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作者: 草上アケミ
残酷な描写あり R-15
何も拾い上げることなく、救われることなく、それでもあなたに(1)
 石の壁で四方を囲まれた部屋の中で、リーフはただ明かりのない天井を見つめていた。

 全体重を支えた代償として、リーフの首は湿布薬と木の皮のギプスで固定されていた。首の骨が外れる前に締めつけから解放されたことと、ごく短時間の窒息で肺に再び空気が吹き込まれたおかげで、身体に後遺症は残らなかった。

 しかし、リーフは身体を動かすことができなかった。
 寝台に横たえられた四肢は、布で保護した上で枷と鎖によって拘束され寝返りどころか身を捩ることすら難しい。口にはさるぐつわが噛まされ、言葉も発せぬまま、ただ天井に目を向けるしかなかった。

 部屋から伸びる通路は一つの階段のみで、階段の横にはランプを持った使用人が立っていた。リーフの容態を確認するために、また自殺を試みないように見張っているのだ。

 階段の上で扉の開く音が響き、足音が段々と下ってきた。ランプも持たずに暗い地下室へと確かな足取りで辿り着いた。

 使用人の持つランプに照らされ、朱色の目が輝きを反射した。
 足音の主はギルだった。固着したのか、リンに痛めつけられた左腕から三角巾は外れていた。

 使用人には目もくれず、ギルはずかずかと寝台の横までやってきて椅子に腰を下ろした。
 誰がやってきたのか分かっているのか、それとも存在に気付いていないのか、リーフの目は天井に向けられたまま動かない。

「テメェが首を括ってから三日経ったぜ。リンの奴、まだ部屋から出てこなくてマジで暇なんだけど」

 俺が泣かせたかったのにな、と不満そうにギルが零した。

「イーハンは根暗すぎてつまんねぇし、そもそも姿が見えねぇし。狼共はビビってあんまり寄ってこねぇし……」

 リーフが言葉を話せないこともあって、ギルは一方的に話し始めた。
 菓子は美味いが量がない。厨房に押しかけようとしたら止められた。小狼と追いかけっこするくらいしかやることがない。

 意外と軟禁生活に順応しているギルの他愛のない愚痴は暫く続いたが、リーフは微動だにしなかった。

「そういや、テメェが首を吊っているのを見たとき、俺が何を考えていたか、教えてやろうか」

 ギルはリーフが聞いていようといまいと構わず喋り続けた。

「テメェは自分で終わらせられるんだなって。すげぇ羨ましい」

 人形のように動かなかったリーフの表情が初めてぴくりと動いた。
 虚ろな宝石の目が、壁に向かって話すギルの横顔を映した。ランプの明かりでおぼろに見える表情に、いつもの嘲笑めいた雰囲気は感じられなかった。

 リーフが自殺を図っているのを見たとき、ギルは何もしなかった。
 リンは泣きながらリーフを床に下ろし、素人ながら蘇生させようと必死になっていた。イーハンはリンに蹴り飛ばされながら手伝いをさせられていた。

 一方、ギルはただ黙って呼吸の止まったリーフを眺めていた。
 リンに殴りかかられようとも、決して手伝うことはなかった。
 喉の奥に物が突っかかったような、現実をうまく認識できていないような顔で、その場に立っていただけだった。

「竜種はな、絶対に自分を殺せねぇんだよ。前に進めなくなったら、誰かに首を落としてもらうしかねぇ」

 ギルは手で首を切る仕草をした。朱の目には、疲労にも似た暗い色があった。目を向けた先には壁しかない、ただの独り言だった。

「首を落とさなけりゃ……死ぬまで立ち止まれねぇし、救われねぇんだよ」

 両手で顔を覆い、ギルは俯いた。

「俺も、純血でなければ、どこかで止まれたかもしれん」

 下を向いた口から、少年の声が漏れた。
 息を吸い込んだ肩が大きく上がり、そのままガバッと後ろを振り返った。
「今の、ぜってーにあのクソ狼に言うなよ。言ったらテメェを殺す」

 ドアの側に立つ使用人にギルが言った。視界に入れていなかったが、存在には気付いていたようだ。使用人は何も反応を返さなかった。

「首治ったらリンに謝っとけよ、死に損ないでごめんなさいってな」

 口の左端を釣り上げて、いつものようにギルはわらった。今度こそ、リーフの方を見てわらった。
 リーフはただ、空虚な目でそれを見ていた。

◆ ◆ ◇

 地下室から上るギルの顔は、しかめ面とまではいかないものの硬かった。
 動作にも緊張感があり、猛獣が潜む森を進む狩人のように、油断なく足を運びつつも肩の力を抜いて最低限の警戒を常に張っていた。

 リーフに憑依していたときにはずかずかと歩き、敵なしとばかりに振る舞っていた。その頃と比べると弱気とも取れるが、丸腰で敵地を歩いていると考えると十分余裕があるようにも見えた。

 ギルは地下室に繋がるドアを閉めると、階段を上る途中から聞こえていた足音の主へ、顔を向けた。

 廊下で伴を連れて彼を待っていたのは、初老の貴婦人だった。

 リンほど深い色ではないが暗色の髪を結い上げ、枝葉を模した冠を編み込んで飾っている。
 老化による弛みと虚弱とは無縁の細く引き締まった背筋をぴんと伸ばし、木漏れ日色のドレスを凜々しく着こなしている。
 淑女らしくドレスの裾は床に触れる丈だが、その中に硬い仕込み靴を履いていることに足音でギルは気付いていた。

「契約者の様子はどう? 勇者さん」

 貴婦人の言葉に、ギルの頬が僅かに痙攣した。

「もう契約者ではない、アレは俺の身体だ。それと、俺を勇者と呼ぶな、耕王」

 ギルの横柄な物言いに、貴婦人の後ろに控える護衛が反応した。しかし、両者の間に一声も割り込めなかった。

 容易く壊れる身体を抱え、満足に能力を発揮することもできないというのに、ギルが放つ威圧は護衛を圧倒していた。血よりも眩い朱に高慢と孤高を湛え、三下が出しゃばる余地を一切与えない。
 その場でギルと対等に向き合える格を持つのは、貴婦人だけだった。

「あらあら、リリルットとお喋りしているときとは口調が違うのね。空元気で誤魔化さない方が似合っていてよ、勇者ヴレイヴル」

 しつこく『勇者』という言葉を使い続ける貴婦人に、ギルの朱色の目が歪んで眉間に皺を寄せた。

「ガルマラと同じくらい腹の立つ女だ」
「先々代と比肩するなんて身に余る光栄だわ、ありがとう」

 安い挑発をさらりとかわされ、ギルが舌打ちした。舌打ちした拍子に口の端から牙が覗いたが、貴婦人は臆する様子がなかった。

「そういえば、貴方が此処に来るのは初めてではなかったわね。昔と比べて居心地はどうかしら。建て直しはしたのだけど、間取りはほぼ同じなの」
「何百年前の話だ。そんなことは忘れた」

 不機嫌を隠すつもりもないギルに、貴婦人の目が意地悪く光った。

「あら、に担がれて死体同然でやってきたのは誰だったかしら。それも忘れてしまったの」

 ギルの目が分かりやすく泳いだ。

「誰のおかげで、傷が癒せたのかしら。千年前の恩はなかったことになるのかしら、族はそんな恩知らずなのかしらね」

 しつこく畳み掛ける貴婦人の言葉に、ギルの足が半歩下がった。

「その件は、お前たちに感謝していると何回も言っただろう。今更蒸し返すな」
「何回でも感謝してくれていいのよ、勇者さん。今回の件も貸しにしておいてあげる」

 ギルの足がさらに一歩下がる。牙を剥き、獣の唸り声が口の端から漏れた。

「今代もクソ牝狼めろうだな、耕王」
「成長していない坊やが悪いのよ」

 ギルの精一杯の悪態を貴婦人はさらりと流した。

「それで、今回も私達のを聞いてくださるのよね」

 『アレ』が貴方自身でもあるなら、と貴婦人は悪巧みを含んだ笑顔を咲かせた。
 さらにギルの顔が渋くなる。

「……最悪だ」

 面倒事の予感に、ギルは苦々しく息を吐いた。

 貴婦人が突然手を振りかぶり、ギルに向かって手のひら大の人形を投げつけた。

 危なげなく掴み取ったギルの手の中に、金属製の黒い人形が収まった。
 ずんぐりとした体型の、鋳物の人形だった。
 目鼻のないつるりとした頭に簡略化された手足をくっつけた単純な作りは、子供の玩具のように見えた。
 だが、表面に隙間なく彫られたまじないの文言が、じっとりとギルの手のひらに吸いつく感触を与えた。

 それこそが、魔剣に仮の肉を与える人形触媒だった。
 ギルが現在使用しているものは傷と錆だらけの劣化品だが、こちらは戦闘にも耐えられる上等なものだと、ギルは直感した。

「耕王フェリーノとして正式に、リリルット・チャーコウルの護衛を依頼します。受けてくださいますね、勇者ヴレイヴニル殿」
「どうせ、選択権はないんだろ」

 人形触媒を握りしめたまま、牙を剥いてギルは応えた。
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