8.(9)
翌朝。
僕とトリオは身支度を整え、居間に出た。アリアとマチルダさんはすでに起きて、誰かを出迎えているようだった。
そこには、アルバートさんと、若い女性。
「……ニルレン?」
「おい! ワレ何言っちょる」
僕が首を傾げると、トリオがすぐさま口を挟んできた。この鳥、いつも思うんだけど、ニルレンに関しては割と冷静を欠いている気もする。マチルダさんに対する態度もそこから来てるんだろう。それ以外では結構冷静でまともだと思うのに。
やれやれ。恋する男は面倒だね。
僕は鳥を静止すべく、したり顔で右手を横に振った。
「いや、ほら、劇のニルレン役」
そこにいたのは昨日ニルレン役をやっていた、きれいな女性だった。昨日は僕にはよく分からない複雑な結い方で上げていた亜麻色の長い髪を、今日はふんわりと結んでいる。もちろん、やり方は全く分からない。
女性は柔らかい声で挨拶をしてきた。
「皆さん、おはようございます! 昨日はお祭りだから何も買えなかったでしょ。祖父から、朝ご飯の差し入れです」
「祖父?」
長老さんかなと思ったら、アルバートさんが答えてくれた。
「儂の孫だ。アメリアという」
言われてみると、目元が何となく似ている。
アメリアさんは、僕とマチルダさんの間くらいの年だと思われる。アルバートさんって背が高くてしゃんとしているけど、結構年なんだね。
「アルバートさんには三人の子供と八人の孫がいて、彼女はその中のお一人だよ」
アルバートさんの親族構成をアリアが教えてくれた。その場にお孫さんがいるからか、アリアは昨日とは違って敬称をつけて呼んでいる。態度も若干柔らかい。
今日も現実離れした美しさをもつ長い金髪のとても可愛い女の子は、昨日に引き続き何だか複雑な髪型をしている。マチルダさんがやったんだろう。全体的には下ろしているけど、耳の横の三つ編みが可愛い。もちろんこの髪型のやり方はおろか、呼び方すら分からないけど、全部可愛い。
「子供一人と孫三人は隣の街にいるがね。隣と言っても距離はあるし、昨日は孫の晴れ舞台だから、親族が集まったのは久々だな」
顔をほころばせながら話しているアルバートさんも、昨夜よりも話し方が柔らかい。
村の規模の割にやたら人が多いと思ったけど、帰省している親族も多いわけか。納得した。
「あら、わたし達、ご親族のそんな大切な日にお騒がせしちゃったのね。申し訳ないです」
マチルダさんは頭を下げた。
「気にするな。緊急事態だったからな。劇は終わっていたし、親族での食事は前日に済ませていたし、写真は妻が撮っている。大きな差し障りはなかった」
「そうそう、急病人の方が大事ですよ。おじいちゃん、祭が始まる前に親戚達と盛り上がるのは終わらせているし、セスとわたしの姿も練習の時から見ているし」
元魔王の親戚模様を話しながら、孫娘はにこにこと笑った。心が広い。昨夜は話半分に見ていたので、もう少し真面目に見れば良かったと、僕は少し申し訳なくなった。
マチルダさんは、新しく出た名前に首を傾げる。
「セス? 失礼ですけど、どなたかしら」
「私の弟よ。トリオルース役してたの」
「あら、あの劇はご姉弟で出演してらしたのね。二人で主演なんて凄いですね」
「いえいえ。たまたま最初にやったのを引き続きやってるだけよ」
トリオいわく実物ほどではないらしいが、昨夜の劇の二人はそれでも充分大変整った顔立ちをしていた。
この村の顔面レベルが高かったわけではなく、単にこの姉弟の顔が良かっただけらしい。僕は何となく安心した。トリオは横で「ニルレンより年下……」と呟いている。実際はトリオのが年上なのは知っているけど、舞台は想像の産物だ。成人が子供をやるときさえある。
鳥、落ち着け。
アメリアさんは肩掛け鞄に手を入れた。
「あなた方コヨミ神殿に用があるんですよね? 私は神殿の管理をしているから、祖父と朝食を届けついでに、入館申請をしておこうと思ったの」
ハイ、と紙を渡されたので受け取る。
神殿入館申請用紙と書いてある。僕は首を傾げた。
「トリオは必要ですか?」
アルバートさんは少し沈黙する。
「……注意事項が多すぎるから、こちらで準備しておく」
その回答に若干不満そうなトリオを尻目に、僕は名前と住所、備考に鳥一羽と書いて、アメリアさんに渡した。アメリアさんは笑顔で受け取った。
「じゃあ、儂とアメリアは戻る。食器は洗って昼頃までに家まで持ってきてくれ。昼食はごちそうしよう。家の場所はアリア嬢が知っている。明日の予定はその時話そう」
「じゃあ、旅人さん達、私は申請出してくるから午後はいないのだけど、お気をつけてくださいね」
そう言って、二人は並んで帰っていった。外から、アメリアさんが元気よく話している声が聞こえた。内容は分からないけど、アルバートさんに話しかけていのだろう。
遠ざかっていく声を聞きながら、僕は、アルバートさんが再び魔王になろうとしていない理由は、何となく分かった。
世界を滅ぼすよりは、家族と一緒の生活の方が楽しい。多分。少なくともアルバートさんは。
そのために、アルバートさんは動くのだろう。
「……普通の家庭だな」
トリオがぽつりと呟いた言葉に、僕は曖昧に微笑んだ。
普通の家庭で平凡に育った僕には分からないことも多いけど、想像できることだってある。
彼はやれることと、やらなければいけなかったことは華やかなんだけど、性格は正反対だ。おだやかで、物凄く弱気。優しくはあるけど勇者のパートナーとはとても思えない。
彼はのんびり平和で落ち着いたごくありふれた生活をしたかったにも関わらず、勇者と魔王を巡る舞台に振り回されていたのだろう。
僕はアリアと朝っぱらから盛り上がるマチルダさんを見た。
まさに勇者というべき凛とした美しさをもつ、彼の婚約者は何でこの鳥に重荷を背負わせたのだろう。
そして、彼と彼女は、このケリをどうつけるんだろうね。僕には何も分からなかった。
僕とトリオは身支度を整え、居間に出た。アリアとマチルダさんはすでに起きて、誰かを出迎えているようだった。
そこには、アルバートさんと、若い女性。
「……ニルレン?」
「おい! ワレ何言っちょる」
僕が首を傾げると、トリオがすぐさま口を挟んできた。この鳥、いつも思うんだけど、ニルレンに関しては割と冷静を欠いている気もする。マチルダさんに対する態度もそこから来てるんだろう。それ以外では結構冷静でまともだと思うのに。
やれやれ。恋する男は面倒だね。
僕は鳥を静止すべく、したり顔で右手を横に振った。
「いや、ほら、劇のニルレン役」
そこにいたのは昨日ニルレン役をやっていた、きれいな女性だった。昨日は僕にはよく分からない複雑な結い方で上げていた亜麻色の長い髪を、今日はふんわりと結んでいる。もちろん、やり方は全く分からない。
女性は柔らかい声で挨拶をしてきた。
「皆さん、おはようございます! 昨日はお祭りだから何も買えなかったでしょ。祖父から、朝ご飯の差し入れです」
「祖父?」
長老さんかなと思ったら、アルバートさんが答えてくれた。
「儂の孫だ。アメリアという」
言われてみると、目元が何となく似ている。
アメリアさんは、僕とマチルダさんの間くらいの年だと思われる。アルバートさんって背が高くてしゃんとしているけど、結構年なんだね。
「アルバートさんには三人の子供と八人の孫がいて、彼女はその中のお一人だよ」
アルバートさんの親族構成をアリアが教えてくれた。その場にお孫さんがいるからか、アリアは昨日とは違って敬称をつけて呼んでいる。態度も若干柔らかい。
今日も現実離れした美しさをもつ長い金髪のとても可愛い女の子は、昨日に引き続き何だか複雑な髪型をしている。マチルダさんがやったんだろう。全体的には下ろしているけど、耳の横の三つ編みが可愛い。もちろんこの髪型のやり方はおろか、呼び方すら分からないけど、全部可愛い。
「子供一人と孫三人は隣の街にいるがね。隣と言っても距離はあるし、昨日は孫の晴れ舞台だから、親族が集まったのは久々だな」
顔をほころばせながら話しているアルバートさんも、昨夜よりも話し方が柔らかい。
村の規模の割にやたら人が多いと思ったけど、帰省している親族も多いわけか。納得した。
「あら、わたし達、ご親族のそんな大切な日にお騒がせしちゃったのね。申し訳ないです」
マチルダさんは頭を下げた。
「気にするな。緊急事態だったからな。劇は終わっていたし、親族での食事は前日に済ませていたし、写真は妻が撮っている。大きな差し障りはなかった」
「そうそう、急病人の方が大事ですよ。おじいちゃん、祭が始まる前に親戚達と盛り上がるのは終わらせているし、セスとわたしの姿も練習の時から見ているし」
元魔王の親戚模様を話しながら、孫娘はにこにこと笑った。心が広い。昨夜は話半分に見ていたので、もう少し真面目に見れば良かったと、僕は少し申し訳なくなった。
マチルダさんは、新しく出た名前に首を傾げる。
「セス? 失礼ですけど、どなたかしら」
「私の弟よ。トリオルース役してたの」
「あら、あの劇はご姉弟で出演してらしたのね。二人で主演なんて凄いですね」
「いえいえ。たまたま最初にやったのを引き続きやってるだけよ」
トリオいわく実物ほどではないらしいが、昨夜の劇の二人はそれでも充分大変整った顔立ちをしていた。
この村の顔面レベルが高かったわけではなく、単にこの姉弟の顔が良かっただけらしい。僕は何となく安心した。トリオは横で「ニルレンより年下……」と呟いている。実際はトリオのが年上なのは知っているけど、舞台は想像の産物だ。成人が子供をやるときさえある。
鳥、落ち着け。
アメリアさんは肩掛け鞄に手を入れた。
「あなた方コヨミ神殿に用があるんですよね? 私は神殿の管理をしているから、祖父と朝食を届けついでに、入館申請をしておこうと思ったの」
ハイ、と紙を渡されたので受け取る。
神殿入館申請用紙と書いてある。僕は首を傾げた。
「トリオは必要ですか?」
アルバートさんは少し沈黙する。
「……注意事項が多すぎるから、こちらで準備しておく」
その回答に若干不満そうなトリオを尻目に、僕は名前と住所、備考に鳥一羽と書いて、アメリアさんに渡した。アメリアさんは笑顔で受け取った。
「じゃあ、儂とアメリアは戻る。食器は洗って昼頃までに家まで持ってきてくれ。昼食はごちそうしよう。家の場所はアリア嬢が知っている。明日の予定はその時話そう」
「じゃあ、旅人さん達、私は申請出してくるから午後はいないのだけど、お気をつけてくださいね」
そう言って、二人は並んで帰っていった。外から、アメリアさんが元気よく話している声が聞こえた。内容は分からないけど、アルバートさんに話しかけていのだろう。
遠ざかっていく声を聞きながら、僕は、アルバートさんが再び魔王になろうとしていない理由は、何となく分かった。
世界を滅ぼすよりは、家族と一緒の生活の方が楽しい。多分。少なくともアルバートさんは。
そのために、アルバートさんは動くのだろう。
「……普通の家庭だな」
トリオがぽつりと呟いた言葉に、僕は曖昧に微笑んだ。
普通の家庭で平凡に育った僕には分からないことも多いけど、想像できることだってある。
彼はやれることと、やらなければいけなかったことは華やかなんだけど、性格は正反対だ。おだやかで、物凄く弱気。優しくはあるけど勇者のパートナーとはとても思えない。
彼はのんびり平和で落ち着いたごくありふれた生活をしたかったにも関わらず、勇者と魔王を巡る舞台に振り回されていたのだろう。
僕はアリアと朝っぱらから盛り上がるマチルダさんを見た。
まさに勇者というべき凛とした美しさをもつ、彼の婚約者は何でこの鳥に重荷を背負わせたのだろう。
そして、彼と彼女は、このケリをどうつけるんだろうね。僕には何も分からなかった。