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残酷な描写あり R-15
禁呪の決行
「こ、これが、この世からアニバサブ粒子を消し去る禁呪の魔導書……!」

 三賢者は大賢者ビスモアから魔導書を受け取った。その分厚くて膨大なテキスト量に圧倒され、息を呑む。

「そうだ。その魔導書は俺自身が記したものだ。こいつを書くのに20年近くかかった」

 感慨深そうな顔つきでビスモアは魔導書を眺める。だが、さきほどビスモアに協力することを了承したアラバドとケンリュウはなおも躊躇いを見せた。

「ほ、本当にやるのですか!? アニバサブ粒子を消し去って、この世から魔法が完全に使えなくなる世界の創造を!」

「そうだケンリュウ。お前も散々タナカカクトを倒す方法を教えろと詰め寄ってきただろ? だが、タナカカクトを倒すだけでは世界は救われない。奴は所詮神の傀儡くぐつだ。大本である神を殺さねばこの世界は永遠に惨劇を繰り返す」

 ビスモアは頑として言ってのけた。彼ならタナカカクトを殺す他の方法を知っているのだろうが、神を殺す術以外にカクトを殺す方法は教えない。ビスモアが秘匿を続けている限り、三賢者にはこの禁呪を決行する選択肢しかなかった。

「アニバサブ粒子がなくなった後の世界、もはや想像すらできん……」

「ああそうだろうよ。この世界は今まで一度だって魔法を失ったことはなかった。だがその恩恵は同時に神の支配に服従することを意味する。この意味がどれだけ恐ろしいものであるかは、さっきも説明しただろ?」

 怖気づくアラバドにビスモアは念押しする。ここまで来たからにはもはや断ることもできない。きっとそんなことをすれば、この偏屈な大賢者は永遠にカクト打倒の協力などしなくなるだろう。

「……アラバド、ケンリュウ。もはや我々は腹を括るしかない。大賢者ビスモアの協力なくして、カクトを倒すことは不可能なのだから」

 そんな煮え切らない二人の賢者を見て、ティモンは魔術の儀式の重大さを説き伏せる。追い詰められた二人はもはや沈黙して、事実上納得の意志を見せざるを得なかった。

「……では、そろそろ呪文の手順について教えるぞ。まずこの呪文は、この世界で最もアニバサブ粒子の大気中濃度が高いジェンタイト魔鉱山で行う必要がある。そこで巨大な魔方陣を描き、大魔導士四人が同時にこの禁呪を唱えることで、この世からアニバサブ粒子を全て消し去れるのだ」

「ジェンタイト魔鉱山……かつてカマセドッグ帝国が保有していた世界一の魔鉱石鉱山ですね。そこから大量の魔鉱石が掘り起こされ、あなたが発明した魔術兵器が30年前の戦争で大量生産された」

「……まあ、今となってはどうでもいいことだ。一定数の人間の死など神を滅ぼすことの前では些末なことよ。呪文は全て唱えるのに2時間はかかる。テキストの読み間違いなどしてヘマを起こすなよ」

 ビスモアの説明に、生唾をごくりと呑みこむ三賢者。世界の命運が己たちにかかっている。その重大な立場に立たされたことで、体の緊張は最高頂に達した。

「で、ですが、これほど大がかりな呪文を決行するとなれば、しっかり準備をした上で事を進めるべきです。それにオベデンス王国からジェンタイト魔鉱山に到着するまでには馬車で10日間はかかります」

 ケンリュウが額に汗を掻きながら意見を言う。だがそれを遮るように、ビスモアは手を広げて言葉を叫んだ。

「ワープホール!」

 すると人一人ほどの大きさがある黒い靄が出現する。それはカクトが同様に使用している『ワープホール』そのものだった。三賢者は驚きの表情で現れた靄に注目する。

「あいにくだが、俺はやると決めた以上はウダウダ待つつもりはない。すぐにジェンタイト魔鉱山に向かうぞ!」

「び、ビスモア、何故貴様がカクトと同じ魔法を……」

「ふん、俺は長年魔法の研究をしてきた大賢者だ。古代魔法ならいくつか心得ている」

 そこでティモンは真相を知る。大賢者ビスモアがカマセドッグ帝国の牢獄から脱出できたのは、カクトと同じ『ワープホール』の魔法が使えたからなのだと。あれほど強大な魔法の使い手がこの世界に二人といたとは。

「お、お待ちくださいビスモア! すぐジェンタイト魔鉱山に行くにしても、我々を迎えに来る馬車がないと帰りはどうするのですか? アニバサブ粒子がこの世からなくなれば、『ワープホール』の呪文だって使えなくなるのですよ?」

「ふん、まあ俺は神を殺せれば残りの命などどうでもいいのだがな。貴様らが国へ帰りたいのなら好きにすればいい。ならさっさと馬車の用意をさせろ」

 大賢者ビスモアはそう言い残すと『ワープホール』の黒い靄の中へと消えていく。ケンリュウが止める間もなくそれを見届けると、慌てて部屋を出て馬車と10日分の生活用品の手配を命令する。そして三賢者は旅支度を終えると、すぐに黒い靄の中に飛び込んだ。

 黒い靄から出ると、そこはジェンタイト魔鉱山の頂上だった。赤く輝く魔鉱石が妖しい光をそこら中で放っている。その中央では、既にビスモアが魔方陣の製作に取り掛かっていた。杖をついて黙々と、魔鉱山の土に複雑な模様を描いていく。

「……この世から魔法がなくなるのだ。ティモン、ケンリュウ。悔いのないように最後を過ごそう」

 アラバドはそう二人に呼びかけると、荷物から酒瓶を取り出して宴席の用意をする。ケンリュウはそんな能天気なアラバドを見て呆れかえった。

「アラバド、我々はここへ遠足へ来たのではありませんよ?」

「奴に勝った暁には盛大に祝宴を上げたいのだ。どうせ世界から魔法がなくなれば世界は荒廃する。その前に楽しい思い出ぐらい作っておきたいのだ」

 ケンリュウは「やれやれ」とため息をつくが、それでもアラバドの元に駆け寄って宴会を開く手伝いをする。そんな和やかな光景を見て、ティモンは一人微笑んだ。

(さて、私も何か楽しむとしよう。この世界が変わり果ててしまう前に)

 そしてティモンは『ブレシングライフ』の呪文を唱える。すると見る見るうちに地面から小さな実の成った植物が生えてきた。自らが作り出したささやかな恵みを口に頬張る。その味は甘苦く、あまり美味くなかった。

(私が植物魔法を習ったのは、貧民地区の者たちが飢えることのない国家を築きたかったからだった。尤も、けっきょくこの魔法も実用化には至らなかったわけだが)

 ティモンは過去の若かりし頃の記憶を振り返る。アルマデス陛下に重用され、ご子息であるマルク様やミルガ様にも魔法の教授をした。あの頃は日々の政務に忙殺されてばかりだったが、それでもささやかな幸せを感じられた。魔法で人を笑顔にできる喜びがあるのだと知ることができた。だが、もはや今となっては――

(やはり、タナカカクトは殺さねばなるまい。そのためには、神すらも殺すこの禁呪を成功させなければ……)

 ティモンは気負い、覚悟する。もはや臆病者の自分ではいられない。きっと魔法がこの世から失われれば、苦しむ人々や恨みを持つ人々も現れるだろう。それでも私は――

「できたぞ。この世界からアニバサブ粒子を消し去る魔方陣の完成だ」

 ビスモアは杖を投げ出して、三賢者に声をかける。すっかり各々の楽しみに夢中になっていた三人は慌ててビスモアの元に駆け寄った。

 その頃には、昼の12時になっていた。四賢者が結集すると、改めてビスモアは儀式の手順について説明をする。

「呪文を唱え始めれば、世界中のアニバサブ粒子が全てカトラ元素に変換される。そうなればカクトも魔術を使えなくなり、そして神も消滅するはずだ。空はカトラ元素との微粒子反応によって真紅に染まり、そして人間の体内に残存する魔力は徐々に失われる。つまり全人類が魔法を使えなくなるのだ」

(空が赤くなる?)
「お待ちください!! 大賢者ビスモア!」

 その時、ティモンが慌ててビスモアの話を遮る。ビスモアは佳境に入った気分を止められてうるさそうな顔をした。

「何だ? 今さら怖気づいたのか?」

「いえ、私はもはや退くつもりはありません。ですがこの儀式をする上で問題なのは、詠唱中にカクトに邪魔をされる危険性があるということです」

 ティモンは緊迫の表情で話を続ける。

「カクトは『ワープホール』を使えます。もし空が真紅に染まり、自分自身も魔法を使えなくなっていると異変を感じたら、必ずカクトは私に会いに来るでしょう。そして我々がこの世界から魔法を消し去ろうとしているのだと奴に発覚すれば、怒り狂い我々全員を皆殺しにするでしょう。この作戦は決してカクトに知られるわけにはいかないのです」

 ティモンの指摘にアラバドとケンリュウはゾッとした表情を浮かべた。世界から魔法が消えることに意識が集中しすぎて、カクトの出現についてまで頭が回らなかったのだ。

「……ふん、なるほどな。まぁ俺は別に奴と戦って負けるつもりはないが、貴様ら大魔導士が殺されてしまっては儀式は完成しない。俺としたことが、少々酒を飲みすぎていたな」

 ビスモアは自嘲して口元だけで笑う。

「ならば、奴を儀式の間食い止める必要がある。儀式はおよそ2時間ほどだ。その間決して奴を外には出させず、そして魔法を使わせないようにする。ティモン、俺はカクトがミチュアプリスでどんな生活をしているのかは知らない。奴を城内に留まらせる時間稼ぎの方法はあるか?」

 ビスモアの問いに、ティモンはしばらく逡巡する。そして策を閃いた。

(この作戦が本当に最良なものであるかどうかはわからない。だが今となっては、もはやあの卑賎な者たちに頼る他ないだろう。今ミチュアプリス王国で最もカクトの信頼を得ているのは、あの男とあの女だけだ)

 ティモンはカクトを城内に食い止める作戦について賢者たちに打ち明ける。そして三通の手紙を書いた。
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