残酷な描写あり
R-15
第70話 『長老の切り札⁉』
後退するアールヴ達は、わずかでもトロルの前進を阻止しようと、無数の矢を放つ。
その多くがトロルの長い体毛に邪魔をされて地面に落ちていたが、それでも相当な本数が身体に刺さっていった。
しかしトロルは、そんなもの気にもならないといった様子で平然と歩みを進める。
一歩また一歩と大きな足を踏み出すたびに、首につけた木と骨の首飾りが、カラリカラリと不吉な音を立てた。
――矢じゃダメだ! 全然効いてない!
アールヴに合わせてさがりつつ、スペスはトロルを見る。
トロルを止められず、集落の中央まで入りこまれたアールヴ達は、徐々に外側へと押し出されていった。
トロルが止められないのと判断した長老が、足を止め、腕を振りあげる。
「フラペ・ディ・ニエ・ヴェ・クルード‼︎」
いきなり突風が吹きあげ、トロルの周りを巻いたかと思うと、無数の見えない刃がトロルを切りつけはじめた。
切り裂かれた体毛が、黒い風となって舞い、腕にも足にも数えきれないほどの傷を生み出していく。
トロルから流れ出した青い体液が雨のように飛び散って地面を濡らしていった。
さすがのトロルもこれには足を止めた。
両腕を交差して首のあたりを守ったトロルは、防御姿勢のまま、風の刃に切り裂かれつづける。
ようやく旋風が収まった時、トロルの全身は青い血まみれになっていた。
――これはさすがに堪えただろう。
見ていたスペスもそう思うほどに長老の放った魔法は強力で、たとえ致命傷でなかったとしても、かなりの深手をトロルに負わせたはずだった。
それでも――なにか違和感があった。
――トロルの身体から、血が……もう落ちてこない。
あれだけの怪我なのに、出血が少なすぎる……。
まさか、と思ったスペスは、トロルについた傷を見て確信する。
「長老さん!」
スペスは、長老のほうへ走りながら言った。
「――あいつの傷がふさがっていってるよ!」
駆けつけたスペスを、長老は青い顔で見た。
「スペスさん……。すぐ……逃げてください」
弱々しい声だった。
「……トロルには、傷や怪我を再生させる能力があります。倒すならば……いまので頭を潰すか首を落とさなければなりませんでした……。
いまは再生するのを待っていますが……傷がふさがればアレはまた……動き出すでしょう。怯ませたゴブリンやオーガ達も……トロルが無事だとわかれば勢いを……とり戻します」
切れぎれの呼吸で長老は話す。
「長老さん! 顔色が悪いよ! どうしたの!」
訊ねたスペスにかまわず、長老は苦しそうな顔で言った。
「われわれは……、このあと集落を放棄して……散開し……、戦闘をつづけます。スペスさんは、どうか……いまのうち……避難してください」
「長老さんも、いっしょに避難しよう! そんなにふらふらじゃあ、もう戦えないでしょ!」
「いいえ……」と長老は首を振った。
「私は……すでに力を使い果たしました……。いまは、立っているのがやっとの身です……。これで……足手まといとなるだけ……。向こうも……強力な魔法をつかった私を……逃してはくれないでしょう。私と一緒にいては……隠れ場所の安全も確保できません。どうか……置いて行ってください……」
スペスがまわりを見ると、すでに長老のそばには誰もいなかった。
あらかじめ指示が出ていたのか、アールヴ達は、長老が敵を足止めしたこのタイミングで、まわりの森へと移動し始めていた。
「さあ、はやく……行ってください」
うつむいた長老は、スペスをそっと押すと、その場にひざをついた。
スペスは――
「長老さん……」
長老の言う事のほうが、正しい判断だと思った。
アルマの所へ行くならば、タイミングは今しかなかった。
それでも――
「弱った女の人を残して、行けるわけがないだろうっ‼︎」
そうスペスは言った。
長老に肩を貸して、半ば無理やりに立ち上がらせる。
アルマたちの避難した小屋へ行こうかと考えたが、思いなおして逆を向いた。
そのときトロルが動く。
首をかばっていた姿勢から両手を上に挙げ――
「グオオオオォォォォォォォォッ!!」
と、森をゆらす勢いで咆えた。その場にいるすべてのものが動きを止めた。
「あれだけの傷がもう治ったのか……」
見あげるスペスを、上からトロルが睨んでいた。
「まだ……間に合います。どうか逃げてください……」
「ごめん……もう無理かもしれないよ……」
ぐったりとなった長老に、スペスは青い顔で返した。
「私を置いて行けばよいのです……。狙われているのは……私なのですから」
「それはそうなんだけどさ――」とスペスは軽口を叩く。
「こんな綺麗な人を置いて行くのは、ちょっと勿体無いよね」
「なに……を、言ってるんですか」
長老が言うと、スペスは『ははは……』と乾いた声で笑う。
「オやぁ……? オやオやぁ……?」
静まりかえった戦場に、甲高い声が響いて、消えた。
その多くがトロルの長い体毛に邪魔をされて地面に落ちていたが、それでも相当な本数が身体に刺さっていった。
しかしトロルは、そんなもの気にもならないといった様子で平然と歩みを進める。
一歩また一歩と大きな足を踏み出すたびに、首につけた木と骨の首飾りが、カラリカラリと不吉な音を立てた。
――矢じゃダメだ! 全然効いてない!
アールヴに合わせてさがりつつ、スペスはトロルを見る。
トロルを止められず、集落の中央まで入りこまれたアールヴ達は、徐々に外側へと押し出されていった。
トロルが止められないのと判断した長老が、足を止め、腕を振りあげる。
「フラペ・ディ・ニエ・ヴェ・クルード‼︎」
いきなり突風が吹きあげ、トロルの周りを巻いたかと思うと、無数の見えない刃がトロルを切りつけはじめた。
切り裂かれた体毛が、黒い風となって舞い、腕にも足にも数えきれないほどの傷を生み出していく。
トロルから流れ出した青い体液が雨のように飛び散って地面を濡らしていった。
さすがのトロルもこれには足を止めた。
両腕を交差して首のあたりを守ったトロルは、防御姿勢のまま、風の刃に切り裂かれつづける。
ようやく旋風が収まった時、トロルの全身は青い血まみれになっていた。
――これはさすがに堪えただろう。
見ていたスペスもそう思うほどに長老の放った魔法は強力で、たとえ致命傷でなかったとしても、かなりの深手をトロルに負わせたはずだった。
それでも――なにか違和感があった。
――トロルの身体から、血が……もう落ちてこない。
あれだけの怪我なのに、出血が少なすぎる……。
まさか、と思ったスペスは、トロルについた傷を見て確信する。
「長老さん!」
スペスは、長老のほうへ走りながら言った。
「――あいつの傷がふさがっていってるよ!」
駆けつけたスペスを、長老は青い顔で見た。
「スペスさん……。すぐ……逃げてください」
弱々しい声だった。
「……トロルには、傷や怪我を再生させる能力があります。倒すならば……いまので頭を潰すか首を落とさなければなりませんでした……。
いまは再生するのを待っていますが……傷がふさがればアレはまた……動き出すでしょう。怯ませたゴブリンやオーガ達も……トロルが無事だとわかれば勢いを……とり戻します」
切れぎれの呼吸で長老は話す。
「長老さん! 顔色が悪いよ! どうしたの!」
訊ねたスペスにかまわず、長老は苦しそうな顔で言った。
「われわれは……、このあと集落を放棄して……散開し……、戦闘をつづけます。スペスさんは、どうか……いまのうち……避難してください」
「長老さんも、いっしょに避難しよう! そんなにふらふらじゃあ、もう戦えないでしょ!」
「いいえ……」と長老は首を振った。
「私は……すでに力を使い果たしました……。いまは、立っているのがやっとの身です……。これで……足手まといとなるだけ……。向こうも……強力な魔法をつかった私を……逃してはくれないでしょう。私と一緒にいては……隠れ場所の安全も確保できません。どうか……置いて行ってください……」
スペスがまわりを見ると、すでに長老のそばには誰もいなかった。
あらかじめ指示が出ていたのか、アールヴ達は、長老が敵を足止めしたこのタイミングで、まわりの森へと移動し始めていた。
「さあ、はやく……行ってください」
うつむいた長老は、スペスをそっと押すと、その場にひざをついた。
スペスは――
「長老さん……」
長老の言う事のほうが、正しい判断だと思った。
アルマの所へ行くならば、タイミングは今しかなかった。
それでも――
「弱った女の人を残して、行けるわけがないだろうっ‼︎」
そうスペスは言った。
長老に肩を貸して、半ば無理やりに立ち上がらせる。
アルマたちの避難した小屋へ行こうかと考えたが、思いなおして逆を向いた。
そのときトロルが動く。
首をかばっていた姿勢から両手を上に挙げ――
「グオオオオォォォォォォォォッ!!」
と、森をゆらす勢いで咆えた。その場にいるすべてのものが動きを止めた。
「あれだけの傷がもう治ったのか……」
見あげるスペスを、上からトロルが睨んでいた。
「まだ……間に合います。どうか逃げてください……」
「ごめん……もう無理かもしれないよ……」
ぐったりとなった長老に、スペスは青い顔で返した。
「私を置いて行けばよいのです……。狙われているのは……私なのですから」
「それはそうなんだけどさ――」とスペスは軽口を叩く。
「こんな綺麗な人を置いて行くのは、ちょっと勿体無いよね」
「なに……を、言ってるんですか」
長老が言うと、スペスは『ははは……』と乾いた声で笑う。
「オやぁ……? オやオやぁ……?」
静まりかえった戦場に、甲高い声が響いて、消えた。