残酷な描写あり
R-15
何も拾い上げることなく、救われることなく、それでもあなたに(2)【終】
リンはふんぞり返って、目の前に連行されたリーフを睨みつけた。
「それで、何か言うことは?」
拘束から開放されたリーフは、椅子の上で呆然としていた。
リーフの傷を覆っていた包帯とギプスは外され、さるぐつわもないので発言もできる。
滑らかさを取り戻した白磁の肌に、クリーム色のシャツと黒いズボンを身に着けた様は、貴族然とした気品があった。自由を奪う手枷がなければ、より様になっていただろう。
しかし、今のリーフには自分を信用する気のない手枷よりも、しおらしいと伝え聞いていたリンが超強気の態度をとっていることが気になって仕方がなかった。
「何も言わずに首を吊って、ごめんなさい」
戸惑いながらもギルの忠告通りに真正面から謝ったリーフに、リンの顔が怒りで爆発した。
「何か言っていたら許したとか、んなワケないじゃん!」
部屋を揺らさんばかりの怒声に、リーフは反射的に身を竦めた。
「な、ん、で! どーしてあのタイミングで! 死ぬの! マジほんと馬鹿なのっ! ギル共々馬鹿なのっ!」
罵声で窓硝子が小刻みに震えた。
仕方なくリーフは語らずに済ませかった胸中を、静かに吐露した。
「……いずれボクが此処に居ることはギリスアンに露呈する。そうなったら、君にも君の親類にも迷惑がかかる」
相手は国家なのだ。他国とはいえ貴族が凌げることにも限界がある。今までは影響を鑑み、表立ってリーフを捕らえることに躊躇があった。
しかし、教皇の暗殺という大事に発展した以上、手段など選ぶ筈もない。
リンの命も、匿っている家も、無事で済むとは思えなかった。
リーフの首を差し出して帳消しにできるのかは怪しいが、当事者が死ねば表向きの追及からは逃れられるだろう。
「だからって、あんな事しなくたって!」
「物言わぬ首に罪を被せるのが、世間では一番穏便な解決方法なのさ。それで大抵の揉め事はなんとかなる」
感情論を徹底的に無視して大局を語るリーフに、リンの勢いは確実に削がれていた。
何度か口をぱくぱくさせた後、リンは処置なしとばかりにため息をついた。
「そんなんじゃ、私は絶対に救われてなんかやらないから」
「じゃあ、リンにとって救いとは何なのだい」
すかさずリーフは問いかけた。
「それは――」
リンは安易に答えようとして、リーフの縋るような目に気付いた。
リンの言った一言一句を聞き逃さまいと、一分の隙もなく理解しようと、パンに飢えた物乞いのような目でリンを見つめていた。
「……リーフが幸せになることに決まってるじゃん」
暫く逡巡した結果、リンが出した答えはリーフから困惑を引き出した。
「どうして」
「好きな人が幸せなのが一番救われるの……言わせないでよ恥ずかしい」
リンの顔が再び赤く染まった。それでも、勇気を振り絞ってリーフの顔から視線を逸らさない。
「その次くらいが、好きな人と一緒にいること。だから、もう死のうとか思うなっ」
リンがびしっとリーフの顔に指先を向けて言い放った。
「そういう、ものなのか」
リーフの目が一挙に遠くなった。もやい綱の切れた小舟に乗せられたような、もう見えなくなった岸を眺めているような目だった。
勿論、その目にはリンが映っていない。
リンの告白は、リーフを絶望に叩き落としていた。
渾身の一言が空振りになり、リンの肩が明確にがっくりと落ちた。
「じゃあ、ボクは救われないのか……」
「……」
何があっても死にたいリーフに、リンは少し腹が立ち始めていた。
しかし、そこで逆転の妙案を思いつき、リンの顔に悪い笑みが浮かんだ。
「そういえば、今回の件の落とし前は私に対してまだ終わっていないんじゃない?」
「え」
意外な言葉に、リーフの目が現実に引き戻された。
「今の話は、私をどうやって逃がすかでしょ。でも、私はまだリーフから『お手伝い』の報酬を貰ってないってハナシよ」
「それは……」
「まさか、タダ働きとかじゃないよね。私よりもお金に煩いリーフともあろう人が、経費の支払いすらしないなんて」
手のひらの上で硬貨を転がす仕草をしながら、リンがにんまりと笑った。
「君が浪費家なだけだろう」
反論したものの、リーフの顔は現実的な問題に苦々しさをにじませていた。
リンの行動は自主的なもので、リーフに同行しギリスアンで暴れたのも成り行きであった。
その理屈であれば雇用関係も契約もなく、報酬を要求する権利もないのだが、その程度の道理を無視するのがリリルット・チャーコウルという女なのである。
そもそも、それくらいの図太い精神と不遜な態度がなければ旅の途中で振り落とされていただろう。
「というわけで、正当な報酬を要求する!」
再びリンがびしっとリーフの顔に指先を向けて言い放った。
「逃亡生活デート……じゃなくて護衛をしなさい!とりあえず四十日くらい!」
「その先は?」
「友達よりも深い仲になってから考える!」
感情面で何を言っても伝わらないと諦めたのか、私欲塗れの計画を堂々と暴露した。
「何処に逃げるのだい」
「それは、えっと」
勢いに任せた発言はとうとう躓き、リンは目を泳がせた。
「おいクソ狼、その話だったらもう耕王とつけてんぞ」
部屋のドアを開けて、ギルがひょっこりと顔を覗かせた。
「なんでテメェまだ手枷つけてんだよ」
ギルの朱色の目がリーフの手元に向けられ、不快感を露わにした。
「自殺防止」
リーフは当然の顔をして質問に答えた。
「まだ死にてぇのか」
「……差し迫って死ぬ必要性が見当たらなくなってしまった」
少し考えて、現状に驚きながらリーフが言った。
「じゃあ外せよ」
「自分の一存で外せないよ、こういうものは」
特に気にしていない様子でリーフが言った。だが、ギルは納得がいかないようで手枷を掴んだ。
「じゃあ俺が外すって決めた」
「あっ、コラ――」
リンが止める暇もなく、手枷が真っ二つに割れた。
腕の表面を軽い痺れが舐めたが、リーフには傷一つなかった。
リンの目が丸くなった。
「なんで腕吹っ飛んだり頭弾けたりしてないの?」
「耕王がようやくマトモなのくれたんだよ。もう腕引っ張った程度で千切れねぇからな」
念願の壊れにくい身体を手に入れたが、ギルは少しむっつりとしていた。
「ちっ、ちょっと面白かったのに」
「テメェ実は結構性格悪ぃな」
「あらあー、人を見る目が浅いんじゃないのバーーカ」
目線の高さは前とは異なるが、いつもの調子でリンとギルは罵り合いを始めた。以前のようにリーフを間に挟む必要性はない筈だが、何故か2人の間にリーフの身体があった。
ギリスアンに辿り着く前と変わらぬ、遠慮も容赦もない距離感だった。
「ギル、耕王というのは誰なのだい」
完全に脱線した話題をリーフが軌道修正した。
「コイツのおばちゃんだかおばあちゃん。真太族の一番偉い奴」
「アリス叔母様をおばちゃん呼ばわりしてんじゃないわよ、この童顔野郎!」
「ぁあっ! 今童顔つったかこのクソ女!」
「ボクを挟んで殴り合いはやめてくれないか」
リーフは自由になった手を最大限に活かし、立ち上がりざまにリンとギルを押しのけて距離を取らせた。
割り込まれて少し冷静になったリンとギルは、一旦口を閉じた。
「それで、リンの親類も一旦逃げたほうがよいと考えているわけなのだね」
「おう。南部の外地に渡って撒くつもりみてぇだな。つーか、南部にまだ人間残ってたのかよ。戦争バカ共に焼き尽くされたと思ってたが」
ギルは頭を掻きながら言った。人と同じ姿を手に入れても、人間を鳥や兎と同列に語るのは変わっていなかった。
「極西に比べれば遥かに過ごしやすいと聞いているよ。人口も年々増えているらしい」
リーフは妥当な提案だと頷いた。
リドバルド王国から出国するとして、ギリスアンに接する東は論外だ。北上してギリスアンを迂回しつつ東に逃げることも、追手のリスクが高い。
極西の外地でほとぼりが冷めるまで潜むという手もあるが、人口密集地域が少なすぎて逆に居場所が割れる恐れがある。
リーフとリンが共に魔戦士であるとはいえ、ずっと野宿で過ごせるほど甘い土地でもない。
となると、選択肢は内海を挟んだ大陸の対岸、小都市の乱立する南部というのが自然な流れだった。
混沌とした土地に紛れ込めば、そう易易と探し出せるものではない。
「西よりマシってんなら、楽勝じゃねぇか」
極西の外地で数十年間暴れまくっていた魔剣が、催促するようにリーフが座っていた椅子にもたれかかった。
「ていうか、あんたも来るわけ」
「耕王は俺に頼んだんだし、コイツが行くなら俺もだろ。同じなんだからな」
当然とばかりに鼻を鳴らすギルに、リンがむくれて半眼で睨みつけた。
「そうは言っても、まずは準備が肝要だ。リン、ボクの服は」
リーフは自分の黒い外套を要求した。元々、綻びや擦り切れが目立つ年季物だったのが、今回の戦いで両袖を失い外套として体をなさなくなってきていた。それでも、リーフの旅装はそれしかないため着る他にはない。
「ボロボロで臭かったから焼いた」
リンはあっけらかんと言った。
リーフとギルの口がぽかんと開いた。
「……おいおい、流石にダメだろワガママ女」
リンのあまりの傍若無人ぶりに、ギルもそれだけしか言えなかった。
しかし、それだけの言葉でも大層お気に召さなかったのか、リンは頬を膨らませた。
「何よ、代わりに私による、リーフのための、リーフにとっての最高の上着を用意してあげてるんだからいいじゃん!」
リンは部屋のクローゼットに駆け寄り、勢いよく扉を全開にした。
中から取り出されたのは、仮縫いされた黒褐色の外套だった。
豪語するだけあって、丈はリーフに丁度合うように見えた。礼装にも見える洗練されたデザインで、耐久性を考慮してか、肩や袖口に灰色の革が当てられていた。
「ここまで仕上げるのに三日かかったんだからね!」
褒めてと言わんばかりに胸を張るリンに対して、見つめる二人は呆気にとられていた。
「……部屋に籠もっていた理由はこれか」
リーフが呟いた。
リンはリーフが拘束されている間、せっせと次の手の準備を推し進めていたのだ。二人の予想を裏切る逞しさだった。
「でね、叔母様のアドバイスで刺繍とか頑張ってるの! というわけで、試着してよリーフ」
「その前にどうしてボクの着丈を知っているのかが知りたい」
ぐいぐいと外套を押しつけてくるリンに抗いながら、リーフは素朴な疑問をぶつけた。
「そりゃ気絶している間に滅茶苦茶ベタベタ触りまくってたからな」
リンの代わりにギルが答えた。身体のラインを撫でるような手つきが若干いやらしさを感じさせた。
「言うなってか見てたのかこのドスケベ魔剣!」
リンの顔が一瞬で沸騰しぎゃんぎゃん吠えた。
ギルが顔をしかめて耳を塞いだ。
「テメェも見てただろーが、つーか触ってただろーが。ぎゃーぎゃーうるせぇな」
「女同士だったらいいの! 男は見んな!」
「下心ありありで言ってても説得力ねぇから。つーか、女同士で触ってて楽しいのか」
涼しい顔でギルが返した。リーフは肯定しているのか、ギルに反応する素振りすら見せない。
「むー、いいから着てよリーフぅっっ!」
味方はいないが、リンは腕力にものを言わせてゴリ押しで試着させた。
◆ ◆ ◇
外套の試着後、手直しのためにリンは一人で部屋に籠もった。
裁縫の様子を見られるのが嫌という理由からリーフとギルは部屋から追い出され、廊下に立たざるを得なくなった。
監禁から開放され、リーフの腹が空腹を音で訴えた。
まだ暫く生きると決めた以上、食事は摂らなければならないとリーフは厨房を探しに行こうと歩き出した。
「おい、リーフ」
「どうかしたのかい、ギル」
ギルに呼び止められ、リーフは振り返らずに返事をした。
「あいつ、絶対にテメェから離れる気ないぞ」
「そうなのか」
リーフの声には、初耳だ、という響きがあった。ギルが溜息をついた。リーフの情緒面への無関心ぶりは、ギルの無神経を遥かに凌駕していた。
「ああいう女はマジで怖ぇからな。俺の昔の持ち主もああいうのにぶっ殺されたことあるし」
ギルがうんざりした調子でリーフに忠告した。
「忘れているかもしれないが、ボクも女だよ」
「忘れてねぇよ。テメェもある意味滅茶苦茶怖ぇ女だよ」
ギルは努めて世間一般並みの感想を述べた。しかし、表情は雄弁に『滅茶苦茶怖い』を超えるリーフの恐ろしさを語っていた。
「天下の魔剣に怖がられるとは、光栄と捉えるべきかな」
人形のように表情の希薄な顔で、リーフはギルの方に振り返った。暗い色が混ざった銀の髪が揺れた。
ギルはリーフの顔を見て、首を捻った。
「……あ?」
「まだ何かあるのかい」
「いや、お前の目って、そんな色だったか?」
リーフの宝石のような瞳に映り込んだギルが、目を凝らした。
鮮やかな新緑色だった瞳は、より硬質な淡い白緑へと色を失っていた。
「それで、何か言うことは?」
拘束から開放されたリーフは、椅子の上で呆然としていた。
リーフの傷を覆っていた包帯とギプスは外され、さるぐつわもないので発言もできる。
滑らかさを取り戻した白磁の肌に、クリーム色のシャツと黒いズボンを身に着けた様は、貴族然とした気品があった。自由を奪う手枷がなければ、より様になっていただろう。
しかし、今のリーフには自分を信用する気のない手枷よりも、しおらしいと伝え聞いていたリンが超強気の態度をとっていることが気になって仕方がなかった。
「何も言わずに首を吊って、ごめんなさい」
戸惑いながらもギルの忠告通りに真正面から謝ったリーフに、リンの顔が怒りで爆発した。
「何か言っていたら許したとか、んなワケないじゃん!」
部屋を揺らさんばかりの怒声に、リーフは反射的に身を竦めた。
「な、ん、で! どーしてあのタイミングで! 死ぬの! マジほんと馬鹿なのっ! ギル共々馬鹿なのっ!」
罵声で窓硝子が小刻みに震えた。
仕方なくリーフは語らずに済ませかった胸中を、静かに吐露した。
「……いずれボクが此処に居ることはギリスアンに露呈する。そうなったら、君にも君の親類にも迷惑がかかる」
相手は国家なのだ。他国とはいえ貴族が凌げることにも限界がある。今までは影響を鑑み、表立ってリーフを捕らえることに躊躇があった。
しかし、教皇の暗殺という大事に発展した以上、手段など選ぶ筈もない。
リンの命も、匿っている家も、無事で済むとは思えなかった。
リーフの首を差し出して帳消しにできるのかは怪しいが、当事者が死ねば表向きの追及からは逃れられるだろう。
「だからって、あんな事しなくたって!」
「物言わぬ首に罪を被せるのが、世間では一番穏便な解決方法なのさ。それで大抵の揉め事はなんとかなる」
感情論を徹底的に無視して大局を語るリーフに、リンの勢いは確実に削がれていた。
何度か口をぱくぱくさせた後、リンは処置なしとばかりにため息をついた。
「そんなんじゃ、私は絶対に救われてなんかやらないから」
「じゃあ、リンにとって救いとは何なのだい」
すかさずリーフは問いかけた。
「それは――」
リンは安易に答えようとして、リーフの縋るような目に気付いた。
リンの言った一言一句を聞き逃さまいと、一分の隙もなく理解しようと、パンに飢えた物乞いのような目でリンを見つめていた。
「……リーフが幸せになることに決まってるじゃん」
暫く逡巡した結果、リンが出した答えはリーフから困惑を引き出した。
「どうして」
「好きな人が幸せなのが一番救われるの……言わせないでよ恥ずかしい」
リンの顔が再び赤く染まった。それでも、勇気を振り絞ってリーフの顔から視線を逸らさない。
「その次くらいが、好きな人と一緒にいること。だから、もう死のうとか思うなっ」
リンがびしっとリーフの顔に指先を向けて言い放った。
「そういう、ものなのか」
リーフの目が一挙に遠くなった。もやい綱の切れた小舟に乗せられたような、もう見えなくなった岸を眺めているような目だった。
勿論、その目にはリンが映っていない。
リンの告白は、リーフを絶望に叩き落としていた。
渾身の一言が空振りになり、リンの肩が明確にがっくりと落ちた。
「じゃあ、ボクは救われないのか……」
「……」
何があっても死にたいリーフに、リンは少し腹が立ち始めていた。
しかし、そこで逆転の妙案を思いつき、リンの顔に悪い笑みが浮かんだ。
「そういえば、今回の件の落とし前は私に対してまだ終わっていないんじゃない?」
「え」
意外な言葉に、リーフの目が現実に引き戻された。
「今の話は、私をどうやって逃がすかでしょ。でも、私はまだリーフから『お手伝い』の報酬を貰ってないってハナシよ」
「それは……」
「まさか、タダ働きとかじゃないよね。私よりもお金に煩いリーフともあろう人が、経費の支払いすらしないなんて」
手のひらの上で硬貨を転がす仕草をしながら、リンがにんまりと笑った。
「君が浪費家なだけだろう」
反論したものの、リーフの顔は現実的な問題に苦々しさをにじませていた。
リンの行動は自主的なもので、リーフに同行しギリスアンで暴れたのも成り行きであった。
その理屈であれば雇用関係も契約もなく、報酬を要求する権利もないのだが、その程度の道理を無視するのがリリルット・チャーコウルという女なのである。
そもそも、それくらいの図太い精神と不遜な態度がなければ旅の途中で振り落とされていただろう。
「というわけで、正当な報酬を要求する!」
再びリンがびしっとリーフの顔に指先を向けて言い放った。
「逃亡生活デート……じゃなくて護衛をしなさい!とりあえず四十日くらい!」
「その先は?」
「友達よりも深い仲になってから考える!」
感情面で何を言っても伝わらないと諦めたのか、私欲塗れの計画を堂々と暴露した。
「何処に逃げるのだい」
「それは、えっと」
勢いに任せた発言はとうとう躓き、リンは目を泳がせた。
「おいクソ狼、その話だったらもう耕王とつけてんぞ」
部屋のドアを開けて、ギルがひょっこりと顔を覗かせた。
「なんでテメェまだ手枷つけてんだよ」
ギルの朱色の目がリーフの手元に向けられ、不快感を露わにした。
「自殺防止」
リーフは当然の顔をして質問に答えた。
「まだ死にてぇのか」
「……差し迫って死ぬ必要性が見当たらなくなってしまった」
少し考えて、現状に驚きながらリーフが言った。
「じゃあ外せよ」
「自分の一存で外せないよ、こういうものは」
特に気にしていない様子でリーフが言った。だが、ギルは納得がいかないようで手枷を掴んだ。
「じゃあ俺が外すって決めた」
「あっ、コラ――」
リンが止める暇もなく、手枷が真っ二つに割れた。
腕の表面を軽い痺れが舐めたが、リーフには傷一つなかった。
リンの目が丸くなった。
「なんで腕吹っ飛んだり頭弾けたりしてないの?」
「耕王がようやくマトモなのくれたんだよ。もう腕引っ張った程度で千切れねぇからな」
念願の壊れにくい身体を手に入れたが、ギルは少しむっつりとしていた。
「ちっ、ちょっと面白かったのに」
「テメェ実は結構性格悪ぃな」
「あらあー、人を見る目が浅いんじゃないのバーーカ」
目線の高さは前とは異なるが、いつもの調子でリンとギルは罵り合いを始めた。以前のようにリーフを間に挟む必要性はない筈だが、何故か2人の間にリーフの身体があった。
ギリスアンに辿り着く前と変わらぬ、遠慮も容赦もない距離感だった。
「ギル、耕王というのは誰なのだい」
完全に脱線した話題をリーフが軌道修正した。
「コイツのおばちゃんだかおばあちゃん。真太族の一番偉い奴」
「アリス叔母様をおばちゃん呼ばわりしてんじゃないわよ、この童顔野郎!」
「ぁあっ! 今童顔つったかこのクソ女!」
「ボクを挟んで殴り合いはやめてくれないか」
リーフは自由になった手を最大限に活かし、立ち上がりざまにリンとギルを押しのけて距離を取らせた。
割り込まれて少し冷静になったリンとギルは、一旦口を閉じた。
「それで、リンの親類も一旦逃げたほうがよいと考えているわけなのだね」
「おう。南部の外地に渡って撒くつもりみてぇだな。つーか、南部にまだ人間残ってたのかよ。戦争バカ共に焼き尽くされたと思ってたが」
ギルは頭を掻きながら言った。人と同じ姿を手に入れても、人間を鳥や兎と同列に語るのは変わっていなかった。
「極西に比べれば遥かに過ごしやすいと聞いているよ。人口も年々増えているらしい」
リーフは妥当な提案だと頷いた。
リドバルド王国から出国するとして、ギリスアンに接する東は論外だ。北上してギリスアンを迂回しつつ東に逃げることも、追手のリスクが高い。
極西の外地でほとぼりが冷めるまで潜むという手もあるが、人口密集地域が少なすぎて逆に居場所が割れる恐れがある。
リーフとリンが共に魔戦士であるとはいえ、ずっと野宿で過ごせるほど甘い土地でもない。
となると、選択肢は内海を挟んだ大陸の対岸、小都市の乱立する南部というのが自然な流れだった。
混沌とした土地に紛れ込めば、そう易易と探し出せるものではない。
「西よりマシってんなら、楽勝じゃねぇか」
極西の外地で数十年間暴れまくっていた魔剣が、催促するようにリーフが座っていた椅子にもたれかかった。
「ていうか、あんたも来るわけ」
「耕王は俺に頼んだんだし、コイツが行くなら俺もだろ。同じなんだからな」
当然とばかりに鼻を鳴らすギルに、リンがむくれて半眼で睨みつけた。
「そうは言っても、まずは準備が肝要だ。リン、ボクの服は」
リーフは自分の黒い外套を要求した。元々、綻びや擦り切れが目立つ年季物だったのが、今回の戦いで両袖を失い外套として体をなさなくなってきていた。それでも、リーフの旅装はそれしかないため着る他にはない。
「ボロボロで臭かったから焼いた」
リンはあっけらかんと言った。
リーフとギルの口がぽかんと開いた。
「……おいおい、流石にダメだろワガママ女」
リンのあまりの傍若無人ぶりに、ギルもそれだけしか言えなかった。
しかし、それだけの言葉でも大層お気に召さなかったのか、リンは頬を膨らませた。
「何よ、代わりに私による、リーフのための、リーフにとっての最高の上着を用意してあげてるんだからいいじゃん!」
リンは部屋のクローゼットに駆け寄り、勢いよく扉を全開にした。
中から取り出されたのは、仮縫いされた黒褐色の外套だった。
豪語するだけあって、丈はリーフに丁度合うように見えた。礼装にも見える洗練されたデザインで、耐久性を考慮してか、肩や袖口に灰色の革が当てられていた。
「ここまで仕上げるのに三日かかったんだからね!」
褒めてと言わんばかりに胸を張るリンに対して、見つめる二人は呆気にとられていた。
「……部屋に籠もっていた理由はこれか」
リーフが呟いた。
リンはリーフが拘束されている間、せっせと次の手の準備を推し進めていたのだ。二人の予想を裏切る逞しさだった。
「でね、叔母様のアドバイスで刺繍とか頑張ってるの! というわけで、試着してよリーフ」
「その前にどうしてボクの着丈を知っているのかが知りたい」
ぐいぐいと外套を押しつけてくるリンに抗いながら、リーフは素朴な疑問をぶつけた。
「そりゃ気絶している間に滅茶苦茶ベタベタ触りまくってたからな」
リンの代わりにギルが答えた。身体のラインを撫でるような手つきが若干いやらしさを感じさせた。
「言うなってか見てたのかこのドスケベ魔剣!」
リンの顔が一瞬で沸騰しぎゃんぎゃん吠えた。
ギルが顔をしかめて耳を塞いだ。
「テメェも見てただろーが、つーか触ってただろーが。ぎゃーぎゃーうるせぇな」
「女同士だったらいいの! 男は見んな!」
「下心ありありで言ってても説得力ねぇから。つーか、女同士で触ってて楽しいのか」
涼しい顔でギルが返した。リーフは肯定しているのか、ギルに反応する素振りすら見せない。
「むー、いいから着てよリーフぅっっ!」
味方はいないが、リンは腕力にものを言わせてゴリ押しで試着させた。
◆ ◆ ◇
外套の試着後、手直しのためにリンは一人で部屋に籠もった。
裁縫の様子を見られるのが嫌という理由からリーフとギルは部屋から追い出され、廊下に立たざるを得なくなった。
監禁から開放され、リーフの腹が空腹を音で訴えた。
まだ暫く生きると決めた以上、食事は摂らなければならないとリーフは厨房を探しに行こうと歩き出した。
「おい、リーフ」
「どうかしたのかい、ギル」
ギルに呼び止められ、リーフは振り返らずに返事をした。
「あいつ、絶対にテメェから離れる気ないぞ」
「そうなのか」
リーフの声には、初耳だ、という響きがあった。ギルが溜息をついた。リーフの情緒面への無関心ぶりは、ギルの無神経を遥かに凌駕していた。
「ああいう女はマジで怖ぇからな。俺の昔の持ち主もああいうのにぶっ殺されたことあるし」
ギルがうんざりした調子でリーフに忠告した。
「忘れているかもしれないが、ボクも女だよ」
「忘れてねぇよ。テメェもある意味滅茶苦茶怖ぇ女だよ」
ギルは努めて世間一般並みの感想を述べた。しかし、表情は雄弁に『滅茶苦茶怖い』を超えるリーフの恐ろしさを語っていた。
「天下の魔剣に怖がられるとは、光栄と捉えるべきかな」
人形のように表情の希薄な顔で、リーフはギルの方に振り返った。暗い色が混ざった銀の髪が揺れた。
ギルはリーフの顔を見て、首を捻った。
「……あ?」
「まだ何かあるのかい」
「いや、お前の目って、そんな色だったか?」
リーフの宝石のような瞳に映り込んだギルが、目を凝らした。
鮮やかな新緑色だった瞳は、より硬質な淡い白緑へと色を失っていた。
第二部へ続く