残酷な描写あり
R-15
魔を狩るものたち(5)
どんよりとした赤黒い雲が廃墟の空を埋め尽くしていた。
かつては賑わっていたであろう石畳の広場は、見渡す限り死体で溢れかえっていた。数は軽く見積もっても百を超えているだろう。
死体の多くは手足を欠いていて、中には頭がとれているものもあった。手足が残っていても、腹の中身が零れていたり、指が千切れていたりと、まともな状態なものはひとつとしてない。
その地獄ともとれる景色の中で唯一人、二本の足で地面を踏みしめ、欠損のない両腕を天に伸ばした男が立っていた。
「全く以て、本当に君は学ばない性格のようだな。君を巡る争いなんてありふれているだろうに、もう少しまともな策で契約者を守れなかったのかい」
役者のような大仰な手振りで悲嘆を示し、男は背後を振り返った。
「煩ぇ、俺が馬鹿なのは今に始まった話じゃねぇし」
男の背後に、ひと際大きな死体の山があった。積まれている死体はどれも頭を半分潰されていて、脳髄を垂れ流していた。
死体の山の上には、丁字に組まれた木材が突き刺さっていた。壊れてしまっているが、それは元々絞首刑台の一部だった。
その、もう用を為すことの無い絞首刑台の上に、人影が座っていた。
片膝を立て、背中を丸めているその姿は、ふてくされているようにも見えた。
「これは一体何度目の光景だい? 君はヒトと関わったせいで、何回も同じような虐殺に加担し続けた。同じ過ちを繰り返し続けて、悲しくならないのかい」
「あーそうだよ俺は馬鹿だよ、千年に一人の大馬鹿野郎だよ! っつーか、さっきから俺の心を見透しやがって、テメェは一体何がしたいんだよ。奴らの差し金か?」
影の言葉に、絞首刑台の下敷きにされた死体の群れが一斉に目を開き、めいめい一つずつしか持っていない目玉で男を凝視した。
常人ならひっくり返ってしまっても仕方がないくらいの異常な光景だったが、男は平然としていた。
「君の好きなように考え給えよ。一つ言っておくと、今の俺は君の味方でも敵でもない」
「何もしねぇってことかよ……嘘臭ぇってもんじゃねぇな。俺が招いてねぇのに此処にいるってことは、テメェも魔剣ってことだろ? そして、俺は敵地のど真ん中でこうしてテメェと仲良くお喋りしてるってわけだ」
影の口と思しき場所がばっくりと割れ、くけけけけ、と耳障りな笑い声が響いた。
「これでテメェが敵じゃねぇってんなら、俺は両手を食いちぎったっていいぜ?」
狂ったように笑い続ける絞首刑台の上の影は、身体を仰け反らせて相手をぎょろりとねめつけた。
「まだこんな不毛なことを続けるのかい、ギルスムニル」
男に名前を呼ばれ、笑い声はぴたりと止んだ。
「テメェが俺の終わりの悪夢を何処まで覗いたかは知らねぇが、その程度で俺を語ってんじゃねぇよ」
低く落とし込んだ声色で、影が――ギルの本体が淡々と告げた。
「俺はこれっぽっちもニンゲンに期待してねぇよ。だからな、何回でも助けてやって、絶望を眺めて、勝手に捨ててやるのさ。奴らはそれだけしか能がねぇ特大のバカだかんな」
男はギルの左側しかない朱色の瞳を黙って見つめ返した。ギルの半分潰れた顔は、絞首刑台の礎になっている死体達と全く同じものだった。
ふと、ギルは急に不快そうに顔の左半分を歪めた。
「ちっ、おいおい俺に触ってんじゃねぇよ!」
ギルの咆哮は、魔剣の表面に朱色の波動を起こした。
ばちっ、と音を立て、今まさに巻かれようとしていた封印用の鎖が弾けとんだ。
狩人の驚く声が、曇った空の向こうから降ってきた。
リーフから体力をもぎ取ったおかげで、ギルにはまだ狩人達が仕掛けようとする完全な封印に抗うことができた。憑依を妨げる程度のものは、力を温存するために敢えて巻かせたままにしていた。
狩人達がすぐに次の手を打ってこないことを確信し、ギルは少し脱力した。
いつの間にか、男はいなくなっていた。
「好き勝手話してトンズラかよ。何者だったんだよ……っつーか、どんな顔してたっけ。正体隠せるってことは竜種か? どうやって入り込んできたんだよマジで」
ギルは自分の額をゴンゴンと叩いてまとまらない考えを整理しようとしたが、さっぱり形にならなかった。
推測を諦めて絞首刑台の残骸からとび降り、割れた石畳に着地したところでまた封印を施そうとする気配があった。
再び魔剣の表面を朱色の光が舐め、封印を乱して千切った。
「救けは早めに頼むぜー、契約者よう」
ギルが直接狩人に喧嘩を売らないのは、消耗をなるべく減らすために内面へと引きこもるためだ。ひたすら耐え忍び、救援を待ち続けていた。
「俺はテメェらが俺の力で救われるかどうかは興味ねぇし祈る気もねぇけど、俺と契約した執念だけは信じてるからな」
不思議と、二人が救出に来ることは揺るぎない未来だと信じることができた。
◆ ◆ ◆
空の皿がテーブルの上に積み上げられていった。
既に四人前の肉料理を平らげているというのに、リーフの食欲はまだ留まることを知らないようだった。
「ちょっと食べ過ぎじゃない?」
一心不乱に肉を噛みちぎるリーフの姿に、リンも若干ひいていた。
リンは腹を蹴られたせいか、いつもよりも食欲がなかった。焼けた鳥肉の手羽先をちまちまとかじりながら、普段は小食の相方の暴食ぶりを見ていた。
「まだ力が戻らない。怪我を治すためにも、もっと必要だ」
そう言いながら、リーフは薄いエール酒を煽った。間髪開けずに再び口の中へと料理を突っ込む。
「ボク達には人間じゃないモノの血が混ざっている。だからボクは食べればその分、丈夫になれる。ギルによると、そういう種族らしい」
そう言いながらリーフは食べ終わった皿をまた積み上げて新しい皿を取った。
最後の皿の中身も胃袋に詰め込んで、ようやくリーフはフォークをテーブルの上に置いた。空の食器はおおよそ六人前、細い体に収まるのが不思議な量だった。
「後は一眠りすれば、全快だろう」
食べ過ぎて腹回りがきつくなったのか、リーフはベルト周りをいじった。
「腕の傷は?」
「ギルにやられた分なら、とっくに治っているけれど」
「そっちじゃなくて、あの剣闘士とやりあったやつとか、あの鳥に引っ掻かれたところとか」
ああ、とリーフは思い出したように外套の破れた箇所を手で押さえた。
「忘れていたよ、あまりにも擦り傷過ぎて」
リンは信じられない、という顔をした。
「刃物ごと持っていかれてなかったっけ」
リンは確かに、リーフが武器を折るような一撃を腕と肩に食らったのを見ていた。しかし、同時にその後の出血がそんなに酷いように見えなかったのを思い出した。
「前よりも丈夫になっているんだよ、ボクは。あの程度の弱い魔剣なら、人の爪で引っ掻かれたのと同じだよ」
尤も、ギル相手ならまずいだろうけれどと、リーフは軽く肩を竦めた。リンは顔を曇らせた。
「何か……段々人間離れしてない?」
「それは君にだって当てはまるだろう」
リーフは涼しい顔だった。
「ギルに半獣だと指摘されてから、君も随分力が強くなったじゃあないか」
「それはそうだけど」
二人が出会ったときには既に、リーフは並外れて身体が丈夫であったし、リンは見た目に合わない怪力の持ち主だった。その性質が、魔剣ギルスムニルとの邂逅を契機にさらに強くなっていた。
リーフは念じれば肌の上に白い鱗のような結晶を顕現することができるようになり、リンも男並みだった力が人間離れした領域まで到達していた。
ギル曰く、素質があれば気付くだけでそれなりに伸びるものだという。
「存外、西の世界には本当にまともで強い人間なんてそんなに存在しないのかもしれない。いや、存在を許されないと言った方が正しいかな。何も持たない弱い奴は、モンスターに食われて終わるだけだ」
「……そんなもんかな」
リンの言葉には少し戸惑いが混ざっていた。元よりはぐれ者の自覚はあったが、本当に埋められない溝があると突きつけられたことで少し湿っぽくなっていた。
リーフは椅子を蹴って立ち上がった。
「この話はもうやめよう。宿に戻って取り返す策を考えないといけない」
「ねえ」
リンがリーフの外套の裾を引っ張った。
「あいつらが言ってた、死ぬつもりっていうのは、まだ結構本気で考えてるの?」
リーフを見上げるリンの目は不安で揺らいでいた。リーフはその目を真っ直ぐに見つめ返した。
「少なくとも、ボクにはそれくらいの覚悟をもって挑まなければいけないことがある。それだけだよ」
掴んだ手を振り払い、リーフは一人歩き出した。
◇ ◆ ◇
その日、劇場での闘技大会は開催されていなかった。所属剣闘士の負傷や疲労を鑑みて、連日の試合は控えられているのだ。
当然、劇場にいる者は少ない。剣闘士は宿舎で鋭気を養い、売り子達は出払ってしまっている。
他の裏方達は雑務で出入りしていたが、いつもと比べると非常に数は少なかった。
しかし、これには別の理由があった。先日執り行われた闘技大会の優勝者が何を思ったのか暴れ出し、出会った人物を誰彼構わず殺害したからだ。
優勝者は殺し回った挙げ句に武器を置いて逃亡、賞金は持ち逃げされた。幸い、舞台裏での出来事のため客に被害は出ず、事も大きくならずに済んだ。
殺された者は十人にも届かなかったが、大会主催者の意向で関係のない従業員も口止め料と共に暇をもらっていた。
日が傾き始めた頃、静かな劇場の正面入り口でどかんと大きな音が二度した。
何事かと人がエントランスに集まり、即散り散りになって逃げ出した。
粉々になった扉が煌々と燃え上がっていた。劇場の一番大きな出入り口が火で封鎖されてしまっていた。
「おい、水だ! 水を持ってこい!」
勇気のある誰かが叫び、大きな布をはたいて火を消し止めようとした。しかし、風圧で消し止めるには火の勢いが強くなりすぎていた。
「水はまだか!」
「駄目だ! ドアが開かない!」
外へ通じる扉にとりついて必死にノブを回す男がいたが、何故かびくとも動かなかった。屋内にいる男には見えなかったが、扉は外側で縄で固定されていた。
パニックを起こした状態では扉を壊すことに頭が至らず、ただドアノブを回すことしかできない。
火が完全に手に負えなくなってきたところで、エントランスを飾るステンドグラスが次々とはじけ飛んだ。ステンドグラスを突き破って投げ込まれたのは、複数のガラス瓶だった。
床に叩きつけられた瓶は粉々に砕け、中の液体を撒き散らした。液体の上を炎がはしった。
急激に広がった炎に悲鳴が上がった。液体を浴びたものの中で、服に火がつくものもいた。服についた火は慌てて囲んで叩き消された。
「畜生、逃げろ!」
さすがに手に負えないと消火活動をしていた人々も逃げ始めた。火から遠ざかるために、劇場の裏口を目指して人が殺到する。
一方、表の通りでは野次馬が集まり、道に溢れかえっていた。
その人波を縫って黒い外套姿が通りを横切った。誰もが劇場に注視する中で、隣の建物の裏へとするりと入り込んだ。
建物の裏には縄梯子が垂れ下がっており、黒ずくめの人物は慣れた様子で外壁を登っていった。
「お待たせ」
リーフは縄梯子を登りきり、三階建ての建物の屋上へと到着した。既にそこには荷物を持ったリンが待機していた。
「お疲れー、ていうかホントに一人でここまでやるとは思ってなかった」
リンの顔には感心と呆れが同居していた。
劇場への放火はリーフの企みだった。忘れ物に偽装した爆弾でエントランスを吹っ飛ばし、向かいの建物に設置した仕掛けで油の入った瓶を一斉に投げ込んだ。
爆弾の製造や仕掛けの準備はリンも手伝ったが、実行はリーフの単独だった。
「人間、意外とできるものだよ」
リーフは後を追えないよう縄梯子を巻き上げた。
「へえー、モンスターを袋叩きにしたいときにやってみようかな」
「人がいるところでは、やるのをおすすめしないけれど」
「どうして」
「性格を疑われかねない」
「それこそ今さらじゃん」
「それもそうか」
会話を続けながらリーフは縄梯子の先をクロスボウの矢に結びつけた。矢をクロスボウにつがえ、リンへと渡す。
「任せた」
「はーい」
リンは豪腕で一気にクロスボウの弦を引いた。
クロスボウの照準を劇場の屋上へと合わせ、撃つ。風を切る音のみを残して矢が劇場に突き刺さった。
縄梯子が二つの建物をつないだ。
「行くよ、リン」
リーフは縄梯子を掴み、反対の手をリンに差し出した。
リンは差し出された手を見つめて、大きく息を吸って、吐いて、また吸った。
「やってやろうじゃない」
リンは頭に鉄製のヘルメットをかぶり、リーフの手をとった。
「いいかい、この方向に走って、いち、にの、さん、で跳ぶんだ」
「りょーかい」
二人は縄梯子と互いの身体に腕を回し、駆けだした。
「いち、にの、さん!」
同時に踏み切って屋上から跳んだ。
劇場に吸い込まれるように宙を舞い、窓硝子を粉々にして劇場の二階に転がり込んだ。
「思ったより生きた心地しないっ!」
リンはがばりと跳ね起き、ヘルメットを投げ捨てた。
涼しい顔で硝子の破片を払い落としているリーフに、血相を変えたリンが詰め寄った。
「もうやりたくない、二度とやらない」
「はいはい、分かったから」
部屋の温度は既に上がり、煙も入り込んでいたがリンはリーフが首を縦に振るまで手を離そうとしなかった。空中散歩が余程気に入らなかったらしい。
「行くよ、再戦だ」
気を取り直し、リーフが剣を抜いて劇場の奥へと進んだ。
「二度と刃向かう気を起こせなくしてやる」
リンも恨みつらみを八つ当たりにして後に続いた。
歩みを止めることなく、長銃に弾を込めていた。
かつては賑わっていたであろう石畳の広場は、見渡す限り死体で溢れかえっていた。数は軽く見積もっても百を超えているだろう。
死体の多くは手足を欠いていて、中には頭がとれているものもあった。手足が残っていても、腹の中身が零れていたり、指が千切れていたりと、まともな状態なものはひとつとしてない。
その地獄ともとれる景色の中で唯一人、二本の足で地面を踏みしめ、欠損のない両腕を天に伸ばした男が立っていた。
「全く以て、本当に君は学ばない性格のようだな。君を巡る争いなんてありふれているだろうに、もう少しまともな策で契約者を守れなかったのかい」
役者のような大仰な手振りで悲嘆を示し、男は背後を振り返った。
「煩ぇ、俺が馬鹿なのは今に始まった話じゃねぇし」
男の背後に、ひと際大きな死体の山があった。積まれている死体はどれも頭を半分潰されていて、脳髄を垂れ流していた。
死体の山の上には、丁字に組まれた木材が突き刺さっていた。壊れてしまっているが、それは元々絞首刑台の一部だった。
その、もう用を為すことの無い絞首刑台の上に、人影が座っていた。
片膝を立て、背中を丸めているその姿は、ふてくされているようにも見えた。
「これは一体何度目の光景だい? 君はヒトと関わったせいで、何回も同じような虐殺に加担し続けた。同じ過ちを繰り返し続けて、悲しくならないのかい」
「あーそうだよ俺は馬鹿だよ、千年に一人の大馬鹿野郎だよ! っつーか、さっきから俺の心を見透しやがって、テメェは一体何がしたいんだよ。奴らの差し金か?」
影の言葉に、絞首刑台の下敷きにされた死体の群れが一斉に目を開き、めいめい一つずつしか持っていない目玉で男を凝視した。
常人ならひっくり返ってしまっても仕方がないくらいの異常な光景だったが、男は平然としていた。
「君の好きなように考え給えよ。一つ言っておくと、今の俺は君の味方でも敵でもない」
「何もしねぇってことかよ……嘘臭ぇってもんじゃねぇな。俺が招いてねぇのに此処にいるってことは、テメェも魔剣ってことだろ? そして、俺は敵地のど真ん中でこうしてテメェと仲良くお喋りしてるってわけだ」
影の口と思しき場所がばっくりと割れ、くけけけけ、と耳障りな笑い声が響いた。
「これでテメェが敵じゃねぇってんなら、俺は両手を食いちぎったっていいぜ?」
狂ったように笑い続ける絞首刑台の上の影は、身体を仰け反らせて相手をぎょろりとねめつけた。
「まだこんな不毛なことを続けるのかい、ギルスムニル」
男に名前を呼ばれ、笑い声はぴたりと止んだ。
「テメェが俺の終わりの悪夢を何処まで覗いたかは知らねぇが、その程度で俺を語ってんじゃねぇよ」
低く落とし込んだ声色で、影が――ギルの本体が淡々と告げた。
「俺はこれっぽっちもニンゲンに期待してねぇよ。だからな、何回でも助けてやって、絶望を眺めて、勝手に捨ててやるのさ。奴らはそれだけしか能がねぇ特大のバカだかんな」
男はギルの左側しかない朱色の瞳を黙って見つめ返した。ギルの半分潰れた顔は、絞首刑台の礎になっている死体達と全く同じものだった。
ふと、ギルは急に不快そうに顔の左半分を歪めた。
「ちっ、おいおい俺に触ってんじゃねぇよ!」
ギルの咆哮は、魔剣の表面に朱色の波動を起こした。
ばちっ、と音を立て、今まさに巻かれようとしていた封印用の鎖が弾けとんだ。
狩人の驚く声が、曇った空の向こうから降ってきた。
リーフから体力をもぎ取ったおかげで、ギルにはまだ狩人達が仕掛けようとする完全な封印に抗うことができた。憑依を妨げる程度のものは、力を温存するために敢えて巻かせたままにしていた。
狩人達がすぐに次の手を打ってこないことを確信し、ギルは少し脱力した。
いつの間にか、男はいなくなっていた。
「好き勝手話してトンズラかよ。何者だったんだよ……っつーか、どんな顔してたっけ。正体隠せるってことは竜種か? どうやって入り込んできたんだよマジで」
ギルは自分の額をゴンゴンと叩いてまとまらない考えを整理しようとしたが、さっぱり形にならなかった。
推測を諦めて絞首刑台の残骸からとび降り、割れた石畳に着地したところでまた封印を施そうとする気配があった。
再び魔剣の表面を朱色の光が舐め、封印を乱して千切った。
「救けは早めに頼むぜー、契約者よう」
ギルが直接狩人に喧嘩を売らないのは、消耗をなるべく減らすために内面へと引きこもるためだ。ひたすら耐え忍び、救援を待ち続けていた。
「俺はテメェらが俺の力で救われるかどうかは興味ねぇし祈る気もねぇけど、俺と契約した執念だけは信じてるからな」
不思議と、二人が救出に来ることは揺るぎない未来だと信じることができた。
◆ ◆ ◆
空の皿がテーブルの上に積み上げられていった。
既に四人前の肉料理を平らげているというのに、リーフの食欲はまだ留まることを知らないようだった。
「ちょっと食べ過ぎじゃない?」
一心不乱に肉を噛みちぎるリーフの姿に、リンも若干ひいていた。
リンは腹を蹴られたせいか、いつもよりも食欲がなかった。焼けた鳥肉の手羽先をちまちまとかじりながら、普段は小食の相方の暴食ぶりを見ていた。
「まだ力が戻らない。怪我を治すためにも、もっと必要だ」
そう言いながら、リーフは薄いエール酒を煽った。間髪開けずに再び口の中へと料理を突っ込む。
「ボク達には人間じゃないモノの血が混ざっている。だからボクは食べればその分、丈夫になれる。ギルによると、そういう種族らしい」
そう言いながらリーフは食べ終わった皿をまた積み上げて新しい皿を取った。
最後の皿の中身も胃袋に詰め込んで、ようやくリーフはフォークをテーブルの上に置いた。空の食器はおおよそ六人前、細い体に収まるのが不思議な量だった。
「後は一眠りすれば、全快だろう」
食べ過ぎて腹回りがきつくなったのか、リーフはベルト周りをいじった。
「腕の傷は?」
「ギルにやられた分なら、とっくに治っているけれど」
「そっちじゃなくて、あの剣闘士とやりあったやつとか、あの鳥に引っ掻かれたところとか」
ああ、とリーフは思い出したように外套の破れた箇所を手で押さえた。
「忘れていたよ、あまりにも擦り傷過ぎて」
リンは信じられない、という顔をした。
「刃物ごと持っていかれてなかったっけ」
リンは確かに、リーフが武器を折るような一撃を腕と肩に食らったのを見ていた。しかし、同時にその後の出血がそんなに酷いように見えなかったのを思い出した。
「前よりも丈夫になっているんだよ、ボクは。あの程度の弱い魔剣なら、人の爪で引っ掻かれたのと同じだよ」
尤も、ギル相手ならまずいだろうけれどと、リーフは軽く肩を竦めた。リンは顔を曇らせた。
「何か……段々人間離れしてない?」
「それは君にだって当てはまるだろう」
リーフは涼しい顔だった。
「ギルに半獣だと指摘されてから、君も随分力が強くなったじゃあないか」
「それはそうだけど」
二人が出会ったときには既に、リーフは並外れて身体が丈夫であったし、リンは見た目に合わない怪力の持ち主だった。その性質が、魔剣ギルスムニルとの邂逅を契機にさらに強くなっていた。
リーフは念じれば肌の上に白い鱗のような結晶を顕現することができるようになり、リンも男並みだった力が人間離れした領域まで到達していた。
ギル曰く、素質があれば気付くだけでそれなりに伸びるものだという。
「存外、西の世界には本当にまともで強い人間なんてそんなに存在しないのかもしれない。いや、存在を許されないと言った方が正しいかな。何も持たない弱い奴は、モンスターに食われて終わるだけだ」
「……そんなもんかな」
リンの言葉には少し戸惑いが混ざっていた。元よりはぐれ者の自覚はあったが、本当に埋められない溝があると突きつけられたことで少し湿っぽくなっていた。
リーフは椅子を蹴って立ち上がった。
「この話はもうやめよう。宿に戻って取り返す策を考えないといけない」
「ねえ」
リンがリーフの外套の裾を引っ張った。
「あいつらが言ってた、死ぬつもりっていうのは、まだ結構本気で考えてるの?」
リーフを見上げるリンの目は不安で揺らいでいた。リーフはその目を真っ直ぐに見つめ返した。
「少なくとも、ボクにはそれくらいの覚悟をもって挑まなければいけないことがある。それだけだよ」
掴んだ手を振り払い、リーフは一人歩き出した。
◇ ◆ ◇
その日、劇場での闘技大会は開催されていなかった。所属剣闘士の負傷や疲労を鑑みて、連日の試合は控えられているのだ。
当然、劇場にいる者は少ない。剣闘士は宿舎で鋭気を養い、売り子達は出払ってしまっている。
他の裏方達は雑務で出入りしていたが、いつもと比べると非常に数は少なかった。
しかし、これには別の理由があった。先日執り行われた闘技大会の優勝者が何を思ったのか暴れ出し、出会った人物を誰彼構わず殺害したからだ。
優勝者は殺し回った挙げ句に武器を置いて逃亡、賞金は持ち逃げされた。幸い、舞台裏での出来事のため客に被害は出ず、事も大きくならずに済んだ。
殺された者は十人にも届かなかったが、大会主催者の意向で関係のない従業員も口止め料と共に暇をもらっていた。
日が傾き始めた頃、静かな劇場の正面入り口でどかんと大きな音が二度した。
何事かと人がエントランスに集まり、即散り散りになって逃げ出した。
粉々になった扉が煌々と燃え上がっていた。劇場の一番大きな出入り口が火で封鎖されてしまっていた。
「おい、水だ! 水を持ってこい!」
勇気のある誰かが叫び、大きな布をはたいて火を消し止めようとした。しかし、風圧で消し止めるには火の勢いが強くなりすぎていた。
「水はまだか!」
「駄目だ! ドアが開かない!」
外へ通じる扉にとりついて必死にノブを回す男がいたが、何故かびくとも動かなかった。屋内にいる男には見えなかったが、扉は外側で縄で固定されていた。
パニックを起こした状態では扉を壊すことに頭が至らず、ただドアノブを回すことしかできない。
火が完全に手に負えなくなってきたところで、エントランスを飾るステンドグラスが次々とはじけ飛んだ。ステンドグラスを突き破って投げ込まれたのは、複数のガラス瓶だった。
床に叩きつけられた瓶は粉々に砕け、中の液体を撒き散らした。液体の上を炎がはしった。
急激に広がった炎に悲鳴が上がった。液体を浴びたものの中で、服に火がつくものもいた。服についた火は慌てて囲んで叩き消された。
「畜生、逃げろ!」
さすがに手に負えないと消火活動をしていた人々も逃げ始めた。火から遠ざかるために、劇場の裏口を目指して人が殺到する。
一方、表の通りでは野次馬が集まり、道に溢れかえっていた。
その人波を縫って黒い外套姿が通りを横切った。誰もが劇場に注視する中で、隣の建物の裏へとするりと入り込んだ。
建物の裏には縄梯子が垂れ下がっており、黒ずくめの人物は慣れた様子で外壁を登っていった。
「お待たせ」
リーフは縄梯子を登りきり、三階建ての建物の屋上へと到着した。既にそこには荷物を持ったリンが待機していた。
「お疲れー、ていうかホントに一人でここまでやるとは思ってなかった」
リンの顔には感心と呆れが同居していた。
劇場への放火はリーフの企みだった。忘れ物に偽装した爆弾でエントランスを吹っ飛ばし、向かいの建物に設置した仕掛けで油の入った瓶を一斉に投げ込んだ。
爆弾の製造や仕掛けの準備はリンも手伝ったが、実行はリーフの単独だった。
「人間、意外とできるものだよ」
リーフは後を追えないよう縄梯子を巻き上げた。
「へえー、モンスターを袋叩きにしたいときにやってみようかな」
「人がいるところでは、やるのをおすすめしないけれど」
「どうして」
「性格を疑われかねない」
「それこそ今さらじゃん」
「それもそうか」
会話を続けながらリーフは縄梯子の先をクロスボウの矢に結びつけた。矢をクロスボウにつがえ、リンへと渡す。
「任せた」
「はーい」
リンは豪腕で一気にクロスボウの弦を引いた。
クロスボウの照準を劇場の屋上へと合わせ、撃つ。風を切る音のみを残して矢が劇場に突き刺さった。
縄梯子が二つの建物をつないだ。
「行くよ、リン」
リーフは縄梯子を掴み、反対の手をリンに差し出した。
リンは差し出された手を見つめて、大きく息を吸って、吐いて、また吸った。
「やってやろうじゃない」
リンは頭に鉄製のヘルメットをかぶり、リーフの手をとった。
「いいかい、この方向に走って、いち、にの、さん、で跳ぶんだ」
「りょーかい」
二人は縄梯子と互いの身体に腕を回し、駆けだした。
「いち、にの、さん!」
同時に踏み切って屋上から跳んだ。
劇場に吸い込まれるように宙を舞い、窓硝子を粉々にして劇場の二階に転がり込んだ。
「思ったより生きた心地しないっ!」
リンはがばりと跳ね起き、ヘルメットを投げ捨てた。
涼しい顔で硝子の破片を払い落としているリーフに、血相を変えたリンが詰め寄った。
「もうやりたくない、二度とやらない」
「はいはい、分かったから」
部屋の温度は既に上がり、煙も入り込んでいたがリンはリーフが首を縦に振るまで手を離そうとしなかった。空中散歩が余程気に入らなかったらしい。
「行くよ、再戦だ」
気を取り直し、リーフが剣を抜いて劇場の奥へと進んだ。
「二度と刃向かう気を起こせなくしてやる」
リンも恨みつらみを八つ当たりにして後に続いた。
歩みを止めることなく、長銃に弾を込めていた。