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作者: 草上アケミ
残酷な描写あり R-15
十二番目の悪魔(5)
 翼を羽ばたかせ、銀色に陽光を反射する影は西へと一直線に向かっていた。

 リドバルド王国は聖ギリスアン教国の西に位置し、深い森を緩衝地帯として接している。聖都から国境までは徒歩で三日かかるが、森の最東端までなら一日半程度で辿り着けた。

 徒歩を凌駕する飛翔速度では、夜に差し掛かる頃に眼下に木々の黒い陰が見えた。
 森の中に隠れれば、追跡を撒ける可能性が大幅に高くなる。リーフの目が丁度よい着地点を探して忙しなく動いた。

 突然リーフの首ががくりと落ちた。そのまま体勢を崩し、一気に下へと引っ張られるように墜落する。
 直後にリーフギルの目が開いたが、もはや持ち直せなかった。

「ちょっ……これっ、まっず」

 二人は頭から樹冠に突っ込み、全身を枝葉で叩かれた。
 リーフギルはなんとか地面に衝突する直前に身体を翻し、右の翼を下敷きにして衝撃を和らげた。

「うぎゃっ」

 左半身を地面に打ち付け、リンも悲鳴をあげた。
 大地に倒れ伏したリーフの背中で、翼が端から崩れおちていった。

「ちょっと、どうしたのリーフ!」
「くそっ、ああ……もう無理……限界」

 リンを抱きしめていた腕を解き、リーフギルはだるそうに頭を掻きむしった。身を起こそうとするも、肩にすら力が入らず背中は地面から離れない。
 みるみるうちにリーフの顔から血の気が引いていっていた。最早、死人と大差ない土気色だ。

「え?」
「駄目だ、後は好きに、して、ろ……」

 弱々しくリンを突き放す仕草をとったまま、リーフギルは気を失った。度重なる戦闘と身を削る大技は、リーフだけではなくギルも蝕んでいた。

――ええぇぇっ! ギルさんまで気絶しないでぇぇ……

 魔剣とは思えない情けない声をイーハンが上げた。

 がさがさと、草を踏みつける音が響いた。リンの動きが一瞬固まった。
 野生動物か、モンスターか。リンは長銃を静かに構えた。手元を見ずに弾丸を込め、安全装置を外す。
 状況はリンに圧倒的に不都合だった。

 モンスターに最も効果的である火炎瓶は自分達も煙に巻かれる危険性があるため使用できない。距離を詰められたら、最悪の場合、格闘戦を挑まなければならなかった。

 木々の影から、人の背丈は優にある大きな姿が現れた。
 三角の立った耳に、前に突き出た長い鼻孔、顎からはみ出た舌は粘性のある涎を垂らしている。全身を迷彩のような斑のある緑の毛皮で覆い、細いが逞しい四足で支えていた。
 狼色とも揶揄される暗い琥珀の瞳がリンを油断なく観察し、睨み返すリンの石炭色の瞳も厳しい色を宿した。

「野生のヤツハオオカミとか、最悪」

 周囲を取り囲む三頭のモンスターに、リンが毒づいた。
 ヤツハオオカミは対モンスター弾の製造のためにリドバルド王国で家畜化しているモンスターである。厳格な社会性を有していることから、下手な草食モンスターよりも飼い慣らしやすいが、それは柵の中でのみ通じる話だ。

 野生のヤツハオオカミの群れを安全に討伐するためには、完全武装した熟練の小隊が必要となる。数さえ揃えればゴリ押しで対処できる草食モンスターとは格が違う。
 リンはその腕前に達していたが、生憎一人しかいなかった。

「ちゃんと仕事しなさいよ、教会騎士」

 威嚇用の炸薬をそっと握り込んでいると、ヤツハオオカミ達が突然動きを止めた。
 背中を丸め、尻を地面につけて動かなくなった。おすわりを命じられた犬のようだった。

「は?」

 突然の事態に戸惑うリンの耳に、聞き慣れた音が聞こえた。
 音の出処を辿り、リンは後ろを振り返った。


 森の奥から、ヤツハオオカミよりも一回り大きな体躯が近づいてきていた。
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