姉、襲来
「ディア、ここは人が多い。迷わないように手を繋ごう」
「ディア、身を乗り出すと危ない。抱えていてあげよう」
「ディア、見知らぬ人、たとえ顔を知っている人でも付いて行ってはダメだ」
私が「囮になる」と言ってからルセウスはずっとこの調子だ。
扱いが段々と幼い子に対する態度になって来ているのは気のせいでは無いと思う。
正直に言えば怖くないわけじゃない。だけど……それ以上に、私はやらなくちゃいけないと思ったの。
ディーテ様は妖精姫と呼ばれるほど人々の心を魅了する美しい王女で権力もあり誰もが憧れる存在。
そんなディーテ様の心の内側が醜い嫉妬心で溢れているなんて、誰が信じるだろうか。
でも私は知ってしまっている。ディーテ様は私を消す事に躊躇も、周りを巻き込み傷付ける事にも罪悪感はない。
だから私にだけ悪意を向けさせなくてはならないの。
そうでなければセオス様だけではなくお父様、お母様、ゴウト辺境伯に嫁いだお姉様⋯⋯リシア家の誰かが標的になってしまうから。
「ルセウス、そんな顔しないでよ。ちゃんとここで見ているから」
「⋯⋯どうしても踊らないといけないのか? 何故ディアを害するような女と踊るんだ⋯⋯」
「ダメよルセウス、王女様に怪しまれるわ。笑顔よ笑顔」
「そうだぞ、アメディア嬢は俺に任せろ」
「アイオリア、お前に任せるのも殺したいほど嫌なのだが」
今夜はアイオリア様の家、ヤリス侯爵家の夜会に招待されている。
流石王太子側近を輩出した侯爵家とあって規模も大きく豪華絢爛な会場には沢山の貴族が集まっているから、冒頭のルセウスの行動に繋がるのだけれど。
前回もヤリス侯爵家での夜会にお呼ばれした。その時は現れたディーテ様の手を取ったルセウスを私は壁の花となってただ眺めていたの。
一曲、二曲と続けて踊り、とうとう三曲目でも離れない二人に私に向けられた周りからの視線は嘲笑が含まれていたわね。
今回も私は壁の花になって踊るディーテ様とルセウスを眺める。
違うのはアイオリア様が私の近くにいるという事くらい。
「アイオリア様は主催側でお忙しいのでは?」
「なあに気合が入っているのは両親と家令だ。俺の婚約者を探すんだとさ」
「ええっ! でしたら私なんかよりほら、あちらのご令嬢をお誘いください」
「そうだ。さっさと行け」
ルセウスの言葉にアイオリア様は苦笑して肩をすくめた。
「俺は婚約者を探すつもりはないよ。それに一緒に居たい子は⋯⋯今日ここに呼ばれていない」
「⋯⋯そうだったな。すまない」
「いや、俺は諦めない。だからアメディア嬢は気兼ねなく俺に護られてくれ」
アイオリア様には誰か想う人が居て、その人の事をとても大切に思っている事が伝わって来る。珍しく寂しそうなアイオリア様に事情を知っているのかルセウスも神妙な面持ちで眼鏡を直した。
「ああっルース! やっと見つけたわ。こんな端にいたなんて探したわよ。もうっこのひと月、貴方に会えなくて私寂しかったのよ?」
突然かけられた声に私達に緊張が走った。
その声の主は妖精姫と呼ばれるに相応しく可憐に着飾った王女。ディーテ様。
「貴方はこんな端っこなんて相応しくないわ。まあ、相応しい方もいらっしゃるみたいだけれど。あら、ごめんなさいアメディア様の事ではないわよ」
ディーテ様の視線が私に移ったのをルセウスは咄嵯に手を引いて背に隠そうとしたけれど、それよりも早くアイオリア様が私達の前に立った。
「ようこそディーテ様。我が家の夜会にご参加いただき恐悦に存じます」
「ヤリス侯爵家の夜会は今夜も盛況で何より。今夜は貴方の婚約者探しも兼ねていると聞いているわ。良いご縁があると良いわね」
微笑むディーテ様。その笑みは誰もが魅了されるものでも今の私には目が笑っていないと気付けるもの。
アイオリア様とルセウスに微笑みを向けいていたディーテ様はふと目を細め首を傾げるような仕草を見せた。
彼女は、いつもこんな笑みを浮かべていたのね。
「? まあ、いいわ。さあ、ルース。私を誘いなさい」
「⋯⋯ええ、王女一曲願えますか」
「勿論! 何曲でも! さあ行きましょう」
すんっ。そんな音がするかのように表情を無くしたルセウスがディーテ様の手を取りホールへと出て行く。
さあ、私はそれを嬉しそうに見なくてはならないのよ。
それはもう、ニコニコと。私はちょっと危ない人に見られそうなギリギリの所を維持して二人を眺め続けてあげるの。
頑張れ私。
そんな私をおかしそうに見下ろしていたアイオリア様がとうとう吹き出した。
「ふふっ⋯⋯いや、ごめん。よくそこまで嬉しそうに出来るね」
「ええ、頭の中でセオス様を撫でていますから」
「くくっ⋯⋯なるほど、それは良い逃避だな」
本当は踊るルセウスとディーテ様を見て、その光景に胸が痛んでいる。だから頭の中で毛玉のセオス様を一心不乱に撫でているの。ルセウスとディーテ様がお似合いだと考えないように。
「帰ったらセオス様を撫でて抱きしめて顔を埋めるんです」
「それ、ルセウスに見せたらいけないよ。あいつ絶対、自分にもしてくれと言うよ」
「確かに言いそうですね⋯⋯そんなルセウスを見たいような見たくないような」
「だろ? アメディア嬢も恥ずかしい思いをするだろうね」
「そうですよねえ⋯⋯嫌かも」
「嫌とか言っちゃうんだ!?」
笑いが止まらなくなったアイオリア様が「⋯⋯おっと」と呟いて密かにホールを指差した。その指先に私も慌ててルセウスを見詰め直した。
ルセウスの眼鏡がシャンデリアの光を反射して、それが彼の凍てついた眼光のように思えた私とアイオリア様は背筋を凍らせた。
ルセウス、あれは静かに怒ってるよね。多分。
「ほう⋯⋯あれに見えるはアメディアの婚約者殿だろう? なぜ王女と踊っている」
私の名前とルセウスを知り、どことなく固い口調の女性の声に私は思わず振り返り驚きで息が止まった。
「半年ぶりだなアメディア。婚約おめでとう。健勝か?」
そこに居たのは⋯⋯アイオリア様とそう変わらない長身で適度な筋肉が付いたしなやかなスタイルの女性。
それは背格好も顔付きも口調も全く似ていない姉妹だとよく言われるゴウト辺境伯へ嫁いだお姉様。
唯一似ているローズゴールドの髪を結い上げたアーテナだった。
「アーテナ姉様っ⋯⋯会いたかった。どうして王都に⋯⋯」
思わず私はアーテナに抱きついた。
私よりずっと高い位置にある顔を仰ぎ見れば昔と変わらず美しい面差し。
前回、神殿に押し込められた時は隣国との関係が悪化してしまっていて国境の治安維持の為辺境を離れられなかったアーテナ。
やり直しの今回では半年ぶりでも私にとっては三年張りだわ。
「旦那様が王太子殿下に呼ばれてな。私も一緒に王都へ来ていたんだ。そこで会ったヤリス侯爵から夜会があると招待状をもらったのだ。旦那様は仕事が終わらず私だけの参加、非礼を詫びるアイオリア殿」
「ご参加いただき光栄ですゴウト辺境伯夫人。そうでしたねアメディア嬢と姉妹でしたね」
「ああ、よく似ているだろう?」
「え、ええ⋯⋯ソウデスネ」
ぎこちない返しをするアイオリア様に口元に扇を寄せたアーテナ自身は恐らく上品に笑ったつもりだろうけれど昔から彼女の笑みはなんと言うか、漢前なのよね。
「⋯⋯して、何故アメディアの婚約者が二曲続けて王女と踊っているのだろうか」
ピシッ──パキッ──
空気の凍る音と扇が軋む音がした。
それはアーテナが発した音。見上げた私は恐怖が湧き上がった。
「っ、それ、は⋯⋯」
「私はアメディアが一曲婚約者殿と踊ったのを見ている。何故王女とは二曲続けて踊っているのだ」
私を見る事なく、顳顬に青筋を浮かばせたアーテナの漢前な笑顔はルセウスとディーテ様に向けられていた。
その眼光はルセウスの眼鏡の反射より鋭く、彼らを射抜かんばかりだった。
「ディア、身を乗り出すと危ない。抱えていてあげよう」
「ディア、見知らぬ人、たとえ顔を知っている人でも付いて行ってはダメだ」
私が「囮になる」と言ってからルセウスはずっとこの調子だ。
扱いが段々と幼い子に対する態度になって来ているのは気のせいでは無いと思う。
正直に言えば怖くないわけじゃない。だけど……それ以上に、私はやらなくちゃいけないと思ったの。
ディーテ様は妖精姫と呼ばれるほど人々の心を魅了する美しい王女で権力もあり誰もが憧れる存在。
そんなディーテ様の心の内側が醜い嫉妬心で溢れているなんて、誰が信じるだろうか。
でも私は知ってしまっている。ディーテ様は私を消す事に躊躇も、周りを巻き込み傷付ける事にも罪悪感はない。
だから私にだけ悪意を向けさせなくてはならないの。
そうでなければセオス様だけではなくお父様、お母様、ゴウト辺境伯に嫁いだお姉様⋯⋯リシア家の誰かが標的になってしまうから。
「ルセウス、そんな顔しないでよ。ちゃんとここで見ているから」
「⋯⋯どうしても踊らないといけないのか? 何故ディアを害するような女と踊るんだ⋯⋯」
「ダメよルセウス、王女様に怪しまれるわ。笑顔よ笑顔」
「そうだぞ、アメディア嬢は俺に任せろ」
「アイオリア、お前に任せるのも殺したいほど嫌なのだが」
今夜はアイオリア様の家、ヤリス侯爵家の夜会に招待されている。
流石王太子側近を輩出した侯爵家とあって規模も大きく豪華絢爛な会場には沢山の貴族が集まっているから、冒頭のルセウスの行動に繋がるのだけれど。
前回もヤリス侯爵家での夜会にお呼ばれした。その時は現れたディーテ様の手を取ったルセウスを私は壁の花となってただ眺めていたの。
一曲、二曲と続けて踊り、とうとう三曲目でも離れない二人に私に向けられた周りからの視線は嘲笑が含まれていたわね。
今回も私は壁の花になって踊るディーテ様とルセウスを眺める。
違うのはアイオリア様が私の近くにいるという事くらい。
「アイオリア様は主催側でお忙しいのでは?」
「なあに気合が入っているのは両親と家令だ。俺の婚約者を探すんだとさ」
「ええっ! でしたら私なんかよりほら、あちらのご令嬢をお誘いください」
「そうだ。さっさと行け」
ルセウスの言葉にアイオリア様は苦笑して肩をすくめた。
「俺は婚約者を探すつもりはないよ。それに一緒に居たい子は⋯⋯今日ここに呼ばれていない」
「⋯⋯そうだったな。すまない」
「いや、俺は諦めない。だからアメディア嬢は気兼ねなく俺に護られてくれ」
アイオリア様には誰か想う人が居て、その人の事をとても大切に思っている事が伝わって来る。珍しく寂しそうなアイオリア様に事情を知っているのかルセウスも神妙な面持ちで眼鏡を直した。
「ああっルース! やっと見つけたわ。こんな端にいたなんて探したわよ。もうっこのひと月、貴方に会えなくて私寂しかったのよ?」
突然かけられた声に私達に緊張が走った。
その声の主は妖精姫と呼ばれるに相応しく可憐に着飾った王女。ディーテ様。
「貴方はこんな端っこなんて相応しくないわ。まあ、相応しい方もいらっしゃるみたいだけれど。あら、ごめんなさいアメディア様の事ではないわよ」
ディーテ様の視線が私に移ったのをルセウスは咄嵯に手を引いて背に隠そうとしたけれど、それよりも早くアイオリア様が私達の前に立った。
「ようこそディーテ様。我が家の夜会にご参加いただき恐悦に存じます」
「ヤリス侯爵家の夜会は今夜も盛況で何より。今夜は貴方の婚約者探しも兼ねていると聞いているわ。良いご縁があると良いわね」
微笑むディーテ様。その笑みは誰もが魅了されるものでも今の私には目が笑っていないと気付けるもの。
アイオリア様とルセウスに微笑みを向けいていたディーテ様はふと目を細め首を傾げるような仕草を見せた。
彼女は、いつもこんな笑みを浮かべていたのね。
「? まあ、いいわ。さあ、ルース。私を誘いなさい」
「⋯⋯ええ、王女一曲願えますか」
「勿論! 何曲でも! さあ行きましょう」
すんっ。そんな音がするかのように表情を無くしたルセウスがディーテ様の手を取りホールへと出て行く。
さあ、私はそれを嬉しそうに見なくてはならないのよ。
それはもう、ニコニコと。私はちょっと危ない人に見られそうなギリギリの所を維持して二人を眺め続けてあげるの。
頑張れ私。
そんな私をおかしそうに見下ろしていたアイオリア様がとうとう吹き出した。
「ふふっ⋯⋯いや、ごめん。よくそこまで嬉しそうに出来るね」
「ええ、頭の中でセオス様を撫でていますから」
「くくっ⋯⋯なるほど、それは良い逃避だな」
本当は踊るルセウスとディーテ様を見て、その光景に胸が痛んでいる。だから頭の中で毛玉のセオス様を一心不乱に撫でているの。ルセウスとディーテ様がお似合いだと考えないように。
「帰ったらセオス様を撫でて抱きしめて顔を埋めるんです」
「それ、ルセウスに見せたらいけないよ。あいつ絶対、自分にもしてくれと言うよ」
「確かに言いそうですね⋯⋯そんなルセウスを見たいような見たくないような」
「だろ? アメディア嬢も恥ずかしい思いをするだろうね」
「そうですよねえ⋯⋯嫌かも」
「嫌とか言っちゃうんだ!?」
笑いが止まらなくなったアイオリア様が「⋯⋯おっと」と呟いて密かにホールを指差した。その指先に私も慌ててルセウスを見詰め直した。
ルセウスの眼鏡がシャンデリアの光を反射して、それが彼の凍てついた眼光のように思えた私とアイオリア様は背筋を凍らせた。
ルセウス、あれは静かに怒ってるよね。多分。
「ほう⋯⋯あれに見えるはアメディアの婚約者殿だろう? なぜ王女と踊っている」
私の名前とルセウスを知り、どことなく固い口調の女性の声に私は思わず振り返り驚きで息が止まった。
「半年ぶりだなアメディア。婚約おめでとう。健勝か?」
そこに居たのは⋯⋯アイオリア様とそう変わらない長身で適度な筋肉が付いたしなやかなスタイルの女性。
それは背格好も顔付きも口調も全く似ていない姉妹だとよく言われるゴウト辺境伯へ嫁いだお姉様。
唯一似ているローズゴールドの髪を結い上げたアーテナだった。
「アーテナ姉様っ⋯⋯会いたかった。どうして王都に⋯⋯」
思わず私はアーテナに抱きついた。
私よりずっと高い位置にある顔を仰ぎ見れば昔と変わらず美しい面差し。
前回、神殿に押し込められた時は隣国との関係が悪化してしまっていて国境の治安維持の為辺境を離れられなかったアーテナ。
やり直しの今回では半年ぶりでも私にとっては三年張りだわ。
「旦那様が王太子殿下に呼ばれてな。私も一緒に王都へ来ていたんだ。そこで会ったヤリス侯爵から夜会があると招待状をもらったのだ。旦那様は仕事が終わらず私だけの参加、非礼を詫びるアイオリア殿」
「ご参加いただき光栄ですゴウト辺境伯夫人。そうでしたねアメディア嬢と姉妹でしたね」
「ああ、よく似ているだろう?」
「え、ええ⋯⋯ソウデスネ」
ぎこちない返しをするアイオリア様に口元に扇を寄せたアーテナ自身は恐らく上品に笑ったつもりだろうけれど昔から彼女の笑みはなんと言うか、漢前なのよね。
「⋯⋯して、何故アメディアの婚約者が二曲続けて王女と踊っているのだろうか」
ピシッ──パキッ──
空気の凍る音と扇が軋む音がした。
それはアーテナが発した音。見上げた私は恐怖が湧き上がった。
「っ、それ、は⋯⋯」
「私はアメディアが一曲婚約者殿と踊ったのを見ている。何故王女とは二曲続けて踊っているのだ」
私を見る事なく、顳顬に青筋を浮かばせたアーテナの漢前な笑顔はルセウスとディーテ様に向けられていた。
その眼光はルセウスの眼鏡の反射より鋭く、彼らを射抜かんばかりだった。