残酷な描写あり
R-15
第71話 『スペスの奇策⁉』
「オやぁ……? オやオやぁ……?」
静まりかえった戦場に、甲高い声が響いて、消えた。
「アールヴは共通語も話せなイ野蛮人だと思ってタのに、話セるヒトもいルようだネぇ」
声を発したのは、トロルでもオーガでもなかった。
声の先――トロルの肩に、なにかが座っていた。首飾りにつかまって立ちあがったそれは、肩の上からこう言った。
「はーじメまして、ミなさん!」
小柄なわりに、よく通る声だった。
立ちあがってもまだ成長期の少年のように小さく、黒い長衣とフードで、顔はおろか体型すらよくわからないソレは、芝居がかったしぐさで両腕を広げた。
見上げたスペスが怪訝な顔で言う。
「どうも……? はじめまして……?」
「ヨかったヨ。はなしの通じそウな人がいて」
ソレは嬉しそうに言った。
「――共通語もロくに通じなイなら、このマま、ミな殺しにスるしかナいのかと思っテたところダったのヨ」
「ふーん……」
とスペスは答える。
「それで? キミはだれなのさ」
「ああーぁああぁあぁー! そウだったヨ。そウだった、そウだった。はじメまして、アタチはアブタノ、こいつはトロルの〝チャンぴオン〟モドカダラ、ようコそ、よろシく」
アブタノと名乗った悪魔は、早口でそう言った。
「なるほどアブタノさん……ね」
長老に肩を貸したまま、スペスは悪魔を見上げる。
「……キミの名前は分かったけど、じゃあキミは、ここへ何をしに来たのさ。誰かのお使い? 話が通じるなら、ボクらは〝皆殺し〟とやらにならずに済むのかな?」
「そウだ、そウだね。そノ話をシよう。アチシは魔王様の使いダヨ。君たちアールヴに〝お願い〟があってキたのだワ」
「魔王……アルマさんの本にあった――」
長老がつぶやいた。
「ふーん、〝お願い〟ね。じゃあ……ボクが聞くからさ、言うだけは言ってみなよ」
「じゃあ、言うヨ? 言うヨ? うん? ……って君、なんか他のアールヴとすこシ違うね。モしかして君は、アールヴと違うのかナァ?」
「いやいや、なにを言ってるの? ボクはアールヴだよ」
平然とスペスは答える。
「――アールヴには、ボクみたいのもいるんだよ。キミは、そんなことも知らないで、こんな所までお願いに来てるのかな?」
「……ん? いや知ってたヨ。もちろん知ってタね。そうそう知ってタ知ってタ。そうだっタよね、ウん」
アブタノがひとりでうなずいているあいだ、スペスは横目で、他のアールヴ達が静かに撤退していくのを確認していた。
このおかしな悪魔が出てきてから、ゴブリンやオーガ達がおとなしくなっている。 もう少し時間を稼げば、アールヴの撤収は完了しそうだった。
「あぁー! ソっか君がアールヴなら、君でイいのだワ」
アブタノが嬉しそうに言う。
「いいカなぁ? これカら魔王さまは、人族を滅ぼすこトにした。たダし、君たちアールヴは滅ぼサなくテもいい、ト言われテるよ。キヒッ! たダし、モちろん無条件じゃアないのだワ。こレから言うコとを聞くコとだヨ」
「へー、条件があるとは興味深いね、言ってみてよ」
「いいトも、いいトも。聞きナヨ。ひトつ、魔王軍のたメに休息の場所を用意するこト。ふタつ、魔王軍の食糧を用意するこト。ミっつ、おっトっ!」
トロルの肩の上でバランスを崩しそうになったアブタノは、トロルの耳をあわてて掴んだ。
「みっつ目は〝神〟との関係を切ル。だヨ」
「関係を切る、っていうのはどういうことかな?」スペスは訊いた。
「ケケッ、キミたちはまだ〝神〟とつナがってルんだろ? 知ってんだヨ。それをヤメろ! 魔王様は知っていル。それは〝世界〟のたメにならない、のだワ」
「魔王も〝神〟を知ってるの?」
「魔王様ハなんでも知っテるヨ。スゴイだろゥ?」
「ヘェ……ソレはスゴイね。スゴイスゴイ、スゴクスゴイ」
興味なさそうな声で言ったスペスは、ごそごそとカバンをあさり、スリング用の石とハンカチを取り出した。
「そうダろう? スゴイだろう? ……って君、なにをシてるのかナ?」
スペスは長老を支えながら、石をハンカチで包み、しっかりと縛る。
「ん? ああこれ? これは別に大したもんじゃないよ。気にしないで」
「んん、そウだよね?」
と、アブタノは言ったが、その目はしっかりと、スペスの手元に注がれていた。
「……でも気になるなァ。なにシてるのかなァ?」
「えー⁉ キミはこんなのが気になるの?」
スペスが訊くと、アブタノはうんうんとうなずいた。
「そっかぁー? それじゃあ教えてあげてもいいけど、ほんとに、大したものじゃないんだよ。だからキミは見たあとに、きっと怒っちゃうと思うんだよね。つまんなかったって」
「ん? んーん、怒らナい、怒らナいよ。アチシは小さなこトでは怒らナいのだワ。大丈夫、大丈夫」
「そうかい? それなら見せてあげてもいいけど」とスペスは言った。
「準備があるからもうちょっと待っててくれるかな? 待ってもらえないと、見せられないんだけど……?」
「うん、待つヨ、待つ待つ」とアブタノは言った。
(……長老さん)
アブタノに気づかれないように、スペスは小声で話しかける。
(できるだけでいいから、ボクの首にしっかりとつかまっててくれる?)
(こう……ですか?)
長老が、ほっそりとした腕を、スペスの首に回す。ひかえめながらも柔らかな胸が密着し、スペスは思わず『おおぅ!』と声を出した。
(あの……、これがなにか……?)
抱きついた長老が、どこか疑うような目で見ていた。
(えっ! いやぁこれは……)
と狼狽えたスペスは、すぐに真面目な声で、
(いまから逃げ出すからさ、しっかりつかまっててよ)と言った。
(もう無理でしょう……)
長老は首を振る。
(こうなってしまっては、スペスさん一人だとしても逃げきれるかどうか……)
(大丈夫、置いては行かないよ。だから、ちゃんとつかまってるんだ――いいね?)
そう言ったスペスを見て、長老は不思議そうにうなずいた。
スペスが、アブタノを見上げて言う。
「ごめんごめん! お待たせしたね!」
「いやいヤいや、いいヨ、いいんだヨ」
アブタノは嬉しそうに答えた。
「じゃあ、今からやるからね、よく見ててよ!」
スペスの声にうなずいたアブタノは、じっとスペスを見る。
まわりのアールヴ達がほとんど撤退したのを確認しながらスペスは、上着のポケットから小瓶を取り出した。
「コレをね、少しだけハンカチにかけるでしょ……」
石を包んだハンカチに小瓶に入った真っ赤な液体を数滴垂らすと、染み込んだハンカチが赤く染まる。
「うんうん、それで?」
「それで、この瓶を、うえに向かって投げるっ!」
スペスは、見えなくなるほど空高くへ、小瓶を投げ上げた。
トロルとアブタノの目が、つられて上にあがる。
自分から視線がはずれたのを見て、スペスは気づかれないように火を付けた。
「《点火》!」
石に巻いたハンカチに火がつき、いっきに燃え上がる。
――熱っつい! けど……、もうちょっと……。
燃える石を手に持ちつづけ、スペスはタイミングを計って言った。
「おーい、どっちを見てるんだっ! こっちだぞっ!」
同時に、燃える石をトロルの頭へ投げつける。
上を見あげていた悪魔たちが、声につられてスペスを見おろした。
その瞬間、カシャン! という音がして、トロルの頭に真っ赤な液体がかかる。先に投げた小瓶がトロルの頭に落ちて割れた音だった。
虚をついたところに、下から、火の玉となった石が飛ぶ。
だが、トロルは巨体に似合わぬ反応で顔をそらし、石を避けた。
そのまま火のついた石が、トロルのうしろへと飛んでいく。
しかし――
石がトロルの顔のそばを通りすぎたとき、ついていた火がトロルの頭に引火した。
真っ赤な液体が、真っ赤な炎へと変わり、燃えあがる。
「グアアアァァァァォォォォォオ!!」
絶叫をあげてのけぞったトロルは、頭を押さえたまま仰向けに倒れた。
背負っていたカゴが割れ、中に入っていた岩が落ちる。
火を消そうとするトロルは何度も地面を転げまわったが、火焔草の火はまったく消える気配を見せなかった。毛と肉が焼ける嫌なニオイがたちこめ、もうもうと煙があがる。
転げまわるトロルに巻き込まれて何体かのゴブリンが潰され、オーガ達が逃げるように散らばっていった。
そんな混乱の中で、スペス達のことを気にする者はもういなかった。
「まったく、経験者としては同情するよ……」
転げまわるトロルを見てスペスは言った。
「でもっ――今のうちだっ!」
すばやく長老の脚をすくい上げ、胸の前に抱えあげる。
長老は『きゃっ』と声を上げたが、言われた通りに、スペスの首につかまった。
長老を抱いたスペスは、収集のつかなくなった戦場を離れて、まっすぐに南の森へ飛びこんでいった。
静まりかえった戦場に、甲高い声が響いて、消えた。
「アールヴは共通語も話せなイ野蛮人だと思ってタのに、話セるヒトもいルようだネぇ」
声を発したのは、トロルでもオーガでもなかった。
声の先――トロルの肩に、なにかが座っていた。首飾りにつかまって立ちあがったそれは、肩の上からこう言った。
「はーじメまして、ミなさん!」
小柄なわりに、よく通る声だった。
立ちあがってもまだ成長期の少年のように小さく、黒い長衣とフードで、顔はおろか体型すらよくわからないソレは、芝居がかったしぐさで両腕を広げた。
見上げたスペスが怪訝な顔で言う。
「どうも……? はじめまして……?」
「ヨかったヨ。はなしの通じそウな人がいて」
ソレは嬉しそうに言った。
「――共通語もロくに通じなイなら、このマま、ミな殺しにスるしかナいのかと思っテたところダったのヨ」
「ふーん……」
とスペスは答える。
「それで? キミはだれなのさ」
「ああーぁああぁあぁー! そウだったヨ。そウだった、そウだった。はじメまして、アタチはアブタノ、こいつはトロルの〝チャンぴオン〟モドカダラ、ようコそ、よろシく」
アブタノと名乗った悪魔は、早口でそう言った。
「なるほどアブタノさん……ね」
長老に肩を貸したまま、スペスは悪魔を見上げる。
「……キミの名前は分かったけど、じゃあキミは、ここへ何をしに来たのさ。誰かのお使い? 話が通じるなら、ボクらは〝皆殺し〟とやらにならずに済むのかな?」
「そウだ、そウだね。そノ話をシよう。アチシは魔王様の使いダヨ。君たちアールヴに〝お願い〟があってキたのだワ」
「魔王……アルマさんの本にあった――」
長老がつぶやいた。
「ふーん、〝お願い〟ね。じゃあ……ボクが聞くからさ、言うだけは言ってみなよ」
「じゃあ、言うヨ? 言うヨ? うん? ……って君、なんか他のアールヴとすこシ違うね。モしかして君は、アールヴと違うのかナァ?」
「いやいや、なにを言ってるの? ボクはアールヴだよ」
平然とスペスは答える。
「――アールヴには、ボクみたいのもいるんだよ。キミは、そんなことも知らないで、こんな所までお願いに来てるのかな?」
「……ん? いや知ってたヨ。もちろん知ってタね。そうそう知ってタ知ってタ。そうだっタよね、ウん」
アブタノがひとりでうなずいているあいだ、スペスは横目で、他のアールヴ達が静かに撤退していくのを確認していた。
このおかしな悪魔が出てきてから、ゴブリンやオーガ達がおとなしくなっている。 もう少し時間を稼げば、アールヴの撤収は完了しそうだった。
「あぁー! ソっか君がアールヴなら、君でイいのだワ」
アブタノが嬉しそうに言う。
「いいカなぁ? これカら魔王さまは、人族を滅ぼすこトにした。たダし、君たちアールヴは滅ぼサなくテもいい、ト言われテるよ。キヒッ! たダし、モちろん無条件じゃアないのだワ。こレから言うコとを聞くコとだヨ」
「へー、条件があるとは興味深いね、言ってみてよ」
「いいトも、いいトも。聞きナヨ。ひトつ、魔王軍のたメに休息の場所を用意するこト。ふタつ、魔王軍の食糧を用意するこト。ミっつ、おっトっ!」
トロルの肩の上でバランスを崩しそうになったアブタノは、トロルの耳をあわてて掴んだ。
「みっつ目は〝神〟との関係を切ル。だヨ」
「関係を切る、っていうのはどういうことかな?」スペスは訊いた。
「ケケッ、キミたちはまだ〝神〟とつナがってルんだろ? 知ってんだヨ。それをヤメろ! 魔王様は知っていル。それは〝世界〟のたメにならない、のだワ」
「魔王も〝神〟を知ってるの?」
「魔王様ハなんでも知っテるヨ。スゴイだろゥ?」
「ヘェ……ソレはスゴイね。スゴイスゴイ、スゴクスゴイ」
興味なさそうな声で言ったスペスは、ごそごそとカバンをあさり、スリング用の石とハンカチを取り出した。
「そうダろう? スゴイだろう? ……って君、なにをシてるのかナ?」
スペスは長老を支えながら、石をハンカチで包み、しっかりと縛る。
「ん? ああこれ? これは別に大したもんじゃないよ。気にしないで」
「んん、そウだよね?」
と、アブタノは言ったが、その目はしっかりと、スペスの手元に注がれていた。
「……でも気になるなァ。なにシてるのかなァ?」
「えー⁉ キミはこんなのが気になるの?」
スペスが訊くと、アブタノはうんうんとうなずいた。
「そっかぁー? それじゃあ教えてあげてもいいけど、ほんとに、大したものじゃないんだよ。だからキミは見たあとに、きっと怒っちゃうと思うんだよね。つまんなかったって」
「ん? んーん、怒らナい、怒らナいよ。アチシは小さなこトでは怒らナいのだワ。大丈夫、大丈夫」
「そうかい? それなら見せてあげてもいいけど」とスペスは言った。
「準備があるからもうちょっと待っててくれるかな? 待ってもらえないと、見せられないんだけど……?」
「うん、待つヨ、待つ待つ」とアブタノは言った。
(……長老さん)
アブタノに気づかれないように、スペスは小声で話しかける。
(できるだけでいいから、ボクの首にしっかりとつかまっててくれる?)
(こう……ですか?)
長老が、ほっそりとした腕を、スペスの首に回す。ひかえめながらも柔らかな胸が密着し、スペスは思わず『おおぅ!』と声を出した。
(あの……、これがなにか……?)
抱きついた長老が、どこか疑うような目で見ていた。
(えっ! いやぁこれは……)
と狼狽えたスペスは、すぐに真面目な声で、
(いまから逃げ出すからさ、しっかりつかまっててよ)と言った。
(もう無理でしょう……)
長老は首を振る。
(こうなってしまっては、スペスさん一人だとしても逃げきれるかどうか……)
(大丈夫、置いては行かないよ。だから、ちゃんとつかまってるんだ――いいね?)
そう言ったスペスを見て、長老は不思議そうにうなずいた。
スペスが、アブタノを見上げて言う。
「ごめんごめん! お待たせしたね!」
「いやいヤいや、いいヨ、いいんだヨ」
アブタノは嬉しそうに答えた。
「じゃあ、今からやるからね、よく見ててよ!」
スペスの声にうなずいたアブタノは、じっとスペスを見る。
まわりのアールヴ達がほとんど撤退したのを確認しながらスペスは、上着のポケットから小瓶を取り出した。
「コレをね、少しだけハンカチにかけるでしょ……」
石を包んだハンカチに小瓶に入った真っ赤な液体を数滴垂らすと、染み込んだハンカチが赤く染まる。
「うんうん、それで?」
「それで、この瓶を、うえに向かって投げるっ!」
スペスは、見えなくなるほど空高くへ、小瓶を投げ上げた。
トロルとアブタノの目が、つられて上にあがる。
自分から視線がはずれたのを見て、スペスは気づかれないように火を付けた。
「《点火》!」
石に巻いたハンカチに火がつき、いっきに燃え上がる。
――熱っつい! けど……、もうちょっと……。
燃える石を手に持ちつづけ、スペスはタイミングを計って言った。
「おーい、どっちを見てるんだっ! こっちだぞっ!」
同時に、燃える石をトロルの頭へ投げつける。
上を見あげていた悪魔たちが、声につられてスペスを見おろした。
その瞬間、カシャン! という音がして、トロルの頭に真っ赤な液体がかかる。先に投げた小瓶がトロルの頭に落ちて割れた音だった。
虚をついたところに、下から、火の玉となった石が飛ぶ。
だが、トロルは巨体に似合わぬ反応で顔をそらし、石を避けた。
そのまま火のついた石が、トロルのうしろへと飛んでいく。
しかし――
石がトロルの顔のそばを通りすぎたとき、ついていた火がトロルの頭に引火した。
真っ赤な液体が、真っ赤な炎へと変わり、燃えあがる。
「グアアアァァァァォォォォォオ!!」
絶叫をあげてのけぞったトロルは、頭を押さえたまま仰向けに倒れた。
背負っていたカゴが割れ、中に入っていた岩が落ちる。
火を消そうとするトロルは何度も地面を転げまわったが、火焔草の火はまったく消える気配を見せなかった。毛と肉が焼ける嫌なニオイがたちこめ、もうもうと煙があがる。
転げまわるトロルに巻き込まれて何体かのゴブリンが潰され、オーガ達が逃げるように散らばっていった。
そんな混乱の中で、スペス達のことを気にする者はもういなかった。
「まったく、経験者としては同情するよ……」
転げまわるトロルを見てスペスは言った。
「でもっ――今のうちだっ!」
すばやく長老の脚をすくい上げ、胸の前に抱えあげる。
長老は『きゃっ』と声を上げたが、言われた通りに、スペスの首につかまった。
長老を抱いたスペスは、収集のつかなくなった戦場を離れて、まっすぐに南の森へ飛びこんでいった。