7.(5)
ニルレンに突然魔法をかけられ、何故か鳥にさせられた。その後、自分を助けてくれたらしいお宅の一人息子のユウと旅に出ることになり、マチルダとアリアと出会い、コヨミ神殿へ行く目前となったのが今となる。
ニルレンが神殿に行けといった理由は分からない。ただ、こんな目にあっての唯一の道しるべになる言葉はそれしかない。だからひとまず行ってから考える。
今はハヅの長老が貸してくれた離れにいる。そこの一室の寝台に座り込み、俯いているアリアと、その隣に座っているマチルダ。マチルダはアリアに寄り添っている。
先ほどユウが突然倒れた。
倒れたユウについては、一番体格の良いマチルダが背負い、本日の宿泊する部屋まで連れて行き、寝かせた。運んでいる時マチルダが「何だかどんどん軽くなって楽だったわ」と良く分からないことも言ってたが、それでも同じ位の背丈の少年を背負うのは辛かっただろう。
人間の時であれば苦もなく自分がやれるだろうに、鳥の姿の自分に、やりきれない思いもある。
その後、アルバートというアリアの知り合いが来た。覚えがあるような気配なのだが、何故か思い出せない。彼はユウを治すと言った。ユウに寄り添ったままずっと離れようとしなかったアリアもそれに頷いたので、任せることにした。
しかし、アリアは恐ろしく顔が青白かった。もともと白磁のような透き通った肌だが、それとは違う、蒼白く血の気の引いた顔だ。あまりにも具合が悪そうなので、ひとまずマチルダと一緒にアリアを寝台に連れて行った。
それからユウのところに戻ろうと思ったが、何故か近づけない。
ふと、そもそも、自分はユウから離れるつもりはなかったのに勝手に身体が動いたことに気が付いた。手を引くことすらもできないトリオが女性二人の部屋に行く必要もなかったのに。
違和感はある。
部屋の入り口のタンスの上に立っていたトリオはアリアを見た。
果たして、ユウは無事なのかどうか。
しかし、彼女が動こうとしないなら、ユウにこれ以上の危険はないのだろう。常時非常時かかわらず、彼女はユウに気を回すことが常であった。ユウもアリアのことは信用していたとは思う。
フミの町からユウの首に掛かっていたお守り袋を思い出す。あの時アイラにもらったものと瓜二つだ。あれは自宅に落ちたままだったのか、それとも今のこの身体の一部になっているのか。
分からないといえば、家に置いていたものは二百年の間にどこへ行ったのだろう。
居間の壁に立てかけていた聖剣と、押し入れにしまった装具。リュートも十年以上使っている愛用のものだった。
新たに暮らそうと思って家を借りた、首都の近くの南側にある冒険者は少ないが人の出入りはある程度はあるウヅキ村。発展しているようだが、村の産業の方向性はあまり変わらないようだ。
旅に出る前、ユウが出かけている間にユウの両親二人に村を案内してもらってはいたのだが、かつて住み始めた家が存在していないことしか気にしていなかった。
元々あまり新しい家ではなかったが、ここで恋人と家庭を作ろうと決めていた場所がなくなったのはそれなりに衝撃を受けた。
せっかくそこにいたのだから、確かめれば良かった気もする。息子の旅立ちに沸き立つユウの両親の勢いにのせられ、色々なことをすっかり忘れてしまっていた。
ユウをウヅキ村に帰した際に、また確認してもいいのかもしれない。
だが、しかし。
今は一先ず、彼女と話すことに決めている。
トリオはマチルダとアリアの間に降り立った。
この二人。泣いてはいないが、祭の会場の時とは立場は逆転している。アリアの肩を抱いたマチルダはこちらを見た。アリアは一顧だにしない。
「アリア、疲れちょるんじゃないか? 顔色が悪いぞ。まだ、祭りの飲み物は残っておる。マチルダが何種類かもらっておったし、何か飲んだ方がええんじゃないか?」
「別にいい」
聞いた相手は後姿で短く拒絶する。一方のマチルダは肯定してくれた。
「そうよ、アリアちゃん。バカ鳥の言う通りよ。……って、あんた、初めてわたしの名を呼んだわね」
「いない所ではあるんじゃけどな」
トリオは右の翼を掲げた。こちらを見ていたはずのマチルダは首をがくりと下ろし、アリアに持たれかけ眠り始めた。アリアはそんな様子も確かめもせずに、俯いたままだ。
寝息を確かめた後に、アリアを見た。
「……前はこんなの効かんじゃったろうに、想像以上に効きやすいの」
俯いたままの肩が微かに動いた。
「で、アリア。やっぱり甘い飲み物ばかりじゃから好かんかのう。前に頼んじょったような甘くないジンジャーエールもレモンソーダも酒が混ざっておったから、わざわざは持ってこんかった」
その言葉を聞いたアリアは、顔を上げてトリオを見た。金色の睫毛で縁取られた、ただでさえ大きい青い瞳を更に見開いている。いつも本音を言わない彼女のこの表情は一年程旅をした過去から二百年の時を経た今でも初めてだ。
「……何で?」
口を開けたままの、呆けた表情の彼女がいる。
彼女を支えていたはずのマチルダはゆらりと揺れた。
「アリア」
続けてその名前を言い、言葉をそのまま続けた。
「ワレがどういう方法でその姿でここにいるのかは分からんから、そちらにとっては大昔のことかもしれんがの。ワシにはほんの一ヶ月前の出来事じゃ」
神に選ばれたかのように輝かんばかりに美しい顔をもつ少女の表情は変わらない。呼吸することすら忘れている。
「いくらか会わん期間があったとはいえ、ちいと前に再会した、かつて四六時中一緒だった仲間のことが何故分からんと思う?」
旅装束とはいえピンク色のワンピースを着た、靡く長い金髪に現実離れした美貌をもつ少女と、風景に紛れてしまいそうなほど地味な格好をした短い茶髪のおとなしそうな風貌の少女。
目に映る姿も、届く声も違う。
ただ、あの時代で最後に食事を共にした少女と、今ここでぽかんとした表情のまま動かない少女は、こちらに見せる仕草も声の出し方も、ユウが聞いていない場合の態度や話のしょうもなさも全く一緒だと気づいた。
そこで寝ている、姿も声も同じだが、仕草や話している内容は離れる直前とは全く異なる彼女とは違って。
芋づるのように思考は繋がっていく。
恐らく、ユウが倒れた理由もうっすらと。
彼が倒れる前にいった『物語』『舞台』『主役』という言葉。
頭の中に今日見た舞台を映し出す。頭の中の舞台の中央には、照明を当てられた長い黒髪の女性が立っている。
あの時代の主役は誰だと問いかけられたとすると、何度考え直しても自分の恋人しか思い当たらない。世界の救世主だ。
その旅路のパートナーである自分は?
自分みたいな存在は主役には到底なり得ないが、少なくとも舞台には無理やり立たされるだろう。
そうして物語は今も進んでいる。
必死で進行を止めようとした黒子は追い出して。
トリオは喙を重ね直した。
もし人の姿のままだったら、鳥肌が立ち、ぬるい脂汗を感じただろう。仮説を信じ、トリオは話すことにした。
まずくなったら、きっと、彼女がとめてくれるだろう。自分が思った通りの彼女であれば。
「といっても、この部屋にきたときに突然つながったんじゃけどな。ユウが倒れたときは全く気付かんかった。今、あのアルバートゆうお人が、ユウを治そうとしている力でも働いたんかのぅ?」
ユウという名前を出すと、少女の肩は漸くぴくりと動いた。そうしてやっと少女の表情は変化を始め、首を一回縦に振った。
「……あ、そっか。アルバートか。ユウの存在自体が計算外だったし、アルバートがここで手を出すのも計算外だった。今こうなる可能性は全く考慮してなかったな」
「気づかないと思ったんじゃろうけど、そもそも全く隠す気はなかったな?」
「確かに。思いっきり素でした。着くまで、どうせバレないと思ってたから」
アリアは大きくため息をつき、微笑んだ。
「約束通り、かわっても会いに来たよ。トリオさん」
ニルレンが神殿に行けといった理由は分からない。ただ、こんな目にあっての唯一の道しるべになる言葉はそれしかない。だからひとまず行ってから考える。
今はハヅの長老が貸してくれた離れにいる。そこの一室の寝台に座り込み、俯いているアリアと、その隣に座っているマチルダ。マチルダはアリアに寄り添っている。
先ほどユウが突然倒れた。
倒れたユウについては、一番体格の良いマチルダが背負い、本日の宿泊する部屋まで連れて行き、寝かせた。運んでいる時マチルダが「何だかどんどん軽くなって楽だったわ」と良く分からないことも言ってたが、それでも同じ位の背丈の少年を背負うのは辛かっただろう。
人間の時であれば苦もなく自分がやれるだろうに、鳥の姿の自分に、やりきれない思いもある。
その後、アルバートというアリアの知り合いが来た。覚えがあるような気配なのだが、何故か思い出せない。彼はユウを治すと言った。ユウに寄り添ったままずっと離れようとしなかったアリアもそれに頷いたので、任せることにした。
しかし、アリアは恐ろしく顔が青白かった。もともと白磁のような透き通った肌だが、それとは違う、蒼白く血の気の引いた顔だ。あまりにも具合が悪そうなので、ひとまずマチルダと一緒にアリアを寝台に連れて行った。
それからユウのところに戻ろうと思ったが、何故か近づけない。
ふと、そもそも、自分はユウから離れるつもりはなかったのに勝手に身体が動いたことに気が付いた。手を引くことすらもできないトリオが女性二人の部屋に行く必要もなかったのに。
違和感はある。
部屋の入り口のタンスの上に立っていたトリオはアリアを見た。
果たして、ユウは無事なのかどうか。
しかし、彼女が動こうとしないなら、ユウにこれ以上の危険はないのだろう。常時非常時かかわらず、彼女はユウに気を回すことが常であった。ユウもアリアのことは信用していたとは思う。
フミの町からユウの首に掛かっていたお守り袋を思い出す。あの時アイラにもらったものと瓜二つだ。あれは自宅に落ちたままだったのか、それとも今のこの身体の一部になっているのか。
分からないといえば、家に置いていたものは二百年の間にどこへ行ったのだろう。
居間の壁に立てかけていた聖剣と、押し入れにしまった装具。リュートも十年以上使っている愛用のものだった。
新たに暮らそうと思って家を借りた、首都の近くの南側にある冒険者は少ないが人の出入りはある程度はあるウヅキ村。発展しているようだが、村の産業の方向性はあまり変わらないようだ。
旅に出る前、ユウが出かけている間にユウの両親二人に村を案内してもらってはいたのだが、かつて住み始めた家が存在していないことしか気にしていなかった。
元々あまり新しい家ではなかったが、ここで恋人と家庭を作ろうと決めていた場所がなくなったのはそれなりに衝撃を受けた。
せっかくそこにいたのだから、確かめれば良かった気もする。息子の旅立ちに沸き立つユウの両親の勢いにのせられ、色々なことをすっかり忘れてしまっていた。
ユウをウヅキ村に帰した際に、また確認してもいいのかもしれない。
だが、しかし。
今は一先ず、彼女と話すことに決めている。
トリオはマチルダとアリアの間に降り立った。
この二人。泣いてはいないが、祭の会場の時とは立場は逆転している。アリアの肩を抱いたマチルダはこちらを見た。アリアは一顧だにしない。
「アリア、疲れちょるんじゃないか? 顔色が悪いぞ。まだ、祭りの飲み物は残っておる。マチルダが何種類かもらっておったし、何か飲んだ方がええんじゃないか?」
「別にいい」
聞いた相手は後姿で短く拒絶する。一方のマチルダは肯定してくれた。
「そうよ、アリアちゃん。バカ鳥の言う通りよ。……って、あんた、初めてわたしの名を呼んだわね」
「いない所ではあるんじゃけどな」
トリオは右の翼を掲げた。こちらを見ていたはずのマチルダは首をがくりと下ろし、アリアに持たれかけ眠り始めた。アリアはそんな様子も確かめもせずに、俯いたままだ。
寝息を確かめた後に、アリアを見た。
「……前はこんなの効かんじゃったろうに、想像以上に効きやすいの」
俯いたままの肩が微かに動いた。
「で、アリア。やっぱり甘い飲み物ばかりじゃから好かんかのう。前に頼んじょったような甘くないジンジャーエールもレモンソーダも酒が混ざっておったから、わざわざは持ってこんかった」
その言葉を聞いたアリアは、顔を上げてトリオを見た。金色の睫毛で縁取られた、ただでさえ大きい青い瞳を更に見開いている。いつも本音を言わない彼女のこの表情は一年程旅をした過去から二百年の時を経た今でも初めてだ。
「……何で?」
口を開けたままの、呆けた表情の彼女がいる。
彼女を支えていたはずのマチルダはゆらりと揺れた。
「アリア」
続けてその名前を言い、言葉をそのまま続けた。
「ワレがどういう方法でその姿でここにいるのかは分からんから、そちらにとっては大昔のことかもしれんがの。ワシにはほんの一ヶ月前の出来事じゃ」
神に選ばれたかのように輝かんばかりに美しい顔をもつ少女の表情は変わらない。呼吸することすら忘れている。
「いくらか会わん期間があったとはいえ、ちいと前に再会した、かつて四六時中一緒だった仲間のことが何故分からんと思う?」
旅装束とはいえピンク色のワンピースを着た、靡く長い金髪に現実離れした美貌をもつ少女と、風景に紛れてしまいそうなほど地味な格好をした短い茶髪のおとなしそうな風貌の少女。
目に映る姿も、届く声も違う。
ただ、あの時代で最後に食事を共にした少女と、今ここでぽかんとした表情のまま動かない少女は、こちらに見せる仕草も声の出し方も、ユウが聞いていない場合の態度や話のしょうもなさも全く一緒だと気づいた。
そこで寝ている、姿も声も同じだが、仕草や話している内容は離れる直前とは全く異なる彼女とは違って。
芋づるのように思考は繋がっていく。
恐らく、ユウが倒れた理由もうっすらと。
彼が倒れる前にいった『物語』『舞台』『主役』という言葉。
頭の中に今日見た舞台を映し出す。頭の中の舞台の中央には、照明を当てられた長い黒髪の女性が立っている。
あの時代の主役は誰だと問いかけられたとすると、何度考え直しても自分の恋人しか思い当たらない。世界の救世主だ。
その旅路のパートナーである自分は?
自分みたいな存在は主役には到底なり得ないが、少なくとも舞台には無理やり立たされるだろう。
そうして物語は今も進んでいる。
必死で進行を止めようとした黒子は追い出して。
トリオは喙を重ね直した。
もし人の姿のままだったら、鳥肌が立ち、ぬるい脂汗を感じただろう。仮説を信じ、トリオは話すことにした。
まずくなったら、きっと、彼女がとめてくれるだろう。自分が思った通りの彼女であれば。
「といっても、この部屋にきたときに突然つながったんじゃけどな。ユウが倒れたときは全く気付かんかった。今、あのアルバートゆうお人が、ユウを治そうとしている力でも働いたんかのぅ?」
ユウという名前を出すと、少女の肩は漸くぴくりと動いた。そうしてやっと少女の表情は変化を始め、首を一回縦に振った。
「……あ、そっか。アルバートか。ユウの存在自体が計算外だったし、アルバートがここで手を出すのも計算外だった。今こうなる可能性は全く考慮してなかったな」
「気づかないと思ったんじゃろうけど、そもそも全く隠す気はなかったな?」
「確かに。思いっきり素でした。着くまで、どうせバレないと思ってたから」
アリアは大きくため息をつき、微笑んだ。
「約束通り、かわっても会いに来たよ。トリオさん」