奇妙な違和感
ふだんの生活で感じたことはありませんか?
カウンター越しに空になったグラスを洗う渋いバーテンダー、スティはただ笑みを浮かべたまま語る。
さきほど舞い上げた氷の粉塵が地に降り注いだせいか、あしもとがすこし冷たくなったような気がした。
「思えば私もそうでした。どうしても空腹を満たしたくて家屋に入り込んだとき、その家の住人は私を追い出そうとか衛兵を呼ぼうとかはしませんでした。ただお客人がやってきたかのように「こんにちは。道に迷ったのですか?」と戸惑ったようすで語りかけるのみ」
「そんで、おっちゃんはどうしたんだ?」
傍らの少年がそのような質問をぶつけると、スティさんは恥ずかしそうに目を逸らした。
「自分がしたことがあまりにも恥ずかしくて――逃げ出してしまいました」
「そうか、そりゃあそうだよな。やってることはかんっぜんに盗賊だもん」
「スプリットさま。その言い方はあまりにも失礼ですよ。だれだって限界までおなかが空いたらそうなります」
両手を頭のうしろに組んだ少年に対し、少年の八割くらいの身長の少女が苦言を呈した。そんな子どもたちのやりとりが微笑ましかったのか、渋い口ひげの中年おじさんは声を出して笑った。
「実は、以前このバーに異世界人が訪れてきました。そして今の話と同じような経験をしていたのです」
「おなじようなけいけん?」
「ええ。もちろん禁忌を犯せば御用になりますし、自分から話しかけたりしなければ他者と仲良くはなれません。しかし、貴方が何の障害もなくこのような、まあ、他よりおカタいバーに入ることができて、それをこの世界の住人がとくに問題視しないような"差"が異世界人に対しよく見られるのです。まるで――」
ついさっきの話。私達はすんなりこのバーに足を踏み入れることができた。けどその後に入ろうとしてきたあのヒト。短パンにタンクトップだったあの人は入店を拒否されて、その人もすぐにあきらめた。まるで――。
「私達がトクベツな存在であるかのように」
はじめから設定されたイベントだったかのように。
「……」
なんだろう、なんかよくわからないけど。
(背筋がピンと張り詰めるような……これって、なに?)
「それは、つまりこの世界の住人はアタイらに親切ってことかい?」
「いえ、細かい条件は私にもわかりませんが基本的に禁忌を犯せば御用になります。ただある異世界人の証言によると、人の家に入り込んでタンスを調べても何も言われなかったらしいです」
「なんだって!?」
思わず、といった形でサっちゃんが大きな声をあげる。サっちゃんだけじゃなく、みんなそうしたいような反応を見せている。
わたしだってビックリだし、でもそれより大きな気持ちがこころのなかに蟠っている。
(なんだろう、この感じ――すごくいやだ)
「ねえ、オジサンはどう思う?」
全方向から締め付けられそうな不安を寒さ。その感覚に居ても立ってもいられなくて、わたしはこの世界の住人としての意見を求めた。
オジサンなら何かを、わたしのこころを安心させてくれる"なにか"をしゃべってくれるような気がしたから。
「何を言ってるのかサッパリだが、酒が呑めて話のできるウェイターが揃ってるのだから文句はないよ」
「バーテンダーな」
「……オジサン」
オジサンはまるで気にした風を見せてない。だれかが地面に降り注いだ氷の粒を踏み潰した。
あれからスティさんと話をして、安くて必要なものが揃ってるいいお宿を紹介してもらった。数日間滞在する予定なので、今後も彼のお世話になるだろうとオジサンは言っていた。
会話の流れで、オジサンはスティさんを首都への旅に誘った。異世界人の保護を名目としてる彼に、スティさんは首を横に振って応えた。このバーがすきで、この町に住む人々がすきで、拾ってもらった恩に報いるため今後もここで暮らしていきたいそうだ。
旅の途中で出会ったサーカス団のカニシュもそうだけど、異世界人のなかにはこの世界に溶け込んで、たくましく暮らしている人もいるんだなぁって。もしかすると、今道をすれ違ったあの人も、そしてこの人も異世界人なのかもしれない。そう思うと最高純度のごあいさつをしたくなる気持ちがウズウズしてくると共に、スティさんが口走ったあの言葉がずっと脳裏をよぎっている。
「どうしたグレース、顔色がすぐれないぞ?」
「あぅえ?」
地面に落ちた砂の数をかぞえてるとき、ふと右上から声が降り注ぐ。純白の肌にスラリとした長身。いまは目立たぬよう弓矢の弦を布に包んでいる麗美な女性がいた。
「ううん、なんでも」
「グレースらしくない。なにか気になることでもあったか?」
「……ちょっと」
「うーん、たしかにシュナウザーのホテルを見たら驚くってのは気になるよな」
(そこじゃねーから)
横槍を入れてきた少年に暗い目を向けた。
「やたら"ホテル"を強調してたけどよ、いったいどーゆー意味だか」
「見ればわかることだろ? どうせすぐなんだから気にしたってしゃーないじゃないか」
「へっ、トゥーサはベッドで寝ねーじゃん」
「バカ言うな。筋肉に冷えは大敵なんだよ。いつもは野宿でガマンしてるだけだけど」
そんな言葉にオジサンが反応した。
「うーむ、となると滞在中に大型の寝袋を探すか」
「そんな気遣いいらないって。どーせアタイのサイズに合う寝袋なんてないだろうしさ」
「いいや探しておこう。どの道大所帯なのだから追加で布を買い足しておくのも悪くない」
オジサンは親切でやさしい。訓練はめっちゃキビシイし、異世界人だと知るとやたらパーティーにさそってきたりするし、町に滞在するあいだずぅ~っとおさけ臭かったりするけど、彼はいつもみんなのことを考えて、いろんなことに気を使ってくれる。
気づいたら新しいテントを勝手に購入しててビーちゃんに叱られたりしてたけど、それは新しく仲間になったグウェンちゃんが子どもだからって理由だし、みんながあの猫背で鋭い目つきの男にやられたときだって、心の底からおこってくれた。
(いいひとなんだ)
いいひとなんだけど。
(この世界はいったいなんなの?)
そう、あの男が言っていた。狂ったような笑い声をあげてなにかを口にしていた。あれはなんだった? この世界がまるで――。
「さあついたぞ」
「あっ」
前を歩いていたオジサンが急に立ち止まり、わたしはおもわずその背中にぶつかりそうになる。彼が振り返って目の前にある建造物を指差し、わたしはその大きなからだのスキマに見える建物に目を向けた。
(あれがホテル――ほてる?)
えっ。
いや、でもあれってフツーに。
「りょかん?」
だれかがそうつぶやいた。たぶん、みんな心のなかでおなじこと思ったんじゃないかな。
さきほど舞い上げた氷の粉塵が地に降り注いだせいか、あしもとがすこし冷たくなったような気がした。
「思えば私もそうでした。どうしても空腹を満たしたくて家屋に入り込んだとき、その家の住人は私を追い出そうとか衛兵を呼ぼうとかはしませんでした。ただお客人がやってきたかのように「こんにちは。道に迷ったのですか?」と戸惑ったようすで語りかけるのみ」
「そんで、おっちゃんはどうしたんだ?」
傍らの少年がそのような質問をぶつけると、スティさんは恥ずかしそうに目を逸らした。
「自分がしたことがあまりにも恥ずかしくて――逃げ出してしまいました」
「そうか、そりゃあそうだよな。やってることはかんっぜんに盗賊だもん」
「スプリットさま。その言い方はあまりにも失礼ですよ。だれだって限界までおなかが空いたらそうなります」
両手を頭のうしろに組んだ少年に対し、少年の八割くらいの身長の少女が苦言を呈した。そんな子どもたちのやりとりが微笑ましかったのか、渋い口ひげの中年おじさんは声を出して笑った。
「実は、以前このバーに異世界人が訪れてきました。そして今の話と同じような経験をしていたのです」
「おなじようなけいけん?」
「ええ。もちろん禁忌を犯せば御用になりますし、自分から話しかけたりしなければ他者と仲良くはなれません。しかし、貴方が何の障害もなくこのような、まあ、他よりおカタいバーに入ることができて、それをこの世界の住人がとくに問題視しないような"差"が異世界人に対しよく見られるのです。まるで――」
ついさっきの話。私達はすんなりこのバーに足を踏み入れることができた。けどその後に入ろうとしてきたあのヒト。短パンにタンクトップだったあの人は入店を拒否されて、その人もすぐにあきらめた。まるで――。
「私達がトクベツな存在であるかのように」
はじめから設定されたイベントだったかのように。
「……」
なんだろう、なんかよくわからないけど。
(背筋がピンと張り詰めるような……これって、なに?)
「それは、つまりこの世界の住人はアタイらに親切ってことかい?」
「いえ、細かい条件は私にもわかりませんが基本的に禁忌を犯せば御用になります。ただある異世界人の証言によると、人の家に入り込んでタンスを調べても何も言われなかったらしいです」
「なんだって!?」
思わず、といった形でサっちゃんが大きな声をあげる。サっちゃんだけじゃなく、みんなそうしたいような反応を見せている。
わたしだってビックリだし、でもそれより大きな気持ちがこころのなかに蟠っている。
(なんだろう、この感じ――すごくいやだ)
「ねえ、オジサンはどう思う?」
全方向から締め付けられそうな不安を寒さ。その感覚に居ても立ってもいられなくて、わたしはこの世界の住人としての意見を求めた。
オジサンなら何かを、わたしのこころを安心させてくれる"なにか"をしゃべってくれるような気がしたから。
「何を言ってるのかサッパリだが、酒が呑めて話のできるウェイターが揃ってるのだから文句はないよ」
「バーテンダーな」
「……オジサン」
オジサンはまるで気にした風を見せてない。だれかが地面に降り注いだ氷の粒を踏み潰した。
あれからスティさんと話をして、安くて必要なものが揃ってるいいお宿を紹介してもらった。数日間滞在する予定なので、今後も彼のお世話になるだろうとオジサンは言っていた。
会話の流れで、オジサンはスティさんを首都への旅に誘った。異世界人の保護を名目としてる彼に、スティさんは首を横に振って応えた。このバーがすきで、この町に住む人々がすきで、拾ってもらった恩に報いるため今後もここで暮らしていきたいそうだ。
旅の途中で出会ったサーカス団のカニシュもそうだけど、異世界人のなかにはこの世界に溶け込んで、たくましく暮らしている人もいるんだなぁって。もしかすると、今道をすれ違ったあの人も、そしてこの人も異世界人なのかもしれない。そう思うと最高純度のごあいさつをしたくなる気持ちがウズウズしてくると共に、スティさんが口走ったあの言葉がずっと脳裏をよぎっている。
「どうしたグレース、顔色がすぐれないぞ?」
「あぅえ?」
地面に落ちた砂の数をかぞえてるとき、ふと右上から声が降り注ぐ。純白の肌にスラリとした長身。いまは目立たぬよう弓矢の弦を布に包んでいる麗美な女性がいた。
「ううん、なんでも」
「グレースらしくない。なにか気になることでもあったか?」
「……ちょっと」
「うーん、たしかにシュナウザーのホテルを見たら驚くってのは気になるよな」
(そこじゃねーから)
横槍を入れてきた少年に暗い目を向けた。
「やたら"ホテル"を強調してたけどよ、いったいどーゆー意味だか」
「見ればわかることだろ? どうせすぐなんだから気にしたってしゃーないじゃないか」
「へっ、トゥーサはベッドで寝ねーじゃん」
「バカ言うな。筋肉に冷えは大敵なんだよ。いつもは野宿でガマンしてるだけだけど」
そんな言葉にオジサンが反応した。
「うーむ、となると滞在中に大型の寝袋を探すか」
「そんな気遣いいらないって。どーせアタイのサイズに合う寝袋なんてないだろうしさ」
「いいや探しておこう。どの道大所帯なのだから追加で布を買い足しておくのも悪くない」
オジサンは親切でやさしい。訓練はめっちゃキビシイし、異世界人だと知るとやたらパーティーにさそってきたりするし、町に滞在するあいだずぅ~っとおさけ臭かったりするけど、彼はいつもみんなのことを考えて、いろんなことに気を使ってくれる。
気づいたら新しいテントを勝手に購入しててビーちゃんに叱られたりしてたけど、それは新しく仲間になったグウェンちゃんが子どもだからって理由だし、みんながあの猫背で鋭い目つきの男にやられたときだって、心の底からおこってくれた。
(いいひとなんだ)
いいひとなんだけど。
(この世界はいったいなんなの?)
そう、あの男が言っていた。狂ったような笑い声をあげてなにかを口にしていた。あれはなんだった? この世界がまるで――。
「さあついたぞ」
「あっ」
前を歩いていたオジサンが急に立ち止まり、わたしはおもわずその背中にぶつかりそうになる。彼が振り返って目の前にある建造物を指差し、わたしはその大きなからだのスキマに見える建物に目を向けた。
(あれがホテル――ほてる?)
えっ。
いや、でもあれってフツーに。
「りょかん?」
だれかがそうつぶやいた。たぶん、みんな心のなかでおなじこと思ったんじゃないかな。