残酷な描写あり
R-15
黒の聖騎士(2)
石畳の上に、蛞蝓が這いずったかのような三つの軌跡がてらてらと光っていた。ただ、その軌跡は蛞蝓が残したにしてはいささか大きすぎ、色も赤黒い血そのものだった。
軌跡は蛇行しながらも騎士の訓練場へと伸びていた。
そして、訓練場の広場には、大量の血と脂をこびり付かせた獣の頭が三つ揃って不満そうに顎を打ち鳴らしていた。
獣の頭達は稽古場の壁際に集められていた。
その周囲には銃を構えた軽装の騎士達が隊列を作り、獣の頭に銃口を向けていた。
一つの頭が痺れを切らし、がちがちと音を立てながら騎士隊ににじり寄った。
瞬間、複数の発砲音と共に獣の頭は後方へと吹き飛ばされ、壁に叩きつけられて転がった。
「発砲、止め!」
隊長の指示で散発的な発砲音は一斉に止んだ。
獣の頭は銃弾の衝撃で目を回したのか、動きが鈍くなっていた。
すかさず、発砲した騎士達は銃弾を再装填した。その間も、他の騎士達は油断なく獣の頭に照準を定めていた。
多大な犠牲を払い、教会騎士団は三つの獣の頭を誘導し、訓練場の一角へと封じ込めていた。
獣の頭は武器ごと騎士を食うため接近戦は無謀以外の何物でもなかったが、幸い質量と大きさはそれほどない。破壊できないまでも、銃弾の反動を利用して行動の制限をすることが可能だった。
今のところ、それが騎士団が行える最善の策だ。
第六騎士隊隊長は部下を大勢殺した憎い相手を目の前にして、歯噛みしていた。
「……いつまでこんなことを続けなければいけないのだ」
槌が根菜のように噛み砕かれなければ、騎士隊長はとっくの昔に槌を持って突撃していただろう。
果敢にも槌で挑んだ彼の部下は、肩ごと腕をもぎ取られてしまった。
教会騎士の通常装備は決して貧弱ではない。暴徒の鎮圧はもちろんのこと、中型モンスター程度であれば狩ることも可能だろう。
だが、暴徒以上の残虐さとモンスターを超える頑丈さを併せ持った、鋼で構成された化け物を叩き潰すことは不可能だった。
「エイファス殿!」
名前を呼ばれ、騎士隊長はさっとそちらへ目を向けた。
大仰な鎧で武装した五人の騎士が近づいてきた。
両肩から肘までを黒い板金で大きく膨らませ、太腿も同様の拵えで覆われている。兜は翼の装飾が施されていて、目元まで覆いが付いている。まるで重歩兵のような鎧だが、籠手や長靴は革製で薄い鋼を控えめに貼り付けているのみだった。
不自然に膨らんだシルエットの騎士集団のうち、隊長の名を呼んだのは先頭の男だった。
兜で顔が見えなかったが、騎士隊長はその声に聞き覚えがあった。
「ガルドか」
「はい、兜を取れない非礼はどうか免じてください」
ガルドは兜をつけたまま敬礼した。まだ若い、清涼感のある声が兜の下から響いた。
「非常時だ、仕方がない。それより、許可が下りたのか」
騎士隊長はガルドの武装が意味するところを改めて確認した。
ガルドの武装は対モンスター白兵戦に特化した翼殻鎧と呼ばれるものだ。モンスターに近い魔剣相手にも一定の効果は見込めた。
「父上が責任を持つとのことで、〈聖剣〉の使用が中枢会議で承認されました」
「そうか……だが、お前はいけるのか」
現状、あの憎き獣の頭を仕留められるのは、教会が持つ最高戦力において他は無いと分かっていたが、彼のことをよく知る騎士隊長は躊躇っていた。
少しでもしくじれば、待っているのは死なのだ。優秀とはいえ、まだ若い騎士に任せることは気が引けた。
「確約はできませんが、〈紅玉の聖剣〉の担い手として出来うる限りまで戦う所存です」
兜に遮られてなお、真剣な目をしている様が騎士隊長には分かった。
死の恐怖を目の前にして一歩も退かないその姿勢に、騎士隊長も覚悟を決めた。
「こちらからも、援護は行う。危機を感じたら直ぐに退け」
「承知しました」
ガルドは腰の剣に手をかけた。
剣の種類としては両手剣に該当する。両手剣は、教会騎士が用いる一般的な装備品だ。近接戦闘において優れた間合いと威力を有している。
だが、教会騎士に支給されいるものとは異なり、その剣の柄は黒く、親指大にカットされた紅玉が剣身に埋め込まれていた。
ガルドはその剣を構えながら銃士隊の前へと進み出た。
「〈紅玉の聖剣〉メリディアニ、俺に炎の祝福を」
ガルドの口上に、剣の紅玉が淡い真紅の光を放った。
光は火の粉へと変わり、ガルドの周囲を舞い飛ぶ。まるで、剣がガルドを守っているようだった。
ガルドと同じ鎧を纏った四人の騎士はガルドを中心として扇状に散開、各々の手には鉄と麻紐でできた流星錘が握られていた。
「手筈通り、足止めを頼みます。ヴレイヴルの加護があらんことを!」
「あらんことを!」
ガルドが獣の頭目掛けて突進した。
半拍遅れて流星錘が放たれ、二つの獣の頭へと命中した。硬質な音を響かせて獣の頭は後退した。
大口を開けてガルドを待ち構えていたもう一つの獣の頭は〈紅玉の聖剣〉によって上顎が切り飛ばされていた。
作り物の目をぎょろりとさせながら宙を舞う上顎を、容赦の無い追撃が真っ二つに割る。
地面に落ちたとき、獣の頭はただの趣味の悪いがらくたとなっていた。
自分たちを破壊できる存在を認識したのか、それともただ一番近くにいる餌と思ったのか、二つの獣の頭はガルドに食らいつこうと襲い掛かった。
妨害する流星錘の紐を食いちぎって、片方の獣の頭が足を狙う。
しかし、聖剣の鋭い突きによって獣の頭は地面に縫い留められた。
聖剣の剣身が真紅の光を放ち、巻き起こった炎が獣の頭を飲み込んだ。じゅうっ、と獣の頭に付着していた血と脂が焦げる。
「副隊長、危ない!」
流星錘を躱した獣の頭が、ガルドの兜に噛み付いた。
兜の中材に阻まれ、牙は内部まで届いていなかったが、頭が噛み砕かれるのは時間の問題だった。
しかし、ガルドは慌てることなく大きく頭を横に振った。
兜は獣の頭が食らいついたまますっぽ抜けた。モンスターとの戦いを考慮した翼殻鎧は、取りつかれるのを防ぐために部品が簡単に剥がれるのだ。
獣の頭が空中で兜を潰し、不味そうにぺっと吐き出した。
獣の頭は、無防備になったガルドの頭に再び噛みつこうと跳躍したが、下段から振り上げられた聖剣によって断ち切られた。
断片は炎に包まれて動きを止めた。
地表で炙られていた獣の頭は原型を留めていたが、煤けた鋼の塊は二度と動かなくなっていた。
ガルドは聖剣を腰に吊るし、胸に手を当てて天へと黙祷を捧げた。
「さすがは四聖剣の一つに選ばれた騎士だな、ガイエラフ・チェクルス第十二隊副隊長」
血を流さずに三つの魔剣を同時に屠ってみせた後輩騎士を見て、騎士隊長がぽつりと呟いた。援護を約束したものの、そんなものは必要がなかった。
ひしゃげた兜と、屠られた三つの魔剣を背に帰還するガルドは、声に違わず非常に若い顔立ちをしていた。
鋭角的な顎の輪郭の右半分を栗色の髪で隠し、逆に左側は髪に飾り紐を編み込んで露出させている。髪に隠れていない左目は鳶色で、少し釣りあがっている。そこだけ見れば刃のようなとっつきにくさを覚えるが、気弱そうな垂れ眉のおかげで全体の印象は中和されていた。
年は二十歳前後に見え、言うまでもなく騎士隊副隊長の中では最も若かった。
彼がその地位に就いているのは、妬む輩が言うように、枢機卿の三男であるからではない。
ギリスアンの建国当初から伝わる四本の聖剣の名を冠した魔剣のうち、〈紅玉の聖剣〉に選ばれた聖剣使いであるからである。
聖剣の使い手は常に存在するのではなく、剣が選定した優れた騎士のみ資格を有している。現在、聖剣の使い手は二人のみで、〈黄玉の聖剣〉の使い手は足の故障で前線に立っていない。
つまり、ガイエラフ・チェクルスこそが教会騎士団の保有する最高戦力だった。
「状況終了しました。エイファス隊長、援護ありがとうございます」
兜が外れたガルドは、騎士隊長に正しく敬礼した。
騎士隊長も礼を返す。
「いや、私は何もしていないのだが」
「何を言っているのですか、ここでずっと魔剣を釘付けにしていたじゃありませんか。それがなければ、今頃どれだけ被害が拡大していたか」
ガルドの謙虚な言葉に、騎士隊長はぐっと口を引き結んだ。噛み殺された部下のことを思い、目頭が熱くなっていた。
このままでは後輩の前で不甲斐ない顔になってしまうと、騎士団長は話題を変えた。
「しかし、まだ当分騒ぎは終わらんぞ」
「……はい、そうなると思います」
無理やり顰め面を作った騎士団長の言葉に、ガルドの顔も陰った。
「せめて、シルヴィア様がご健在であればな」
ガルドの左目が少し揺らいだが、騎士隊長は気付かなかった。
「ガルド副隊長、シルヴィア様の容体について何か知っていることはないか。遠征に行く前はシルヴィア様の従者だったのだろう?」
騎士隊長に向けられたガルドの目に揺らぎはなかった。
「いえ、私も体調が思わしくない、としか伝えられていません」
「そうか」
「では、私は報告があるので戻ります。僭越ながら、後始末をお願い致します」
「ああ、分かった」
ガルドと騎士隊長は敬礼を交わした。
稽古場を後にするガルドの後ろには、翼殻鎧で武装した四人の部下が続いた。
真っ直ぐチェクルス家の邸宅へと向かうガルドに、騎士達は皆道を譲った。慌てて敬礼するものさえいた。
騎士達は獣の頭による被害状況を確認していた。まだ建物や道の至る所に血痕や肉塊が残っていた。
ガルドは拳を強く握った。
「シルヴィア様、どうしてこんなことに……」
その呟きは、誰にも聞き咎められることはなかった。
軌跡は蛇行しながらも騎士の訓練場へと伸びていた。
そして、訓練場の広場には、大量の血と脂をこびり付かせた獣の頭が三つ揃って不満そうに顎を打ち鳴らしていた。
獣の頭達は稽古場の壁際に集められていた。
その周囲には銃を構えた軽装の騎士達が隊列を作り、獣の頭に銃口を向けていた。
一つの頭が痺れを切らし、がちがちと音を立てながら騎士隊ににじり寄った。
瞬間、複数の発砲音と共に獣の頭は後方へと吹き飛ばされ、壁に叩きつけられて転がった。
「発砲、止め!」
隊長の指示で散発的な発砲音は一斉に止んだ。
獣の頭は銃弾の衝撃で目を回したのか、動きが鈍くなっていた。
すかさず、発砲した騎士達は銃弾を再装填した。その間も、他の騎士達は油断なく獣の頭に照準を定めていた。
多大な犠牲を払い、教会騎士団は三つの獣の頭を誘導し、訓練場の一角へと封じ込めていた。
獣の頭は武器ごと騎士を食うため接近戦は無謀以外の何物でもなかったが、幸い質量と大きさはそれほどない。破壊できないまでも、銃弾の反動を利用して行動の制限をすることが可能だった。
今のところ、それが騎士団が行える最善の策だ。
第六騎士隊隊長は部下を大勢殺した憎い相手を目の前にして、歯噛みしていた。
「……いつまでこんなことを続けなければいけないのだ」
槌が根菜のように噛み砕かれなければ、騎士隊長はとっくの昔に槌を持って突撃していただろう。
果敢にも槌で挑んだ彼の部下は、肩ごと腕をもぎ取られてしまった。
教会騎士の通常装備は決して貧弱ではない。暴徒の鎮圧はもちろんのこと、中型モンスター程度であれば狩ることも可能だろう。
だが、暴徒以上の残虐さとモンスターを超える頑丈さを併せ持った、鋼で構成された化け物を叩き潰すことは不可能だった。
「エイファス殿!」
名前を呼ばれ、騎士隊長はさっとそちらへ目を向けた。
大仰な鎧で武装した五人の騎士が近づいてきた。
両肩から肘までを黒い板金で大きく膨らませ、太腿も同様の拵えで覆われている。兜は翼の装飾が施されていて、目元まで覆いが付いている。まるで重歩兵のような鎧だが、籠手や長靴は革製で薄い鋼を控えめに貼り付けているのみだった。
不自然に膨らんだシルエットの騎士集団のうち、隊長の名を呼んだのは先頭の男だった。
兜で顔が見えなかったが、騎士隊長はその声に聞き覚えがあった。
「ガルドか」
「はい、兜を取れない非礼はどうか免じてください」
ガルドは兜をつけたまま敬礼した。まだ若い、清涼感のある声が兜の下から響いた。
「非常時だ、仕方がない。それより、許可が下りたのか」
騎士隊長はガルドの武装が意味するところを改めて確認した。
ガルドの武装は対モンスター白兵戦に特化した翼殻鎧と呼ばれるものだ。モンスターに近い魔剣相手にも一定の効果は見込めた。
「父上が責任を持つとのことで、〈聖剣〉の使用が中枢会議で承認されました」
「そうか……だが、お前はいけるのか」
現状、あの憎き獣の頭を仕留められるのは、教会が持つ最高戦力において他は無いと分かっていたが、彼のことをよく知る騎士隊長は躊躇っていた。
少しでもしくじれば、待っているのは死なのだ。優秀とはいえ、まだ若い騎士に任せることは気が引けた。
「確約はできませんが、〈紅玉の聖剣〉の担い手として出来うる限りまで戦う所存です」
兜に遮られてなお、真剣な目をしている様が騎士隊長には分かった。
死の恐怖を目の前にして一歩も退かないその姿勢に、騎士隊長も覚悟を決めた。
「こちらからも、援護は行う。危機を感じたら直ぐに退け」
「承知しました」
ガルドは腰の剣に手をかけた。
剣の種類としては両手剣に該当する。両手剣は、教会騎士が用いる一般的な装備品だ。近接戦闘において優れた間合いと威力を有している。
だが、教会騎士に支給されいるものとは異なり、その剣の柄は黒く、親指大にカットされた紅玉が剣身に埋め込まれていた。
ガルドはその剣を構えながら銃士隊の前へと進み出た。
「〈紅玉の聖剣〉メリディアニ、俺に炎の祝福を」
ガルドの口上に、剣の紅玉が淡い真紅の光を放った。
光は火の粉へと変わり、ガルドの周囲を舞い飛ぶ。まるで、剣がガルドを守っているようだった。
ガルドと同じ鎧を纏った四人の騎士はガルドを中心として扇状に散開、各々の手には鉄と麻紐でできた流星錘が握られていた。
「手筈通り、足止めを頼みます。ヴレイヴルの加護があらんことを!」
「あらんことを!」
ガルドが獣の頭目掛けて突進した。
半拍遅れて流星錘が放たれ、二つの獣の頭へと命中した。硬質な音を響かせて獣の頭は後退した。
大口を開けてガルドを待ち構えていたもう一つの獣の頭は〈紅玉の聖剣〉によって上顎が切り飛ばされていた。
作り物の目をぎょろりとさせながら宙を舞う上顎を、容赦の無い追撃が真っ二つに割る。
地面に落ちたとき、獣の頭はただの趣味の悪いがらくたとなっていた。
自分たちを破壊できる存在を認識したのか、それともただ一番近くにいる餌と思ったのか、二つの獣の頭はガルドに食らいつこうと襲い掛かった。
妨害する流星錘の紐を食いちぎって、片方の獣の頭が足を狙う。
しかし、聖剣の鋭い突きによって獣の頭は地面に縫い留められた。
聖剣の剣身が真紅の光を放ち、巻き起こった炎が獣の頭を飲み込んだ。じゅうっ、と獣の頭に付着していた血と脂が焦げる。
「副隊長、危ない!」
流星錘を躱した獣の頭が、ガルドの兜に噛み付いた。
兜の中材に阻まれ、牙は内部まで届いていなかったが、頭が噛み砕かれるのは時間の問題だった。
しかし、ガルドは慌てることなく大きく頭を横に振った。
兜は獣の頭が食らいついたまますっぽ抜けた。モンスターとの戦いを考慮した翼殻鎧は、取りつかれるのを防ぐために部品が簡単に剥がれるのだ。
獣の頭が空中で兜を潰し、不味そうにぺっと吐き出した。
獣の頭は、無防備になったガルドの頭に再び噛みつこうと跳躍したが、下段から振り上げられた聖剣によって断ち切られた。
断片は炎に包まれて動きを止めた。
地表で炙られていた獣の頭は原型を留めていたが、煤けた鋼の塊は二度と動かなくなっていた。
ガルドは聖剣を腰に吊るし、胸に手を当てて天へと黙祷を捧げた。
「さすがは四聖剣の一つに選ばれた騎士だな、ガイエラフ・チェクルス第十二隊副隊長」
血を流さずに三つの魔剣を同時に屠ってみせた後輩騎士を見て、騎士隊長がぽつりと呟いた。援護を約束したものの、そんなものは必要がなかった。
ひしゃげた兜と、屠られた三つの魔剣を背に帰還するガルドは、声に違わず非常に若い顔立ちをしていた。
鋭角的な顎の輪郭の右半分を栗色の髪で隠し、逆に左側は髪に飾り紐を編み込んで露出させている。髪に隠れていない左目は鳶色で、少し釣りあがっている。そこだけ見れば刃のようなとっつきにくさを覚えるが、気弱そうな垂れ眉のおかげで全体の印象は中和されていた。
年は二十歳前後に見え、言うまでもなく騎士隊副隊長の中では最も若かった。
彼がその地位に就いているのは、妬む輩が言うように、枢機卿の三男であるからではない。
ギリスアンの建国当初から伝わる四本の聖剣の名を冠した魔剣のうち、〈紅玉の聖剣〉に選ばれた聖剣使いであるからである。
聖剣の使い手は常に存在するのではなく、剣が選定した優れた騎士のみ資格を有している。現在、聖剣の使い手は二人のみで、〈黄玉の聖剣〉の使い手は足の故障で前線に立っていない。
つまり、ガイエラフ・チェクルスこそが教会騎士団の保有する最高戦力だった。
「状況終了しました。エイファス隊長、援護ありがとうございます」
兜が外れたガルドは、騎士隊長に正しく敬礼した。
騎士隊長も礼を返す。
「いや、私は何もしていないのだが」
「何を言っているのですか、ここでずっと魔剣を釘付けにしていたじゃありませんか。それがなければ、今頃どれだけ被害が拡大していたか」
ガルドの謙虚な言葉に、騎士隊長はぐっと口を引き結んだ。噛み殺された部下のことを思い、目頭が熱くなっていた。
このままでは後輩の前で不甲斐ない顔になってしまうと、騎士団長は話題を変えた。
「しかし、まだ当分騒ぎは終わらんぞ」
「……はい、そうなると思います」
無理やり顰め面を作った騎士団長の言葉に、ガルドの顔も陰った。
「せめて、シルヴィア様がご健在であればな」
ガルドの左目が少し揺らいだが、騎士隊長は気付かなかった。
「ガルド副隊長、シルヴィア様の容体について何か知っていることはないか。遠征に行く前はシルヴィア様の従者だったのだろう?」
騎士隊長に向けられたガルドの目に揺らぎはなかった。
「いえ、私も体調が思わしくない、としか伝えられていません」
「そうか」
「では、私は報告があるので戻ります。僭越ながら、後始末をお願い致します」
「ああ、分かった」
ガルドと騎士隊長は敬礼を交わした。
稽古場を後にするガルドの後ろには、翼殻鎧で武装した四人の部下が続いた。
真っ直ぐチェクルス家の邸宅へと向かうガルドに、騎士達は皆道を譲った。慌てて敬礼するものさえいた。
騎士達は獣の頭による被害状況を確認していた。まだ建物や道の至る所に血痕や肉塊が残っていた。
ガルドは拳を強く握った。
「シルヴィア様、どうしてこんなことに……」
その呟きは、誰にも聞き咎められることはなかった。