残酷な描写あり
R-15
閑話『珍妙で敬虔な聖職者』
カレン達と解散したアウラ。
特にこれといった予定もなく、エリュシオンの街を探索していた。
市街地やギルド施設、そして何度も鍛錬を行った森のある郊外には多く足を運んでいたので、あまり行った事のない場所を散策する。
(たまには、こうやって散歩してみるのも良いもんだな)
楽し気に、歩きながら呟いた。
普段訪れている場所は活気に満ち、常に喧噪が絶えない。しかし少し中心部から外れてみれば、静かで落ち着いた空間が広がっていた。
中央広場からアカモート大図書館の方面へと抜け、路地裏から伸びる階段を上る。
少し息が上がる程の長さだったが、上った先は少し拓けており、木陰が被るベンチで休む民間人の姿も見えた。
「こんな所もあったのか……知らなかった」
偶然たどり着いた高台から、街を見下ろす。
そよ風が心地良く、加えて雲一つ無い快晴なのも相俟って「絶景」と言わざるを得ない。城壁の外には広大な草原が広がり、少し遠くに視線を向ければ、つい数日前に訪れたケシェルの山々が聳え立っているのがハッキリと見えた。
仲間と共に依頼に出向く冒険者。街に露店を出し、商売に励む商人。平和を謳歌するエリュシオンの住民。
人々の生活をこうして観察する機会というのもあまりなく、寧ろアウラにとっては新鮮そのものだった。
高台を少し歩いてみると、民家が数件立ち並ぶ中、一つ、一風変わった建物が目についた。
白を基調としたレンガ造りの外観で、尖った三角形の屋根に小さな煙突が備え付けられている。その建物を目にしたアウラは思わず、
「教会、だよな……?」
と呟いた。
アウラの知りうる限りの建造物の中で、それが最も相応しかった。
(エリュシオンにも教会なんてあったんだな)
ソテル教の宗教施設を見るのは、何気に初めてのことだった。
礼拝の時間ではないのか、人が出入りしている様子はない。近づいてみると玄関は開いており、民間人向けに開放されているらしかった。
「折角だし、ちょっと寄ってみるか」
ふと思い立ち、教会の中に足を踏み入れる。
左右には長椅子が並び、奥の方にはオルガンと思しき楽器が置かれている。教会の天井付近にはステンドグラスがあしらわれており、静寂が支配している状況も相俟って清廉な空気に満ちていた。
一つ前の長椅子の後ろには黒い装丁の分厚い書物が置かれている。
「聖書みたいなもんか……?」
本を手に取り、パラパラとページを捲る。
著者名は無く、タイトルには『聖伝書』とだけ書かれており、ソテル教の聖典だろうと推測する。
静かな教会内は図書館に負けない程に、読書に没頭するには最適な環境。
数分もすれば、アウラはすっかり聖伝書の内容に釘付けになっていた。
その内容とは、神期を生きたとされる一人の「預言者」の生涯。そして、彼が啓示を受けたとされる神の言葉の数々だ。
信徒の人々にとっては、この言葉が人生の一つの指針になる。
至極真面目に読み耽る中。かつかつ、と、もう一つの足音が教会の中に響き渡った。
「──おや、礼拝まではまだ時間があるというのに、一人で聖伝書の読書とは。この世には、まだまだ思い悩める子羊がいるということでしょうか」
直後、声が聞こえた。
落ち着いているようで、何処かその光景を楽しんでいるかのような、女性の声。
驚いたアウラは本を置いて立ち上がり、すぐさま声のした後方に振り向くが、そこにいたのは──
「えーと……ここの教会のシスターさん、か……?」
彼の口から零れ落ちた言葉には、疑問符が付いていた。
声の主は、紺色の修道服を纏う女性だった。身長はアウラと同じ程で、腰あたりまで伸びた灰色の髪を靡かせている。
そして何よりも特徴的だったのか、両眼を隠すように巻かれた、純白の包帯だった。
しっかりと力強く立っている辺り、歩くことには支障はないようだが、一度見れば二度と忘れられないビジュアルをしていた。
「半分正解、半分不正解ってところですね。教会所属の人間ではありますが、今日は仕事でエリュシオンの教会の視察に来ただけです。そ、れ、よ、り────」
端的に回答すると、彼女はアウラの下へと歩み寄り、
「貴方、ソテル教の入信希望者ですね!! 良いでしょう、特別に私直々に洗礼を授けてさしあげます!!」
アウラの両手を掴んでブンブンと上下に振り、新たな信徒を全力で勧誘する。
眼は包帯で覆われているものの、心の底から歓喜し、眼を輝かせているように見えた。
テンションが上がっている修道女に対し、アウラは極めて冷静に答える。
「いえ、結構です」
「えぇ!?」
「そもそも俺、たまたまこの教会に立ち寄っただけだし」
「い……いえ違います!! 何か悩みをお持ちな筈です!! ちょっと考えてみて下さい、お仕事の悩みとか人間関係とか、それから……自分自身の疑問とか、無いですか?」
「そりゃあ俺も人間だし、現在進行形の悩みの一つや二つぐらいあるけどさ……」
「ほらあった!! でも大丈夫、ソテル教に入信すれば全て解決します!! さぁ、共に祈りを捧げ、迷える子羊たちを救おうじゃありませんか!!」
さながら喜劇のような身振り手振りで、突如現れた修道女は語った。
信仰心は確かに本物なのだろうが、少々それが振り切れている。簡潔に言うのであれば──話が通じないタイプの人種だった。
「神の教えに触れる事で貴方の心は救われ、貴方も人を救うという善行に携わる事が出来るのですよ? 今日貴方が教会に足を運んだのも我らが神の思し召し……そう! 貴方は最初からソテル教に入るべく生まれて来たのです!」
「いやだから結構ですって! つーか、「共に救う」って、なんで俺が教会所属になんなきゃならないんですか」
あまりのテンションの高さに置いて行かれながらも、なんとかついていく。
教会所属といえば、アウラにとってはかなりタイムリーな話題だ。
ソテル教の組織内に存在するとされる、異端狩りを専門に請け負う者。──バチカル派の司教を討ち取る程の怪物たちについて、つい数時間前に聞かされたばかりだ。
「ん~、なんて言うんでしょう。貴方の内から滲み出るオーラって言うんですかね? 言葉にするのであれば、そうですねぇ……」
彼女はやや首を傾げ、頬に手を当てて考え込む。
そして、最適な表現が見つかったのか、アウラの胸のあたりを軽く指さして、
「──貴方の中に、別の何かが混ざってるって感じですか。こんな貴重な人材、一介の信徒にしておくのは勿体ないと思いまして」
「────っ」
修道女の言葉に、僅かにアウラは息を呑んだ。
彼女が意図していたのかは定かではないが、彼の境遇を言い当てていたからだ。
人ならざる高次の存在──雷神の力を、ヴァジュラを介して断片的に行使したアウラは、彼女の言う「混ざり物」と言える。
初対面にも関わらず、彼女はアウラの本質を少なからず言い当てたのだ。
「実は、私には分かるんですよ、そういうの。昔からちょーっとばかり特殊な力を持ってまして、ハッキリとではありませんが、違和感のような物は「眼」で感じ取れます」
そう言って、彼女は包帯に覆われた己の眼を得意げに指差した。
「特殊な異能を持つ眼……魔眼ってヤツか」
彼女の説明は、以前に図書館で読んだ魔導書の一節を想起させた。
神期より存在する神秘である「魔眼」あるいは「邪視」。
魔眼はそれ自体が異能を秘めており、対象を視覚に捉えるという行為を用いて起動するモノ。その異能は多岐に渡り──神の時代には、文字通り「視る」だけで相手を死に至らしめる魔人や、見たものを石に変える蛇女神がいたという。
只者ではない、と直感するアウラを余所に、彼女は言葉を続けた。
「厳密には、私のはその亜種ですけどね。見た所ここのギルド所属の魔術師さんですよね? 武器は霊体化させていますが……あぁ、違和感の大元はソレですか」
「……何者なんですか、貴方は」
アウラは眉を低くし、僅かに声のトーンを落とした。
明らかに、彼女はただの信徒ではない。彼に関する情報を、この数分で看破したのだから。
口火が切られる瞬間に備え、魔術師の右手に力が入る。
怪しさの極致にいるかのような眼前の修道女は、アウラの語気の変化に物怖じすることなく、ただ不敵に笑っている。
当然、己に若干の敵意が向けられていることにも気付いている。
「エレミヤ、とだけ言っておきましょう。神と預言者の教えを守る為に仕える、敬虔な信徒ですよ」
「敬虔って、自分で言っちゃうのかよ……」
緊張感を漲らせたまま、言う。
やや笑い交じりだが、額には若干の汗が滲み出ている。
「安心して下さい。私は貴方の敵ではありませんし、寧ろ、貴方がたのギルドには協力して頂いて感謝していますから。──ほら、敵意が隠せていませんよ?」
「当たり前だろ。初対面でこれだけ人の情報を目の前でバラされて、不審に思わない方がどうかしてる」
「大丈夫大丈夫、私たち正統派ソテル教会は異端派の殲滅の為に手を組んでいる訳ですから、仲良くしておきましょうよ」
アウラの肩をポンと叩きながら、エレミヤと名乗る修道女は言った。
敵意を向けられてもなお、彼女の口調が揺らぐことはない。全てを見透かしているかのような、軽い口調だ。
それは余裕の表れか、単にマイペースが過ぎるだけか。
ある意味で、アウラが今まで出会って来た人物の中でもトップクラスに底が知れない人物だった。
「そうそう、私の上司から聞いたんですが、近々エクレシアに来られるみたいですね?」
「まぁ、一応……それが何か?」
「いや、折角聖地に来て頂けるのですから、是非とも楽しんで頂きたいなと思いまして。私はいませんが、歓迎しますよ」
そこ言葉に嘘偽りはない。彼女は純粋なソテル教の信徒であり、異国の人間が教会の総本山に来ることを本当に嬉しく思っていた。
アウラはすっかり警戒心が解かれ、彼女にも悪意はない事を察したのか、力を抜いた。
定刻を告げる鐘の音が鳴り、教会内に木霊する。
「おっと、礼拝の時間が来てしまいましたか。それでは職務があるので、私はこの辺りで失礼します。入信したくなったら、いつでも言って下さいね」
「まだ勧誘諦めて無かったのか、アンタ……」
エレミヤは名残り惜しそうに言い残し、教会の奥の部屋へと向かう。
アウラは彼女の執念に呆れながらも、教会を後にしようと、玄関へと戻ろうと歩き出す──その時、
「──それと一つ忠告ですが、東の大陸は少々危険です。正直、今の貴方にはあまり良くない相が見えるので、お気をつけて」
アウラを呼び止め、今まで見せなかった真剣な声色で告げる。
それは、本気の忠告。
誰も知らない筈の情報を悉く暴いて見せた彼女の言葉は、戯言と吐き捨てるには少々無理がある。そうでなければ、わざわざ呼び止める意味はない。
「……ご忠告、ありがとうございます」
「いえいえ、礼には及びませんよ。──それでは今度こそ、失礼します」
パっと手を振り、エレミヤは再び奥の部屋へと歩き出した。
そのやりとりを最後に、再び言葉が交わされる事はない。アウラは礼拝の参加者たちと入れ替わりになる形で教会を出て、神聖な空間から世俗へと戻る。
「……マジでなんだったんだ、あの人」
今のアウラの脳には、直前にエレミヤから言われた言葉がこびりついていた。
己に見えたという「相」。
さながら未来を推測する占い師のようでもあり、本物の予言者のように語られた忠告だった。
これからの旅が無事に終わるのか否かという部分に不安を抱きながら、アウラは市街地へ至る階段を下りていった。
特にこれといった予定もなく、エリュシオンの街を探索していた。
市街地やギルド施設、そして何度も鍛錬を行った森のある郊外には多く足を運んでいたので、あまり行った事のない場所を散策する。
(たまには、こうやって散歩してみるのも良いもんだな)
楽し気に、歩きながら呟いた。
普段訪れている場所は活気に満ち、常に喧噪が絶えない。しかし少し中心部から外れてみれば、静かで落ち着いた空間が広がっていた。
中央広場からアカモート大図書館の方面へと抜け、路地裏から伸びる階段を上る。
少し息が上がる程の長さだったが、上った先は少し拓けており、木陰が被るベンチで休む民間人の姿も見えた。
「こんな所もあったのか……知らなかった」
偶然たどり着いた高台から、街を見下ろす。
そよ風が心地良く、加えて雲一つ無い快晴なのも相俟って「絶景」と言わざるを得ない。城壁の外には広大な草原が広がり、少し遠くに視線を向ければ、つい数日前に訪れたケシェルの山々が聳え立っているのがハッキリと見えた。
仲間と共に依頼に出向く冒険者。街に露店を出し、商売に励む商人。平和を謳歌するエリュシオンの住民。
人々の生活をこうして観察する機会というのもあまりなく、寧ろアウラにとっては新鮮そのものだった。
高台を少し歩いてみると、民家が数件立ち並ぶ中、一つ、一風変わった建物が目についた。
白を基調としたレンガ造りの外観で、尖った三角形の屋根に小さな煙突が備え付けられている。その建物を目にしたアウラは思わず、
「教会、だよな……?」
と呟いた。
アウラの知りうる限りの建造物の中で、それが最も相応しかった。
(エリュシオンにも教会なんてあったんだな)
ソテル教の宗教施設を見るのは、何気に初めてのことだった。
礼拝の時間ではないのか、人が出入りしている様子はない。近づいてみると玄関は開いており、民間人向けに開放されているらしかった。
「折角だし、ちょっと寄ってみるか」
ふと思い立ち、教会の中に足を踏み入れる。
左右には長椅子が並び、奥の方にはオルガンと思しき楽器が置かれている。教会の天井付近にはステンドグラスがあしらわれており、静寂が支配している状況も相俟って清廉な空気に満ちていた。
一つ前の長椅子の後ろには黒い装丁の分厚い書物が置かれている。
「聖書みたいなもんか……?」
本を手に取り、パラパラとページを捲る。
著者名は無く、タイトルには『聖伝書』とだけ書かれており、ソテル教の聖典だろうと推測する。
静かな教会内は図書館に負けない程に、読書に没頭するには最適な環境。
数分もすれば、アウラはすっかり聖伝書の内容に釘付けになっていた。
その内容とは、神期を生きたとされる一人の「預言者」の生涯。そして、彼が啓示を受けたとされる神の言葉の数々だ。
信徒の人々にとっては、この言葉が人生の一つの指針になる。
至極真面目に読み耽る中。かつかつ、と、もう一つの足音が教会の中に響き渡った。
「──おや、礼拝まではまだ時間があるというのに、一人で聖伝書の読書とは。この世には、まだまだ思い悩める子羊がいるということでしょうか」
直後、声が聞こえた。
落ち着いているようで、何処かその光景を楽しんでいるかのような、女性の声。
驚いたアウラは本を置いて立ち上がり、すぐさま声のした後方に振り向くが、そこにいたのは──
「えーと……ここの教会のシスターさん、か……?」
彼の口から零れ落ちた言葉には、疑問符が付いていた。
声の主は、紺色の修道服を纏う女性だった。身長はアウラと同じ程で、腰あたりまで伸びた灰色の髪を靡かせている。
そして何よりも特徴的だったのか、両眼を隠すように巻かれた、純白の包帯だった。
しっかりと力強く立っている辺り、歩くことには支障はないようだが、一度見れば二度と忘れられないビジュアルをしていた。
「半分正解、半分不正解ってところですね。教会所属の人間ではありますが、今日は仕事でエリュシオンの教会の視察に来ただけです。そ、れ、よ、り────」
端的に回答すると、彼女はアウラの下へと歩み寄り、
「貴方、ソテル教の入信希望者ですね!! 良いでしょう、特別に私直々に洗礼を授けてさしあげます!!」
アウラの両手を掴んでブンブンと上下に振り、新たな信徒を全力で勧誘する。
眼は包帯で覆われているものの、心の底から歓喜し、眼を輝かせているように見えた。
テンションが上がっている修道女に対し、アウラは極めて冷静に答える。
「いえ、結構です」
「えぇ!?」
「そもそも俺、たまたまこの教会に立ち寄っただけだし」
「い……いえ違います!! 何か悩みをお持ちな筈です!! ちょっと考えてみて下さい、お仕事の悩みとか人間関係とか、それから……自分自身の疑問とか、無いですか?」
「そりゃあ俺も人間だし、現在進行形の悩みの一つや二つぐらいあるけどさ……」
「ほらあった!! でも大丈夫、ソテル教に入信すれば全て解決します!! さぁ、共に祈りを捧げ、迷える子羊たちを救おうじゃありませんか!!」
さながら喜劇のような身振り手振りで、突如現れた修道女は語った。
信仰心は確かに本物なのだろうが、少々それが振り切れている。簡潔に言うのであれば──話が通じないタイプの人種だった。
「神の教えに触れる事で貴方の心は救われ、貴方も人を救うという善行に携わる事が出来るのですよ? 今日貴方が教会に足を運んだのも我らが神の思し召し……そう! 貴方は最初からソテル教に入るべく生まれて来たのです!」
「いやだから結構ですって! つーか、「共に救う」って、なんで俺が教会所属になんなきゃならないんですか」
あまりのテンションの高さに置いて行かれながらも、なんとかついていく。
教会所属といえば、アウラにとってはかなりタイムリーな話題だ。
ソテル教の組織内に存在するとされる、異端狩りを専門に請け負う者。──バチカル派の司教を討ち取る程の怪物たちについて、つい数時間前に聞かされたばかりだ。
「ん~、なんて言うんでしょう。貴方の内から滲み出るオーラって言うんですかね? 言葉にするのであれば、そうですねぇ……」
彼女はやや首を傾げ、頬に手を当てて考え込む。
そして、最適な表現が見つかったのか、アウラの胸のあたりを軽く指さして、
「──貴方の中に、別の何かが混ざってるって感じですか。こんな貴重な人材、一介の信徒にしておくのは勿体ないと思いまして」
「────っ」
修道女の言葉に、僅かにアウラは息を呑んだ。
彼女が意図していたのかは定かではないが、彼の境遇を言い当てていたからだ。
人ならざる高次の存在──雷神の力を、ヴァジュラを介して断片的に行使したアウラは、彼女の言う「混ざり物」と言える。
初対面にも関わらず、彼女はアウラの本質を少なからず言い当てたのだ。
「実は、私には分かるんですよ、そういうの。昔からちょーっとばかり特殊な力を持ってまして、ハッキリとではありませんが、違和感のような物は「眼」で感じ取れます」
そう言って、彼女は包帯に覆われた己の眼を得意げに指差した。
「特殊な異能を持つ眼……魔眼ってヤツか」
彼女の説明は、以前に図書館で読んだ魔導書の一節を想起させた。
神期より存在する神秘である「魔眼」あるいは「邪視」。
魔眼はそれ自体が異能を秘めており、対象を視覚に捉えるという行為を用いて起動するモノ。その異能は多岐に渡り──神の時代には、文字通り「視る」だけで相手を死に至らしめる魔人や、見たものを石に変える蛇女神がいたという。
只者ではない、と直感するアウラを余所に、彼女は言葉を続けた。
「厳密には、私のはその亜種ですけどね。見た所ここのギルド所属の魔術師さんですよね? 武器は霊体化させていますが……あぁ、違和感の大元はソレですか」
「……何者なんですか、貴方は」
アウラは眉を低くし、僅かに声のトーンを落とした。
明らかに、彼女はただの信徒ではない。彼に関する情報を、この数分で看破したのだから。
口火が切られる瞬間に備え、魔術師の右手に力が入る。
怪しさの極致にいるかのような眼前の修道女は、アウラの語気の変化に物怖じすることなく、ただ不敵に笑っている。
当然、己に若干の敵意が向けられていることにも気付いている。
「エレミヤ、とだけ言っておきましょう。神と預言者の教えを守る為に仕える、敬虔な信徒ですよ」
「敬虔って、自分で言っちゃうのかよ……」
緊張感を漲らせたまま、言う。
やや笑い交じりだが、額には若干の汗が滲み出ている。
「安心して下さい。私は貴方の敵ではありませんし、寧ろ、貴方がたのギルドには協力して頂いて感謝していますから。──ほら、敵意が隠せていませんよ?」
「当たり前だろ。初対面でこれだけ人の情報を目の前でバラされて、不審に思わない方がどうかしてる」
「大丈夫大丈夫、私たち正統派ソテル教会は異端派の殲滅の為に手を組んでいる訳ですから、仲良くしておきましょうよ」
アウラの肩をポンと叩きながら、エレミヤと名乗る修道女は言った。
敵意を向けられてもなお、彼女の口調が揺らぐことはない。全てを見透かしているかのような、軽い口調だ。
それは余裕の表れか、単にマイペースが過ぎるだけか。
ある意味で、アウラが今まで出会って来た人物の中でもトップクラスに底が知れない人物だった。
「そうそう、私の上司から聞いたんですが、近々エクレシアに来られるみたいですね?」
「まぁ、一応……それが何か?」
「いや、折角聖地に来て頂けるのですから、是非とも楽しんで頂きたいなと思いまして。私はいませんが、歓迎しますよ」
そこ言葉に嘘偽りはない。彼女は純粋なソテル教の信徒であり、異国の人間が教会の総本山に来ることを本当に嬉しく思っていた。
アウラはすっかり警戒心が解かれ、彼女にも悪意はない事を察したのか、力を抜いた。
定刻を告げる鐘の音が鳴り、教会内に木霊する。
「おっと、礼拝の時間が来てしまいましたか。それでは職務があるので、私はこの辺りで失礼します。入信したくなったら、いつでも言って下さいね」
「まだ勧誘諦めて無かったのか、アンタ……」
エレミヤは名残り惜しそうに言い残し、教会の奥の部屋へと向かう。
アウラは彼女の執念に呆れながらも、教会を後にしようと、玄関へと戻ろうと歩き出す──その時、
「──それと一つ忠告ですが、東の大陸は少々危険です。正直、今の貴方にはあまり良くない相が見えるので、お気をつけて」
アウラを呼び止め、今まで見せなかった真剣な声色で告げる。
それは、本気の忠告。
誰も知らない筈の情報を悉く暴いて見せた彼女の言葉は、戯言と吐き捨てるには少々無理がある。そうでなければ、わざわざ呼び止める意味はない。
「……ご忠告、ありがとうございます」
「いえいえ、礼には及びませんよ。──それでは今度こそ、失礼します」
パっと手を振り、エレミヤは再び奥の部屋へと歩き出した。
そのやりとりを最後に、再び言葉が交わされる事はない。アウラは礼拝の参加者たちと入れ替わりになる形で教会を出て、神聖な空間から世俗へと戻る。
「……マジでなんだったんだ、あの人」
今のアウラの脳には、直前にエレミヤから言われた言葉がこびりついていた。
己に見えたという「相」。
さながら未来を推測する占い師のようでもあり、本物の予言者のように語られた忠告だった。
これからの旅が無事に終わるのか否かという部分に不安を抱きながら、アウラは市街地へ至る階段を下りていった。