残酷な描写あり
R-15
第60話 『アルマの想い⁉』
ヒュン――
という風切り音がした。
顔を上げると、幾本もの矢が頭上を越えて青い怪物に飛んでいた。
数人のアールヴ族が走りながら、矢を放っている。
「こっちです! 早く!」
弓を構えるイオキアの姿が見えた。
迷うヒマなど無かった。
アルマはスペスを抱きしめたまま立ちあがり、イオキア目指して一直線に走り出す。
「ガアァァァァァッ‼」
怒気を含んだ咆哮が全身を震わせ、すぐ背後に迫る気配を感じても、決して振り返ることはしなかった。
まるでそれしか無いように、アルマは神殿の石を最短距離で乗り越えて、ただただ真っすぐに走る。
弓を構えたイオキアまで。
あと十歩……。
あと三歩……。
やっと……届く。
横を抜けてふり向くと、青い巨体は、イオキアのすぐ前にいた。
「――イオキアさんっ‼」
叫んだ瞬間に、イオキアが弓を射つ。
まっすぐに放たれた矢は、角の生えた頭部へ吸いこまれ、見事に額に突き立つが、それでも相手は平然と前に出た。
「下がってください!」
イオキアは乱暴に振り回された爪をよけながら、つづけて矢を射かける。周囲のアールヴ達の攻撃も合わさって、ぶ厚い筋肉に包まれた体は矢傷にまみれ、青い体液が流れ出た。
そんな最中でもソイツの目は、アールヴではなく、ずっとアルマを捉え続けていた。
不気味なその行為に、さらなる恐怖を植え込まれ、アルマの全身が総毛立つ。
もっと距離を開けなければとスペスを抱えたまま後ろに退がると、ソイツは急に興味を無くしたかのように横をむいた。そして、まわりのアールヴ達などいないかのようにゆっくりと、ぺたりぺたり歩いて神殿から出ていく。
そのまま、前かがみの大きな背中が完全に視界から消えるまで、だれ一人として動く者はいなかった。
「もう、平気……じゃないかな……」
胸の前に抱いていたスペスに言われて、立ち尽くしていたアルマは、ようやく脅威が無くなったことを理解した。
「な、なんだったの……アレ」
青い顔で、どうにか言葉を紡ぐ。
「わからない……」とスペスが答えた。
「正直、あんなのがいるなんて思わなかったよ。でも……どうにか助かったみたいだね」
そう話すスペスの服は、血に染まっていた。
「平気、とはとても言えないわよ……。すぐに治療するからねっ……」
そっと草の上におろし魔法をかける。
「乱暴に運んだから傷に障ったでしょ……ごめんね」
「いやいや、そんなこと全然ないよ」スペスが嬉しそうに首を振った。
「――すごく良かったから、できればまたやって欲しいな」
「なにを言っているの? 頭でも打った?」
「柔らかいのは知ってたけど、走るとあんなに揺れるんだねぇ……」
「揺れ……? あっ!」
なにかに気づいたアルマの目が、半分ほどに細められる。
「あきれた――あの状況でそんなことを考えてたの?」
「あの状況だからだよ……」
スペスは寝かされたまま、冗談まじりに笑う。
「これなら、もう死んでもいいかな、って思ったよ」
「噓をつきなさい。あなたはそんな事で諦めたりしないでしょ。さっきだって――最後までわたしのことを逃がそうとしてくれて……」
アルマは、ふっと目を伏せる。
「――先に諦めてたのは、わたしのほう……だったじゃない。もしもイオキアさん達が来てくれなかったら、今ごろは……」
「そんなのは別にいいよ。こうしてふたりとも助かったんだからね」
そう言って手を伸ばしたスペスは、アルマの髪を撫でる。
アルマは、撫でられながら情けない顔で笑った。
「どうして……、スペスは、どうしていつも、そんなに強くいられるの? こんな大怪我をしてても、最後まで諦めないの……?」
「どうして――?」言葉が途切れる。「やる事……があるからじゃないかな」
「やること?」
「うん。ボクがアルマを守るっていうね」
「でも、わたし……、あなたにそこまでしてもらう理由がない……」
アルマは困ったように言う。
「アルマにはなくても、ボクにはあるよ」
「ない……。ないわよ……。あるわけない……」
アルマはきっぱりと首をふった。
「だって……だってね………。さっき………わたしのせいでスペスが死んじゃったらって思ったら…………、すごくすごく怖かった……」
ぎゅっと口を結んだアルマの目からぽたりぽたりと涙が落ち、スペスを濡らしていく。
「スペスが死んじゃうんだったら……そんな理由なくていい! そんな理由いらないから……もうあんなことしないで……!」
スペスの頬を両手で包みこみ、アルマはそう願う。
「ボクのした事は迷惑だった?」
寂しそうな目で、スペスが訊ねた。
「……っ! 違うの! そうじゃない! さっきだって……助けてくれてありがとうって思ってる……! でもっ! わたしのためにスペスが傷ついたり……死んじゃったりするのは、もう嫌……なのよ……。そんなの、もう……やめてよ……」
ぽつぽつと語るアルマに、腑に落ちない顔をしながらもスペスは首肯する。
「わかった……これからは気をつけるよ」
「本当に?」
顔をよせたアルマに、スペスははっきりと頷いてみせた。
安心したように頷きかえしたアルマは、自分の想いに気づいていた。
――ああ、わたしは、こんなにも……この人を失うのを怖がっている。この人に死んで欲しくないと思っている……でも……。
アルマは悲しそうな顔でスペスを見る。
――わたしには、この人を守れる力がない……。物語で勇者様に加護を授けた王女のキスみたいに、彼に守る力をあげられたらいいのに……。
そう思いながら、アルマは顔を近づける。
――でも、なんの力もないわたしのキスなんて、もらっても困るだけ……よね……。
また思い直して、離れた。
それでも――
なんの効果もなくても、アルマはそうすることで、いまの自分の気持ちをスペスに刻み込みたかった。
それがいつか、危険なこの世界で、スペスの命をつなぎ止めてくれる楔になるような気がして。
たとえ根拠のないニセモノの印だったとしても、ただ無性にそうしたかった。
――よ……よしっ。こういうのは勢い……よ!
いざそう思ってみるも、意識するとスペスが思いのほか近くにいて、アルマはとっさに顔を引いてしまう。
――あのまま近づけば良いだけなのに……失敗したぁ……。
もう一度近寄ろうとして、そこでふと思う。
――そういえば、こういう場合って〝どこ〟にするのが普通なの……⁉ 口? ……だといきなり過ぎるから……おでこかほっぺ? それとも手……⁉ あー、勇者さまはどこにしてもらってたんだろう! 手やほっぺじゃ軽い感じがするし、おでこ……よりはもっと中心がよさそうだけど、鼻……じゃおかしいし、やっぱり口⁉ やだ……、急にどきどきしてきちゃった……。
「ねぇ……、さっきからおかしいけど……大丈夫?」
表情をコロコロ変えながら、顔を動かすアルマにスペスが訊く。
「ダイジョウブよ! ダイジョウブ、ダイジョウブ……何もおかしくなんかない。それよりもー、ちょっと目を閉じててもらえるかしら?」
「なんで?」
「あ……えと……、その方がしやすいから……。あっ……ち、治療がねっ! そう! おかしな事じゃなくて、ち、治療だからっ!」
「そうなんだ? わかった」
スペスが素直に目を閉じる。
――いま!
眠るような顔の一点を狙って、そっとアルマは近づいた。唇が震え、緊張から息が荒くなる。が、動きは止めなかった。
「スペスさん、もしかして……かなり悪いんですか?」
「ひゃいっ……!」
という風切り音がした。
顔を上げると、幾本もの矢が頭上を越えて青い怪物に飛んでいた。
数人のアールヴ族が走りながら、矢を放っている。
「こっちです! 早く!」
弓を構えるイオキアの姿が見えた。
迷うヒマなど無かった。
アルマはスペスを抱きしめたまま立ちあがり、イオキア目指して一直線に走り出す。
「ガアァァァァァッ‼」
怒気を含んだ咆哮が全身を震わせ、すぐ背後に迫る気配を感じても、決して振り返ることはしなかった。
まるでそれしか無いように、アルマは神殿の石を最短距離で乗り越えて、ただただ真っすぐに走る。
弓を構えたイオキアまで。
あと十歩……。
あと三歩……。
やっと……届く。
横を抜けてふり向くと、青い巨体は、イオキアのすぐ前にいた。
「――イオキアさんっ‼」
叫んだ瞬間に、イオキアが弓を射つ。
まっすぐに放たれた矢は、角の生えた頭部へ吸いこまれ、見事に額に突き立つが、それでも相手は平然と前に出た。
「下がってください!」
イオキアは乱暴に振り回された爪をよけながら、つづけて矢を射かける。周囲のアールヴ達の攻撃も合わさって、ぶ厚い筋肉に包まれた体は矢傷にまみれ、青い体液が流れ出た。
そんな最中でもソイツの目は、アールヴではなく、ずっとアルマを捉え続けていた。
不気味なその行為に、さらなる恐怖を植え込まれ、アルマの全身が総毛立つ。
もっと距離を開けなければとスペスを抱えたまま後ろに退がると、ソイツは急に興味を無くしたかのように横をむいた。そして、まわりのアールヴ達などいないかのようにゆっくりと、ぺたりぺたり歩いて神殿から出ていく。
そのまま、前かがみの大きな背中が完全に視界から消えるまで、だれ一人として動く者はいなかった。
「もう、平気……じゃないかな……」
胸の前に抱いていたスペスに言われて、立ち尽くしていたアルマは、ようやく脅威が無くなったことを理解した。
「な、なんだったの……アレ」
青い顔で、どうにか言葉を紡ぐ。
「わからない……」とスペスが答えた。
「正直、あんなのがいるなんて思わなかったよ。でも……どうにか助かったみたいだね」
そう話すスペスの服は、血に染まっていた。
「平気、とはとても言えないわよ……。すぐに治療するからねっ……」
そっと草の上におろし魔法をかける。
「乱暴に運んだから傷に障ったでしょ……ごめんね」
「いやいや、そんなこと全然ないよ」スペスが嬉しそうに首を振った。
「――すごく良かったから、できればまたやって欲しいな」
「なにを言っているの? 頭でも打った?」
「柔らかいのは知ってたけど、走るとあんなに揺れるんだねぇ……」
「揺れ……? あっ!」
なにかに気づいたアルマの目が、半分ほどに細められる。
「あきれた――あの状況でそんなことを考えてたの?」
「あの状況だからだよ……」
スペスは寝かされたまま、冗談まじりに笑う。
「これなら、もう死んでもいいかな、って思ったよ」
「噓をつきなさい。あなたはそんな事で諦めたりしないでしょ。さっきだって――最後までわたしのことを逃がそうとしてくれて……」
アルマは、ふっと目を伏せる。
「――先に諦めてたのは、わたしのほう……だったじゃない。もしもイオキアさん達が来てくれなかったら、今ごろは……」
「そんなのは別にいいよ。こうしてふたりとも助かったんだからね」
そう言って手を伸ばしたスペスは、アルマの髪を撫でる。
アルマは、撫でられながら情けない顔で笑った。
「どうして……、スペスは、どうしていつも、そんなに強くいられるの? こんな大怪我をしてても、最後まで諦めないの……?」
「どうして――?」言葉が途切れる。「やる事……があるからじゃないかな」
「やること?」
「うん。ボクがアルマを守るっていうね」
「でも、わたし……、あなたにそこまでしてもらう理由がない……」
アルマは困ったように言う。
「アルマにはなくても、ボクにはあるよ」
「ない……。ないわよ……。あるわけない……」
アルマはきっぱりと首をふった。
「だって……だってね………。さっき………わたしのせいでスペスが死んじゃったらって思ったら…………、すごくすごく怖かった……」
ぎゅっと口を結んだアルマの目からぽたりぽたりと涙が落ち、スペスを濡らしていく。
「スペスが死んじゃうんだったら……そんな理由なくていい! そんな理由いらないから……もうあんなことしないで……!」
スペスの頬を両手で包みこみ、アルマはそう願う。
「ボクのした事は迷惑だった?」
寂しそうな目で、スペスが訊ねた。
「……っ! 違うの! そうじゃない! さっきだって……助けてくれてありがとうって思ってる……! でもっ! わたしのためにスペスが傷ついたり……死んじゃったりするのは、もう嫌……なのよ……。そんなの、もう……やめてよ……」
ぽつぽつと語るアルマに、腑に落ちない顔をしながらもスペスは首肯する。
「わかった……これからは気をつけるよ」
「本当に?」
顔をよせたアルマに、スペスははっきりと頷いてみせた。
安心したように頷きかえしたアルマは、自分の想いに気づいていた。
――ああ、わたしは、こんなにも……この人を失うのを怖がっている。この人に死んで欲しくないと思っている……でも……。
アルマは悲しそうな顔でスペスを見る。
――わたしには、この人を守れる力がない……。物語で勇者様に加護を授けた王女のキスみたいに、彼に守る力をあげられたらいいのに……。
そう思いながら、アルマは顔を近づける。
――でも、なんの力もないわたしのキスなんて、もらっても困るだけ……よね……。
また思い直して、離れた。
それでも――
なんの効果もなくても、アルマはそうすることで、いまの自分の気持ちをスペスに刻み込みたかった。
それがいつか、危険なこの世界で、スペスの命をつなぎ止めてくれる楔になるような気がして。
たとえ根拠のないニセモノの印だったとしても、ただ無性にそうしたかった。
――よ……よしっ。こういうのは勢い……よ!
いざそう思ってみるも、意識するとスペスが思いのほか近くにいて、アルマはとっさに顔を引いてしまう。
――あのまま近づけば良いだけなのに……失敗したぁ……。
もう一度近寄ろうとして、そこでふと思う。
――そういえば、こういう場合って〝どこ〟にするのが普通なの……⁉ 口? ……だといきなり過ぎるから……おでこかほっぺ? それとも手……⁉ あー、勇者さまはどこにしてもらってたんだろう! 手やほっぺじゃ軽い感じがするし、おでこ……よりはもっと中心がよさそうだけど、鼻……じゃおかしいし、やっぱり口⁉ やだ……、急にどきどきしてきちゃった……。
「ねぇ……、さっきからおかしいけど……大丈夫?」
表情をコロコロ変えながら、顔を動かすアルマにスペスが訊く。
「ダイジョウブよ! ダイジョウブ、ダイジョウブ……何もおかしくなんかない。それよりもー、ちょっと目を閉じててもらえるかしら?」
「なんで?」
「あ……えと……、その方がしやすいから……。あっ……ち、治療がねっ! そう! おかしな事じゃなくて、ち、治療だからっ!」
「そうなんだ? わかった」
スペスが素直に目を閉じる。
――いま!
眠るような顔の一点を狙って、そっとアルマは近づいた。唇が震え、緊張から息が荒くなる。が、動きは止めなかった。
「スペスさん、もしかして……かなり悪いんですか?」
「ひゃいっ……!」