残酷な描写あり
R-15
魔を狩るものたち(4)
闘技場の従業員の男がリンとリーフを案内した。二人は警戒していることを悟らせないように大人しく従った。
二人が通されたのは、劇場の貴賓室だった。劇場の観客席の上階に位置するバルコニーつきの部屋で、内装も凝っていた。
貴賓室で待っていたのは四人だった。
リーフと戦った闘技士、帽子をかぶった壮年の紳士、ゆったりとした服の妙齢の女、そして経営者と思しき穏やかそうな男だった。
「お呼びたてしてしまって申し訳ない。私はここの経営をしているジフトという者です」
「秘書のスザリエよ」
女が自分の肩に掛かった髪を払いながら言った。
「闘技士の統括をしているクラメスだ」
壮年の男が腕を組んだ。
「先程ぶりだな……クイノンである」
闘技士は油断なく二人を観察していた。
「ご存知でしょうが、ボクはリーフ、こちらは旅仲間のリンです。それで、話とは一体何なのでしょうか」
「我々はこの闘技場を拠点に活動している互助団体のものです。貴方がお持ちになっている、その剣――否、魔剣について幾つかお尋ねしたいことがありまして」
ジフトの視線が、リーフの背中の両手剣に向けられた。
リーフの目尻がひくりと動いた。リンも指先をぴくりと動かした。
「いつ、気付きましたか」
「貴方がここに来たとき、既に分かっていました。いくら普通の剣の振りをさせても、分かる者には分かってしまうのですよ」
ジフトは含みのある微笑みを浮かべた。
見透かした顔にリンはむっとして、不躾にジフトを指さした。
「魔剣の存在が分かるってことは、つまり」
「ええ、あたし等もあんた方と同じく、魔戦士ってことね」
スザリエが口を挟むと、リンはさらに嫌そうな顔になった。
「それとも、半魔、半獣という呼び方が好みかしら?」
――半魔っつったらモンスターみたいじゃねぇかよ。
ギルが唐突に会話に割り込んだ。既に正体が知れているのなら、黙っている必要はなかった。
「随分と、明瞭に言葉を解す剣であるな」
クイノンがギルを睨みつけた。腰に帯びた直刀に手をかけ、既に臨戦態勢に入っている。
「かなり人を食っている筈だが、意識が残っているとは」
――で、テメェ等の狙いは一体何なんだよ。呼びつけてお喋りして終わりってわけじゃねぇだろ。
「貴方達は、魔剣とはどんな存在なのか知っているか」
クラメスはギルの言葉を無視して二人に問いかけた。
「モンスターと人が対等に渡り合うことの出来る、唯一の武器だったと聞いています。それ以外のことはボクには関係ありません」
リーフの声はいたって平静だった。
「その様子だと、少なくとも小耳に挟んでいるようであるな」
クイノンが鼻を鳴らした。
「魔剣は神獣の魂と屍を素材にした武器だ。そして、我等魔戦士もまた、その血統を受け継いでいる」
リーフとリンは、無言で肯定した。
魔剣と魔戦士の関係について、二人はギルから大まかな話を聞かされていた。
魔剣は通常の武器とは一線を画した破壊力を持つうえ、モンスター相手にも威力を減衰されないという破格の特性も備えている。
それもその筈、魔剣はモンスターが出現する以前に世界の覇権を握っていたという神獣を素材に作られた武器だからだ。
しかも、素材にされたのは肉や骨だけではなかった。魔剣には神獣の魂そのものが封じ込められ、武器固有の異能の原動力となっていた。
魔剣一本一本が魂の牢獄と言っても過言ではない。
魂が朽ち果てるまで鋼の中に閉じ込められ、人間や動物の血肉を啜って生きながらえるだけの、呪われた存在――それが魔剣の正体だった。
そして、一部の神獣が人間と交わった結果生まれた種族が魔戦士、あるいは半獣と呼ばれる異種混血である。ギルがリーフのことを『まざりもの』や『竜種』と形容したのも、この事実からきていた。
すなわち、魔戦士と魔剣は存在が近しいがため、意思疎通ができるのだ。
――随分な言い方じゃねぇか、ご先祖様に対して敬意とかねぇのかよ。
ギルは四人を揶揄した。
「生憎、堕ちた神を敬う趣味はなくてよ」
「あ、それだけはすっごく同意したい」
スザリエがすました顔で言い放った言葉に、リンは反射的に目を輝かせた。
「リン、向こうに感化されるな。それで、用件は?」
「その魔剣を引き渡してもらいたい」
ジフトの言葉は、リーフが予想したものだった。
「お断りします」
「無論、対価は用意する。見合うだけの金でも、協力関係でも、好きなものを望むといい」
「必要ありません」
リーフは申し出を全て切って捨てた。
見かねたのか、クラメスが一歩前へと出た。
「あんたも分かっているだろう、そんな強力な魔剣に頼っていたら先は長くない。特に憑依霊は持ち主を蝕んでいく性質が強い」
クラメスの言葉は優しい声色を作っていたが、リーフはその下のぴりぴりとした感情を察知していた。
「特にそいつは悪名高い。亡国の高官共はそいつに心を蝕まれたせいで国を滅ぼしたんだぞ」
――さすがに聞き捨てならねぇな。俺は一度だってあいつらの願いを踏みにじったことはねぇ。あいつらが勝手に曲げて台無しにしたんだろうがよ。
ギルが唸り声をあげた。
その声は直接空気を震わせて伝えられたものではないはずだが、部屋の調度品がかたかたと震えた。
明らかな異変に、ざわりと空気が変質する。リンがぎょっと目を剥き、二人に向かい合った四人も警戒を顕わにした。
「憑依霊でも、騒動霊並の干渉力があるか……あまりにも危ういな」
クイノンが腰の剣に手を置いた。先程の戦いで折れたものとは別の剣を携えていた。
「その剣の本性を見て、まだ答えは変わらぬか」
クイノンの鋼のような瞳が、リーフに問答した。
「変わりません。綺麗な題目で言葉を飾ったところで、貴方達は魔剣を手に入れることしか考えていないのでしょう」
リーフの宝石のような瞳はやりとりの中で揺らぐことはなかった。
「その目的の先に私はいない。望む先に辿り着けないのならば、手を貸す道理はありません」
リーフの眼光に、クラメスは押し黙った。
「……そうか、それが望みか」
ジフトは息を吐いた。
「貴方は破滅を望むのですね」
「えっ」
リンは目を見開いて、リーフの横顔をまじまじと見つめた。
「ねえ、リーフ、やっぱり……」
「リン、来るぞ」
リーフは魔剣ギルスムニルの柄に手をかけた。ギルもやる気のようで、リーフの手首を蛇が這うようなぞわりとした感覚が走った。
「交渉決裂、か」
ジフトの嘆息と共に、スザリエとクイノンが前へと出た。
「力の強すぎる魔剣は、今となっては災厄しかもたらさない。それらを管理するため、私達魔狩人が存在する」
スザリエの手には流星錘、クイノンも長剣を抜いていた。
「応じないのならば、仕方が無い。力ずくでも回収させてもらう」
リーフが魔剣を抜き、リンも拳銃を構えた。
スザリエが流星錘を振り回すと、白い冷気が周囲に漂い始めた。そのまま、冷気を纏った先の錘をリンに向かって投擲。同時に、クイノンがリーフに突進した。
リンが発砲する前に、鎖が拳銃に絡みついた。銃身に一瞬にして霜が張る。
「ひゃっ!」
あまりの冷たさにリンは声を上げた。だが、鎖の巻き付いた銃を放さずにぐい、と引っ張った。その馬鹿力にスザリエは持っていかれそうになるも、すぐに鎖が解けて体勢を立て直した。
一方、がぎんっ、と剣同士がかち合った。リーフの顔が左右非対称な笑みに歪んだ。
先程の試合と同じく魔剣が一方的に相手の剣を削るかと思いきや、互角に打ち合った。むしろ、貧相な体格のリーフと剣士らしい筋肉を纏ったクイノンの間にあるべき差が如実に表れ始めていた。
「その剣、『神殺しの死霊』だな」
リーフの余裕のある表情が初めて崩れた。剣が交わる度に、リーフは不快な歪みを感じていた。
「魔剣をごちゃまぜにして反発させまくって、神獣を否定する武器にする――人間が作り出したもんの中で、一番最低なやつを使ってんじゃねぇよ」
リーフが面白くなさそうに唸った。クイノンの剣からはまとまりのない怨嗟の思念が発せられていた。
複数の魔剣の刃と魂が溶け合わさった、魔剣の成れの果て――死霊型の魔剣。自然に劣化した魔剣が辿る道でありながら、クイノンの剣はそれを人為的に起こすことで、神獣の力を切り裂く武器にしていた。
魔剣のもつ意思や力をそぎ落とした武器はただ鋭いだけの刃で、神獣や魔剣を切り裂くことに特化している。
神殺しのためだけの暗殺武器である。
厄介な使い手だ、とリーフは舌打ちした。
「舐めてんじゃないわよっ!」
リンは凍りついた拳銃を捨て、スザリエを正面から殴りにかかった。対してスザリエは流星錘を投げて牽制する。
頭を狙って投げられた錘に対して、リンは反射的に身をよじって避けた。
リンの豪腕はスザリエの鼻先を擦ったがこちらも避けられる。続いて右フックを叩き込もうとしたところで、上から降ってきた錘が腕を強打した。
「……っ!」
腕に錘がめり込みリンは激痛に顔を歪めた。
「そちらこそ舐めんじゃないわよクソガキ!」
スザリエは鎖を巻きつけた拳でリンの胴を殴り、更に膝蹴りを腹に叩き込んで吹っ飛ばした。
リーフが後退してリンの身体を左腕で受け止め、勝手に飛んできて追撃してくる流星錘を剣で弾き返した。
「なっさけねぇな!」
「う、るっさい」
リーフが揶揄うように言うと、リンが噛みついた。
「そっちは騒動霊型魔剣かよ」
流星錘もまた、魔剣だった。
ギルのように生物を操る憑依霊に対して、物質を手足のように動かす騒動霊である。契約者への心身の負担は少ないが、その分意思疎通が難しく、魔戦士でなければ扱いきれない。
「んで、大丈夫か」
リーフはリンの負傷を確認した。
流星錘の関節への直撃は避けられていたが、革製の上着の袖は錘にうたれた鋲で引き裂かれ、袖口からは血が滴っていた。
「まずいな」
実際、二人は圧倒的に不利だった。リンは長銃を持っていない上に、腕を負傷してもはや戦力外。
対して、相手は手練の魔戦士が二人で、しかもまだ後ろで二人が全く手を出さずに控えている状態だ。
このまま戦闘を継続しても、勝てる確率は低い。
もはや二人が打てる手は一つ。
「逃げるぞっ」
リーフは床を剣先で叩いた。朱色の火花が散り、床の表面に亀裂が奔った。崩れた内装が粉塵を吹き出し、部屋の中が煙幕で満たされる。
視界が利かない中で、どたどたと足音が響いた。
「逃がすかっ!」
スザリエは即座に反応し、流星錘を煙幕に向かって繰り出した。錘がなぎ払うように飛来する。
シャアッ!
白煙の中から飛び出した影が空気を裂いて錘を砕き、スザリエの首筋に巻きついた。抵抗する暇もなくスザリエの肢体から力が抜け、倒れ臥した。
「スザリエッ!」
クイノンが駆け寄り、ぴくりともしないスザリエを抱き上げた。僅かに遅れてジフトとクラメスも駆け寄った。
首筋に巻きついていたものを見て、クイノンはぎょっとした。
それは、黒い鱗を光らせた蛇だった。首輪のように喉を締めつけ、うなじに牙を突き立てていた。
「このっ……!」
クイノンが蛇を掴むと、あっさりとその胴は千切れてしまった。蛇の胴は粉々に砕け、黒い欠片になって散らばった。欠片は朱色の光となって溶けていき、後には何も残らなかった。
「術を使う魔剣だと……!」
クラメスは息を呑んだ。
神の力の応用技として、体系的な術――神性術というものが存在することを彼らは知っていた。
彼らも魔戦士としてごく簡単なものなら扱うことができたが、ここまで高度な技術を扱える魔剣に出会ったことはなかった。
「これは、何が何でも捕縛しなくては……頼みましたよ、ジナ」
声に焦燥感を滲ませながら、ジフトは古びた鎖を握りしめた。
「リン、歩けるか」
「う、ん……大丈夫」
両腕で抱き上げていたリンを立たせ、リーフは自分の手首をさすった。クイノンとの打ち合いで少し腕の筋を痛めていた。
ギルが憑いている間、リーフは普段よりも身体能力が上がっているように見えるが、実は全く変わっていない。
力の込め方や重心移動、呼吸法といった身体捌きに関してずば抜けているギルが、普段リーフが出来ない技術を再現しているだけなのだ。そのため、ギルが行った多少の無理は全てリーフに跳ね返ってくる仕組みになっていた。
それでも、リーフの生来の頑丈さをもってすれば、十分に耐えられる程度の負荷ではあったが。
――悪ぃ……後は、任せた。
ギルの声は今まで一番弱々しくなっていた。先程までの傲慢とも言える勇ましさは影も形もなくなっていた。
「どうしたの?」
「時間稼ぎに力を使い果たしたらしい」
慣れない術を使って、ギルはすっかり疲弊してしまっていた。今は視界の端を飛ぶ羽虫程度にしかリーフの意識に引っ掛からなくなり、身体の主導権を完全に放棄している。
「急げ、外に出るまで油断はできない」
リーフは自分の剣をリンに渡し、自分もまた右袖から引き抜いた暗器を握った。
リンは剣術を学んでいないが、片腕でも剣を振るえるだけの腕力があった。不調同士なら、リンの方が剣を使えるという判断だった。
二人は廊下を小走りし、闘技場の外を目指した。
途中で出会った相手には、向こうが事態を把握するまえにリーフが当て身を食らわせ、一息で命を奪っていった。
複数人相手ではリンが剣で殴って作業を手伝ったが、基本的にリーフが一人でこなしていた。その様は、殺し屋か暗殺者のようだった。
「リーフ、ここから出られるみたい」
死体を床に転がしている最中のリーフの後ろで、リンは剣の石突きで扉の鍵を壊した。扉の隙間から夜の外気が流れ込んでくる。
「待ち伏せは?」
「動いているものはないっぽい」
そうは言ったものの、リンは慎重に外の様子を半身で窺い、誰もいないことを改めて確認してから外へと出た。リーフも、背後を気にしながら後に続いた。
二人が出たのは闘技場の裏口で、古い劇場の入り口がある大通りから少し脇に入ったところにある細い路地裏に続いていた。夜ということもあって人通りはない。
「行くぞ」
周囲を確認し、リーフはリンに手で合図をした。一直線に大通りへと向かって駆ける。ばたばたと足音が響き渡った。
「いいえ、逃がしません」
背後から降ってきた声と、急速に接近してきた気配に気付き、リーフは振り向きながら暗器を薙いだ。
狙いを定めず振りかぶったにもかかわらず、暗器は襲いかかってきた何かに命中した。しかし、逆に暗器は折れて右腕を鋭い刃が掠めた。
襲撃者は鳥の形をしていた。烏ほどの大きさの、鳥に似た何かだった。
灰色の羽根を縫い合わせた鉄の翼と、鋭い二重の鉤爪、刃物を合わせた鋼の嘴、そして乾いた石の瞳――明らかに生物ではなかった。騒動霊を組み込んだ絡繰りだ。
鉄の鳥は一度高く舞い上がり、再びリーフに襲いかかった。
狭い路地では満足に逃げることも出来ず、嘴はリーフの外套の右肩を裂いた。魔剣を背負うための帯が大きくずらされ、からんからんと音を立てて魔剣が地面に投げ出された。
「しまった!」
リーフの目の前で、鳥が鉤爪で魔剣の柄をしっかりと掴んだ。
ギルもこれにはさすがに焦った。
――……ッダァ、クソッ! 野郎っ!
鳥が飛び立つ瞬間に、ギルは残った力を振り絞り、悪態をつきながら魂だけでリーフにしがみついた。
勿論、魂だけなのでそれで抵抗になる筈もなかった。寧ろ、悪い結果をリーフにもたらした。
「ぐっ」
ギルの魂が物理的に引き剥がされるのと共に、リーフの身体から力が抜け、その場に膝をついた。
離れまいとするあまり、ギルはリーフの内面に強固にしがみついて、体力をごっそりと奪い取ってしまっていたのだ。
抵抗むなしく、魔剣を抱えた鳥はリンの伸ばした手を搔い潜って飛び立った。重たい両手剣を掴んでも尚軽やかに空を飛ぶ鉄の鳥は、劇場の屋上へと舞い降りた。
屋上には灯りを手にした小柄な人物が立っていた。灯りを左手で持ち、右手で運ばれてきた魔剣に鎖をかける。ぎぃっ、と鎖が軋みをあげ魔剣が抵抗するが破るには至らない。
魔剣を床に転がし、鉄の鳥が人影の頭の上にとまった。
灯りが高く掲げられたことで魔戦士の顔がようやくリーフとリンにも見えた。二人よりも年若い少女に見えた。鉄の鳥は少女のかぶった大きな帽子に捕まっているようだった。
「もう諦めて置いていきなさい」
少女の大人びた宣告が地上の二人に届いた。
「くそ……うぐっ」
リーフは鳥を追おうと立ち上がったが、自分の身体を支えられずによろめいた。倒れる前にリンが支える。
「ねぇ、一旦退こう。ね?」
ぼろぼろになってもまだ目をぎらつかせているリーフに、リンは宥めるように言い聞かせた。
少女がじっと見張る中で、リーフはリンに引きずられるように裏通りに後退した。
二人の完全敗北だった。
二人が通されたのは、劇場の貴賓室だった。劇場の観客席の上階に位置するバルコニーつきの部屋で、内装も凝っていた。
貴賓室で待っていたのは四人だった。
リーフと戦った闘技士、帽子をかぶった壮年の紳士、ゆったりとした服の妙齢の女、そして経営者と思しき穏やかそうな男だった。
「お呼びたてしてしまって申し訳ない。私はここの経営をしているジフトという者です」
「秘書のスザリエよ」
女が自分の肩に掛かった髪を払いながら言った。
「闘技士の統括をしているクラメスだ」
壮年の男が腕を組んだ。
「先程ぶりだな……クイノンである」
闘技士は油断なく二人を観察していた。
「ご存知でしょうが、ボクはリーフ、こちらは旅仲間のリンです。それで、話とは一体何なのでしょうか」
「我々はこの闘技場を拠点に活動している互助団体のものです。貴方がお持ちになっている、その剣――否、魔剣について幾つかお尋ねしたいことがありまして」
ジフトの視線が、リーフの背中の両手剣に向けられた。
リーフの目尻がひくりと動いた。リンも指先をぴくりと動かした。
「いつ、気付きましたか」
「貴方がここに来たとき、既に分かっていました。いくら普通の剣の振りをさせても、分かる者には分かってしまうのですよ」
ジフトは含みのある微笑みを浮かべた。
見透かした顔にリンはむっとして、不躾にジフトを指さした。
「魔剣の存在が分かるってことは、つまり」
「ええ、あたし等もあんた方と同じく、魔戦士ってことね」
スザリエが口を挟むと、リンはさらに嫌そうな顔になった。
「それとも、半魔、半獣という呼び方が好みかしら?」
――半魔っつったらモンスターみたいじゃねぇかよ。
ギルが唐突に会話に割り込んだ。既に正体が知れているのなら、黙っている必要はなかった。
「随分と、明瞭に言葉を解す剣であるな」
クイノンがギルを睨みつけた。腰に帯びた直刀に手をかけ、既に臨戦態勢に入っている。
「かなり人を食っている筈だが、意識が残っているとは」
――で、テメェ等の狙いは一体何なんだよ。呼びつけてお喋りして終わりってわけじゃねぇだろ。
「貴方達は、魔剣とはどんな存在なのか知っているか」
クラメスはギルの言葉を無視して二人に問いかけた。
「モンスターと人が対等に渡り合うことの出来る、唯一の武器だったと聞いています。それ以外のことはボクには関係ありません」
リーフの声はいたって平静だった。
「その様子だと、少なくとも小耳に挟んでいるようであるな」
クイノンが鼻を鳴らした。
「魔剣は神獣の魂と屍を素材にした武器だ。そして、我等魔戦士もまた、その血統を受け継いでいる」
リーフとリンは、無言で肯定した。
魔剣と魔戦士の関係について、二人はギルから大まかな話を聞かされていた。
魔剣は通常の武器とは一線を画した破壊力を持つうえ、モンスター相手にも威力を減衰されないという破格の特性も備えている。
それもその筈、魔剣はモンスターが出現する以前に世界の覇権を握っていたという神獣を素材に作られた武器だからだ。
しかも、素材にされたのは肉や骨だけではなかった。魔剣には神獣の魂そのものが封じ込められ、武器固有の異能の原動力となっていた。
魔剣一本一本が魂の牢獄と言っても過言ではない。
魂が朽ち果てるまで鋼の中に閉じ込められ、人間や動物の血肉を啜って生きながらえるだけの、呪われた存在――それが魔剣の正体だった。
そして、一部の神獣が人間と交わった結果生まれた種族が魔戦士、あるいは半獣と呼ばれる異種混血である。ギルがリーフのことを『まざりもの』や『竜種』と形容したのも、この事実からきていた。
すなわち、魔戦士と魔剣は存在が近しいがため、意思疎通ができるのだ。
――随分な言い方じゃねぇか、ご先祖様に対して敬意とかねぇのかよ。
ギルは四人を揶揄した。
「生憎、堕ちた神を敬う趣味はなくてよ」
「あ、それだけはすっごく同意したい」
スザリエがすました顔で言い放った言葉に、リンは反射的に目を輝かせた。
「リン、向こうに感化されるな。それで、用件は?」
「その魔剣を引き渡してもらいたい」
ジフトの言葉は、リーフが予想したものだった。
「お断りします」
「無論、対価は用意する。見合うだけの金でも、協力関係でも、好きなものを望むといい」
「必要ありません」
リーフは申し出を全て切って捨てた。
見かねたのか、クラメスが一歩前へと出た。
「あんたも分かっているだろう、そんな強力な魔剣に頼っていたら先は長くない。特に憑依霊は持ち主を蝕んでいく性質が強い」
クラメスの言葉は優しい声色を作っていたが、リーフはその下のぴりぴりとした感情を察知していた。
「特にそいつは悪名高い。亡国の高官共はそいつに心を蝕まれたせいで国を滅ぼしたんだぞ」
――さすがに聞き捨てならねぇな。俺は一度だってあいつらの願いを踏みにじったことはねぇ。あいつらが勝手に曲げて台無しにしたんだろうがよ。
ギルが唸り声をあげた。
その声は直接空気を震わせて伝えられたものではないはずだが、部屋の調度品がかたかたと震えた。
明らかな異変に、ざわりと空気が変質する。リンがぎょっと目を剥き、二人に向かい合った四人も警戒を顕わにした。
「憑依霊でも、騒動霊並の干渉力があるか……あまりにも危ういな」
クイノンが腰の剣に手を置いた。先程の戦いで折れたものとは別の剣を携えていた。
「その剣の本性を見て、まだ答えは変わらぬか」
クイノンの鋼のような瞳が、リーフに問答した。
「変わりません。綺麗な題目で言葉を飾ったところで、貴方達は魔剣を手に入れることしか考えていないのでしょう」
リーフの宝石のような瞳はやりとりの中で揺らぐことはなかった。
「その目的の先に私はいない。望む先に辿り着けないのならば、手を貸す道理はありません」
リーフの眼光に、クラメスは押し黙った。
「……そうか、それが望みか」
ジフトは息を吐いた。
「貴方は破滅を望むのですね」
「えっ」
リンは目を見開いて、リーフの横顔をまじまじと見つめた。
「ねえ、リーフ、やっぱり……」
「リン、来るぞ」
リーフは魔剣ギルスムニルの柄に手をかけた。ギルもやる気のようで、リーフの手首を蛇が這うようなぞわりとした感覚が走った。
「交渉決裂、か」
ジフトの嘆息と共に、スザリエとクイノンが前へと出た。
「力の強すぎる魔剣は、今となっては災厄しかもたらさない。それらを管理するため、私達魔狩人が存在する」
スザリエの手には流星錘、クイノンも長剣を抜いていた。
「応じないのならば、仕方が無い。力ずくでも回収させてもらう」
リーフが魔剣を抜き、リンも拳銃を構えた。
スザリエが流星錘を振り回すと、白い冷気が周囲に漂い始めた。そのまま、冷気を纏った先の錘をリンに向かって投擲。同時に、クイノンがリーフに突進した。
リンが発砲する前に、鎖が拳銃に絡みついた。銃身に一瞬にして霜が張る。
「ひゃっ!」
あまりの冷たさにリンは声を上げた。だが、鎖の巻き付いた銃を放さずにぐい、と引っ張った。その馬鹿力にスザリエは持っていかれそうになるも、すぐに鎖が解けて体勢を立て直した。
一方、がぎんっ、と剣同士がかち合った。リーフの顔が左右非対称な笑みに歪んだ。
先程の試合と同じく魔剣が一方的に相手の剣を削るかと思いきや、互角に打ち合った。むしろ、貧相な体格のリーフと剣士らしい筋肉を纏ったクイノンの間にあるべき差が如実に表れ始めていた。
「その剣、『神殺しの死霊』だな」
リーフの余裕のある表情が初めて崩れた。剣が交わる度に、リーフは不快な歪みを感じていた。
「魔剣をごちゃまぜにして反発させまくって、神獣を否定する武器にする――人間が作り出したもんの中で、一番最低なやつを使ってんじゃねぇよ」
リーフが面白くなさそうに唸った。クイノンの剣からはまとまりのない怨嗟の思念が発せられていた。
複数の魔剣の刃と魂が溶け合わさった、魔剣の成れの果て――死霊型の魔剣。自然に劣化した魔剣が辿る道でありながら、クイノンの剣はそれを人為的に起こすことで、神獣の力を切り裂く武器にしていた。
魔剣のもつ意思や力をそぎ落とした武器はただ鋭いだけの刃で、神獣や魔剣を切り裂くことに特化している。
神殺しのためだけの暗殺武器である。
厄介な使い手だ、とリーフは舌打ちした。
「舐めてんじゃないわよっ!」
リンは凍りついた拳銃を捨て、スザリエを正面から殴りにかかった。対してスザリエは流星錘を投げて牽制する。
頭を狙って投げられた錘に対して、リンは反射的に身をよじって避けた。
リンの豪腕はスザリエの鼻先を擦ったがこちらも避けられる。続いて右フックを叩き込もうとしたところで、上から降ってきた錘が腕を強打した。
「……っ!」
腕に錘がめり込みリンは激痛に顔を歪めた。
「そちらこそ舐めんじゃないわよクソガキ!」
スザリエは鎖を巻きつけた拳でリンの胴を殴り、更に膝蹴りを腹に叩き込んで吹っ飛ばした。
リーフが後退してリンの身体を左腕で受け止め、勝手に飛んできて追撃してくる流星錘を剣で弾き返した。
「なっさけねぇな!」
「う、るっさい」
リーフが揶揄うように言うと、リンが噛みついた。
「そっちは騒動霊型魔剣かよ」
流星錘もまた、魔剣だった。
ギルのように生物を操る憑依霊に対して、物質を手足のように動かす騒動霊である。契約者への心身の負担は少ないが、その分意思疎通が難しく、魔戦士でなければ扱いきれない。
「んで、大丈夫か」
リーフはリンの負傷を確認した。
流星錘の関節への直撃は避けられていたが、革製の上着の袖は錘にうたれた鋲で引き裂かれ、袖口からは血が滴っていた。
「まずいな」
実際、二人は圧倒的に不利だった。リンは長銃を持っていない上に、腕を負傷してもはや戦力外。
対して、相手は手練の魔戦士が二人で、しかもまだ後ろで二人が全く手を出さずに控えている状態だ。
このまま戦闘を継続しても、勝てる確率は低い。
もはや二人が打てる手は一つ。
「逃げるぞっ」
リーフは床を剣先で叩いた。朱色の火花が散り、床の表面に亀裂が奔った。崩れた内装が粉塵を吹き出し、部屋の中が煙幕で満たされる。
視界が利かない中で、どたどたと足音が響いた。
「逃がすかっ!」
スザリエは即座に反応し、流星錘を煙幕に向かって繰り出した。錘がなぎ払うように飛来する。
シャアッ!
白煙の中から飛び出した影が空気を裂いて錘を砕き、スザリエの首筋に巻きついた。抵抗する暇もなくスザリエの肢体から力が抜け、倒れ臥した。
「スザリエッ!」
クイノンが駆け寄り、ぴくりともしないスザリエを抱き上げた。僅かに遅れてジフトとクラメスも駆け寄った。
首筋に巻きついていたものを見て、クイノンはぎょっとした。
それは、黒い鱗を光らせた蛇だった。首輪のように喉を締めつけ、うなじに牙を突き立てていた。
「このっ……!」
クイノンが蛇を掴むと、あっさりとその胴は千切れてしまった。蛇の胴は粉々に砕け、黒い欠片になって散らばった。欠片は朱色の光となって溶けていき、後には何も残らなかった。
「術を使う魔剣だと……!」
クラメスは息を呑んだ。
神の力の応用技として、体系的な術――神性術というものが存在することを彼らは知っていた。
彼らも魔戦士としてごく簡単なものなら扱うことができたが、ここまで高度な技術を扱える魔剣に出会ったことはなかった。
「これは、何が何でも捕縛しなくては……頼みましたよ、ジナ」
声に焦燥感を滲ませながら、ジフトは古びた鎖を握りしめた。
「リン、歩けるか」
「う、ん……大丈夫」
両腕で抱き上げていたリンを立たせ、リーフは自分の手首をさすった。クイノンとの打ち合いで少し腕の筋を痛めていた。
ギルが憑いている間、リーフは普段よりも身体能力が上がっているように見えるが、実は全く変わっていない。
力の込め方や重心移動、呼吸法といった身体捌きに関してずば抜けているギルが、普段リーフが出来ない技術を再現しているだけなのだ。そのため、ギルが行った多少の無理は全てリーフに跳ね返ってくる仕組みになっていた。
それでも、リーフの生来の頑丈さをもってすれば、十分に耐えられる程度の負荷ではあったが。
――悪ぃ……後は、任せた。
ギルの声は今まで一番弱々しくなっていた。先程までの傲慢とも言える勇ましさは影も形もなくなっていた。
「どうしたの?」
「時間稼ぎに力を使い果たしたらしい」
慣れない術を使って、ギルはすっかり疲弊してしまっていた。今は視界の端を飛ぶ羽虫程度にしかリーフの意識に引っ掛からなくなり、身体の主導権を完全に放棄している。
「急げ、外に出るまで油断はできない」
リーフは自分の剣をリンに渡し、自分もまた右袖から引き抜いた暗器を握った。
リンは剣術を学んでいないが、片腕でも剣を振るえるだけの腕力があった。不調同士なら、リンの方が剣を使えるという判断だった。
二人は廊下を小走りし、闘技場の外を目指した。
途中で出会った相手には、向こうが事態を把握するまえにリーフが当て身を食らわせ、一息で命を奪っていった。
複数人相手ではリンが剣で殴って作業を手伝ったが、基本的にリーフが一人でこなしていた。その様は、殺し屋か暗殺者のようだった。
「リーフ、ここから出られるみたい」
死体を床に転がしている最中のリーフの後ろで、リンは剣の石突きで扉の鍵を壊した。扉の隙間から夜の外気が流れ込んでくる。
「待ち伏せは?」
「動いているものはないっぽい」
そうは言ったものの、リンは慎重に外の様子を半身で窺い、誰もいないことを改めて確認してから外へと出た。リーフも、背後を気にしながら後に続いた。
二人が出たのは闘技場の裏口で、古い劇場の入り口がある大通りから少し脇に入ったところにある細い路地裏に続いていた。夜ということもあって人通りはない。
「行くぞ」
周囲を確認し、リーフはリンに手で合図をした。一直線に大通りへと向かって駆ける。ばたばたと足音が響き渡った。
「いいえ、逃がしません」
背後から降ってきた声と、急速に接近してきた気配に気付き、リーフは振り向きながら暗器を薙いだ。
狙いを定めず振りかぶったにもかかわらず、暗器は襲いかかってきた何かに命中した。しかし、逆に暗器は折れて右腕を鋭い刃が掠めた。
襲撃者は鳥の形をしていた。烏ほどの大きさの、鳥に似た何かだった。
灰色の羽根を縫い合わせた鉄の翼と、鋭い二重の鉤爪、刃物を合わせた鋼の嘴、そして乾いた石の瞳――明らかに生物ではなかった。騒動霊を組み込んだ絡繰りだ。
鉄の鳥は一度高く舞い上がり、再びリーフに襲いかかった。
狭い路地では満足に逃げることも出来ず、嘴はリーフの外套の右肩を裂いた。魔剣を背負うための帯が大きくずらされ、からんからんと音を立てて魔剣が地面に投げ出された。
「しまった!」
リーフの目の前で、鳥が鉤爪で魔剣の柄をしっかりと掴んだ。
ギルもこれにはさすがに焦った。
――……ッダァ、クソッ! 野郎っ!
鳥が飛び立つ瞬間に、ギルは残った力を振り絞り、悪態をつきながら魂だけでリーフにしがみついた。
勿論、魂だけなのでそれで抵抗になる筈もなかった。寧ろ、悪い結果をリーフにもたらした。
「ぐっ」
ギルの魂が物理的に引き剥がされるのと共に、リーフの身体から力が抜け、その場に膝をついた。
離れまいとするあまり、ギルはリーフの内面に強固にしがみついて、体力をごっそりと奪い取ってしまっていたのだ。
抵抗むなしく、魔剣を抱えた鳥はリンの伸ばした手を搔い潜って飛び立った。重たい両手剣を掴んでも尚軽やかに空を飛ぶ鉄の鳥は、劇場の屋上へと舞い降りた。
屋上には灯りを手にした小柄な人物が立っていた。灯りを左手で持ち、右手で運ばれてきた魔剣に鎖をかける。ぎぃっ、と鎖が軋みをあげ魔剣が抵抗するが破るには至らない。
魔剣を床に転がし、鉄の鳥が人影の頭の上にとまった。
灯りが高く掲げられたことで魔戦士の顔がようやくリーフとリンにも見えた。二人よりも年若い少女に見えた。鉄の鳥は少女のかぶった大きな帽子に捕まっているようだった。
「もう諦めて置いていきなさい」
少女の大人びた宣告が地上の二人に届いた。
「くそ……うぐっ」
リーフは鳥を追おうと立ち上がったが、自分の身体を支えられずによろめいた。倒れる前にリンが支える。
「ねぇ、一旦退こう。ね?」
ぼろぼろになってもまだ目をぎらつかせているリーフに、リンは宥めるように言い聞かせた。
少女がじっと見張る中で、リーフはリンに引きずられるように裏通りに後退した。
二人の完全敗北だった。