディなおじさんで、鱗と同じ鏡の様に光を反射する銀髪が特徴的だ。
人の姿へと変化したスペチオは、躊躇すること無くログハウスの扉を開けて中に入っていく。
ログハウスの中は広々としていて、大男のスペチオでも窮屈さを感じることはない。
全体的に汚れはなく家具も最小限、多少綺麗に整えられ過ぎていて生活感は少ないが、いい家なのは間違いないだろう。
玄関を抜けてすぐの所にはリビングがあり、木製のリビングテーブルと、大きさの異なる座り心地の良さそうな一人用のソファーが2つ置かれている。
大きい方のソファーは大男のスペチオでも余裕で座れるほどのサイズで、スペチオは迷うこと無くそのソファーに腰を下ろした。
体重の全てをソファーに預け、息を吐いて少しリラックスしたところで、スペチオは徐に懐から一体の人形を取り出した。
それはつい先刻セレスティアに見せていた、可愛らしくデフォルメされた女性が一本の杖を握っている人形だった。
セレスティアの母親、ノルンの遺品であるその人形をスペチオは一瞥すると、無造作にテーブルの上に人形を放り投げた。
「――ぐえっ!?」
人形がテーブルの上にぶつかると同時に、空気が抜けた様な声がリビングに響く。
スペチオが声の出所に目をやると、机の上に放り投げた人形が、背中を抑えて悶絶している姿があった。
「ちょっとスペチオさん、いきなり放り投げるなんて酷いわよ……! ほら、おかげで背中を強打しちゃったわ……」
突然喋り始めた人形はゆっくりと立ち上がると、文句を言いながらテーブルで打った背中を器用に指差してスペチオに見せてくる。
「ふん、そもそも人形の身体に痛覚なんてあるわけないじゃろう」
「…………それもそうね」
スペチオに正論を言われてしまった人形は先程の態度も何処へやら、何事もなかったかのようにケロリと落ち着きを取り戻した。
その態度の変わり様を見て、スペチオは「はぁ……」と小さなため息を漏らす。
「……それで、おぬしはどうやって蘇ることができたのじゃ? 後で話すと言うから、セレスティアの屋敷からこのワシの住処に戻るまで聞くのを我慢していたのだぞ。いい加減そろそろ全てを説明してもらおうか……ノルンよ」
スペチオは目を細めて睨みながら人形……ノルンに詰め寄った。
獲物を逃がさないと言った感じの威圧感を放つスペチオだったが、当のノルンはそんなスペチオを意に介した様子もなく、わざとらしく首を傾げて恍けてみせる。
そんなノルンの意にも介していない態度を見て、スペチオは眉間にシワを寄せて少しイライラし始める。
「……ふふ、冗談よ。そんなにイライラしなくてもちゃんと話すから安心して。今のはさっきスペチオさんに放り投げられた仕返しをしただけよ」
そう言ってクスクスと笑うノルンを見て、スペチオのイライラは大きな諦めのため息とともに放出されてしまった。
「でもその前に、この体は動き辛くて仕方ないわ。――えい!」
ノルンは掛け声と一緒に両手を挙げると、足元に魔法陣を展開して魔術を発動させる。するとノルンの頭上の空間が大きく歪み、空間に大きな穴が空く。
「『空間魔術』か……。久しぶりに見たが、いつ見ても凄まじく非常識なものじゃな……」
空間魔術は、その名の通り空間を自在に操る魔術の事で、数ある魔術の中でも極端に限られた才能を持つ者にしか扱えないとされる、神話級の超最上級魔術だ。
生物界の頂点に君臨する竜種で、魔術の才能もあるスペチオでさえも、この空間魔術を扱うことが出来ない。
しかしその空間魔術を自らの最も得意な魔術としていとも簡単に扱うのが、このノルンという魔術師なのだ。
「ええと、確かこの辺りに…………あっ、あったあった!」
何かをまさぐるように頭上の空いた空間に向けて両手を動かしていたノルンは、ついに探し物を見つけたようでそれを空間の中から引っ張りだす。
ドスンという大きな音と共に床に落ちてきたのは、大きな氷の塊だった。
絶対零度に近い極低温の氷の塊は、周囲の空気に含まれる水分を急速に冷して、凄まじい量の白い煙を発生させる。
その影響はログハウス全体に及び、床一面があっという間に白い煙で覆われ、室温は急速に低下して真冬のような寒さになる。
「おいノルンよ、何だそれは?」
「これは私のとっても大事なものよ。『永久凍結』の魔術で冷凍保存して、亜空間に入れて保管していたの」
「最上級魔術のひとつをそんな使い方するのはおぬしくらいじゃ……。それで、大事なものと言われても、白い煙が多すぎて何も見えないぞ?」
大量に発生した白い煙は氷の塊そのものも霧のように厚く覆ってしまい、氷の塊に保存されたという物を視認することすら出来ない状態だった。
「大丈夫よ。この氷は私の魔術で出来た物。私が魔術を解除すれば――」
ノルンはそう言って新しい魔法陣を氷の塊の上に展開すると、次の瞬間には氷の塊に無数の細かいヒビが入り、ガラスが割れるような音と共に氷が砕け飛んで一瞬の内に霧散した。
「この通りよ」
誇ったような声色で胸を張る仕草をするノルン。
動かし辛いであろう人形でその様な細かい仕草が出来る所を見ると、人形の動かし方にはかなり慣れてきた様子だった。
「それで、中身は一体なんじゃ?」
そんなノルンを一切気に留める事もせず、スペチオは氷の塊から出てきたものを覗き込む。
煙の発生源だった氷がなくなった事で白い煙が徐々に晴れていき、その中から姿を現せたのは……人間だった。
見た目の年齢は10代半ばくらいで、如何にも魔術師という言葉が似合いそうな服装をしていて、至って平均的な身長と体型をしている少女だ。
お尻の辺りまで伸びる深い青色の髪は艶があってとてもきめ細かく、幼さが残りつつもどこか人形のような不思議な美しさを兼ね備えている。
……しかし、そんな少女が顔にかけている奇妙に曇った丸眼鏡が、その印象の殆どを台無しにしていた。
そんな奇妙な少女の姿を見たスペチオは、記憶の中にいる見知った人物をすぐに思い出す。
「こ、これは……おぬしの身体か!?」
「そうよ。この時の為に、セレスティアが産まれる前に自分の死体を冷凍して保管しておいたの」
「この時の為、だと……? つまりおぬしは、こうなることを予想していたと言うのか!?」
スペチオの問い掛けに、ノルンは躊躇なく頷いて答えた。
その答えにスペチオは言葉を詰まらせて、新たな疑問に頭を抱えそうになる。
しかしそれを聞くのは後だと言い聞かせ、今はノルンがこれを使って何をしようとしているのかを聞くことが先決だと、思考を無理やり切り替えた。
「……それでノルンよ。この死体をどうするつもりなのだ?」
スペチオは横たわるノルンの死体に指を差して、ノルンにまっすぐ目を向ける。
ノルン本人が死体ということからも解るように、スペチオの目の前に転がるこのノルンの身体は、すでに生命活動を停止していた。
そんなものをわざわざ冷凍してこの時まで保管していた事に何か思惑があるのは、ノルンの言葉からも確信できる。
まずはノルンからその思惑を聞き出さないことには、この後の対応をどうすれば良いのか見当が付かないと、スペチオは判断していた。
「さっき言ったでしょ。この体は動きに辛いって……えい!」
そう言ってノルンは自分の死体の上にピョンと飛び乗ると、胸の辺りに手を置いて再び魔法陣を展開する。ただし今度は先程とは違う2つの魔法陣を同時に展開させていた。
2つの魔法陣から魔術が発動すると、魔法陣から溢れた光がノルンと死体を包み、ノルンの魂が人形から死体へと移動する。そして人形は力尽きたように床に転がり落ちた。
それと入れ替わるように死体の目がゆっくりと開き、ノルンは上半身を起こしてスぺチオに目を合わせ、笑みを見せる。
「……やっぱり自分の身体が一番ね」
「『魂操魔術』で魂を肉体に戻して、死体の生命活動を無理矢理再開させるとは……何て無茶なことをしよるんじゃ」
「無茶は承知の上よ」
ノルンはそう言ってゆっくり立ち上がると、もうひとつのソファーにドサッと座り、脱力して体重を預ける。
「でもさっきまで死んでいた肉体だった所為かしら、まだ上手く動かすことが出来ないわね……」
座りながら手を軽く動かしてみるノルンだが、その動きはどこかぎこちない。確かにまだ完全に復活したとは言えないようだった。
「まあ何はともあれ、こうして無事に肉体も得て蘇ることが出来たし、約束通りスペチオさんに全てを話しましょう」
「ようやくか……待ちくたびれたぞ」
待たされた愚痴をこぼしつつ、スペチオも自分のソファーに腰を降ろす。
「聞きたいことは山ほどあるが、まずは最初の質問に答えてもらおうか。おぬしはどうやって蘇ったのじゃ? おぬしはセレスティアに『輪廻逆転』を託して死んだ。ワシも直接確認したから間違いないはずじゃ」
ノルンが死んだ時、スぺチオはノルンが死んでいるのをその目で見て確認していた。そしてセレスティアと共に、その死体の埋葬もしていたのだ。
しかしノルンはこうして蘇ってきた。数百年という長い年月を経て。その間、死んでいたノルンはどうしていたのだろうか?
いくら考えてもスぺチオは納得のいく答えを思いつかない。その答えを唯一知っているのは、他でもないノルンだけだからだ。
「……スぺチオさんの言う通り、私はセレスティアに『輪廻逆転』を託して死んだわ。でもその時、私の魂は死んでいなかったの」
「なに、どういう事じゃ?」
「『輪廻逆転』は簡単に説明すると、魂本体を別次元空間に保存して、複製した魂に記憶された情報を基にして輪廻の輪から逸脱する魔術。私は自分に掛けていたこの魔術を、そのままセレスティアに託したわ。……じゃあこの時、別次元空間に保存されていた私の魂本体は、一体どうなったと思う?」
「……まさか、そのままとはそう言う意味か!?」
ノルンはスペチオの考えていることを肯定するようにコクリと頷いた。
そのまま……それはつまり、ノルンは自身の魂本体を別次元空間に保存したままの状態で、『輪廻逆転』をセレスティアに託したということだ。
すなわち別次元空間には、セレスティアとノルンの2人の魂本体が保存されていたのだ。
「あとは事前に用意していたこの人形に、別次元空間に保存している私の魂本体を取り出してこの人形に移し変える魔術術式を組み込んで、それを私の血を持つ者の魔力でのみ起動する仕掛けを施しておけばいいだけ」
「だからおぬしはワシにこの人形を渡した時に、魔術術式の起動方法をわざと教えたと言うのか……?」
「そういうこと。……ただ、魔術の起動には大量の魔力が必要だったからセレスティアの魔力を使わせてもらったけど……まさか気絶しちゃうとはね。死闘を終えたばかりのあの子に、可哀想なことをしちゃったわ……」
ノルンは申し訳なさそうに言うが、話を聞く限りだと最初から魔術の起動にはセレスティアの魔力を使うつもりだったとわかる。
実の母親にいいように使われたセレスティアのことを考えると、スペチオは少しセレスティアに同情した。
「まあ、蘇ることが出来た仕組みは大体解った。では次の質問じゃ。……おぬしは何処まで予測しておったのじゃ?」
ノルンは自らの魂本体を残したまま輪廻逆転をセレスティアに託したり、魂を移し変える人形をスペチオに渡したり、蘇った後に必要になる肉体を冷凍保存していたりと、蘇ることを前提に予め準備をしていたのは疑いようがない。
「今までの話から、おぬしが何かしらの確信を持って蘇る為の準備をしていたのは明らかじゃ。そしてその準備はセレスティアが産まれるよりも前から始めていた。常識的に考えてそんな早い段階からここまで予測する事は不可能じゃ」
「…………」
「確かにおぬしは昔から頭が良かった。いや、先見の明があったとも言えるか。……数百年前、魔術師達が魔術という知識の秘宝を秘匿研究して誰よりも極めようとする思考が一般的だった時代に、おぬしはそれに逆らうように数多くの魔法陣を記した本を世に広めた。当然知識の流出を危惧した世界中の魔術師達がおぬしを批判したが、結果から言えばそのお陰で世界の文明は急速に発展して今の豊かな世界ができた」
ノルンは当時、世界中の魔術師達に袋叩きにされるのではないかと言う程の、批判の嵐に晒された。
だがノルン自身はそんな批判をものともせず、魔術の恩恵による文明の発展という、誰の目にも明らかな結果を示してその全てを黙らせたのだ。
「そしてその時、おぬしはワシにこう言った。『文明を加速させるためには魔術の普及が必要だ』と。急速に発展していく世界を見て、ワシはおぬしのその慧眼に感服したものじゃ。……だが今回の件は、その慧眼では説明しきれない程に不可解じゃ」
スペチオはぐいっと身を乗り出し、ノルンに詰め寄る。
「おぬしには、一体何が何処まで見えておったのじゃ……?」
スペチオは獲物を逃がさないと言いたげな、気迫に溢れた鋭い視線をノルンに向けて放つ。普通の人間ならこれだけでも卒倒してしまうほどの威圧感だ。
だけどノルンはそんな威圧にも一切動じていない。むしろ表情には余裕すらあるようだった。
「何処まで見えていた、か……。さっきの先見の明とかもそうだけど、本当に言い得て妙な言い方だわ。その言い方だとまるで、スぺチオさんはもうその答えに見当が付いているように聞こえるけど?」
「…………」
スぺチオはノルンの質問返しに沈黙する。それはノルンにとって言葉以上の明確な答えだった。
ノルンは顔にかけていた奇妙に曇った丸眼鏡をゆっくりと外し、フィルターが一切無い自分の素顔を初めてスぺチオに見せた。
その、夜空に瞬く星々の様に輝く美しい瞳を……。その、普通の人間とは違う不気味な瞳を……。
「スぺチオさんの見当通り、私は『未来』を見る事が出来るの」