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残酷な描写あり R-15
神と人間の摂理
 三賢者はオベデンス王城の廊下を歩き、大賢者ビスモアに会いに行くこととなった。廊下の一番奥深くの部屋に、まるで城門のような厳かで重々しい扉がある。ケンリュウが扉を見張る近衛兵に命じ、大扉が開かれた。すると白いひげを生やしたいかつい顔つきの老人が、部屋のテーブルの隅で一升瓶ごと酒をあおっている。

「……やっと来たかノロマども。くだらぬ会議に随分と時間が掛かったようだな」

 初対面で、いきなり老人が悪態を吐く。そのあまりに傲岸不遜な態度にアラバドは激昂した。

「無礼者めッ! 誰に向かってそんな口を利いている!? 吾輩は偉大なる大魔導士の称号を持つ、ディファイ王国の賢者アラバドであるぞ!」

 だが老人は柳に吹くそよ風のように、まるで動じもせず冷たくあしらった。

「ふん、たかが魔術を使えるだけの知性のない輩が『賢者』を名乗るとはな。片腹痛いわ」

「何だとッ!?」

「おやめなさいアラバドッ!」

 二人の間に割って入って、ケンリュウは注意する。

「アラバド、我々は子供の口喧嘩をするためにあなたをここへ連れてきたわけではありません。控えなさい。この方こそが大賢者ビスモアその人なのですから」

 アラバドはまだ怒りが残っていたが、それでも老人の名を聞いた途端、グッと堪えて渋々と引き下がる。酒を呷っていた老人――大賢者ビスモアは、改めて三賢者をぐるりと見渡した。

「ふん、相変わらずだなケンリュウ。大賢者である俺をガキ呼ばわりとは」

「ええ、神の存在を信じ、ましてや神を殺そうなどという妄想を抱くなど子供としか思えません」

 そんな皮肉の応酬をするケンリュウに、ティモンはハラハラと戸惑う。そんな無礼なことを言っては、ビスモアが機嫌を損ねて情報を引き出せないのではないかと懸念する。だがビスモアを観察すると、特に怒っている様子はなかった。

 ビスモアは三賢者に黙って目配せすると、顎でしゃくって席に着くように促す。三人はそれぞれ東南北に位置する席に座った。

「さて、賢者ども。貴様らの要件はあの狂人の王を殺す知恵を貸せということだな? カマセドッグ帝国を一瞬で灰塵に帰したあの化け物をだ。俺も危うく死にかけた」

「はい、その通りです大賢者ビスモア。あなたなら既にタナカカクトを倒す方法をご存じなのではないのですか?」

 ティモンの呼びかけに、再びビスモアは酒瓶を傾けてごくごくと飲む。

「酒が足りねぇぞケンリュウ! さっさと召使いどもに持ってこさせろ」

「…………」

 自分を家来のように顎で使うビスモアに、ケンリュウは不満たらたらな表情を見せる。だが素直に席から立ち上がり、扉まで歩くと近衛兵に言伝した。そしてすぐさまケンリュウは席に戻る。

「教えてください、大賢者ビスモアよ。あの男を、あの世界を滅ぼしかねない狂人の王を殺すためには、一体我々は何をすべきなのですか?」

 ティモンは熱く問いかける。ビスモアは胡乱とした眼でティモンを見据えたあと、酒瓶をダンッ! とテーブルに叩きつけた。三人が驚いて注目すると、やがてビスモアは天井を仰ぎながら問いを投げた。

「貴様らはこの世界がどうやって創られたか知ってるか?」

 議題が逸れ、拍子抜けしてしまう三賢者。すかさずアラバドは声を荒げる。

「我々は御伽噺を聞きに来たわけではないぞ!」

「アラバド、黙ってなさい!」

 そしてすかさず制止するケンリュウ。ビスモアはそんなあやされる子供のようなアラバドを白い目で見遣ると、話を続ける。

「この世界はかつて何も物質が存在しない無の空間だった。だがある時、ごくわずかな物質が偶然生まれた。それがアニバサブ粒子。全ての物質の源となる基本構成要素だ。……仮にも賢者を名乗る貴様らなら、どうやって我々が魔法を使えるのか知っているだろ?」

 何とか冷静さを取り戻したアラバドが答える。

「……ふん、当然だ。我々は大気中に漂うアニバサブ粒子を呪文を唱えることで物質変換し、水や炎などあらゆる人工物質を生み出しているのだ。アニバサブ粒子がなければ全ての魔術は使えない」

「……まぁ、50点の回答といった所だな」

「なんだとッ!」

「アラバド、控えなさい!」

 ビスモアはそんな二人のやり取りを、まるで母子のままごとでも観察するように横目で見る。

「……話を戻す。アニバサブ粒子が虚無の空間に生まれると、やがてアニバサブ粒子は無尽蔵に増殖した。そしてアニバサブ粒子同士は結合反応を起こし、また『新たな物体』が生まれた。その『新たな物体』はやがて虚無に広がるアニバサブ粒子を様々な物質に作り変えた。海を創り、太陽を創り、月を創り、大地を創る。それがこの世界が誕生した始まりだ」

「その世界を創った『新たな物体』こそ、神なのですか?」

 ティモンの尋ねかけに、ビスモアは静かに頷く。

「そうだ。古代人どもはそいつのことを『テロワール』と呼んだ。テロワールこそ、この世界の創造神なのだ」

 ちょうどその時、部屋がノックされた。ケンリュウはすぐに扉に向かい、召使いからアルコール度数の高い酒瓶を5本受け取る。そしてビスモアの前まで運ぶと、ビスモアはすかさず酒瓶の一本に手を伸ばした。

「テロワールは大地を創ると、そこに『カトラ』と呼ばれる物質を創った。『カトラ』とはカトラ元素で構成された生命体のことであり、つまり我々人間のことだ。人間は神の意志を離れて行動し、自らもアニバサブ粒子を操り様々な物質を創り出した――つまり魔法を編み出したのだ。そして人間は魔法の力により森羅万象を支配するようになり、繁殖と繁栄の歴史を歩んできた」

 ビスモアは酒瓶を一気に呷る。それでも飲み足りない様子であり、語勢がどんどん強くなっていく。

「だが、テロワールは人間のことを忌み嫌っていた。己が創り出した大地を我が物顔で使い倒し、どれだけ大地を汚しても省みることがない人間たちを。母なる存在である神を蔑ろにし、人間は己が欲のためだけに魔法を濫用した。だからテロワールは度々災害を大地に引き起こし、人間を滅ぼそうとした。

 だがもはや人間は神の意志すら超越した存在となり、神の災厄を乗り越えるために魔法を発展させた。この世界の歴史とは、いわば神の殺意と人間の生存本能のぶつかりあいの果てに紡がれたものなのだ」

 その壮大な神と人間の関係に、三賢者は呆気に取られて黙り込む。思わずティモンは正直な感想を漏らした。

「にわかには信じられません……。この世には神が存在し、我々人間を殺そうとしているなどと」

「……ふん、まぁこれは飽くまで古代から提唱されてきた仮説のひとつにすぎん。だがこの仮説を採用すれば、一番この世界のことわりを上手く説明できるのだ」

「……なら、タナカカクトがこの世界に現れたのは、神が我々を殺すためなのですか?」

 ケンリュウは話を整理するように尋ねかける。

「俺の採用した仮説に基づけば、確かにそう考えることもできる。もっとも、神の意志など気まぐれなものだから、実際のところはどうかわからんがな」

「御託はいい! 神があの狂人を呼び出した理由など今となっては些末なことだ! お前は既にタナカカクトを殺す方法を知っているのだろ? ならさっさと我々に教えろ!」

 痺れを切らし、アラバドはまた噛みつく。

「……ふん、そう慌てるな。確かに俺はタナカカクトを殺す方法など110個は思いつく。だが神を殺せるわけじゃない。神は人間を忌み嫌い、何度も災厄を起こす存在だ。タナカカクトが死んだところで、神は新たな災害を呼び起こすだけだろう」

「なら、我々はどうすべきなのですか? タナカカクトを倒しても、同じような災害が起こり続けるのなら、結局我々人類は滅びることになります」

「ケンリュウ、貴様も知っているだろう? 俺はずっと神を殺すために魔法の研究をしてきた」

 三賢者に緊迫が走る。もはやビスモアの理論はカクトのように狂ってるとしか思えなかった。それでもティモンは国を救うために、ビスモアに問いを投げかける。

「では、あなたは神を殺す方法をご存じなのですか?」

「ああ、知っている。50年に渡る研究の末、やっと俺は導き出したのだ」

 思いがけない回答に三賢者は驚いた顔を見合わせた。そんな三人を睨むように鋭く見据え、ビスモアは試すように問いを再び投げかける。

「貴様らはここまで話を聞いて、人間と神の根本的な違いがわかるか?」

 三賢者は誰も答えられない。ビスモアは失望したように瞼を閉じる。

「ふん、昔の『賢者』と呼ばれた者どもは、もう少し知恵が回ったのだがな。だったら教えてやる。神とはそもそもアニバサブ粒子でできた物質であり、アニバサブ粒子を体内に吸収し続けることで存在を保っている生命体なのだ。対して人間は、アニバサブ粒子を変換したカトラ元素で形成されている。つまり人間の生存に必要なのはカトラ元素であり、アニバサブ粒子がなくとも人間は生き永らえることができるということだ。そして神は、アニバサブ粒子なくしては存在ができない」

「……ビスモア、貴様は一体何を企んでいる? こんな神と人間の摂理など長々と話して、貴様は一体何がしたいのだ?」

「言っただろ? 俺は神を殺したいのだ。そして神を殺すために、この世からアニバサブ粒子を全て消し去る」

「ッ!!!」

 三賢者は顔色と声を失う。ビスモアの言ってることはもはや滅茶苦茶だった。

「アニバサブ粒子を消し去るだとッ! そんなことができるのか!?」

「できる。そのために俺はこの世界の理を研究し続けた。アニバサブ粒子を全てカトラ元素に変え、人間だけが生き残れる世界に創り変える」

「ですが、アニバサブ粒子は全ての物質の根源です! それが全てなくなったのなら、世界はどうなってしまうのですか?」

「確実にこの世界は荒廃するだろう。大地は枯れ、泉は枯れ、そしてアニバサブ粒子によって生き永らえた生物たちも死に絶える。そして我々人類も魔法を使えなくなる。タナカカクトも含めてな。そうなれば奴を殺すことなどもはや容易いことだ」

 三賢者は絶句する。今まで魔法を頼りに人類は発展してきたのに、今さら魔法を捨てるなど考えてもみなかった。だが、カクトを殺すためには――。茫然とする三賢者を尻目に、大賢者ビスモアは不敵に笑う。

「まぁ、以上が俺がやりたかった計画のあらましだ。それで、俺の話を聞き終えて貴様らはどうするつもりだ? 俺もカマセドッグ帝国にいた頃は、この論を発表したら狂人呼ばわりされて牢獄にぶち込まれたのだ。貴様らも俺を捕らえるのか? この場で俺を殺すのか? それとも俺に協力するのか?」

 三賢者はあまりの衝撃で何も答えられない。そんな中、ケンリュウが震えた声で言葉を切り出す。

「し、しかし、この世界の理を我々の手で勝手に書き換えることなど許されるはずがない! たった四人の人間の決定で、世界の全てを変えてしまうなど……」

「貴様は何のために『賢者』を名乗っている? 万人が認める決議などあるものか。世界が変われば、必ず淘汰される人間がいる。だが決して人類が滅びるわけではない」

 ビスモアの考えは冷酷無情なものだった。アラバドとケンリュウは苦渋の表情を浮かべて黙り込む。だがそんな中で、ティモンは迷いなく口を開いた。

「……やりましょう、大賢者ビスモア。どうすればアニバサブ粒子を根絶できるのか教えてください。我々が決断せねば、世界はカクトによって滅ぼされる運命にあるのですから」

 驚いて振り向くアラバドとケンリュウ。いつも中立の立場を取りたがる臆病者とは思えぬほど断固とした答えだった。

「ほう、貴様のタナカカクトへの殺意は本物のようだな。だが、それは人類の母である神を殺すことも同義だ。貴様は己の生み親とも呼べる存在を殺すことができるのか?」

 ティモンは間髪入れずはっきりと答える。

「私は自分を救ってくれぬ神などいりませぬ。神などいなくても人間は生きていけます」

「……いい答えだ。気に入った。俺も神を殺したくてたまらなかったよ」

 そこではじめてビスモアは微笑を見せる。そして残りの二賢者にも問い詰める視線を投げかけた。

「貴様たちはどうするつもりだ? 神を殺すか、神に服従するか。――国のことなど考えるな。己の信念に語りかけろ。貴様らは人間としてどう生きたい?」

 やがて二人の賢者は顔を見合わせる。だが同時に頷きあって、答えを導き出した。
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