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作者: 細矢ひろゆき
残酷な描写あり R-15
第103話 『そんなことでえぇぇぇぇぇ⁉』
「キス――してみようか」
「なっ⁉ なによ唐突に⁉」アルマは声をあげた。

「いやぁ……このまえは戦いで緊張してたせいか、あまり印象に残らなくってさ。もう一回してみたいなって」
 スペスは、ちょっとお試し、程度の軽さで言う。

「……いま⁉ だって外よ!」
「あのときだって、外だったけど?」

「そ……それはそうだけど、あのときは暗かったし……」
「だれも見てないって」

「そ、それは……そうかもしれないけど……」
「たまにはさ、頑張ったボクのお願いを聞いてくれてもいいでしょ」
 スペスが期待を込めて、アルマを見る。

「い、いいけど……」
 小さな声でアルマはうなずいた。とたんに頬が熱くなる。

 腰かけていた石からおりて、恥ずかしそうにスペスのそばへ行くと、スペスが言った。
「あ……っと、念の為、荷物は持っておこうか」
「は?」

「いや、キスしてる時にゴブリンとか出てきたりするかもしれないから、すぐ動けるようにさ」
「う、うん? そう?」

 怪訝な顔をしつつも、スペスがカバンを持ったので、アルマも自分のカゴを取ってきて背負う。

「じゃあ、もう少しあっちに行こうよ」
 スペスが、神殿の真ん中あたりを指さした。

「どこでしたって、一緒じゃない?」
 らされているようで、不満そうにアルマが訊く。

「いやいや、ボクは〝ムード〟を大事にしてるからね。あっちのほうがいいムードになりそうなんだよ」

 ムードが大事なら、こんなカゴを背負ってないほうがいいんじゃないか……
 そうアルマは思ったが、スペスがさっさと行ってしまったので、仕方なくついていく。

「なによ……なにか企んでるんじゃないでしょうね?」
「企むなんてとんでもない。ボクはただ可愛いアルマと、いい雰囲気になれる場所でキスがしたいだけだよ?」

「そ、そう? 可愛い……。それなら、まぁ……しかたないわね」
 ちょっと顔をそらして言う。

 前をいくスペスが、中央にある円形の石に登り、アルマに手を貸して引っぱり上げた。
「あっ、そこじゃない、もう少しそっち、そう、その辺がいいかな……」
 スペスは立つ位置までこまかく指定した。

 さっきからおあずけを喰わされているようで、ちょっとむくれていたアルマの肩を――
「じゃあするよ」
 と、いきなりスペスが掴んだ。
 とたんにアルマが、顔を真っ赤にしてうつむく。

「ど、どうしたの?」スペスが訊いた。
「いや……あの……あらためて『するよ』なんて言われたら、なんか恥ずかしい……」
 下をむいて、アルマはボソボソとつぶやく。

「大丈夫だよ。ボクにまかせて」
 スペスはアルマの頬を撫でると、優しくあごを持ちあげる。
 上を向いたアルマがそっと目を閉じると、スペスが顔を近づけて口づけをした。

 アルマは緊張で身体を固くしながら、自分の唇をなぞるスペスの口に意識を集中する。
 もしもこのまま帰れなかったら……その時は、この人と暮らすことになるのかな。

 そんなことを思いながら――真っ青な空の下、ふたりはしばらくそのままでいた。



 ようやくスペスが口をはなし、アルマが目をあけたとき。
 アルマの横には〝黒い球体〟が浮かんでいた。


「ス、ススス……スペス⁉ こ、これってどういうことっ⁉」
 ひきつった顔で、アルマがスペスを見る。
「……いやぁ」とスペスが笑った。

「そういえばこの前のときはここで、すごくドキドキしてたのを思い出してさ。もしかしたらと思ってやってみたんだけど、上手くいったみたいで良かったよ!」
「そっ――」

「――そんなことでえぇぇぇぇぇ⁉」

 叫んだアルマの声は、ぜるように広がった闇に、吸いこまれて消えた。


 やがて闇が消え、日差しが戻った神殿の石には、風にゆれる花束だけが残されていた。
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