残酷な描写あり
従者
とある曇り模様の昼下がりであった。
その屋敷はミスティアの端にあり、大部分が森の恩恵たる堅木で建てられていた。
金属、ひいては石でさえ貴重とされる魔女の里において、ほぼ全てが木材の家というのはごく一般的である。
原木をくり抜いて作られた煙突、立ち昇る怪しい色の煙に加え、文字のような文様を施された外見。
屋敷の住人がただ人でないことを如実に示しているだろう。
「ううむ……」
クロスフォード家の当主である男、ホルス。いま彼は自室の椅子に座りこみ頭を抱えていた。
まだ初老に差し掛かったばかりであるというのに、絶えぬことのない気苦労のせいか実年齢より十歳ばかり老けて見える。
気苦労の大部分は、たとえ目に入れても痛くないほどに大切にしている娘リーシュの存在であった。
彼の妻はリーシュを産んで間もなく他界しており、ほとんど男手ひとつで娘を育て上げてきた。
その弊害か、はたまた生まれつきの性なのか。大人しそうな見た目とは裏腹に、娘は随分と自由奔放な性格になってしまった。
別にそれだけならば何も心配はいらない、むしろ元気なのは望むところであった。
だがそれでも、ホルスがリーシュを屋敷の中に閉じ込めておきたいのは確固たる理由があった。
クロスフォードの血を継ぐ者は、もうこの世にリーシュしかいない。
さらに太陽に焼かれるという呪いを背負う身である、親としては自由より娘の命を優先するのは仕方のないことであった。
……ミスティアの掟のひとつに、従者の契りというものがある。十二歳を区切りに、魔女は身の回りの世話や警護を任せる従者という存在を選ぶ権利が与えられるのだ。
魔女と従者の間には信頼が不可欠であった。
魔女は従者の身分を保証し、生きる上での必要な対価を与える。そして従者は身を挺してでも主を守る義務があり、いざとなれば危害を加える不届き者を斬り伏せなければならない。
ミスティアは小さく隔てられた世界ではあるが、人の世界に変わりはない。よからぬ事を考える者も生まれてくる。
なまじ魔女にも階級があるため、自分が登りつめるため他者を殺めてしまおうとする者までいるほどだ。
特にここ最近、里の雰囲気は物騒きわまりない。くだらぬ与太話を風潮する愚か者の一派が、力を付けつつあるのだ。
もうリーシュは齢十六にもなる。だというのに、一向に従者を付けたがらなかった。
良く言えばあまりにも神秘的、悪く言えば死体じみた白さの肌を気味悪がり、従者を申し出る者の数も極端に少なかった。
さらに拍車をかけているのは、リーシュはえらく気分家であるということ。そして他の魔女とは比べ物にならないほどの膨大な魔力を秘めていることであった。
図らずとも気分を害せば、指の一振りで殺される。ホルスから言わせれば、娘は何があってもそんなことをする人間ではない。だが一時はそんな噂さえひとり歩きしていた。
あまりに白い肌と異様なまでの魔力と資質。常人からしてみればリーシュは化け物と呼ぶに他ならなかった。
是が非でも、信頼できる従者を娘に。ホルスの切実すぎる長年の願望は、しかしどういう訳か知らずの内に成就していた。
「私はいったい、どうすればいいのだ……」
目頭を押さえ、ホルスは今日何度目か分からない溜息を吐く。
先日のことであった。いつものように屋敷を抜け出したリーシュは、見ない顔の男を連れて帰ってきた。
どうも、森の中を彷徨っていたよそ者を拾ってきたらしい。それだけでも充分驚愕に値するのに、娘はその男を従者にすると言い出したのだ。
無論、二つ返事で了承できるものでは到底ない。かつて妻の従者であったホルスには、契りの重みが骨身に染みていた。
従者の契りはその時の気分で結んだり切ったりすることができるような、そんな軽々しいものではない。
言葉にするのであれば、それは魂の契約に等しい。
だがリーシュは、一度言い出したら断固として考えを曲げようとはしない。気分家ではあるが頑固という厄介極まりない性格なのは、父たるホルスはよく理解していた。
だからこうして彼は、招かれざる客人が来てからずっと頭を悩ませているのだ。
「いや、これはむしろ良い転機なのかもしれないのう」
ふと湧き上がった閃きの泡が弾け、ホルスの脳裏にはあるひとつの考えが芽生えた。だが表情はさらに陰り、より一層皺が深くなった。
一目見たところ、客人は腕が立つ。全盛の頃、ホルスは里の中で最も優れた剣士であった。
老いてなおますます盛ん……とはいかないものの、まだまだ若い者には後れを取るつもりはなかった。
いまから六年前にたったひとりの弟子がホルスを打ち負かして以来、最優こそ弟子に譲ったものの、未だ里にてホルスの上をいくものは彼一人しか現れていない。
それほどまでに剣の自信があるホルスであっても、客人がいかほどの腕前を持っているかは漠然としか判断できなかった。
なにせ地面から自身の肩まではあろう大きな剣を扱うのである、はたしてどのような剣技を会得しているのか。
片手で持てるような剣での戦いしかしてこなかったホルスは、いままで培った経験や目利きも疑わざるを得ない。
そもそもの話、何がどうなってあんな大げさな剣を振るう必要があるのだろうか。人を相手どるにはあまりにも大きすぎる。
「考えても、答えが出るわけないな」
ホルスは自らの老いに思わず嘆息した。
娘は客人にスクートという名を与えた。名に込められた意味は、盾。従者とは主たる魔女の盾である。
つまりリーシュはスクートにその資格があると考え、名前を授けたのであろう。
あの死んだ目をした灰髪の男の中に、娘は何を見出したのか。
ホルスは机に立てかけられた剣を腰に据え、自室を後にした。これから彼は愛する娘に人でなしと言われるのも覚悟で、ある試練を課そうと思い立ったのだ。
たとえそれが、凶行と呼ばれるような類であったとしても。