残酷な描写あり
R-15
第94話 『あと一手があればいい⁉』
「さあっ! こいっ‼︎」
叫んで、スペスが低く腰を落とした。もうムチの炎は半分が消えていた。
トロルは、木と骨の首飾りをさわると、さがって腰の高さに槍をかまえた。槍の先がまっすぐにスペスを向いていた。
――いいぞ、それだ!
トロルが走りはじめる。穂先が低くさがり、正面にスペスを捕らえた。それでもスペスは動かなかった。
――まだだ……。まだ、まだだ、右か? 左か?
スペスは突進してくるトロルの、槍の先に目を集中する。
近づいてくる穂先は、右に左に揺れていた。
間合いに入ったトロルが、一気に槍を突き出す。当たれば串刺しどころか、後ろの木と挟まれて潰される。
だがスペスは槍をにらんだまま動かなかった。目前までせまった槍が、わずかに横にブレる。
――右だ!
スペスは体を捻りながら槍を左に避けた。
身体のすぐそばを濁流となって槍が通り過ぎ、樹皮をこすりながら、スペスの避けた方と反対へ逸れていった。
大木を挟んで、後ろまで突き出された槍は、引き戻さないかぎり、スペスのほうへは振れなかった。
ムチをかまえてスペスが走り出す。トロルは槍を引き戻そうとしたが間にあわず、スペスをつかもうと片手を突き出した。
その手をかわして肉薄したスペスは、そのまま股の下をくぐりぬけ、すれ違いざまにムチを内腿や股間に強烈に打ちつける。
「どうだっ!」
トロルの背後に出たスペスがふり返った。鍛えにくい部位への攻撃だったが、トロルのダメージは小さかった。もうムチの炎が、ほとんど消えていた。
「くそっ!」
スペスはまだ燃えのこるムチの先端で、無防備なトロルの後頭部を打つ。
だが、素早く振り向いたトロルは、ムチに手をのばした。
黒こげになったムチが、トロルの腕に巻きつき、スペスが引き戻すよりも早く、トロルがそれを掴んだ。
「は・な・せ・よっ!」
身体にかけられた《強化》を頼りに、スペスは力まかせにムチを引いた。
そのとたん、ムチは焦げたところからぶつんと切れ、スペスは、勢いよくうしろに転倒した。
トロルの目の前でずでんと倒れたスペスは、すぐに立ちあがろうとしたが、それほどの隙をトロルが見逃すはずがない。即座に槍を手放して飛びかかって来た。
「まずいっ‼︎」
スペスは、倒れたままポケットから最後の瓶をとり出し、左手に握った。
だが、そこまでだった。
トロルがその大きな両手をのばし、火焔草の瓶ごと、スペスの体を押さえつける。パリンと音がしてスペスの手の中で小瓶が割れた。
破片が手につき刺さり、流れ出た火焔草の汁が燃えるように傷を灼く。
だがスペスは、その痛みにうめくことも出来なかった。のしかかったトロルの手が体内の空気を圧し出して、息を吸うこともできなかった。
トロルの手をどけようと力をこめても、びくともしなかった。
アルマがかけた《強化》の効果までが弱くなりはじめていた。
動けないスペスに残された手は、火炎草の汁に火をつけることくらいだった。
――でも、それじゃダメだ……ボクの左手ごと火をつけることはできても、いまさら火がついたくらいで、離してはくれないだろう。
トロルの手に締め上げられながら、スペスはあたりが明るくなっているのに気がついた。トロルの肩越しにみえる山の端から、赤い満月と青い満月が顔を出しはじめていた。
そんなスペスの上に、さらに体重がかけられる。
トロルはスペスを、このまま圧し潰すつもりのようだった。どこかの骨が、折れる音がした。
意識が遠のき、オーガの向こうに見えた森の風景が奇妙にゆがむ。
――あとちょっとだ……、あと……一手があればいいんだ……っ。
視界が白くなりトロルが見えなくなってゆくとともに、体を手放したような浮遊感に包まれる。
――ダメ……なのか……。
諦めかけたスペスの耳に声が聞こえる。
「我が主……」
「ハルマス?」
叫んで、スペスが低く腰を落とした。もうムチの炎は半分が消えていた。
トロルは、木と骨の首飾りをさわると、さがって腰の高さに槍をかまえた。槍の先がまっすぐにスペスを向いていた。
――いいぞ、それだ!
トロルが走りはじめる。穂先が低くさがり、正面にスペスを捕らえた。それでもスペスは動かなかった。
――まだだ……。まだ、まだだ、右か? 左か?
スペスは突進してくるトロルの、槍の先に目を集中する。
近づいてくる穂先は、右に左に揺れていた。
間合いに入ったトロルが、一気に槍を突き出す。当たれば串刺しどころか、後ろの木と挟まれて潰される。
だがスペスは槍をにらんだまま動かなかった。目前までせまった槍が、わずかに横にブレる。
――右だ!
スペスは体を捻りながら槍を左に避けた。
身体のすぐそばを濁流となって槍が通り過ぎ、樹皮をこすりながら、スペスの避けた方と反対へ逸れていった。
大木を挟んで、後ろまで突き出された槍は、引き戻さないかぎり、スペスのほうへは振れなかった。
ムチをかまえてスペスが走り出す。トロルは槍を引き戻そうとしたが間にあわず、スペスをつかもうと片手を突き出した。
その手をかわして肉薄したスペスは、そのまま股の下をくぐりぬけ、すれ違いざまにムチを内腿や股間に強烈に打ちつける。
「どうだっ!」
トロルの背後に出たスペスがふり返った。鍛えにくい部位への攻撃だったが、トロルのダメージは小さかった。もうムチの炎が、ほとんど消えていた。
「くそっ!」
スペスはまだ燃えのこるムチの先端で、無防備なトロルの後頭部を打つ。
だが、素早く振り向いたトロルは、ムチに手をのばした。
黒こげになったムチが、トロルの腕に巻きつき、スペスが引き戻すよりも早く、トロルがそれを掴んだ。
「は・な・せ・よっ!」
身体にかけられた《強化》を頼りに、スペスは力まかせにムチを引いた。
そのとたん、ムチは焦げたところからぶつんと切れ、スペスは、勢いよくうしろに転倒した。
トロルの目の前でずでんと倒れたスペスは、すぐに立ちあがろうとしたが、それほどの隙をトロルが見逃すはずがない。即座に槍を手放して飛びかかって来た。
「まずいっ‼︎」
スペスは、倒れたままポケットから最後の瓶をとり出し、左手に握った。
だが、そこまでだった。
トロルがその大きな両手をのばし、火焔草の瓶ごと、スペスの体を押さえつける。パリンと音がしてスペスの手の中で小瓶が割れた。
破片が手につき刺さり、流れ出た火焔草の汁が燃えるように傷を灼く。
だがスペスは、その痛みにうめくことも出来なかった。のしかかったトロルの手が体内の空気を圧し出して、息を吸うこともできなかった。
トロルの手をどけようと力をこめても、びくともしなかった。
アルマがかけた《強化》の効果までが弱くなりはじめていた。
動けないスペスに残された手は、火炎草の汁に火をつけることくらいだった。
――でも、それじゃダメだ……ボクの左手ごと火をつけることはできても、いまさら火がついたくらいで、離してはくれないだろう。
トロルの手に締め上げられながら、スペスはあたりが明るくなっているのに気がついた。トロルの肩越しにみえる山の端から、赤い満月と青い満月が顔を出しはじめていた。
そんなスペスの上に、さらに体重がかけられる。
トロルはスペスを、このまま圧し潰すつもりのようだった。どこかの骨が、折れる音がした。
意識が遠のき、オーガの向こうに見えた森の風景が奇妙にゆがむ。
――あとちょっとだ……、あと……一手があればいいんだ……っ。
視界が白くなりトロルが見えなくなってゆくとともに、体を手放したような浮遊感に包まれる。
――ダメ……なのか……。
諦めかけたスペスの耳に声が聞こえる。
「我が主……」
「ハルマス?」