残酷な描写あり
R-15
第38話 『えっ、初勝利⁉』
「まあ、アタシのことより、お前たちのことだ」
とっとと椅子に座ってくつろぐメイランは、露骨に話題を変えた。
「――行くんだろ、明日」
「そうだね、行くよね」
奥からスペスが言う。
「――準備もしておかないとね。水とか食料とか、色々いるよね。あ……ところで、もうそっち向いてもいいかな?」
ちょうどシャツを脱いだところだったアルマは、
「まだっ! ダメッ!」と叫んだ。
「この小屋にあるものだったら何でも好きに持っていっていいぜ。こう見えてアタシは金に不自由していない」
「そういえば、こんな人も住まないところなのに、食事とか、けっこう豪華でしたよね。どうしてなんですか?」
ようやく着替え終わったアルマは、椅子に座り、三編みをほどいて髪を拭く。
「基本は自給自足だけどな、たまに街に行って捕まえた獣なんかと交換するんだ。そのクマの毛皮なんて一枚で豪邸が建つらしいぜ。ま……売らないけどな」
水を飲みながら、メイランは床の毛皮を見る。
「ひゃー、すごいんですね」と驚くアルマに、向こうを向いたままのスペスが『まだなのかなー?』と訊いてきた。
「ゴメン忘れてた……もういいわよ」
「ひどいなぁ……」
振り向いたスペスがテーブルにやってくると、改めてメイランが口を開いた。
「よし、用意するものについて決めようか」
「まずは雨だ」
メイランは、今もやかましく音を立てる天井を見あげる。
「この降り方だと、明日まで残るかもしれない。奥にフードつきマントがあるから持っていけ。蝋とオイルを染み込ませてあるから重いが、よく雨を弾く」
アルマが手を上げた。
「わたしの武器は、どうしたらいいですか?」
「刃物はまだ危ないからな……いままで通りのアレでいいだろう」
と入り口に置いてある木剣をさす。
「――あれなら、丈夫で重さもある。今のお前にはぴったりのはずだ」
「わかりました……」とアルマはうなずいたが、その顔には不安が浮かんでいた。
「まあ、あまり心配をするな」メイランが慰めるように声をかける。
「ゴブリンは夜行性だ。昼間は穴に隠れているから、出会う可能性は低い。もし夕方までに解決しなかったら、また、ここに戻ってくればいいさ」
「もどってくる場所があるのはありがたいです」
いくらか表情をやわらげて、アルマはうなずいた。
「――でも、もし昼間に襲われた時はどうしたらいいですか?」
「戦いが避けられそうなら避けるのがいいだろう。逃げるか、隠れてやり過ごすかだな。そうでなければ戦うしかない――」
「ですよね……」アルマの表情がまた曇る。
「もし戦いになって、それでも勝てそうもない時はどうですか? 数がすごく多いとか、強いゴブリンだったとか――」
「そうやって仮定の状況ばかりを考えていても仕方がないんだがなぁ……」
メイランは難しそうな顔をする。
「そうだな……どれだけ絶望的な状況になったとしても、まず頭だけは冷静にしておくことだ。それから、いま自分が使えるものを確認しろ。武器、道具、技術、状況、環境……。そこに、わずかでも残っている可能性を探せ。そうやってわずかでも勝機を掴もうとする奴しか生き残れないのが戦場だからな」
「えーと……なにを言ってるのか、よくわからないです」
「まぁ、戦ったこともないヤツには分かりにくい話かもな。要は、簡単には諦めるなって話さ。いざって時になれば、お前にもアタシの言ってることが分かるだろうよ」
「そんなの分かりたくないですよぉ……」
「そんなに心配すんなって!」とメイランは明るく言った。
「もしそうなったとしても〝失敗したら死ぬ〟ってだけだぜ? 何も心配はいらねぇよ!」
「それを心配しないで、他のなにを心配するんですかー⁉」
「……生き残ったら何を食べよう、とかか?」
「そんな心配しませんよ! 〝死んじゃったらどうしよう〟ですよ!」
「いや……どうせ死んだら終わりなんだぜ。その先を考えてもしかたないだろう。むしろ生きていたほうが、食事の確保だとか、悩むことが多いはずだ」
「なんていうか……考え方が違いすぎます」
そもそも生きている世界がちがう、とアルマは思った。
「あまり考えすぎるのも良くないぞ。案ずるより蹴るが易しって言うだろ」
「そんなの、言わないですよ!」
「まぁまぁ、アルマ」とスペスがなだめに入る。
「戦いが起きると決まってるわけじゃないよ。とりあえず、できることからやろうよ」
「それは、そうだけど……」
「その通りだ。もじゃもじゃは良いことを言うな!」
「だから、スペスだよ?」スペスが訂正する。
「じゃあ、話をすすめるぞ」
「聞いてない……」
「食料は念のために二日分持っていけ。重量を増やしすぎないように、よく選べよ」
「食べ物は重いからわたしが持っていくわ。スペスは軽いものをお願い」
「わかった」
「それと、このあたりに道はないからな、藪を払うナタはあるか?」
「山を歩くのに必要なものは、ひと通り持ってます」
「地理の心配はいらないんだったよな――あとはなんだ……」
メイランは腕を組み、眉根を寄せて考えている。
アルマが、そっとスペスに寄った。
(そこまで心配するのなら、一緒に来てくれればいいのにね……)
(前にも言ってたけど……、自分がいなくても出来るようにする、っていうのがあの人の思いやりなんでしょ?)
(それはわかるけどさ――なんだかちょっと、めんどくさいわよね)
アルマはふふっと笑う。
右も左もわからないこの場所でメイランと出会えたのは幸運だった。
その面倒見の良さに、どれだけ助けられたことか分からない。
感謝はしてもしきれないのだが、ふたりのために悩むその姿はまるで――
「お母さんみたい……」
思わず口にしたアルマに、メイランは嫌そうな顔を向ける。
「失礼なやつだな……、そこは〝お姉さん〟と言えよ」
だが、気を悪くした様子はまるでない。本当にさっぱりとした性格だった。
わずか二日ばかりのつきあいだったが、アルマはこの女拳士のことが大好きになっていた。
「はぁいっ、お姉さんっ!」
甘えた声でそう言うと、メイランが急に顔を赤くした。
「ばっ、莫迦っ⁉ ほんとに言う奴があるかっ! は……恥ずかしいだろ⁉︎」
「おや?」とスペスが声を出す。
「もしかしてこれは――アルマが一本取ったんじゃない?」
「えっ、初勝利⁉」とアルマは中途半端に手をあげる。
「どうなんですかね、お姉さんっ?」
「わかったよ、降参だ――」とメイランが両手を上げた。
「たのむから、その呼び方は勘弁してくれ……」
バツがわるそうにするメイランに、アルマとスペスは一緒に歓声をあげた。
とっとと椅子に座ってくつろぐメイランは、露骨に話題を変えた。
「――行くんだろ、明日」
「そうだね、行くよね」
奥からスペスが言う。
「――準備もしておかないとね。水とか食料とか、色々いるよね。あ……ところで、もうそっち向いてもいいかな?」
ちょうどシャツを脱いだところだったアルマは、
「まだっ! ダメッ!」と叫んだ。
「この小屋にあるものだったら何でも好きに持っていっていいぜ。こう見えてアタシは金に不自由していない」
「そういえば、こんな人も住まないところなのに、食事とか、けっこう豪華でしたよね。どうしてなんですか?」
ようやく着替え終わったアルマは、椅子に座り、三編みをほどいて髪を拭く。
「基本は自給自足だけどな、たまに街に行って捕まえた獣なんかと交換するんだ。そのクマの毛皮なんて一枚で豪邸が建つらしいぜ。ま……売らないけどな」
水を飲みながら、メイランは床の毛皮を見る。
「ひゃー、すごいんですね」と驚くアルマに、向こうを向いたままのスペスが『まだなのかなー?』と訊いてきた。
「ゴメン忘れてた……もういいわよ」
「ひどいなぁ……」
振り向いたスペスがテーブルにやってくると、改めてメイランが口を開いた。
「よし、用意するものについて決めようか」
「まずは雨だ」
メイランは、今もやかましく音を立てる天井を見あげる。
「この降り方だと、明日まで残るかもしれない。奥にフードつきマントがあるから持っていけ。蝋とオイルを染み込ませてあるから重いが、よく雨を弾く」
アルマが手を上げた。
「わたしの武器は、どうしたらいいですか?」
「刃物はまだ危ないからな……いままで通りのアレでいいだろう」
と入り口に置いてある木剣をさす。
「――あれなら、丈夫で重さもある。今のお前にはぴったりのはずだ」
「わかりました……」とアルマはうなずいたが、その顔には不安が浮かんでいた。
「まあ、あまり心配をするな」メイランが慰めるように声をかける。
「ゴブリンは夜行性だ。昼間は穴に隠れているから、出会う可能性は低い。もし夕方までに解決しなかったら、また、ここに戻ってくればいいさ」
「もどってくる場所があるのはありがたいです」
いくらか表情をやわらげて、アルマはうなずいた。
「――でも、もし昼間に襲われた時はどうしたらいいですか?」
「戦いが避けられそうなら避けるのがいいだろう。逃げるか、隠れてやり過ごすかだな。そうでなければ戦うしかない――」
「ですよね……」アルマの表情がまた曇る。
「もし戦いになって、それでも勝てそうもない時はどうですか? 数がすごく多いとか、強いゴブリンだったとか――」
「そうやって仮定の状況ばかりを考えていても仕方がないんだがなぁ……」
メイランは難しそうな顔をする。
「そうだな……どれだけ絶望的な状況になったとしても、まず頭だけは冷静にしておくことだ。それから、いま自分が使えるものを確認しろ。武器、道具、技術、状況、環境……。そこに、わずかでも残っている可能性を探せ。そうやってわずかでも勝機を掴もうとする奴しか生き残れないのが戦場だからな」
「えーと……なにを言ってるのか、よくわからないです」
「まぁ、戦ったこともないヤツには分かりにくい話かもな。要は、簡単には諦めるなって話さ。いざって時になれば、お前にもアタシの言ってることが分かるだろうよ」
「そんなの分かりたくないですよぉ……」
「そんなに心配すんなって!」とメイランは明るく言った。
「もしそうなったとしても〝失敗したら死ぬ〟ってだけだぜ? 何も心配はいらねぇよ!」
「それを心配しないで、他のなにを心配するんですかー⁉」
「……生き残ったら何を食べよう、とかか?」
「そんな心配しませんよ! 〝死んじゃったらどうしよう〟ですよ!」
「いや……どうせ死んだら終わりなんだぜ。その先を考えてもしかたないだろう。むしろ生きていたほうが、食事の確保だとか、悩むことが多いはずだ」
「なんていうか……考え方が違いすぎます」
そもそも生きている世界がちがう、とアルマは思った。
「あまり考えすぎるのも良くないぞ。案ずるより蹴るが易しって言うだろ」
「そんなの、言わないですよ!」
「まぁまぁ、アルマ」とスペスがなだめに入る。
「戦いが起きると決まってるわけじゃないよ。とりあえず、できることからやろうよ」
「それは、そうだけど……」
「その通りだ。もじゃもじゃは良いことを言うな!」
「だから、スペスだよ?」スペスが訂正する。
「じゃあ、話をすすめるぞ」
「聞いてない……」
「食料は念のために二日分持っていけ。重量を増やしすぎないように、よく選べよ」
「食べ物は重いからわたしが持っていくわ。スペスは軽いものをお願い」
「わかった」
「それと、このあたりに道はないからな、藪を払うナタはあるか?」
「山を歩くのに必要なものは、ひと通り持ってます」
「地理の心配はいらないんだったよな――あとはなんだ……」
メイランは腕を組み、眉根を寄せて考えている。
アルマが、そっとスペスに寄った。
(そこまで心配するのなら、一緒に来てくれればいいのにね……)
(前にも言ってたけど……、自分がいなくても出来るようにする、っていうのがあの人の思いやりなんでしょ?)
(それはわかるけどさ――なんだかちょっと、めんどくさいわよね)
アルマはふふっと笑う。
右も左もわからないこの場所でメイランと出会えたのは幸運だった。
その面倒見の良さに、どれだけ助けられたことか分からない。
感謝はしてもしきれないのだが、ふたりのために悩むその姿はまるで――
「お母さんみたい……」
思わず口にしたアルマに、メイランは嫌そうな顔を向ける。
「失礼なやつだな……、そこは〝お姉さん〟と言えよ」
だが、気を悪くした様子はまるでない。本当にさっぱりとした性格だった。
わずか二日ばかりのつきあいだったが、アルマはこの女拳士のことが大好きになっていた。
「はぁいっ、お姉さんっ!」
甘えた声でそう言うと、メイランが急に顔を赤くした。
「ばっ、莫迦っ⁉ ほんとに言う奴があるかっ! は……恥ずかしいだろ⁉︎」
「おや?」とスペスが声を出す。
「もしかしてこれは――アルマが一本取ったんじゃない?」
「えっ、初勝利⁉」とアルマは中途半端に手をあげる。
「どうなんですかね、お姉さんっ?」
「わかったよ、降参だ――」とメイランが両手を上げた。
「たのむから、その呼び方は勘弁してくれ……」
バツがわるそうにするメイランに、アルマとスペスは一緒に歓声をあげた。