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作者: 細矢ひろゆき
残酷な描写あり R-15
第93話 『スペス対トロル⁉』
 その頃――スペスとトロルの戦いは、追いかけっこのようになっていた。

 最初のうちこそ、火を恐れて踏み込んでこなかったトロルだったが、スペスの狙いが時間稼ぎにあることがバレたのか、途中から積極的に前に出てくるようになった。

 片手で顔と首を守りながらトロルが近づけば、させまいとするスペスは、下がりながらムチをふるって二度、三度とトロルを打った。

 全身に生えた体毛がこげ、トロルの身体には線状の火傷がいくつもついていた。ムチを振りながら、スペスはトロルが寄ったぶんだけさがった。
 両者の間合いは、先ほどから縮んでいなかった。

 アルマがかけた《強化》のおかげで体の軽くなったスペスは、トロルを寄せつけない。走ってはムチを振り、跳ねるまわるように逃げつづけ、トロルを翻弄した。


 だがそんなスペスにも不安があった。炎のムチがどのくらい持つのかが分からなかったからだ。
 いかに丈夫なヤクー革のムチといえど、火を当てて壊れないとは思えなかった。

 火焔草の汁はまだあと一本残っていたが、いまついてる火がどのくらいの時間燃えてくれるのかも予測ができなかった。

 それでも、いまスペスにできるのは、これしかなかった。
 アルマが戻るまでになんとか時間をかせぎ、逃げ切るつもりだった。


 どうしてもスペスを間合いに捕らえられないトロルは、やがて足を止め、追いかけるのをやめた。
 諦めたのかと思い、スペスが一息つこうとすると、闇の中でトロルが足元からなにかを拾うような動作をする。

「やっばっ!」
 スペスが転がるようにして身をかわすと、さっきまでいた場所に、ビシャッと音がして何かがぶつかってきた。ムチの炎に照らされたそれは、グシャメチャに潰れたゴブリンだった。

 近づくのをあきらめたトロルは、遠距離からの攻撃に切り替え、つぎからつぎにゴブリンの死体を投げつけてくる。ときどき、アールヴのものまでが混ざって飛んできた。


 暗いなかを、高速で飛来する肉の塊は、スペスにはほとんど見えない一方で、炎のムチに照らされるスペスは格好の的だった。

 ムチを手離せば狙いがつけにくくなるのは分かっていたが、そうした瞬間にトロルが突っ込んでくるのは目に見えていた。
 むしろ、そっちがトロルの本命だと思えた。

 燃えるムチを引きずりながら、スペスは炎の尾が生えた獣のように転がり、飛び跳ね、急転換し、伏せた。
 やがて投げる死体ものがなくなったのか、ようやく肉の雨がやんだ時、スペスのまわりは、潰れた肉だらけになっていた。


 投げるのをやめたトロルは、スペスに背を向け、森の方へ歩いて行く。

――もしかして、アルマを追うつもりか?
 そう思ったが、方向がちがった。
 距離をあけたまま、スペスはトロルの動きに警戒する。

 森との境目まで歩いていったトロルは、自分よりも背の高い木を見つけると、その枝を、葉ごとバリバリとむしりはじめた。木がみるみるうちに禿げて、細長い幹だけになる。

 そのまま見ていると、トロルは腰を落とし、その木を根ごと力まかせに引き抜いた。
「まさか……」
 その瞬間、スペスには、トロルが何をするつもりなのかを理解した。

 トロルは抜いた木を脇にかかえるようにして持つと、試すように何度も振り回した。ブンッという風を切る音がスペスのところまで聞こえてきた。

 その動きは〝槍〟だった。穂先も何もない無骨なただの丸太ではあったが、トロルの持つそれは、間違いなく凶器だった。

「冗談だろ……」
 木の槍を持ち直してトロルが、ゆっくりと歩いてくる。
 スペスがあとずさりするとトロルは走りだし、丸太を振りあげ、叩きつけた。

 先にいくほど細くなった丸太が、しなりながら地面を打ち、土が舞いあがる。
 スペスはかろうじて避けていたが、反撃に振った炎のムチは、トロルに届かなかった。
「あっちのほうが長いっ!」

 振り回し、叩きつけられる槍は、アルマの折った棍棒よりも威力はなかったが、その長さと先端の速度はかなりのものだった。
 距離の強みを奪われたスペスは、ただひたすら逃げ回るしかなかった。

――アルマがいれば防いでくれるのに……。
 反射的にそう考える。
 だが無いものを考えても現状は変わらなかった。

 悪いことに、ムチの火も少しずつ弱まりはじめていた。
 スペスは逃げ回りながら考える。

――見たところ、長いぶん遠くまで届くけど、短い武器にくらべると細かく動きを変えるのが難しそうだ……。

 観察しながら、足をすくおうと振られた槍を、跳んでかわす。

――突きは自分よりも小さい相手には当てにくい……。たぶん今みたいに横から払うのが一番有効な方法だな……。

 通り過ぎた槍がまた切り返され、反対側から高めに襲いかかる。
 反射的にぎりぎりまで身体を沈めると、槍が頭上をかすめていった。

――なら、これだ!

 攻撃の隙をついて走り出したスペスは、森との境界まで走っていき、そこにあった大きな木に背中をつける。

 追ってきたトロルがまた横薙ぎに槍を振ったが、スペスの直前で、後ろの木に当たって止まった。スペスが背負う大木は、トロルの槍よりもだいぶ太かった。

――この木を思い切り叩けば細い槍のほうが折れる。ボクが木の前ここにいるかぎり、薙ぎ払う攻撃はやりづらいぞ。――さぁ、どうする?

 槍を引き戻したトロルがいったん動きを止めた。
――できるなら、このまま森に逃げたいところだけど……。

 逃げれば、アルマが戻ってきた時に台無しになる。
 いまさら逃げるわけにはいかなかった。
 スペスは、覚悟をきめてトロルの攻撃を待つ。

「さあっ! こいっ‼︎」
 叫んで、スペスが低く腰を落とした。もうムチの炎は半分が消えていた。
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