残酷な描写あり
R-15
第59話 『青い怪物⁉』
茂みを飛び超えるようにして出てきたのは――
「な……、なによこれっ……!」
ゴブリンではなかった。
背中を丸めた老人のような姿勢なのに、アルマよりもはるかに高い体躯。
筋肉の盛りあがった太い腕に、鋭く尖った爪。おおきな頭には、二本の角。
ヒトの形はしていても――
ゴブリンと似た青い肌をもっていても――
何もかもが違っていた。
ゴブリンを十倍凶悪にして、十倍大きくした、とでも言えば妥当だろうか。
一目見ただけで、コレは絶対に戦ってはいけない相手だと分かった。
「こんなのがいるとは思わなかったな……!」
スペスも、そう言ったきり言葉を失っていた。
黒目ばかりの暗い瞳でアルマ見たソイツは、うれしそうに、ニチャァァ……と口を開く。鼻がまがるような臭気を吐いたその口から、つき出た長い牙がよだれで光っていた。
逃げなきゃ!
そう言おうと思ったのに――
「あ……ああ…………」
震える口はカタカタと鳴るだけで、声すらまともに出せなかった。
青い肌をしたソイツの長い腕は、アルマの木剣よりも長く、
万が一にでも掴まれたら振りほどくことは出来そうもなかった。
そして、そのまま大きな口に呑みこまれるのだろう。
どころか――
爪による一撃をもらっただけで、即座に戦えなくなるかもしれない。
メイランから受けた教えの効果か、アルマは思ったよりも冷静に相手を見ていたが――
それでも鳴る奥歯をグッと噛みしめて、木剣を向けるのが精一杯だった。
いますぐにでも逃げ出したかったが、背を向ければ、後ろから襲いかかられる気がして――ぺたり、ぺたりと近づく相手から目を離せなかった。
逃げるべきか――逃げられるのか。
先手を取って攻撃するか――やはり戦うのは無謀か。
一体どうしたら……。
ぐるぐると考え続けて、答えが出ず――けっきょくアルマは一歩も動けなかった。
ぺたり、ぺたりと草を踏み近づいてくるソイツは、
老人のように背を丸め、長い腕をだらりと地面に付くほど下していたが、
それは危害を加えるつもりがないことを示さない。
むしろソイツは、さっきからアルマばかりを見ていて、
明らかにアルマを狙って来ていた。
初めて目があった時には、口の端を吊りあげて笑うような顔すらしてみせた。
ソイツが立ち止まる。
もう腕が届くような距離で。
間違いなくソイツは嗤い、そのまま無造作に腕を振りあげた。
あ――、とアルマは思った。
乱れた思考に邪魔されて、なんの反応もできていなかった。
少しでも離れるなり、防御の姿勢を取るなり、なにか出来ることがあったはずだと思いながら、
もう一瞬の後には、あの腕が自分に叩きつけられるのだと分かった。
咄嗟に、両親の顔が浮かび、村の景色が浮かんだ。
いつも見ている双子の山が見えて。
それから自分の小さな本棚が思い起こされた。
母と一緒にジャムを作ったときの楽しそうな顔が。
雷のなかを往診に出た父の後ろ姿が。
大変だったなと言ってくれた、メイランのやさしい瞳が。
そして――
自分を守ると言ったスペスの真剣な表情が。
次々と脳裏に湧いて出た。
これで終わりかと思うと、涙が浮かんだ。
振りかぶられた腕が動き出す。
勢いをつけ、唸りをあげて、アルマに迫る。
それを見ながらアルマは、諦めたように立ち尽くしていた。
「アルマ――!」
乱暴に襟をつかまれて、うしろに強く引き倒された。
直後に真上を暴風が通り過ぎ――
襟をつかんだ手が、遠くに引きはがされた……。
倒れるアルマの目に、殴り飛ばされるスペスの姿が見えた。
「いやぁぁあっ……‼ スペス……っ‼」
アルマは、すぐに立ちあがり、木剣を放り出して走った。
倒れこんだスペスのそばに膝をつき、急いで目を走らせる。
呼吸は――あった。
爪による傷が、胴から肩までざっくりと開き、血があふれ出ていたが、すぐに処置をすれば助かるレベルだった。
気は動転していても、身体は馴染んだいつもの動きを再現してくれた。
手で傷口合わせるように押さえつけ、魔法をかけると出血が引いてゆく。
そのまま続けていると、スペスが呻いた。
「つぅっ……」
「――スペスっ‼」
声をかけると、ゆっくりと目が開く。
「アルマ……?」
「よかった――」
意識があったことを確認すると、すぐに訊く。
「痛むところはどこ!」
「えっと――なんだか全身が痛い……よ」
笑ったスペスの目が、サッと――アルマの後ろに向いた。
「逃げろっ‼ アルマ!」
怒鳴ったスペスに、アルマは首を振った。
後ろに何がいるのかは、見なくてもわかる事だった。
それよりも、ぺたりぺたりと近づいてくる足音を、直接見るほうが怖かった。
「《痛み止め》……かけておくね。最期くらい……痛くないほうがいいもんね」
スペスを安心させるように微笑もうとして、涙がこぼれた。
「ダメだ……! アルマは帰るんだろ!」
スペスが両手で押し離そうとする。
「わたしが……、わたしが一人で帰れるわけないでしょ!」
思わず怒鳴っていた。
「わたしには……帰る方法を調べるなんてできないのよ! あなたがいなくなって一人だけで……、どうすればいいって言うのよ!」
「メイランさんの所だ! あの人ならきっとなんとかしてくれる!」
行けとばかりに肩を押して、スペスは微笑んだ。
「大丈夫だよ……アルマなら帰る方法だってきっと見つけられる。時間はかかるかもしれないけど、きっとできる。だから……行ってくれ」
その声は優しかった。安心させるように優しかった。
それでも、アルマは首を振った。
「いいの――スペスを置いて行っても逃げられるかわからないし……、それなら一緒に……」
「ダメだ、アルマ! あきらめるな! きっと逃げられる。あれだけ図体が大きいんだ。木の密生している狭い場所を――」
「いいの……。もういいのよ……」
涙は止まらなかったが――今度はちゃんと笑えた気がした。
ぺたり、とすぐそばで足音がする。
「ありがとうスペス――」
アルマは、離れようと押すスペスを両手で抱きしめた。
「わがままでごめんね……。わたし力だけは強いから……きっと離さないよ」
そう言ってアルマは、震える手でスペスの背中を撫でた。
ヒュン――
という風切り音がした。
「な……、なによこれっ……!」
ゴブリンではなかった。
背中を丸めた老人のような姿勢なのに、アルマよりもはるかに高い体躯。
筋肉の盛りあがった太い腕に、鋭く尖った爪。おおきな頭には、二本の角。
ヒトの形はしていても――
ゴブリンと似た青い肌をもっていても――
何もかもが違っていた。
ゴブリンを十倍凶悪にして、十倍大きくした、とでも言えば妥当だろうか。
一目見ただけで、コレは絶対に戦ってはいけない相手だと分かった。
「こんなのがいるとは思わなかったな……!」
スペスも、そう言ったきり言葉を失っていた。
黒目ばかりの暗い瞳でアルマ見たソイツは、うれしそうに、ニチャァァ……と口を開く。鼻がまがるような臭気を吐いたその口から、つき出た長い牙がよだれで光っていた。
逃げなきゃ!
そう言おうと思ったのに――
「あ……ああ…………」
震える口はカタカタと鳴るだけで、声すらまともに出せなかった。
青い肌をしたソイツの長い腕は、アルマの木剣よりも長く、
万が一にでも掴まれたら振りほどくことは出来そうもなかった。
そして、そのまま大きな口に呑みこまれるのだろう。
どころか――
爪による一撃をもらっただけで、即座に戦えなくなるかもしれない。
メイランから受けた教えの効果か、アルマは思ったよりも冷静に相手を見ていたが――
それでも鳴る奥歯をグッと噛みしめて、木剣を向けるのが精一杯だった。
いますぐにでも逃げ出したかったが、背を向ければ、後ろから襲いかかられる気がして――ぺたり、ぺたりと近づく相手から目を離せなかった。
逃げるべきか――逃げられるのか。
先手を取って攻撃するか――やはり戦うのは無謀か。
一体どうしたら……。
ぐるぐると考え続けて、答えが出ず――けっきょくアルマは一歩も動けなかった。
ぺたり、ぺたりと草を踏み近づいてくるソイツは、
老人のように背を丸め、長い腕をだらりと地面に付くほど下していたが、
それは危害を加えるつもりがないことを示さない。
むしろソイツは、さっきからアルマばかりを見ていて、
明らかにアルマを狙って来ていた。
初めて目があった時には、口の端を吊りあげて笑うような顔すらしてみせた。
ソイツが立ち止まる。
もう腕が届くような距離で。
間違いなくソイツは嗤い、そのまま無造作に腕を振りあげた。
あ――、とアルマは思った。
乱れた思考に邪魔されて、なんの反応もできていなかった。
少しでも離れるなり、防御の姿勢を取るなり、なにか出来ることがあったはずだと思いながら、
もう一瞬の後には、あの腕が自分に叩きつけられるのだと分かった。
咄嗟に、両親の顔が浮かび、村の景色が浮かんだ。
いつも見ている双子の山が見えて。
それから自分の小さな本棚が思い起こされた。
母と一緒にジャムを作ったときの楽しそうな顔が。
雷のなかを往診に出た父の後ろ姿が。
大変だったなと言ってくれた、メイランのやさしい瞳が。
そして――
自分を守ると言ったスペスの真剣な表情が。
次々と脳裏に湧いて出た。
これで終わりかと思うと、涙が浮かんだ。
振りかぶられた腕が動き出す。
勢いをつけ、唸りをあげて、アルマに迫る。
それを見ながらアルマは、諦めたように立ち尽くしていた。
「アルマ――!」
乱暴に襟をつかまれて、うしろに強く引き倒された。
直後に真上を暴風が通り過ぎ――
襟をつかんだ手が、遠くに引きはがされた……。
倒れるアルマの目に、殴り飛ばされるスペスの姿が見えた。
「いやぁぁあっ……‼ スペス……っ‼」
アルマは、すぐに立ちあがり、木剣を放り出して走った。
倒れこんだスペスのそばに膝をつき、急いで目を走らせる。
呼吸は――あった。
爪による傷が、胴から肩までざっくりと開き、血があふれ出ていたが、すぐに処置をすれば助かるレベルだった。
気は動転していても、身体は馴染んだいつもの動きを再現してくれた。
手で傷口合わせるように押さえつけ、魔法をかけると出血が引いてゆく。
そのまま続けていると、スペスが呻いた。
「つぅっ……」
「――スペスっ‼」
声をかけると、ゆっくりと目が開く。
「アルマ……?」
「よかった――」
意識があったことを確認すると、すぐに訊く。
「痛むところはどこ!」
「えっと――なんだか全身が痛い……よ」
笑ったスペスの目が、サッと――アルマの後ろに向いた。
「逃げろっ‼ アルマ!」
怒鳴ったスペスに、アルマは首を振った。
後ろに何がいるのかは、見なくてもわかる事だった。
それよりも、ぺたりぺたりと近づいてくる足音を、直接見るほうが怖かった。
「《痛み止め》……かけておくね。最期くらい……痛くないほうがいいもんね」
スペスを安心させるように微笑もうとして、涙がこぼれた。
「ダメだ……! アルマは帰るんだろ!」
スペスが両手で押し離そうとする。
「わたしが……、わたしが一人で帰れるわけないでしょ!」
思わず怒鳴っていた。
「わたしには……帰る方法を調べるなんてできないのよ! あなたがいなくなって一人だけで……、どうすればいいって言うのよ!」
「メイランさんの所だ! あの人ならきっとなんとかしてくれる!」
行けとばかりに肩を押して、スペスは微笑んだ。
「大丈夫だよ……アルマなら帰る方法だってきっと見つけられる。時間はかかるかもしれないけど、きっとできる。だから……行ってくれ」
その声は優しかった。安心させるように優しかった。
それでも、アルマは首を振った。
「いいの――スペスを置いて行っても逃げられるかわからないし……、それなら一緒に……」
「ダメだ、アルマ! あきらめるな! きっと逃げられる。あれだけ図体が大きいんだ。木の密生している狭い場所を――」
「いいの……。もういいのよ……」
涙は止まらなかったが――今度はちゃんと笑えた気がした。
ぺたり、とすぐそばで足音がする。
「ありがとうスペス――」
アルマは、離れようと押すスペスを両手で抱きしめた。
「わがままでごめんね……。わたし力だけは強いから……きっと離さないよ」
そう言ってアルマは、震える手でスペスの背中を撫でた。
ヒュン――
という風切り音がした。