残酷な描写あり
理を結ぶ術
クロスフォード家の庭は、屋敷の大きさに比例して広い。
スクートが来るまでは、当主であるホルスとひとり娘のリーシュのたった二人で住んでいたとは考えられない程である。
ミスティアは隔絶された秘境であるが故に、この里に住まう人々は多く見繕っても千を数えるほどだ。そして人口の八割は里の中央の巨木付近に密集している。
里の中央を町と表現するであればクロスフォードの屋敷は残りの二割、つまり郊外に位置するといってもよい。
そのため、土地ならばだだあまりしている。
なのでリーシュの苦痛を少しでも和らげようと、ホルスは庭を切り開き、屋敷を増築した。
そうすれば、毎日庭に足を運ぶことは叶わないにしろ、目の保養が図れるため奔放すぎる娘の横暴も少しは鳴りを潜めるのではないか。
そんなリーシュの父の思惑は、白肌の魔女曰く失敗だという。
せめてもの抵抗か、人の丈ほどの木杭が隙間なく屋敷の庭を覆っている。
だがどう考えてもささいな木杭など、好奇心の塊であるリーシュを遮る壁になどなりようがなかった。
スクートはリーシュを横目に見て、そう思いながら口を開いた。
「前から気にはなっていたが……お前のそれは、いったいどんな原理で浮いているのだ」
リーシュはまるで椅子に座るがごとく器用に杖に腰かけ、本を読みながらくつろいでいた。
「すごいでしょう? 風の魔法は覚えるのに少し手間がかかったわ、わたしの得意分野ではないもの。良かったらまた乗せてあげてもいいわよ、今度はあの霧の天井まで飛んでみる?」
霧の天蓋を指さして、リーシュはスクートを誘う。
雲とそう変わらない高さにあるというのに、まるで散歩にでも行くような気軽さで。
「いや、いい。どう考えても高すぎるだろう」
「あら、これは意外ね。わたしの身の丈ほどの剣をぶんぶんと振り回せる剣士が、まさか高所が怖いとでも言うのかしら」
「おれにも怖いものぐらいはある。高いところは駄目だ、嫌なことを思い出しそうになる」
「なんだ、つまらないの。せっかく今日は曇りの日、わたしが外に出れる日だっていうのに」
リーシュと過ごしてまだ間もないが、スクートは彼女の性格をある程度理解した。
やることなすことが突拍子もなくきまぐれで、そして異様に好奇心が旺盛だ。
わざわざ怪物がうろついている惑いの森に、いつもと違う雰囲気を感じたという理由で様子を見に行くほどである。かなりの筋金入りであろう。
もっとも、その気まぐれにスクートは救われたのだが。
「ねえ、スクート。見ての通り、あなたの主は暇を持て余しているの。なにか気が紛れることはないかしら?」
「まったく……大人しそうなのは見た目だけだな」
ややふてくされた様子のリーシュに、スクートは話題を振ることにした。
「ここに来た時から気になっていたが、あれらはなんだ? かたかたと乾いた音を立てながらぎこちなく歩く、棒切れを何本も繋ぎ合せた人形は。おおかた魔法で動いているのだろうが、まさか一体一体誰かが操っているのか?」
スクートは屋敷の玄関を指差した。そこには箒を握り塵を払う、ひとりでに動く案山子のような存在がいた。他にも何体かいるようで、これまでにも屋敷の内外で彼は遭遇していた。
「ああ、あれね。別に名前なんて大層なものはないわ。あえて付けるのであれば、木傀儡とでも言うのが妥当かしらね」
待ってましたと言わんばかりに、リーシュはしたり顔で説明をし出した。
「彼らは創造主に与えられた命令を黙々とこなす、魔力で動く便利屋よ。広すぎる屋敷を手入れしてくれる、我が家の使用人。ほら、この家って広すぎるのに人の使用人なんていないからね」
「その木傀儡とやらは、お前が作ったのか?」
まさか、と言うわんばかりにリーシュは肩をすくめた。
「もしわたしが作るのであれば、もう少し可愛く作ってあげるわ。父さま、動けば問題ないと外見は適当なのよ」
「ならば作り直してやればいいだろう」
「あんな成りでも、脱走しようとするわたしを捕まえようとするのよ。可愛く仕立てたら、いざというときに魔法で吹き飛ばせなくなってしまうじゃない。見かけによらず割と機敏でね、小さいころに三回ぐらい捕まったことがあるわ」
リーシュの性格は、どうにも幼少からこのような有様だったらしい。
彼女の父ホルスは、いったいどれほどの苦悩のなかリーシュを育ててきたのか。
スクートが心の中でホルスに同情していると、リーシュは唐突に話題を切り替えた。
「それにしても、ここに来てからも色々な魔法を見せたのに……やっぱりあなたはあまり驚かないのね。少し予想外というか、驚愕したスクートの顔を見てみたかったわ」
自身の想像とは違うスクートの姿に、リーシュは少し残念そうに肩をすくめる。
「驚いてはいる。だが魔法のような摩訶不思議な現象を行使するというのは、おれがいた世界でも存在したことだ」
「へぇ、興味深いわね。でもその言い方だとなんだか含みがあるようだけれど」
「ただ呼び方が違うだけだ。それは、御術と呼ばれている。神への信仰心を力に変え、森羅万象を引き起こす。火の玉を生成して投げつけたり、氷を矢のごとく飛ばしたり。まあ、どれもこれも便利そうではあった」
スクートの表情の乏しい顔が陰る。その様子はどこか物寂しげな、そして諦観さえも感じさせる。
リーシュは表情の変化に気付きこそしたものの、だが好奇心は別の個所に向いていた。
「見せてみてよ、その御術とやらを」
未知の事象に心を躍らせ、思わずリーシュの身体が前のめりになる。スクートの表情が、より一層曇った。
「残念だがおれは使えない。どうにも、神への信仰とやらが足らんようだ。昔はおれなりに神を信じているつもりだったのだが……。いまとなっては、信仰する気なんてほんの一欠片も持ち合わせていない」
「なんだ、つまらないの。ぜひとも見てみたかったわ。――――そうだ!」
白肌の魔女の頭の中で何かが弾けたのか。リーシュの事だ、どうせ妙な事を考えたのだろう。
そしてスクートの予感は、見事に的中した。
「わたしがその神とやらを信仰すれば、御術を使うことができるんじゃないかしら。名案だと思わない?」
またしてもスクートの表情が変わった。
一瞬ではあったが、目と口を丸め、驚きの表情を見せたのだ。ひと呼吸おいていつもの無表情に戻ったが、それでも僅かに眉が下がっているようにも見える。
「……神だぞ? 魔法の継承者たるお前が、神に疎まれたであろう魔女が、いったい何を言ってるのだ。それに、付け焼き刃の信仰心で御術が簡単に使えたら誰も苦労はしないぞ。魔法だってそうなのだろう? 弛まぬ努力と才能の先に、魔法があるのだろう? それと同じだ」
スクートは自分の頭にある常識を疑った。
神と魔女、御術と魔法は、古来より水と油のような互いに相容れぬ存在である。
御術も魔法も、唯一神の加護によって発現すると考える正教会。
水が上から下に向かって流れるように、世界の理を紡ぎ法則に基づいて力を行使する魔法使い。
争いの果てに魔法使いたちは姿を消し、結果として神の信奉者たる正教会だけが残った。
実際のところは、魔法使いの末裔たちはこうして秘境に隠れ住んでいるようだが。
それは別にして、短絡的に魔女が神を信仰してみてはどうかと軽々言い放つ姿に、スクートは戸惑いを隠せないなかった。
お前は、お前たちは。神を恨んではいないのか、と。
「おかしなものね、神を信じるのに才能がいるの?」
「日頃の繁栄やら願いの成就を願う分には必要ない。だが御術を扱うには必要だ」
ふーん。リーシュは曖昧な相槌を打つと、顎に手をあて真剣な顔で熟考し始めた。
こうなるとリーシュはしばらくだんまりである。考えがまとまったときに鋭い質問をスクートに投げかけてくるだろう。それまではおもむろに剣でも振っておこう。
そう考えた矢先、ふと視界に初老の男が近づいてくるのが見えた。リーシュの父にしてクロスフォード家当主であるホルスである。
彼の左手には鞘に納められた剣が。そしてホルスの眼は鋭く、突き刺すかのような視線でスクートを捉えている。まるで、スクートの心の奥を見入るがごとく。
僅かに香る、不穏な空気。幾度となく死線を潜り抜けてきたスクートの第六感が、警告の音を放った。