残酷な描写あり
R-15
第72話 『スペスの、バカァ⁉』
地上が混乱に包まれていたその頃――
アルマは地下の〝広間〟でため息をついていた。
穴に入ったあと、しばらくはスペスを待っていたのだが、
いつまでたってもスペスが来ないのでタッシェがグズりだし、すこしは気分を変えさせようと、いっしょに穴の奥を見に行くことにした。
狭い穴をタッシェはするすると進んでいく。
アルマも付いて行こうとしたが、自分の荷物に加えて、灯りをつけた木剣と食糧の詰まった袋まで持っていたので、あっという間に置いていかれた。
それでも追いかけて行くと、狭い場所があるたびに身体のあちこちが岩に当る。
「いたたた……。もうちょっと痩せたほうがいいのかしら……」
そんなことを思いながら、また狭い箇所を抜けようとした時、
「んぐっ!」みごとに身体がひっかかった。
戻ろうとしてみても、うまいことハマりこんでいる上に、手をかけるような場所がない。灯りのついた木剣はあとで取ろうと思って足元にあり、自分の身体で穴をふさいだアルマは、隙間から漏れてくる灯りだけの暗い穴に、ひとり取り残された。
「タ、タッシェ! 待ってー! おねがい戻ってきてー!」
しばらく必死になって呼びつづけていると、ぼんやりと戻ってくるタッシェが見えた。
「ごめんね……、胸のあたりがひっかかっちゃったみたいなの……」
そう言ってタッシェに、動けないと身振りする。
さいわい腕は先に通り抜けているので、なんとか体を引き上げようとしてみるのだが、
「イタタタっ! ちぎれる、ちぎれちゃう!」
どうしても胸が通らなかった。
すぐ近くまで来たタッシェが、ひっかかってる箇所をじーっと見る。
「な、なに? なんで、ソコを見てるの?」
タッシェが、なにか言いたそうな目でアルマを見た。
「あっ、そうよね! もう一回やってみるわね!」
アルマがふたたび力をこめた時、合わせたようにタッシェが片手を上げた。
パッシーーーン!
という音が、穴のなかに響く。
タッシェが、その小さな手で、思い切りアルマの胸を叩いた音だった。
「いったーい!」
アルマは叫んだ。
「ちょっと! いきなりなにするのよ⁉ ……って、んっ? あれっ、少しだけ抜けた?」
叩かれたせいか、身体がわずかに前へ進んでいた。
それを見たタッシェの顔が、ニヤリと笑ったように見えた。
小さな手が、ゆっくりと振りあがっていく。
「えっ……ちょっと⁉︎ やだ……うそでしょ? タッシェ⁉ きゃーっ︎!」
タシーン! パシーン! パーン! パッシーン! スッパーン!
と音がして、そのたびに、
「やめてっ!」「ちょっと!」「いたいってば!」「いやーっ!」「おかーさーんっ!」
と、声がした。
――結局、体は無事に抜けた。
「いたたっ……。ひどい目にあったわ……」
ようやく自由になったアルマは、すり傷だらけになった身体を確認する。
「ちょっとタッシェ! 抜けられたから良かったけど、もっと優しくやってくれてもいいんじゃないっ?」
アルマは頬を膨らませたが、タッシェは得意げに、叩いた手の平を見せてくるだけだった。
「あーもぉー……」
と、アルマは胸元を引っぱる。
「よく見えないけど、きっと赤くなっちゃってるわよ……」
途端に、
パン、パーン!
と、タッシェがまた叩いた。
「こらーっ! まだやるかっ! しかも二回も! やっぱりわざとやったな! こら! 待ちなさーい!」
怒鳴るアルマを置いて、タッシェはキャッキャッと笑いながら穴の奥へ逃げていった。それを見て、アルマはため息をつく。
「はぁ……ちょっとは元気出たのかしら。――って、それは、わたしもか……」
複雑な気持ちで荷物を引き上げたアルマは、タッシェを追って、また奥へと這いすすんだ。
先へ行くと、ほどなくして広さのある空間にでた。
木剣の先につけた《灯り》で照らすと、地下なのに、手が届かないほど天井が高く、かなりの広さがあった。
持ってきた食料袋を隅に置き、ちぢこまっていた身体をうんとのばすと、喉が渇いているのに気づいて、水を飲む。
あらためて見なおすと、入ってきた穴の他に、小さな穴がいくつかと、大きい穴がひとつあいていて、あたりにはおもちゃの食器や、枯れた花、それに落書きがあちこちに描いてあった。
そうして置いてある物を眺めていると、別の穴に隠れていたタッシェがひょっこりとやってきて、なにやら説明を始めた。
もうさっきの事など、すっかり忘れているようだった。
アルマは、灯りのついた木剣を壁に立てかけて、タッシェを抱き上げる。
一所懸命に語るその声を聞きながら、それにしても――と独り思いをめぐらせた。
――外はどうなったのかしら?
このままここで動かないほうがいいの?
それとも……怖いけど、いちど外を見にいったほうがいいの?
スペスは……さすがにもうこっちへ向かってるわよね?
そんなことを考えて、ふと気がつくと、穴の中はどこまでも静かだった。
すこしでも外の音が聞こえてこないかと耳をすますと、近くからすぅすぅという息づかいが聞こえた。
手元を見ると、ついさっきまで話しつづけていたタッシェが、腕のなかで静かに眠っていた。
「子供がいきなり寝ちゃうのは、わたしたちと同じなのね――」
くすりと笑ったアルマは、荷物にあった布を敷いて、タッシェをそっと寝かせる。
そのとなりに自分も座り、木剣の先につけた灯りをすこしだけ弱くした。
だが、音のしない暗がりにじっとうずくまっていると、つい、いろいろな事を考えてしまう。
――みんな無事かしら……。長老さんにイオキアさんに……あの隊長さんも。
まさか……、みんなもう殺されて、外は、ゴブリンやオーガみたいな恐いものだらけ……なんて事にはなってないわよね……。
でも、もし……もしも、そんなことになってたら……わたしはここにいて、ずっと見つからないでいられるの?
不意に――
カサッという音がきこえた気がした。
ビクッとしたアルマは、あわてて木剣を手に立ちあがる。
あたりの気配を探ろうと暗がりで息をころし、木剣の先につけた明かりで、まわりに開いている穴や、岩の影まで油断なく目を配った。
しばらくそうして気を張っていたが、穴の中に動くものは無く、聞こえてくるのはすぅすぅというタッシェの寝息だけだった。
アルマはゆっくりと緊張を解き、木剣を置いてまた座る。
――だめ! こんなの神経がもたない! いつあの恐ろしいのが入ってくるかもわからないのに、これじゃあ落ちついて休むこともできないわ!
そう思って、自分のひざをギュッと抱きしめた。
――だいたいスペスはなにをしてるの! あとから行くって言ったのに、全っ然来ないじゃない!
気付けば、穴の中に入ってから、かなりの時間が経っている。
――まさか……スペス、やられちゃってないわよね……。だって言ったもの、わたしといっしょに帰るって……。言ったんだもの、かならず連れて帰るって……。
言ったのに…………なにをしてるの? はやく来なさいよスペス。はやく……来て。わたしをこんな所に残して、どこに行っちゃったの……スペス。
わたし、〝来なかったらゆるさない〟って言ったでしょ。言ったのよ……言ったのに……、どこで、何をしてるのよ……。
うす暗い穴の中でずっと考えつづけていたアルマは、
反動で、急に叫び出したくなった。
このままじっと黙り込んでいたら頭がおかしくなりそうだった。
我慢しようかとも思ったが、外の音も聞こえてこないようなところなら大丈夫だろう――そう思った。
吸った息を吐いて、もう一度おおきく吸いこんで、アルマは言った。
「スペスの、バカァァァぁぁぁあああっ‼︎」
「――呼んだー?」
声がした。
「いっひゃいっ‼︎」
アルマは地下の〝広間〟でため息をついていた。
穴に入ったあと、しばらくはスペスを待っていたのだが、
いつまでたってもスペスが来ないのでタッシェがグズりだし、すこしは気分を変えさせようと、いっしょに穴の奥を見に行くことにした。
狭い穴をタッシェはするすると進んでいく。
アルマも付いて行こうとしたが、自分の荷物に加えて、灯りをつけた木剣と食糧の詰まった袋まで持っていたので、あっという間に置いていかれた。
それでも追いかけて行くと、狭い場所があるたびに身体のあちこちが岩に当る。
「いたたた……。もうちょっと痩せたほうがいいのかしら……」
そんなことを思いながら、また狭い箇所を抜けようとした時、
「んぐっ!」みごとに身体がひっかかった。
戻ろうとしてみても、うまいことハマりこんでいる上に、手をかけるような場所がない。灯りのついた木剣はあとで取ろうと思って足元にあり、自分の身体で穴をふさいだアルマは、隙間から漏れてくる灯りだけの暗い穴に、ひとり取り残された。
「タ、タッシェ! 待ってー! おねがい戻ってきてー!」
しばらく必死になって呼びつづけていると、ぼんやりと戻ってくるタッシェが見えた。
「ごめんね……、胸のあたりがひっかかっちゃったみたいなの……」
そう言ってタッシェに、動けないと身振りする。
さいわい腕は先に通り抜けているので、なんとか体を引き上げようとしてみるのだが、
「イタタタっ! ちぎれる、ちぎれちゃう!」
どうしても胸が通らなかった。
すぐ近くまで来たタッシェが、ひっかかってる箇所をじーっと見る。
「な、なに? なんで、ソコを見てるの?」
タッシェが、なにか言いたそうな目でアルマを見た。
「あっ、そうよね! もう一回やってみるわね!」
アルマがふたたび力をこめた時、合わせたようにタッシェが片手を上げた。
パッシーーーン!
という音が、穴のなかに響く。
タッシェが、その小さな手で、思い切りアルマの胸を叩いた音だった。
「いったーい!」
アルマは叫んだ。
「ちょっと! いきなりなにするのよ⁉ ……って、んっ? あれっ、少しだけ抜けた?」
叩かれたせいか、身体がわずかに前へ進んでいた。
それを見たタッシェの顔が、ニヤリと笑ったように見えた。
小さな手が、ゆっくりと振りあがっていく。
「えっ……ちょっと⁉︎ やだ……うそでしょ? タッシェ⁉ きゃーっ︎!」
タシーン! パシーン! パーン! パッシーン! スッパーン!
と音がして、そのたびに、
「やめてっ!」「ちょっと!」「いたいってば!」「いやーっ!」「おかーさーんっ!」
と、声がした。
――結局、体は無事に抜けた。
「いたたっ……。ひどい目にあったわ……」
ようやく自由になったアルマは、すり傷だらけになった身体を確認する。
「ちょっとタッシェ! 抜けられたから良かったけど、もっと優しくやってくれてもいいんじゃないっ?」
アルマは頬を膨らませたが、タッシェは得意げに、叩いた手の平を見せてくるだけだった。
「あーもぉー……」
と、アルマは胸元を引っぱる。
「よく見えないけど、きっと赤くなっちゃってるわよ……」
途端に、
パン、パーン!
と、タッシェがまた叩いた。
「こらーっ! まだやるかっ! しかも二回も! やっぱりわざとやったな! こら! 待ちなさーい!」
怒鳴るアルマを置いて、タッシェはキャッキャッと笑いながら穴の奥へ逃げていった。それを見て、アルマはため息をつく。
「はぁ……ちょっとは元気出たのかしら。――って、それは、わたしもか……」
複雑な気持ちで荷物を引き上げたアルマは、タッシェを追って、また奥へと這いすすんだ。
先へ行くと、ほどなくして広さのある空間にでた。
木剣の先につけた《灯り》で照らすと、地下なのに、手が届かないほど天井が高く、かなりの広さがあった。
持ってきた食料袋を隅に置き、ちぢこまっていた身体をうんとのばすと、喉が渇いているのに気づいて、水を飲む。
あらためて見なおすと、入ってきた穴の他に、小さな穴がいくつかと、大きい穴がひとつあいていて、あたりにはおもちゃの食器や、枯れた花、それに落書きがあちこちに描いてあった。
そうして置いてある物を眺めていると、別の穴に隠れていたタッシェがひょっこりとやってきて、なにやら説明を始めた。
もうさっきの事など、すっかり忘れているようだった。
アルマは、灯りのついた木剣を壁に立てかけて、タッシェを抱き上げる。
一所懸命に語るその声を聞きながら、それにしても――と独り思いをめぐらせた。
――外はどうなったのかしら?
このままここで動かないほうがいいの?
それとも……怖いけど、いちど外を見にいったほうがいいの?
スペスは……さすがにもうこっちへ向かってるわよね?
そんなことを考えて、ふと気がつくと、穴の中はどこまでも静かだった。
すこしでも外の音が聞こえてこないかと耳をすますと、近くからすぅすぅという息づかいが聞こえた。
手元を見ると、ついさっきまで話しつづけていたタッシェが、腕のなかで静かに眠っていた。
「子供がいきなり寝ちゃうのは、わたしたちと同じなのね――」
くすりと笑ったアルマは、荷物にあった布を敷いて、タッシェをそっと寝かせる。
そのとなりに自分も座り、木剣の先につけた灯りをすこしだけ弱くした。
だが、音のしない暗がりにじっとうずくまっていると、つい、いろいろな事を考えてしまう。
――みんな無事かしら……。長老さんにイオキアさんに……あの隊長さんも。
まさか……、みんなもう殺されて、外は、ゴブリンやオーガみたいな恐いものだらけ……なんて事にはなってないわよね……。
でも、もし……もしも、そんなことになってたら……わたしはここにいて、ずっと見つからないでいられるの?
不意に――
カサッという音がきこえた気がした。
ビクッとしたアルマは、あわてて木剣を手に立ちあがる。
あたりの気配を探ろうと暗がりで息をころし、木剣の先につけた明かりで、まわりに開いている穴や、岩の影まで油断なく目を配った。
しばらくそうして気を張っていたが、穴の中に動くものは無く、聞こえてくるのはすぅすぅというタッシェの寝息だけだった。
アルマはゆっくりと緊張を解き、木剣を置いてまた座る。
――だめ! こんなの神経がもたない! いつあの恐ろしいのが入ってくるかもわからないのに、これじゃあ落ちついて休むこともできないわ!
そう思って、自分のひざをギュッと抱きしめた。
――だいたいスペスはなにをしてるの! あとから行くって言ったのに、全っ然来ないじゃない!
気付けば、穴の中に入ってから、かなりの時間が経っている。
――まさか……スペス、やられちゃってないわよね……。だって言ったもの、わたしといっしょに帰るって……。言ったんだもの、かならず連れて帰るって……。
言ったのに…………なにをしてるの? はやく来なさいよスペス。はやく……来て。わたしをこんな所に残して、どこに行っちゃったの……スペス。
わたし、〝来なかったらゆるさない〟って言ったでしょ。言ったのよ……言ったのに……、どこで、何をしてるのよ……。
うす暗い穴の中でずっと考えつづけていたアルマは、
反動で、急に叫び出したくなった。
このままじっと黙り込んでいたら頭がおかしくなりそうだった。
我慢しようかとも思ったが、外の音も聞こえてこないようなところなら大丈夫だろう――そう思った。
吸った息を吐いて、もう一度おおきく吸いこんで、アルマは言った。
「スペスの、バカァァァぁぁぁあああっ‼︎」
「――呼んだー?」
声がした。
「いっひゃいっ‼︎」