残酷な描写あり
R-15
第55話 『スペスと長老⁉』
「だって、行ったことのある人が集落には誰もいなくて、連絡も取れなくて――ただ〝そういう話が伝わっているだけ〟なんでしょ?
だったら、それが本当かどうかを確かめる方法はないよね」
「ちょっとスペス! いきなり何を言ってるのよ、失礼でしょ!」
アルマはそう非難したが、スペスは長老をじっと見たまま動かなかった。
「スペスさん……先ほどのお話は、歴代の長老が一字一句を違えずにおぼえ、口伝されているものです。幾万の星霜を、そうして変わることなく伝えられてきた話なのですよ?」
感情を見せず、淡々と語る長老に、スペスは首を振った。
「そうだとしても、それが本当かどうかの根拠にはならないよ――そもそもの最初が間違ってるかもしれないんだから」
「スペス! 聞いてるの!」
アルマはふたたびスペスを咎めたが、長老の方が、かまわずに話をつづけた。
「スペスさんがおっしゃるような可能性は確かにあるでしょう。しかし事実として、神の使者は我々のところに現れていますよ?」
「そうやって来る方法があるのに、誰も帰ってこない――連絡さえ取れない。っていうのは、さすがに不自然なんじゃない?」
スペスの言葉に、長老は黙ったまま答えなかった。
「――訊いてみようとか思わなかったの? 使者に――向こうに行ったひとは元気なのか、とかさ」
「訊いてみたことはあります……。ですが――答えはありませんでした」
長老の返事に、今度はスペスが黙った。
「さっきからなんなのよ⁉」
たまらずにアルマが言った。
「……わたしにはスペスが何を言いたいのかが、さっぱりなんだけど!」
「さぁ、なんなんだろうね?」
とスペスは肩をすくめる。
「ボクにも、どういうことなのかは分からないよ。でもね、何かがおかしいと思うんだ」
「おかしいって――別に根拠なんてないんでしょ?」
「うん、無いよ。でも、ハルマスもそう言ってる」
「また、ハルマス? はいはい、そうねそうね――」
と、アルマは相手にしない。
「ハルマス――」
長老が繰り返すように言った。
「とても古い言葉です。『命、魂、知恵』などを表す、いにしえの言葉――それこそ神がいた時代の……」
「えっ……偶然じゃないですか? 適当に言ってるだけですよ」
とアルマは言ったが、長老はスペスから目を離さない。
「スペスさんは、どこでそれを?」
「さあ……」とスペスが肩をすくめる。
「それは、ボクにも分からないんだ」
「どういうことですか?」
長老は、美しい瞳で、見透かそうとするようにスペスを見た。
「そんなに見つめられると、照れちゃうな」
まったく照れた様子は見せずにスペスは微笑む。
「――ボクが何者なのかは、ボクが知りたいんだ」
「何を……おっしゃっているのですか?」
戸惑う長老に、アルマが助け船を出した。
「あの……スペスは記憶をなくしてるんです。ここ十日くらいの記憶しか無くて――」
確かめるように見た長老に、スペスがうなずいて返す。
「そうですか――」
長老は、納得したように目を閉じた。
「もしかしたら、なにかの〝兆し〟なのかもしれませんね。あなた方が此処までいらしたのは……」
「それで?」アルマが訊いた。
「今の話は、わたし達がここに来たことと、どう関係があるの?」
「それは、よくわからないよ」
「なによ、いい加減ねぇ……」
アルマはあきれてため息をつく。
「直接は関係ないかもしれない。でも、まったく無関係じゃない気もする――」
「優柔不断!」
「そんなことを言われてもねぇ」
と苦笑したスペスが、不意に下を向く。
「ありゃあ――タッシェ寝ちゃったよ……」
さっきから大人しかったタッシェは、スペスの膝の上ですぅすぅ寝息をたてていた。
「ずいぶん話し込んでしまいましたものね。今日のところはお開きにしましょうか」
長老が立ちあがると、イオキアがスペスに言った。
「私は片付けがありますので、先にお戻りください」
「そう? じゃあ、戻るまえにタッシェを運んでいくよ。別にいいでしょ?」
「恐れ入ります。それではお願いできますか?」
「まかせて!」
スペスは、起こさないようにそっとタッシェを持ちあげると、器用に足だけでブーツを履いていく。
「えっと……どこに連れていけばいいのかな?」
「わたしと同じよ」アルマが言った。「長老さんのところ」
「じゃあ一緒に送って行くよ」
スペスはタッシェを抱えて、長老の居所へ向かう。
集落を歩きながら見あげる空はよく晴れていて、
「明日はこのまま晴れそうね」とアルマが言い、長老がそれに同意した。
スペスが自分の小屋に戻ると、まだイオキアは帰っていなかった。
しかたなくスペスは《点火》を使い、その頼りない明るさで真っ暗な小屋に入った。
寝台に腰をかけ、しばらく《点火》を練習していると、もどってきたイオキアが、詫びを言って灯りをつけた。
寝る仕度を終えて寝台に横になると、すぐに灯りは消され、小屋はまた闇に沈んでいった。
「ねえ……」
闇の中にスペスの声が浮かぶ。
「なんですか……?」
イオキアの声が返ってきた。
「イオキアさんは〝神のところ〟に行きたいって思う?」
「そうですね――」
沈黙したイオキアは、言葉を選びながら答えた。
「神の楽園がどういう所なのかはわかりませんが、見てみたいという気持ちはあります。
けれども――私はここが嫌いではないので、行けなかったとしても、きっと残念には思わないでしょう。
ここで生きるのは楽なことではないですが、ね……」
「そっか――」
スペスがそう言うと、小屋はまた夜につつまれる。
外を吹く風の音が、壁をすりぬけたみたいに渦を巻いていた。
戸がガタガタと揺れ、木々が震える。
遠くからは何かの鳴く声も入ってきた。
「昔は――」
闇の中でイオキアが言った。
「我々と人族には、交流が無かったそうです。まれには関わりを持つ者もいたようですが、神の裏切り者とつきあったことで白い目でみられたとか……。
アールヴは神の存在を寄る辺とし、ずっと集落で身を寄せあうようにして細々と生きてきたのです。
そして――気がつけば、人族はアールヴよりはるかに増え、すぐれた文化をもつようになっていました。
今の長老になってから……だそうです。
少しずつ人族と接触を持ち、私のように人族の街で暮らしたことのある者も出てきました。
もちろん古い者は反対したようです。しかし長老は、アールヴはこのままではいけないと話し合ったのだそうです」
「そうなんだ……意外とやり手なんだね、あの人」
「だから……、長老がなにも考えていないとは思っていません」
「わかったよ」とスペスは言った。
「それだけです。さあ寝ましょう、明日も早いんでしょう」
それきり、二人は口を開かなかった。
スペスは、夜の音を聴きながら、ゆっくりと眠りに落ちた。
だったら、それが本当かどうかを確かめる方法はないよね」
「ちょっとスペス! いきなり何を言ってるのよ、失礼でしょ!」
アルマはそう非難したが、スペスは長老をじっと見たまま動かなかった。
「スペスさん……先ほどのお話は、歴代の長老が一字一句を違えずにおぼえ、口伝されているものです。幾万の星霜を、そうして変わることなく伝えられてきた話なのですよ?」
感情を見せず、淡々と語る長老に、スペスは首を振った。
「そうだとしても、それが本当かどうかの根拠にはならないよ――そもそもの最初が間違ってるかもしれないんだから」
「スペス! 聞いてるの!」
アルマはふたたびスペスを咎めたが、長老の方が、かまわずに話をつづけた。
「スペスさんがおっしゃるような可能性は確かにあるでしょう。しかし事実として、神の使者は我々のところに現れていますよ?」
「そうやって来る方法があるのに、誰も帰ってこない――連絡さえ取れない。っていうのは、さすがに不自然なんじゃない?」
スペスの言葉に、長老は黙ったまま答えなかった。
「――訊いてみようとか思わなかったの? 使者に――向こうに行ったひとは元気なのか、とかさ」
「訊いてみたことはあります……。ですが――答えはありませんでした」
長老の返事に、今度はスペスが黙った。
「さっきからなんなのよ⁉」
たまらずにアルマが言った。
「……わたしにはスペスが何を言いたいのかが、さっぱりなんだけど!」
「さぁ、なんなんだろうね?」
とスペスは肩をすくめる。
「ボクにも、どういうことなのかは分からないよ。でもね、何かがおかしいと思うんだ」
「おかしいって――別に根拠なんてないんでしょ?」
「うん、無いよ。でも、ハルマスもそう言ってる」
「また、ハルマス? はいはい、そうねそうね――」
と、アルマは相手にしない。
「ハルマス――」
長老が繰り返すように言った。
「とても古い言葉です。『命、魂、知恵』などを表す、いにしえの言葉――それこそ神がいた時代の……」
「えっ……偶然じゃないですか? 適当に言ってるだけですよ」
とアルマは言ったが、長老はスペスから目を離さない。
「スペスさんは、どこでそれを?」
「さあ……」とスペスが肩をすくめる。
「それは、ボクにも分からないんだ」
「どういうことですか?」
長老は、美しい瞳で、見透かそうとするようにスペスを見た。
「そんなに見つめられると、照れちゃうな」
まったく照れた様子は見せずにスペスは微笑む。
「――ボクが何者なのかは、ボクが知りたいんだ」
「何を……おっしゃっているのですか?」
戸惑う長老に、アルマが助け船を出した。
「あの……スペスは記憶をなくしてるんです。ここ十日くらいの記憶しか無くて――」
確かめるように見た長老に、スペスがうなずいて返す。
「そうですか――」
長老は、納得したように目を閉じた。
「もしかしたら、なにかの〝兆し〟なのかもしれませんね。あなた方が此処までいらしたのは……」
「それで?」アルマが訊いた。
「今の話は、わたし達がここに来たことと、どう関係があるの?」
「それは、よくわからないよ」
「なによ、いい加減ねぇ……」
アルマはあきれてため息をつく。
「直接は関係ないかもしれない。でも、まったく無関係じゃない気もする――」
「優柔不断!」
「そんなことを言われてもねぇ」
と苦笑したスペスが、不意に下を向く。
「ありゃあ――タッシェ寝ちゃったよ……」
さっきから大人しかったタッシェは、スペスの膝の上ですぅすぅ寝息をたてていた。
「ずいぶん話し込んでしまいましたものね。今日のところはお開きにしましょうか」
長老が立ちあがると、イオキアがスペスに言った。
「私は片付けがありますので、先にお戻りください」
「そう? じゃあ、戻るまえにタッシェを運んでいくよ。別にいいでしょ?」
「恐れ入ります。それではお願いできますか?」
「まかせて!」
スペスは、起こさないようにそっとタッシェを持ちあげると、器用に足だけでブーツを履いていく。
「えっと……どこに連れていけばいいのかな?」
「わたしと同じよ」アルマが言った。「長老さんのところ」
「じゃあ一緒に送って行くよ」
スペスはタッシェを抱えて、長老の居所へ向かう。
集落を歩きながら見あげる空はよく晴れていて、
「明日はこのまま晴れそうね」とアルマが言い、長老がそれに同意した。
スペスが自分の小屋に戻ると、まだイオキアは帰っていなかった。
しかたなくスペスは《点火》を使い、その頼りない明るさで真っ暗な小屋に入った。
寝台に腰をかけ、しばらく《点火》を練習していると、もどってきたイオキアが、詫びを言って灯りをつけた。
寝る仕度を終えて寝台に横になると、すぐに灯りは消され、小屋はまた闇に沈んでいった。
「ねえ……」
闇の中にスペスの声が浮かぶ。
「なんですか……?」
イオキアの声が返ってきた。
「イオキアさんは〝神のところ〟に行きたいって思う?」
「そうですね――」
沈黙したイオキアは、言葉を選びながら答えた。
「神の楽園がどういう所なのかはわかりませんが、見てみたいという気持ちはあります。
けれども――私はここが嫌いではないので、行けなかったとしても、きっと残念には思わないでしょう。
ここで生きるのは楽なことではないですが、ね……」
「そっか――」
スペスがそう言うと、小屋はまた夜につつまれる。
外を吹く風の音が、壁をすりぬけたみたいに渦を巻いていた。
戸がガタガタと揺れ、木々が震える。
遠くからは何かの鳴く声も入ってきた。
「昔は――」
闇の中でイオキアが言った。
「我々と人族には、交流が無かったそうです。まれには関わりを持つ者もいたようですが、神の裏切り者とつきあったことで白い目でみられたとか……。
アールヴは神の存在を寄る辺とし、ずっと集落で身を寄せあうようにして細々と生きてきたのです。
そして――気がつけば、人族はアールヴよりはるかに増え、すぐれた文化をもつようになっていました。
今の長老になってから……だそうです。
少しずつ人族と接触を持ち、私のように人族の街で暮らしたことのある者も出てきました。
もちろん古い者は反対したようです。しかし長老は、アールヴはこのままではいけないと話し合ったのだそうです」
「そうなんだ……意外とやり手なんだね、あの人」
「だから……、長老がなにも考えていないとは思っていません」
「わかったよ」とスペスは言った。
「それだけです。さあ寝ましょう、明日も早いんでしょう」
それきり、二人は口を開かなかった。
スペスは、夜の音を聴きながら、ゆっくりと眠りに落ちた。