残酷な描写あり
R-15
黒の聖騎士(4)
灰色の小鳥が木の枝に止まり、青い小さな果実を突いた。
その木はかなりの年月を重ねているようで、すぐ近くにそびえる塀と並ぶほどの背丈だった。
木の周辺は色とりどりの初夏の花を咲かせた低木が囲み、さらにその下には青い芝生が敷かれていた。
他にも細やかに手入れが施された植え込みが多数あり、高名な貴族の庭園であることが伺えた。
庭園の一角に、草の生えていない四角い広場があった。
そこで、一人の少年が木剣を素振りしていた。
「はっ、はっ」
少年は、簡素だが上質な黒いチュニックを着ていた。チュニックの背には、十二の断片からなる翼と馬の輪郭が白い糸で刺繍されていた。
一心不乱に木剣を振るう少年の鳶色の目は、しっかりと前を見据え、栗色の髪は汗でじっとりと濡れていた。
「フェズ、今日も頑張っているな」
突然響いた声に、少年は手を止めた。
いつの間にか、広場の端に一人の青年が立っていた。
青年の髪は少年と同じ栗色で、左側に飾り紐を編み込んでいた。薄い革鎧の上から教会騎士の黒いサーコートを着込み、腰には騎士団の支給品の剣を挿している。
少年は青年の姿を認めるとぱっと顔を輝かせ、剣を下ろしてすぐさま駆け寄った。
「ガイエラフ兄さん、おはようございます!」
「おはよう、というには少し時間が遅い気もするが……まあ、おはよう」
弟の元気すぎる挨拶に少々面食らいながらも、ガルドは挨拶を返した。
「窓の外を見て驚いたよ。今日の剣の稽古は延期になっていた筈だろう?」
「はい。でも、兄さんに追いつくために鍛錬を欠かす訳にはいかないので、自主訓練をしていました」
フェズは目をきらきらと輝かせながら、家に不在がちな兄を見上げていた。
「兄さんみたいに、早く騎士団で活躍したいです」
ガルドは照れくさそうに顎をかいた。
「そうか。だが、鍛えるのは良いことでも、今日はあまり外に出ないほうがいい」
「でも、騎士を襲っていた奴らは兄さんがやっつけたんでしょう?」
中央区で暴れていた魔剣をガルドが討滅してから、既に二日が経過していた。表向きは、中央区に賊が侵入した騒動ということになっている。
しかし、未だに中央区の警戒態勢は解かれていない。おかげでフェズもずっと屋敷に閉じ込められていた。
稽古が延期となったのも、指南役の老騎士まで警戒に駆り出されてしまったからだ。
「確かに騎士狩りをしていた連中は俺が倒した。だが奴らの首領はまだ捕まっていないんだ。だから、家で大人しくしていてくれないか」
活発だが聞き分けの良い弟に、ガルドは優しく言い聞かせた。
「そいつも、兄さんが懲らしめるんですよね」
フェズの邪気のない言葉に、ガルドは息を呑みかけ――寸前で静かに吐き出した。
「ああ、勿論だ。俺がいる限り、聖都の悪を許しはしないよ」
ガルドは胸を張って、出来るだけ頼もしそうに言った。だが、頼りなさげな顔立ちのせいであまり格好はついていなかった。
頃合いを見計らったように、フェズを使用人が迎えに来た。
ガルドもそれに付いて屋敷の中に戻った。
フェズが自室に帰るのを確認してから、ガルドは父の――チェクルス卿の書斎へと向かった。
書斎では、枢機卿である父と長兄オーガスト・チェクルス騎士団総帥が待っていた。
「遅かったな、ガイエラフ」
オーガストは、少し責めるような目をガルドに向けた。
オーガストもまた他の兄弟達と同じ栗色の髪をしていたが、目は母親譲りの明るい灰色だ。四十近い年齢と経験に裏打ちされた貫禄は一睨みで平騎士を震え上がらせるが、ガルドには全く堪えなかった。
「フェズが外にいたので、連れ戻してきました」
言い訳をすれば追及してやろうと構えていたオーガストも、さすがに口を噤んだ。末弟が心配なのは彼も同じだったからだ。
「ところで、ジェイムズ兄さんはどちらに」
ガルドは書斎の中を見回した。
名目上書斎と呼ばれているが、この部屋の中に書き物のための重厚な机と肘掛け椅子は見当たらなかった。
部屋の中央に巨大な円卓が鎮座し、その周りを六脚の椅子が囲っていた。部屋の隅の本棚には書物というよりも作戦資料を束ねたものや地図が詰め込まれ、重厚な騎士の兜が押さえとしてぞんざいに扱われている。
唯一、書斎らしさを残すのは暖炉の上に飾られた大判の絵画と聖典くらいなもので、それ以外は作戦会議室と言ったほうがいいくらいの無骨な部屋だった。
「ジェイムズには近衛騎士団をまとめて、市井の捜索をさせている」
枢機卿が落ち着いた声で言った。椅子に腰掛け、左手に持った眼鏡で焦点を調整しながら報告書に目を向けていた。
「旧教区の小教会も、そろそろ協力してくれる頃合いだろう」
聖都と言えども、異端派は僅かながら流れ着いてくる。そして、思想が似通った者同士で寄り集まり、旧教区で〈小教会〉と呼ばれる共同体を形成して暮らしていた。
先日粛清された革新派も小教会の一つだった。騒ぎの余波で他の小教会も表立った活動は控えているが、騎士が圧力をかけて協力を引きずりだそうとしていた。
強引なやり方ではあるが、敵の正体が分からない以上しらみ潰しに捜索するしかなかった。
「しかし、今回の件は革新派が再び動いたにしては時期が早過ぎる。他の枢機卿が動いたと考えるのが妥当では」
オーガストが発言した。
「お前の考えはどうだ」
枢機卿はガルドに目配せをした。
ガルドは騎士としての経験は三人の中で最も浅いが、聖剣使いの持つ感覚は常人を逸脱している。正確には、憑依霊型魔剣と契約したことの恩恵だが。
そこからもたらされる視点に、枢機卿だけでなくオーガストも注視していた。
ガルドは僅かに目を伏せて、口を開いた。
「あくまで勘ですが、シルヴィア様が関わっていると思われます」
その一言で、空気が変わった。
「馬鹿なことを言うな、ガルド。おめおめ戻ってきて一体何の得がある。結末を恐れたからこそ、彼女は逃げ出したんだぞ」
次期教皇であるシルヴィアが聖都に不在であることは、教会上層部でも限られたものしか知らない事実だった。なぜなら、それはシルヴィアが革新派に与していたという恐るべき事件に繋がるからだ。
全ては教皇と騎士団の一部で隠蔽され、チェクルス家も大きく関わっていた。
何しろ、現場をおさえたのはガルドなのだ。
「シルヴィア様の足取りは追跡中だが、革新派と合流した形跡はない。たった一人で舞い戻って、何が出来る」
「シルヴィア様が死を前にして逃げ出すものか」
所詮は女と侮ったようなオーガストの言葉に、ガルドは反射的に言い返した。
弟のいつになく強い物言いにオーガストは虚を突かれ、言った本人もはっとして声を鎮めた。
「シルヴィア様は自らの死を恐れてなどいません。シルヴィア様が恐れるのは、何も成し得ないことです」
自然と、ガルドの左手が腰の剣に触れた。教会騎士に支給されている数打ちの柄に指がかかった。
ふむ、と枢機卿が書類を机に置いた。
「理由はどうあれ、確かにシルヴィア様が何かしらかかわっている可能性は高い。猊下が我々に隠し立てをしていたのも、頷けるというものだ」
教皇は革新派の粛清からずっと体調が思わしくなかった。
それが反逆者として連行され、会うことが叶わなくなった娘を気にかけての心労だということは、誰の目にも明らかだった。血が繋がっていなかったとしても、教皇にとってシルヴィアは大切な娘であった。
せっかくの再会に水を差されないよう、近衛騎士団副団長のジェイムズ・チェクルスを始めとした枢機卿関係者に黙っていても不思議ではなかった。
教皇がどれほど懇願したとして、反逆者シルヴィア・アンネ・ギリスアンに課せられるのは死刑以上の酷い罰であることは既に決まっていた。
「しかし、例えそうだとして、今回の一件を説明するには足りません」
オーガストはまだ納得しきっていないようだった。
「そもそも、どうやって陛下はシルヴィア様が戻ってくることを知ったというのですか」
「内通者が手引きをしたとも考えられる。その辺りも含めて調査を続けねばな――第十二騎士隊副隊長ガイエラフ・チェクルス」
「はっ」
父親としてではない枢機卿の言葉に、ガルドは一層姿勢を正しくした。
「処刑した筈の暗殺者が市井に潜んでいる可能性がある以上、聖都の守りを任された者として最大限の責務を果たす必要がある。悲しいことに、今の騎士団では件の暗殺者を取り押さえることは難しいだろう。故に、君に聖剣と共に戦列へ並ぶことを命ずる」
ガルドは左肩に手を当てて、深くお辞儀をした。
「天使ヴレイヴルの名の下に果たしてみせましょう」
顔を上げたガルドの目に、暖炉の上に飾られた絵画が映った。
青い長衣の上に深紅の鎧を纏った男が朱色の剣を掲げていた。男の背には黒い片翼が広がり、男が魔王の眷属であったことを示していた。
だが、男が険しい視線を向けるには悪竜や人狼といった魔王の軍勢が跋扈し、男の背には月色の翼を持った天使が庇われていた。
悪魔でありながら魔王に反旗を翻し、護王ロエールから第十二の天使の座を授けられた者――正義の体現者にして騎士の理想たる反翼の天使ヴレイヴルを称えるために描かれたものだ。
ガルドは心の中で天使に一礼し、書斎を立ち去った。
ガルドの立ち去った書斎で、枢機卿は窓の外を眺めていた。オーガストは椅子に座り、父の後ろ姿を見ていた。
緊迫した様子の騎士達とは対照的に、小鳥が平和そうに飛んでいた。
「ガス、拾った小鳥はどうだった」
「残念ながら、怪我が思いの外堪えたようで息を引き取っていました。近くに巣が見えたので、おそらくそこの小鳥だったかと」
「巣には何かあったかね」
「小さな卵が一つ……もう孵ることはないでしょう。番いの姿は見えませんでしたが、巣の場所から特定は容易かと」
「そうか。監獄の管理はタキドモレス卿の管轄だったな。彼は十一年前の遠征に同行していなかった筈だが」
枢機卿が後ろのオーガストに目を向けた。
「まだどこかに巣があるやもしれん。引き続き小鳥の捜索を頼む」
「御意」
オーガストは立ち上がり、枢機卿に敬礼した。
「鳥は全て籠の中に……シルヴィア様とて、例外ではない」
その木はかなりの年月を重ねているようで、すぐ近くにそびえる塀と並ぶほどの背丈だった。
木の周辺は色とりどりの初夏の花を咲かせた低木が囲み、さらにその下には青い芝生が敷かれていた。
他にも細やかに手入れが施された植え込みが多数あり、高名な貴族の庭園であることが伺えた。
庭園の一角に、草の生えていない四角い広場があった。
そこで、一人の少年が木剣を素振りしていた。
「はっ、はっ」
少年は、簡素だが上質な黒いチュニックを着ていた。チュニックの背には、十二の断片からなる翼と馬の輪郭が白い糸で刺繍されていた。
一心不乱に木剣を振るう少年の鳶色の目は、しっかりと前を見据え、栗色の髪は汗でじっとりと濡れていた。
「フェズ、今日も頑張っているな」
突然響いた声に、少年は手を止めた。
いつの間にか、広場の端に一人の青年が立っていた。
青年の髪は少年と同じ栗色で、左側に飾り紐を編み込んでいた。薄い革鎧の上から教会騎士の黒いサーコートを着込み、腰には騎士団の支給品の剣を挿している。
少年は青年の姿を認めるとぱっと顔を輝かせ、剣を下ろしてすぐさま駆け寄った。
「ガイエラフ兄さん、おはようございます!」
「おはよう、というには少し時間が遅い気もするが……まあ、おはよう」
弟の元気すぎる挨拶に少々面食らいながらも、ガルドは挨拶を返した。
「窓の外を見て驚いたよ。今日の剣の稽古は延期になっていた筈だろう?」
「はい。でも、兄さんに追いつくために鍛錬を欠かす訳にはいかないので、自主訓練をしていました」
フェズは目をきらきらと輝かせながら、家に不在がちな兄を見上げていた。
「兄さんみたいに、早く騎士団で活躍したいです」
ガルドは照れくさそうに顎をかいた。
「そうか。だが、鍛えるのは良いことでも、今日はあまり外に出ないほうがいい」
「でも、騎士を襲っていた奴らは兄さんがやっつけたんでしょう?」
中央区で暴れていた魔剣をガルドが討滅してから、既に二日が経過していた。表向きは、中央区に賊が侵入した騒動ということになっている。
しかし、未だに中央区の警戒態勢は解かれていない。おかげでフェズもずっと屋敷に閉じ込められていた。
稽古が延期となったのも、指南役の老騎士まで警戒に駆り出されてしまったからだ。
「確かに騎士狩りをしていた連中は俺が倒した。だが奴らの首領はまだ捕まっていないんだ。だから、家で大人しくしていてくれないか」
活発だが聞き分けの良い弟に、ガルドは優しく言い聞かせた。
「そいつも、兄さんが懲らしめるんですよね」
フェズの邪気のない言葉に、ガルドは息を呑みかけ――寸前で静かに吐き出した。
「ああ、勿論だ。俺がいる限り、聖都の悪を許しはしないよ」
ガルドは胸を張って、出来るだけ頼もしそうに言った。だが、頼りなさげな顔立ちのせいであまり格好はついていなかった。
頃合いを見計らったように、フェズを使用人が迎えに来た。
ガルドもそれに付いて屋敷の中に戻った。
フェズが自室に帰るのを確認してから、ガルドは父の――チェクルス卿の書斎へと向かった。
書斎では、枢機卿である父と長兄オーガスト・チェクルス騎士団総帥が待っていた。
「遅かったな、ガイエラフ」
オーガストは、少し責めるような目をガルドに向けた。
オーガストもまた他の兄弟達と同じ栗色の髪をしていたが、目は母親譲りの明るい灰色だ。四十近い年齢と経験に裏打ちされた貫禄は一睨みで平騎士を震え上がらせるが、ガルドには全く堪えなかった。
「フェズが外にいたので、連れ戻してきました」
言い訳をすれば追及してやろうと構えていたオーガストも、さすがに口を噤んだ。末弟が心配なのは彼も同じだったからだ。
「ところで、ジェイムズ兄さんはどちらに」
ガルドは書斎の中を見回した。
名目上書斎と呼ばれているが、この部屋の中に書き物のための重厚な机と肘掛け椅子は見当たらなかった。
部屋の中央に巨大な円卓が鎮座し、その周りを六脚の椅子が囲っていた。部屋の隅の本棚には書物というよりも作戦資料を束ねたものや地図が詰め込まれ、重厚な騎士の兜が押さえとしてぞんざいに扱われている。
唯一、書斎らしさを残すのは暖炉の上に飾られた大判の絵画と聖典くらいなもので、それ以外は作戦会議室と言ったほうがいいくらいの無骨な部屋だった。
「ジェイムズには近衛騎士団をまとめて、市井の捜索をさせている」
枢機卿が落ち着いた声で言った。椅子に腰掛け、左手に持った眼鏡で焦点を調整しながら報告書に目を向けていた。
「旧教区の小教会も、そろそろ協力してくれる頃合いだろう」
聖都と言えども、異端派は僅かながら流れ着いてくる。そして、思想が似通った者同士で寄り集まり、旧教区で〈小教会〉と呼ばれる共同体を形成して暮らしていた。
先日粛清された革新派も小教会の一つだった。騒ぎの余波で他の小教会も表立った活動は控えているが、騎士が圧力をかけて協力を引きずりだそうとしていた。
強引なやり方ではあるが、敵の正体が分からない以上しらみ潰しに捜索するしかなかった。
「しかし、今回の件は革新派が再び動いたにしては時期が早過ぎる。他の枢機卿が動いたと考えるのが妥当では」
オーガストが発言した。
「お前の考えはどうだ」
枢機卿はガルドに目配せをした。
ガルドは騎士としての経験は三人の中で最も浅いが、聖剣使いの持つ感覚は常人を逸脱している。正確には、憑依霊型魔剣と契約したことの恩恵だが。
そこからもたらされる視点に、枢機卿だけでなくオーガストも注視していた。
ガルドは僅かに目を伏せて、口を開いた。
「あくまで勘ですが、シルヴィア様が関わっていると思われます」
その一言で、空気が変わった。
「馬鹿なことを言うな、ガルド。おめおめ戻ってきて一体何の得がある。結末を恐れたからこそ、彼女は逃げ出したんだぞ」
次期教皇であるシルヴィアが聖都に不在であることは、教会上層部でも限られたものしか知らない事実だった。なぜなら、それはシルヴィアが革新派に与していたという恐るべき事件に繋がるからだ。
全ては教皇と騎士団の一部で隠蔽され、チェクルス家も大きく関わっていた。
何しろ、現場をおさえたのはガルドなのだ。
「シルヴィア様の足取りは追跡中だが、革新派と合流した形跡はない。たった一人で舞い戻って、何が出来る」
「シルヴィア様が死を前にして逃げ出すものか」
所詮は女と侮ったようなオーガストの言葉に、ガルドは反射的に言い返した。
弟のいつになく強い物言いにオーガストは虚を突かれ、言った本人もはっとして声を鎮めた。
「シルヴィア様は自らの死を恐れてなどいません。シルヴィア様が恐れるのは、何も成し得ないことです」
自然と、ガルドの左手が腰の剣に触れた。教会騎士に支給されている数打ちの柄に指がかかった。
ふむ、と枢機卿が書類を机に置いた。
「理由はどうあれ、確かにシルヴィア様が何かしらかかわっている可能性は高い。猊下が我々に隠し立てをしていたのも、頷けるというものだ」
教皇は革新派の粛清からずっと体調が思わしくなかった。
それが反逆者として連行され、会うことが叶わなくなった娘を気にかけての心労だということは、誰の目にも明らかだった。血が繋がっていなかったとしても、教皇にとってシルヴィアは大切な娘であった。
せっかくの再会に水を差されないよう、近衛騎士団副団長のジェイムズ・チェクルスを始めとした枢機卿関係者に黙っていても不思議ではなかった。
教皇がどれほど懇願したとして、反逆者シルヴィア・アンネ・ギリスアンに課せられるのは死刑以上の酷い罰であることは既に決まっていた。
「しかし、例えそうだとして、今回の一件を説明するには足りません」
オーガストはまだ納得しきっていないようだった。
「そもそも、どうやって陛下はシルヴィア様が戻ってくることを知ったというのですか」
「内通者が手引きをしたとも考えられる。その辺りも含めて調査を続けねばな――第十二騎士隊副隊長ガイエラフ・チェクルス」
「はっ」
父親としてではない枢機卿の言葉に、ガルドは一層姿勢を正しくした。
「処刑した筈の暗殺者が市井に潜んでいる可能性がある以上、聖都の守りを任された者として最大限の責務を果たす必要がある。悲しいことに、今の騎士団では件の暗殺者を取り押さえることは難しいだろう。故に、君に聖剣と共に戦列へ並ぶことを命ずる」
ガルドは左肩に手を当てて、深くお辞儀をした。
「天使ヴレイヴルの名の下に果たしてみせましょう」
顔を上げたガルドの目に、暖炉の上に飾られた絵画が映った。
青い長衣の上に深紅の鎧を纏った男が朱色の剣を掲げていた。男の背には黒い片翼が広がり、男が魔王の眷属であったことを示していた。
だが、男が険しい視線を向けるには悪竜や人狼といった魔王の軍勢が跋扈し、男の背には月色の翼を持った天使が庇われていた。
悪魔でありながら魔王に反旗を翻し、護王ロエールから第十二の天使の座を授けられた者――正義の体現者にして騎士の理想たる反翼の天使ヴレイヴルを称えるために描かれたものだ。
ガルドは心の中で天使に一礼し、書斎を立ち去った。
ガルドの立ち去った書斎で、枢機卿は窓の外を眺めていた。オーガストは椅子に座り、父の後ろ姿を見ていた。
緊迫した様子の騎士達とは対照的に、小鳥が平和そうに飛んでいた。
「ガス、拾った小鳥はどうだった」
「残念ながら、怪我が思いの外堪えたようで息を引き取っていました。近くに巣が見えたので、おそらくそこの小鳥だったかと」
「巣には何かあったかね」
「小さな卵が一つ……もう孵ることはないでしょう。番いの姿は見えませんでしたが、巣の場所から特定は容易かと」
「そうか。監獄の管理はタキドモレス卿の管轄だったな。彼は十一年前の遠征に同行していなかった筈だが」
枢機卿が後ろのオーガストに目を向けた。
「まだどこかに巣があるやもしれん。引き続き小鳥の捜索を頼む」
「御意」
オーガストは立ち上がり、枢機卿に敬礼した。
「鳥は全て籠の中に……シルヴィア様とて、例外ではない」