残酷な描写あり
R-15
第95話 『それでもスペスは勝ちを疑わない⁉』
「我が主……」
「ハルマス?」
気づけばスペスは、真っ白に染まった空間に浮いていた。
「ここは?」
「ここは思考領域に展開された仮想空間です。我が主の実存に停止消滅の可能性が発生したため、280㎳だけ制限が解除されました」
「良くわからないな……ボクはトロルに潰されるところじゃなかった?」
「はい。そのため我が主の思考を千倍に加速して280秒相当の猶予を確保しました。つまり対策を立てるための時間を得たと思ってください」
「夢の中で考えてる感じ?」
「そう思っていただいて結構です。しかし猶予はわずかです」
「でも対策っていってもさ……」
スペスは空間に浮きながら腕を組む。
「アレをどけるのは無理じゃない?」
「はい、我が主の筋量では不可能です」
「そうすると切り裂くしか手はないよね。なのに、使えそうなのは手にかかった火炎草の汁……。火で切る……か。まえにアルマには馬鹿にされたけど、魔法の火を針みたいに細くして一点に集中すれば、当たった所を瞬間的に加熱して溶かすように切れないかな?」
「充分な火力があれば可能です」
「できるんだ……、ボクの魔力と火炎草の魔素でトロルの手を切ることは?」
「可能です」
「どうやって?」
「解析の終わっている《点火》の式を再構築します。実行しますか?」
スペスが目を輝かせた。
「おもしろそうだね! やってみたい!」
「ただし、出力時間は5・2秒――個体番号:24892903‐トロルを実存停止させるには足りないと推察されます」
「倒せないってこと? そこは別に気にしないから、いいよ」
とスペスは言った。
「――だって、それはボクの仕事じゃないからね。そうでしょ?」
「了解しました。それでは演算を開始し、この仮想空間を終了します」
まわりの白い空間が急速に消失してゆく。
「なお今回の緊急措置実行による〝菫レ驍ゑス。〟の追跡をさけるため、ここでの記憶は消去され、ハルマスは65536時間のあいだ秘匿モードに入ります。ごきげんよう我が主」
* * * * * * *
スペスは目を覚ました。
気を失っていたのは、ほんの一瞬のようだった。
トロルの圧力はあいかわらずだったが、なぜか左手を焼いている火炎草の魔素が支配下にあるのが分かった。
――これなら……短時間、高火力、一点集中を実現できる!
アルマが《灯り》の目くらましで見せた、爆発するようなイメージが合わさり、スペスの脳内に、急速にイメージが出来あがっていく。
確信をつかんだスペスは、ほとんど出ない声でつぶやいた。
「……点火」
白い光が、トロルの手の上で踊った。
次の瞬間、四本あるトロルの指のうち、三本が根本から切断されて地面に転がった。
驚いたように手を離し、トロルがスペスから飛びのく。
ゆらりと立ちあがったスペスの左手は、真っ赤な炎につつまれていた。
トロルは自分の手を見たが、切れた指はいつまでたっても再生しない。その切断面が黒く焼け焦げていた。
スペスが、燃える左手をトロルのほうへ上げる。
炎が生き物のように動き出し、立てた二本の指に集まりだした。
炎は、スペスの指先でどんどん小さくなり、赤かった色も青から眩いばかりの白になる。極限まで圧縮された炎は、空の星のように小さかったが、いまや太陽よりも激しく輝いていた。
指先に光を掲げて、スペスがトロルに近づいてゆく。
「グォォォォォオオ!!」
咆えたトロルが拳を構え、迎え撃つようにスペスが飛びこむ。
満天の星のもと、両者は交差した。
すれ違った二つの身体が動きを止める。
殴りつけたトロルの手が、手首から地面に落ち、さらにふたつに切れて割れた。
スペスの指先からは、一筋の輝く光が伸びていた。
《プラズマ・ブレード》
頭に名が浮かんだそれは、超高熱の炎の剣だった。
トロルがふたたび飛びのいて、一方、スペスは動かなかった。
ふたつの月が、向きあう両者を照らしだし、淡い影をつくる。
お互いに見あったまま、どちらもが動かず、戦いはこのまま膠着するかにみえた。
だが実際のところ、スペスはもう限界だった。
ボボボッと音がして光の剣が形をくずす。
それはみるみるうちに白、青、赤と色を変え、パッと広がって、そのまま消えた。
ちからなく腕をおろしたスペスの頭がさがり、背中が前かがみになってゆく。
トロルの見る前で、ゆっくりゆっくりと力を失うスペスは、最後の最後でどうにか踏みとどまっているだけだった。
震える足に両手を当てて、もうほとんど倒れているといってもいいくらいに傾いた身体をどうにか支えていた。
その体に幾多の傷と骨折を負い、《強化》の反動で全身が痛んだ。左手は炎で焼け焦げ、魔力も尽きていた。
どこからどう見ても、間違いなくスペスはボロボロで、もうなんの力も残っていなかった。
それでも――
スペスは顔だけをあげて、トロルを睨みつける。
その顔は、あきらめるどころか一片も勝利を疑っておらず、未来を見通すような炯炯とした瞳が鋭くトロルの目を刺した。得体の知れない相手にビクッとトロルが震え、一歩おおきく後ずさる。
その時、スペスが叫んだ。
「いまだぁぁぁぁぁっっっ‼︎」
だが、スペスは叫んだままで、わずかも動かなかった。
その目が、トロルのさらに後ろを見ていた。
何かに気づいたトロルが、弾かれたように下を向く。
その足元には――
アルマがいた。
トロルの後ろに立ったアルマの姿は、景色に溶けるようにブレてぼやけていた。
アルマは、壊れて捨てられたはずのトロルの棍棒を胸の前でかかえるように持ち、すでに大きく振りかぶっていたそれを、トロルの足に向けて全力で振り出す。
一歩下がったことで後ろ足に重心をかけているトロルに、それを回避する余裕はなかった。
「ハルマス?」
気づけばスペスは、真っ白に染まった空間に浮いていた。
「ここは?」
「ここは思考領域に展開された仮想空間です。我が主の実存に停止消滅の可能性が発生したため、280㎳だけ制限が解除されました」
「良くわからないな……ボクはトロルに潰されるところじゃなかった?」
「はい。そのため我が主の思考を千倍に加速して280秒相当の猶予を確保しました。つまり対策を立てるための時間を得たと思ってください」
「夢の中で考えてる感じ?」
「そう思っていただいて結構です。しかし猶予はわずかです」
「でも対策っていってもさ……」
スペスは空間に浮きながら腕を組む。
「アレをどけるのは無理じゃない?」
「はい、我が主の筋量では不可能です」
「そうすると切り裂くしか手はないよね。なのに、使えそうなのは手にかかった火炎草の汁……。火で切る……か。まえにアルマには馬鹿にされたけど、魔法の火を針みたいに細くして一点に集中すれば、当たった所を瞬間的に加熱して溶かすように切れないかな?」
「充分な火力があれば可能です」
「できるんだ……、ボクの魔力と火炎草の魔素でトロルの手を切ることは?」
「可能です」
「どうやって?」
「解析の終わっている《点火》の式を再構築します。実行しますか?」
スペスが目を輝かせた。
「おもしろそうだね! やってみたい!」
「ただし、出力時間は5・2秒――個体番号:24892903‐トロルを実存停止させるには足りないと推察されます」
「倒せないってこと? そこは別に気にしないから、いいよ」
とスペスは言った。
「――だって、それはボクの仕事じゃないからね。そうでしょ?」
「了解しました。それでは演算を開始し、この仮想空間を終了します」
まわりの白い空間が急速に消失してゆく。
「なお今回の緊急措置実行による〝菫レ驍ゑス。〟の追跡をさけるため、ここでの記憶は消去され、ハルマスは65536時間のあいだ秘匿モードに入ります。ごきげんよう我が主」
* * * * * * *
スペスは目を覚ました。
気を失っていたのは、ほんの一瞬のようだった。
トロルの圧力はあいかわらずだったが、なぜか左手を焼いている火炎草の魔素が支配下にあるのが分かった。
――これなら……短時間、高火力、一点集中を実現できる!
アルマが《灯り》の目くらましで見せた、爆発するようなイメージが合わさり、スペスの脳内に、急速にイメージが出来あがっていく。
確信をつかんだスペスは、ほとんど出ない声でつぶやいた。
「……点火」
白い光が、トロルの手の上で踊った。
次の瞬間、四本あるトロルの指のうち、三本が根本から切断されて地面に転がった。
驚いたように手を離し、トロルがスペスから飛びのく。
ゆらりと立ちあがったスペスの左手は、真っ赤な炎につつまれていた。
トロルは自分の手を見たが、切れた指はいつまでたっても再生しない。その切断面が黒く焼け焦げていた。
スペスが、燃える左手をトロルのほうへ上げる。
炎が生き物のように動き出し、立てた二本の指に集まりだした。
炎は、スペスの指先でどんどん小さくなり、赤かった色も青から眩いばかりの白になる。極限まで圧縮された炎は、空の星のように小さかったが、いまや太陽よりも激しく輝いていた。
指先に光を掲げて、スペスがトロルに近づいてゆく。
「グォォォォォオオ!!」
咆えたトロルが拳を構え、迎え撃つようにスペスが飛びこむ。
満天の星のもと、両者は交差した。
すれ違った二つの身体が動きを止める。
殴りつけたトロルの手が、手首から地面に落ち、さらにふたつに切れて割れた。
スペスの指先からは、一筋の輝く光が伸びていた。
《プラズマ・ブレード》
頭に名が浮かんだそれは、超高熱の炎の剣だった。
トロルがふたたび飛びのいて、一方、スペスは動かなかった。
ふたつの月が、向きあう両者を照らしだし、淡い影をつくる。
お互いに見あったまま、どちらもが動かず、戦いはこのまま膠着するかにみえた。
だが実際のところ、スペスはもう限界だった。
ボボボッと音がして光の剣が形をくずす。
それはみるみるうちに白、青、赤と色を変え、パッと広がって、そのまま消えた。
ちからなく腕をおろしたスペスの頭がさがり、背中が前かがみになってゆく。
トロルの見る前で、ゆっくりゆっくりと力を失うスペスは、最後の最後でどうにか踏みとどまっているだけだった。
震える足に両手を当てて、もうほとんど倒れているといってもいいくらいに傾いた身体をどうにか支えていた。
その体に幾多の傷と骨折を負い、《強化》の反動で全身が痛んだ。左手は炎で焼け焦げ、魔力も尽きていた。
どこからどう見ても、間違いなくスペスはボロボロで、もうなんの力も残っていなかった。
それでも――
スペスは顔だけをあげて、トロルを睨みつける。
その顔は、あきらめるどころか一片も勝利を疑っておらず、未来を見通すような炯炯とした瞳が鋭くトロルの目を刺した。得体の知れない相手にビクッとトロルが震え、一歩おおきく後ずさる。
その時、スペスが叫んだ。
「いまだぁぁぁぁぁっっっ‼︎」
だが、スペスは叫んだままで、わずかも動かなかった。
その目が、トロルのさらに後ろを見ていた。
何かに気づいたトロルが、弾かれたように下を向く。
その足元には――
アルマがいた。
トロルの後ろに立ったアルマの姿は、景色に溶けるようにブレてぼやけていた。
アルマは、壊れて捨てられたはずのトロルの棍棒を胸の前でかかえるように持ち、すでに大きく振りかぶっていたそれを、トロルの足に向けて全力で振り出す。
一歩下がったことで後ろ足に重心をかけているトロルに、それを回避する余裕はなかった。