残酷な描写あり
R-15
剣と少女の眠る揺り籠(下)
リーフが目を開けると、そこは廃墟の広場だった。
空はどこまでも赤黒い闇に覆われているというのに、無残に壊された建物群と地面に転がる無数の死体が昼日中と同じくはっきりと視認できた。そんな奇妙な場所はリーフの知る中で一つしかない。
しかし、以前にはなかったものが幾つか増えていた。
まず、廃墟の壁が塗料で落書きされていた。血で書いたような赤黒い塗料で、現在使われていない古い文字を書き連ねている。
内容は、『死に損ないは死ね』、『こちら、あ・く・ま! クズ魔剣じゃ勝てねぇから!』、『雑魚魔剣は秒で潰す』等等、リーフが読める限りでは魔剣に対する罵倒ばかりだった。
そして、リーフが横になっている寝台は場違いにも広場の中心に置かれていた。そこは元々絞首刑台の残骸と無数の死体が占拠していた場所だった。
寝台は三人寝転がっても余るくらいの広さで、程よい弾力のあるマットレスと軽くて暖かい布団を惜しみなく使用している。
リーフが身体を起こすと、布団の上に毛織り物がかけられているのが見えた。小麦色を基調とし、緑と赤の蔦模様が織り込まれている。蔦模様の上には、灰色や焦げ茶の狼が駆け回っていた。
「ようやく起きたのかよ。遅ぇぞ、おい」
少し高めの、よく通るが気に障る声が響いた。
リーフが左を向くと、ギルが壊れかけた木の椅子に座っていた。椅子の足は四本あったのだが、うち一本は真ん中で折れ、もう一本は外れかかっている。しかし、ギルは少しも身体を揺らがせず器用にくつろいでいた。
脇には煤けていたり血で汚れいたりする廃材を積み上げた簡易テーブル(という名のゴミの山)があり、その上に林檎がたくさん入った籠が置かれていた。
ギルは手元を見ることなく爪で林檎の皮をするすると剥いていた。顔には、人を馬鹿にしたような笑みに、一摘みの心配を混ぜたような表情を浮かべていた。
「何をした」
「見ての通りの看病ごっこだ。テメェがくたばりかけてから暇で仕方なくってな。看病っぽいものを奥の方から引っ張り出してみた」
ギルが剥きかけの林檎を宙に放ると、林檎は灰の塊となって霧散した。ここに存在するものは、リーフ以外全てギルの空想の産物なのだ。存在も消失も意のままに行えた。
「そういう事じゃあない。ボクは悪い夢を見ていた。その中に現れただろう、ギルスムニル」
リーフはギルを正面から見据えた。
夢の中で、リーフは確かにギルの声を聞いた。
悪夢からリーフを引き摺り下ろした酷い火傷の手は初めて見るものだったが、一目でギルのものだという不思議な確証があった。
「はあ? ああ、さっきちょっと突っついたやつか。怪我の割には寝過ぎじゃねぇかと思って、少しテメェの中まで覗いたんだよ。そしたらあのいけ好かねぇ野郎がちょっかいかけてたから不意打ちでブッ飛ばした」
赤黒い爪先を軽く擦って朱色の火花を散らし、ギルは得意げに言った。
「いけ好かない野郎?」
第三者を示す言葉にリーフは僅かに眉をひそめた。
「テメェとの契約に口挟んできやがる、天使のくせに胡散臭ぇ魔剣野郎だ。ここまで付いて来てるとなると、荷物に欠片でも仕込みやがったか」
次に会ったらぶっ殺す、とギルは拳を握った。
「ここまで、ということは前にも会ったことがあるのかい」
「ほら、前に狩人に絡まれて蹴散らしたことあっただろ。あのとき身動きとれねぇ俺に絡んできたんだよ」
ギリスアンへの道中、魔剣を狩る集団がギルを危険視し狙ったことがあった。一時は奪われたものの、リーフが反撃し取り返したことで今もギルを手元に置いていた。
「ここで駄弁ってたから憑依霊なんだろうが、よく分からねぇ。まあ、天使共は基本よく分からねぇけど」
「確か、ボクもその天使の血を引いているらしいけれども、そもそも天使とは一体何なのだい」
リーフのような魔戦士は皆、人ならざるものの血を受け継いでいる。しかし、リーフは自分の血について殆ど知らなかった。
ヒトは天使と呼び、同胞たる神は景月族と呼ぶ。それから丈夫な身体をもち、白い鱗を張った肌はさらに頑丈になる。それだけがリーフの持つ知識だった。
ギルは天を仰いで唸った。
「天使自体は俺らと同じようなもんだ。元はヒトと関わらずに生きてたらしいし、役目に関係ねぇヒトなんか眼中にねぇ奴らだ。つーか、戦争中も全然見てねぇし何やってんだか本当分かんねぇ。きょーてい? だっけか? そーいや、昔ちょっかいかけてきてたよーな……」
要領を得ないギルの言葉に、リーフはため息をついた。
「君に聞いたボクが悪かったよ」
「……あー、やっぱり駄目だ、慣れねぇし言う度になんかぞわっとする」
ギルは顔を顰めると、右手で頭をくしゃくしゃと掻いた。
「なあ、何でヒトは景月を天使って呼ぶんだ?あいつらの大元は俺らとそう変わらねぇのに、こっちは邪悪の象徴みたく悪魔って呼ぶんだよ」
「ああ、そういえば確かに君の目は赤だし髪は黒いじゃあないか。聖典で語られる正真正銘の悪魔だったのか」
納得した様子でリーフは頷いた。
「は?」
ギルはきょとんとして、目をぱちぱちさせた。
リーフに向かい合っている人物は、いつもの異形染みた影ではなかった。
普段の曖昧な人型ではなく、薄暗がりの中にいるようにはっきりと視認できないが大まかに掴めるくらいに姿が露呈していた。
その姿は初めて見たが、いつもと変わらない態度と声で接してきたので、リーフにはすぐに彼だと飲み込めたのだ。
背丈は男の中ではやや高いくらいで、軍服のような青い詰襟を着ていた。黒い髪はくせが強いのか重力に逆らってぼさぼさに跳ね散らかっている。
まとまりのない髪型も手伝って、顔立ちはかなり幼く見えた。朱色の左目は火傷で赤く爛れた顔の中にあって尚、生々しくぎらついていた。
「は? え? あっ、嘘だろ!」
ギルは自分の顔をぺたぺたと触り、正体が隠せていないことにようやく気付いた。
「しかもこっちの姿! がーーーっ!」
ギルの叫びが廃墟に響き渡った。やってしまったとばかりに手で顔を隠し、勢いよく立ち上がった。反動で椅子が後方にぶっ飛びながら崩壊した。
あまりの動揺ぶりにリーフも呆気にとられていた。
ギルはリーフに背を向けて、地面を強く蹴った。
「こっち見んな!」
蹴られた石畳が割れて地面がぼろぼろと崩れ始めた。地面の崩壊は寝台の下にまで及び、寝台ごとリーフは穴の中へと落下した。
最早慣れてしまった浮遊感とともに、リーフは現実へと引き戻された。
ぱちり、とリーフは目を開いた。
「照れ隠しに蹴り落とすとは、年頃の生娘かい」
「うわあびっくりしたっ!」
リンはとび上がって整備していた部品を取り落した。
リーフは周囲の様子をちらりと確認すると、重傷の両腕を支えにして上半身を起こした。治りきっていない傷が刺すような痛みを訴えたが、無視した。
「リーフ、ようやく気がついたの!」
――あああ、良かったですー!
分解した銃を置き去りにして、リンはリーフの側に駆け寄った。
がりがりと引きずられたイーハンも嬉しそうに声をあげた。
「此処はどこなのだい」
「旧教区側の壁の中だよ」
「壁の? ……まあ、いい。どれくらい経った、あと何人生き残った?」
「あれから四日経ってる」
――生存者は僕らと、逃げ出した魔剣くらいですかね。
リーフの問いに、リンは矢継ぎ早に答えた。イーハンも補足する。
「あの少女は?」
「覚えてないの?」
リンが少し首をかしげた。リーフはその表情を見て、ようやく顛末を思い出した。
「ああ、ボクが殺したんだった。『あの女』を殺した後に」
――〈誓約破り〉のついでに殺ったやつか。まあ、不安定なガキだったし、仕方ねぇよ。
平静を装い、ギルが足の下から口を挟んだ。
「やあ、生娘のギルスムニル」
理不尽に追い出された仕返しとばかりに、早速リーフの口撃が飛び出した。
「生娘……って、あんた女だったの!」
リンの目にむき出しの敵意が宿った。
――ええっ! ギルさんって男にしか見えないのに女なんですか! リーフさんと同じで!
――んな訳ねぇだろ!テメェも適当なこと言ってんじゃねぇ!
誤解がイーハンにまで広がり、ギルは慌てて否定した。
「すまない、さっきの反応が生娘ぽくて初だったから、つい言ってしまった」
全く反省していない口調で謝罪を述べ、リーフは話題を仕切り直した。
「今いるのが壁の中、ということだったけれど、どういうことだい」
「ほら、聖都の城壁に監視塔ってあったじゃん。今いるのは、旧教区側の監視塔の中だよ」
リンが説明した。リーフはすぐに記憶の糸をたぐり寄せた。
「確か、旧教区側の監視塔の入り口は区画の移転に合わせて塞がれた……いや、分からなくなっていた筈だ。どうやって見つけたんだい」
――……俺が見つけたんだよ。
不貞腐れたままギルが言った。
――仕込みのタネさえ知ってりゃ、何処が怪しいかぐらいは大体分かる。特に景月は力の相性悪ぃから逆に気付きやすいんだよ。
――本来、こういうのは僕の方が得意なんですけど……すみません、役に立てなくて。
「成程、悪魔の面目躍如というわけだね」
「悪魔ぁ!?」
リンが再び叫んだ。
「ねぇちょっと、この前あんた竜だって言ってたじゃん! あれ嘘なワケぇ!」
裏切り行為だとばかりにリンは過剰に噛み付いた。
――嘘じゃねぇよ竜で悪魔なんだよ!
ギルの発言にリンとリーフは顔を見合わせた。
少し考えてから、リーフは口を開いた。
「敬月教では、朱眼の悪魔は黒き邪竜に騎乗すると説いている。同一の存在であるから、一組で語っているのかもしれない」
リーフが自らの宗教的知見から考察を口述した。そこで突然はっとした。
「ということは、天使が使役する白の護竜も同じということなのか?そして、炎の悪魔と対になる悪竜はつまり……」
「うえー、宗教考察はよそでやってよー」
リンがあからさまに嫌な顔をした。異教徒同士での宗教談義は一般的ではなく、暗黙の内に忌避されている。噛み合わない宗教観の押し付け合いの末、殺し合いにまで発展した事例が腐るほど発生したからだ。
リーフもそれに気付いて思考を中断した。
「それもそうだ。まずは聖都から出る策を考えるのが先決だ」
「そうそう、で、どうやって出るつもりだったの」
まずは、元々リーフが考えていた計画を参考にしようとリンは尋ねた。
「本来ならば、正面から騎士を切り捨てて道を開くつもりだった」
「え、うそ。本気で言ってる?」
リンの顔が凍りついた。リーフが言っていることは事実上の撤退戦だ。そしておそらく脱出路をこじ開けることと、追手を足止めすることは両方リーフが行うつもりだったと容易に推定できた。
無論、リーフの命と引き換えになる作戦だ。
リーフは首を横に振った。
「この身体では無理だ。魔剣使いどころか、騎士の相手すら辛いだろう」
「あー、びっくりしたー」
ひとまずリンは胸を撫で下ろした。
「では、代わりの策といえば、実は既にある」
「どうするの?」
首筋にぞわぞわと嫌な予感を感じながら、リンは聞いた。
「その前に、ギル、一つ聞いても良いかい」
リーフは足の下に敷いたままの魔剣に声をかけた。
「ギル、君は最強の魔剣だと言っていたね」
――おう、俺よりも強ぇ魔剣はねぇよ。
リーフの一言で機嫌がよくなったのか、ギルは即答した。
「仮に、一撃で町一つ潰すことはできるのかい」
「え」
リーフの大変物騒な問いかけに、リンの顔が再びひくついた。
――できるぜ。まあ、ただなぁ……
ギルは一度言葉を切った。
――確実にテメェの命と引き換えになる。
空はどこまでも赤黒い闇に覆われているというのに、無残に壊された建物群と地面に転がる無数の死体が昼日中と同じくはっきりと視認できた。そんな奇妙な場所はリーフの知る中で一つしかない。
しかし、以前にはなかったものが幾つか増えていた。
まず、廃墟の壁が塗料で落書きされていた。血で書いたような赤黒い塗料で、現在使われていない古い文字を書き連ねている。
内容は、『死に損ないは死ね』、『こちら、あ・く・ま! クズ魔剣じゃ勝てねぇから!』、『雑魚魔剣は秒で潰す』等等、リーフが読める限りでは魔剣に対する罵倒ばかりだった。
そして、リーフが横になっている寝台は場違いにも広場の中心に置かれていた。そこは元々絞首刑台の残骸と無数の死体が占拠していた場所だった。
寝台は三人寝転がっても余るくらいの広さで、程よい弾力のあるマットレスと軽くて暖かい布団を惜しみなく使用している。
リーフが身体を起こすと、布団の上に毛織り物がかけられているのが見えた。小麦色を基調とし、緑と赤の蔦模様が織り込まれている。蔦模様の上には、灰色や焦げ茶の狼が駆け回っていた。
「ようやく起きたのかよ。遅ぇぞ、おい」
少し高めの、よく通るが気に障る声が響いた。
リーフが左を向くと、ギルが壊れかけた木の椅子に座っていた。椅子の足は四本あったのだが、うち一本は真ん中で折れ、もう一本は外れかかっている。しかし、ギルは少しも身体を揺らがせず器用にくつろいでいた。
脇には煤けていたり血で汚れいたりする廃材を積み上げた簡易テーブル(という名のゴミの山)があり、その上に林檎がたくさん入った籠が置かれていた。
ギルは手元を見ることなく爪で林檎の皮をするすると剥いていた。顔には、人を馬鹿にしたような笑みに、一摘みの心配を混ぜたような表情を浮かべていた。
「何をした」
「見ての通りの看病ごっこだ。テメェがくたばりかけてから暇で仕方なくってな。看病っぽいものを奥の方から引っ張り出してみた」
ギルが剥きかけの林檎を宙に放ると、林檎は灰の塊となって霧散した。ここに存在するものは、リーフ以外全てギルの空想の産物なのだ。存在も消失も意のままに行えた。
「そういう事じゃあない。ボクは悪い夢を見ていた。その中に現れただろう、ギルスムニル」
リーフはギルを正面から見据えた。
夢の中で、リーフは確かにギルの声を聞いた。
悪夢からリーフを引き摺り下ろした酷い火傷の手は初めて見るものだったが、一目でギルのものだという不思議な確証があった。
「はあ? ああ、さっきちょっと突っついたやつか。怪我の割には寝過ぎじゃねぇかと思って、少しテメェの中まで覗いたんだよ。そしたらあのいけ好かねぇ野郎がちょっかいかけてたから不意打ちでブッ飛ばした」
赤黒い爪先を軽く擦って朱色の火花を散らし、ギルは得意げに言った。
「いけ好かない野郎?」
第三者を示す言葉にリーフは僅かに眉をひそめた。
「テメェとの契約に口挟んできやがる、天使のくせに胡散臭ぇ魔剣野郎だ。ここまで付いて来てるとなると、荷物に欠片でも仕込みやがったか」
次に会ったらぶっ殺す、とギルは拳を握った。
「ここまで、ということは前にも会ったことがあるのかい」
「ほら、前に狩人に絡まれて蹴散らしたことあっただろ。あのとき身動きとれねぇ俺に絡んできたんだよ」
ギリスアンへの道中、魔剣を狩る集団がギルを危険視し狙ったことがあった。一時は奪われたものの、リーフが反撃し取り返したことで今もギルを手元に置いていた。
「ここで駄弁ってたから憑依霊なんだろうが、よく分からねぇ。まあ、天使共は基本よく分からねぇけど」
「確か、ボクもその天使の血を引いているらしいけれども、そもそも天使とは一体何なのだい」
リーフのような魔戦士は皆、人ならざるものの血を受け継いでいる。しかし、リーフは自分の血について殆ど知らなかった。
ヒトは天使と呼び、同胞たる神は景月族と呼ぶ。それから丈夫な身体をもち、白い鱗を張った肌はさらに頑丈になる。それだけがリーフの持つ知識だった。
ギルは天を仰いで唸った。
「天使自体は俺らと同じようなもんだ。元はヒトと関わらずに生きてたらしいし、役目に関係ねぇヒトなんか眼中にねぇ奴らだ。つーか、戦争中も全然見てねぇし何やってんだか本当分かんねぇ。きょーてい? だっけか? そーいや、昔ちょっかいかけてきてたよーな……」
要領を得ないギルの言葉に、リーフはため息をついた。
「君に聞いたボクが悪かったよ」
「……あー、やっぱり駄目だ、慣れねぇし言う度になんかぞわっとする」
ギルは顔を顰めると、右手で頭をくしゃくしゃと掻いた。
「なあ、何でヒトは景月を天使って呼ぶんだ?あいつらの大元は俺らとそう変わらねぇのに、こっちは邪悪の象徴みたく悪魔って呼ぶんだよ」
「ああ、そういえば確かに君の目は赤だし髪は黒いじゃあないか。聖典で語られる正真正銘の悪魔だったのか」
納得した様子でリーフは頷いた。
「は?」
ギルはきょとんとして、目をぱちぱちさせた。
リーフに向かい合っている人物は、いつもの異形染みた影ではなかった。
普段の曖昧な人型ではなく、薄暗がりの中にいるようにはっきりと視認できないが大まかに掴めるくらいに姿が露呈していた。
その姿は初めて見たが、いつもと変わらない態度と声で接してきたので、リーフにはすぐに彼だと飲み込めたのだ。
背丈は男の中ではやや高いくらいで、軍服のような青い詰襟を着ていた。黒い髪はくせが強いのか重力に逆らってぼさぼさに跳ね散らかっている。
まとまりのない髪型も手伝って、顔立ちはかなり幼く見えた。朱色の左目は火傷で赤く爛れた顔の中にあって尚、生々しくぎらついていた。
「は? え? あっ、嘘だろ!」
ギルは自分の顔をぺたぺたと触り、正体が隠せていないことにようやく気付いた。
「しかもこっちの姿! がーーーっ!」
ギルの叫びが廃墟に響き渡った。やってしまったとばかりに手で顔を隠し、勢いよく立ち上がった。反動で椅子が後方にぶっ飛びながら崩壊した。
あまりの動揺ぶりにリーフも呆気にとられていた。
ギルはリーフに背を向けて、地面を強く蹴った。
「こっち見んな!」
蹴られた石畳が割れて地面がぼろぼろと崩れ始めた。地面の崩壊は寝台の下にまで及び、寝台ごとリーフは穴の中へと落下した。
最早慣れてしまった浮遊感とともに、リーフは現実へと引き戻された。
ぱちり、とリーフは目を開いた。
「照れ隠しに蹴り落とすとは、年頃の生娘かい」
「うわあびっくりしたっ!」
リンはとび上がって整備していた部品を取り落した。
リーフは周囲の様子をちらりと確認すると、重傷の両腕を支えにして上半身を起こした。治りきっていない傷が刺すような痛みを訴えたが、無視した。
「リーフ、ようやく気がついたの!」
――あああ、良かったですー!
分解した銃を置き去りにして、リンはリーフの側に駆け寄った。
がりがりと引きずられたイーハンも嬉しそうに声をあげた。
「此処はどこなのだい」
「旧教区側の壁の中だよ」
「壁の? ……まあ、いい。どれくらい経った、あと何人生き残った?」
「あれから四日経ってる」
――生存者は僕らと、逃げ出した魔剣くらいですかね。
リーフの問いに、リンは矢継ぎ早に答えた。イーハンも補足する。
「あの少女は?」
「覚えてないの?」
リンが少し首をかしげた。リーフはその表情を見て、ようやく顛末を思い出した。
「ああ、ボクが殺したんだった。『あの女』を殺した後に」
――〈誓約破り〉のついでに殺ったやつか。まあ、不安定なガキだったし、仕方ねぇよ。
平静を装い、ギルが足の下から口を挟んだ。
「やあ、生娘のギルスムニル」
理不尽に追い出された仕返しとばかりに、早速リーフの口撃が飛び出した。
「生娘……って、あんた女だったの!」
リンの目にむき出しの敵意が宿った。
――ええっ! ギルさんって男にしか見えないのに女なんですか! リーフさんと同じで!
――んな訳ねぇだろ!テメェも適当なこと言ってんじゃねぇ!
誤解がイーハンにまで広がり、ギルは慌てて否定した。
「すまない、さっきの反応が生娘ぽくて初だったから、つい言ってしまった」
全く反省していない口調で謝罪を述べ、リーフは話題を仕切り直した。
「今いるのが壁の中、ということだったけれど、どういうことだい」
「ほら、聖都の城壁に監視塔ってあったじゃん。今いるのは、旧教区側の監視塔の中だよ」
リンが説明した。リーフはすぐに記憶の糸をたぐり寄せた。
「確か、旧教区側の監視塔の入り口は区画の移転に合わせて塞がれた……いや、分からなくなっていた筈だ。どうやって見つけたんだい」
――……俺が見つけたんだよ。
不貞腐れたままギルが言った。
――仕込みのタネさえ知ってりゃ、何処が怪しいかぐらいは大体分かる。特に景月は力の相性悪ぃから逆に気付きやすいんだよ。
――本来、こういうのは僕の方が得意なんですけど……すみません、役に立てなくて。
「成程、悪魔の面目躍如というわけだね」
「悪魔ぁ!?」
リンが再び叫んだ。
「ねぇちょっと、この前あんた竜だって言ってたじゃん! あれ嘘なワケぇ!」
裏切り行為だとばかりにリンは過剰に噛み付いた。
――嘘じゃねぇよ竜で悪魔なんだよ!
ギルの発言にリンとリーフは顔を見合わせた。
少し考えてから、リーフは口を開いた。
「敬月教では、朱眼の悪魔は黒き邪竜に騎乗すると説いている。同一の存在であるから、一組で語っているのかもしれない」
リーフが自らの宗教的知見から考察を口述した。そこで突然はっとした。
「ということは、天使が使役する白の護竜も同じということなのか?そして、炎の悪魔と対になる悪竜はつまり……」
「うえー、宗教考察はよそでやってよー」
リンがあからさまに嫌な顔をした。異教徒同士での宗教談義は一般的ではなく、暗黙の内に忌避されている。噛み合わない宗教観の押し付け合いの末、殺し合いにまで発展した事例が腐るほど発生したからだ。
リーフもそれに気付いて思考を中断した。
「それもそうだ。まずは聖都から出る策を考えるのが先決だ」
「そうそう、で、どうやって出るつもりだったの」
まずは、元々リーフが考えていた計画を参考にしようとリンは尋ねた。
「本来ならば、正面から騎士を切り捨てて道を開くつもりだった」
「え、うそ。本気で言ってる?」
リンの顔が凍りついた。リーフが言っていることは事実上の撤退戦だ。そしておそらく脱出路をこじ開けることと、追手を足止めすることは両方リーフが行うつもりだったと容易に推定できた。
無論、リーフの命と引き換えになる作戦だ。
リーフは首を横に振った。
「この身体では無理だ。魔剣使いどころか、騎士の相手すら辛いだろう」
「あー、びっくりしたー」
ひとまずリンは胸を撫で下ろした。
「では、代わりの策といえば、実は既にある」
「どうするの?」
首筋にぞわぞわと嫌な予感を感じながら、リンは聞いた。
「その前に、ギル、一つ聞いても良いかい」
リーフは足の下に敷いたままの魔剣に声をかけた。
「ギル、君は最強の魔剣だと言っていたね」
――おう、俺よりも強ぇ魔剣はねぇよ。
リーフの一言で機嫌がよくなったのか、ギルは即答した。
「仮に、一撃で町一つ潰すことはできるのかい」
「え」
リーフの大変物騒な問いかけに、リンの顔が再びひくついた。
――できるぜ。まあ、ただなぁ……
ギルは一度言葉を切った。
――確実にテメェの命と引き換えになる。