残酷な描写あり
R-15
魔を狩るものたち(6)
「消火活動が本格化する前に片付けよう」
「敵が回り込んでこないって安心ね。下手すればお尻が燃えちゃうけど」
今、二人が行っているのは掃討戦だった。敵の勢力圏を潰し、徐々に敵の移動範囲を絞っていく。最悪、ギルが見つからずに炎にまかれたとしても、燃え跡から回収すればいいという考えだ。
先行していたリーフが立ち止まった。ブーツの先は開けた場所だった。
「いる」
振り向いて後ろのリンに視線を送った。
「用意はいいかい」
「とっくにできてる」
「なら、始めようか」
リーフは剣を収め、前に飛び出した。二人がいるのは渡り廊下の上階で下へと階段がのびている。
リーフは軽やかに階段の手すりに跳びのった。階下に滑るように駆け下りると同時、炸裂音が壁の装飾品を吹き飛ばす。
リーフが飛び出した先は舞台の出入り口がある大回廊だった。通路の左右に女神を象った彫像が置かれ、壁にも獅子のレリーフが掛けられている。
これらの彫刻群は、攻撃を防ぐ盾であり、敵を隠す障害物だった。
安全地帯から飛び出したリーフに、物陰から攻撃が飛んでくるのは必然であった。
走りながら横に跳躍するとリーフの外套の裾を弾丸が掠めた。
既にリーフには、敵が何処にいるのか全てお見通しだった。相手が優秀な狙撃手であるため、リーフに弾丸は一発も当たらない。殺意の方向と弾丸の軌道が一致しているからだ。
「嘘だろ」
全く移動の足が鈍らないリーフに、狙撃手は後退せざるをえなかった。狙撃手はクラメスだった。
銃を手に撤退するクラメスを追ってリーフは観客席へと飛び込んだ。
リーフの感覚通り、クラメスが逃げた先ではクイノンが立ちはだかった。観客席の通路の中央で神殺しの魔剣を構えている。
「待っていたぞ」
斬撃と共に客席の背が低くなる。リーフは客席の間に潜り込んでかわし、椅子の背を蹴って跳躍した下を魔剣がくぐった。
あからさまな殺意を宿した刃はリーフに擦りもしない。
「よくも、よくもスザリエをっ!」
それでもクイノンは憤怒のままに攻めの手を緩めない。フェイントを織り交ぜられた剣技がリーフに幾度も迫った。
しかし、その度にリーフは紙一重で斬撃をいなし続ける。
木片と布と綿が飛び散り、黒い外套をはためかせて隙間を跳ぶ。
「このっ――」
クイノンがなぎ払おうとした剣が、座席の下に引っかかった。魔剣が優れた武器といえど、刃の切れ味には限度がある。
この絶好の瞬間をリーフは逃さなかった。クイノンの足下に滑り込み、足払いをかけた。
闘技大会でその技を知っていたクイノンは後方に跳びずさって回避した。
そして、クイノンは背後からの轟音に倒れ臥した。
リーフから少し遅れて駆けつけたリンが、クイノンの後頭部に銃口を向けていた。弾丸はクイノンの延髄を貫いていた。即死である。
「ざまあみなさいっての」
最初から、リーフにはクイノンと正面からやり合う気はなかった。
強力な魔剣の一撃を受け止める強度などリーフの手持ちの剣は持ち合わせていないし、暗器で隙を突き一撃で仕留められる程容易い相手でもない。
元から勝負はリンに丸投げしていた。リーフは只、リンに道を作り、クイノンの注意をひいて確実に仕留められるようお膳立てをしたのだ。
「これで残るは四人――いや、三人か。どうやら、一人は昨日ギルが仕留めていたみたいだ」
リーフは視界外の敵の数を正確に把握していた。
大きな音が薄い壁を抜けてしまうように、明確なぎらついた敵意は距離が多少開いていてもリーフには手に取るように分かった。
「一人は上、二人はこの階にいる。上の奴は移動中だけれど、二人は全く動かない」
視線を彷徨わせ、リーフは立体的な地形と感覚を擦り合わせた。
「おそらく、一人で行動しているのが狙撃手で、二人がいる場所にギルがいる」
「根拠は?」
「あれに敵対意識を持って無事でいられると思うかい? 自称最強の憑依霊を、数日で無力化できるとでも? おそらく悪さをしないように監視を継続している筈だ」
リーフが右手で上階を指さした。
「リン、あいつの始末を頼めるかい」
「任せてよ、銃が上手いだけのおじさんになんて負けないんだから」
リンは長銃に弾を装填し、リーフが指し示した方へと歩みを進めた。
「リーフも絶対、勝ってよね」
去り際の言葉に、リーフは無言で返した。
リーフが敵意を追い、辿り着いた先は祭壇のような場所だった。
元は劇場の道具部屋か稽古場だったのだろうが、窓に幕を幾重にも重ね、壁には大量に武器が吊されている。
何の警戒もせずに、リーフは中に堂々と入っていった。
祭壇の間にはジフトと、鉄の鳥を従えた少女がいた。少女の頭の上にはあの日の夜と同じく鉄の翼が広がっていた。
二人の立つ場所の奥には、鎖で厳重に縛られた魔剣ギルスムニルが横たえられていた。
リーフの足音に気付いて、二人はギルから視線を外した。ジフトは僅かに眉をしかめただけだったが、少女は目を見開いた。
「取り戻しに来てしまいましたか」
半ばリーフの逆襲を予想していたように、ジフトは言った。
「此処まで来たってことは……」
少女が口を開いた。
「立ちはだかった者は皆、殺しました」
ジフトの顔が険しくなり、少女の顔からは血の気が引いた。
「そんなっ、スザリエだけじゃなくてクイノンまでっ」
少女の頬を大粒の涙が伝った。
「ベナ、落ち着け」
ジフトは少女の肩に手を置き、落ち着かせようとした。だが、少女はその手を振り払った。
「よくも……許さないっ!」
声を荒げたベナの頭上で、ばさり、と鳥の翼が大きく開いた。
とんできた殺意にリーフが両腕を顔の前で交差させると、鋭い爪が手首を掴んだ。
鳥の形をした魔剣が、一瞬でリーフの眼前にまで距離を詰めていた。顔を庇うのが少しでも遅れていたら、目玉を抉り出されていただろう。
鳥はリーフを軽々と引きずって持ち上げ、壁に叩きつけた。
続いて、今度こそ目を抉り出そうと嘴がリーフの顔に突き出される。
リーフは怯むことなく嘴を手のひらで受け止め、前のめりになって鳥を抑え込んだ。
鉤爪から腕を抜き、翼の根元に暗器を突き立てた。魔剣は耐久性に優れるとはいえ、絡繰りの可動部は繊細な造りで貧弱だとよんでの攻撃だ。
使った暗器は刃が折れて使い物にならなくなったが、翼の関節に傷を入れ、刃物の欠片を噛ませることに成功。
それでもまだ腕にしつこくしがみつく鳥を踏みつけて引き剥がし、リーフは剣を抜きながらベナに突貫した。
「ひゃっ!」
ベナは怯えて悲鳴を漏らした。予想だにしない展開に、少女は硬直して守りさえ放棄していた。
リーフの行動はベナの理解の範疇外だった。
鉄さえも抉り取る魔剣の爪を食らって、どうして未だにリーフが血塗れになっていないのか、全く分からなかった。
ベナを守る為に、ジフトは剣を抜いてリーフに立ち向かった。鋭い突きが真正面からリーフを狙った。
リーフはそれを素手で掴んだ。
逸らし、身を捩ってジフトの側面に回る。
しかし、驚愕するジフトに目もくれず、剣を捨て、その後ろの魔剣ギルスムニルへと手を伸ばし――掴んだ。
朱色の火花を散らして、鎖が一気に弾け飛んだ。床の上をごろりと一回転し、リーフは立ち上がった。
「残念だったな、くそ野郎共」
両手剣を肩に担ぎ、リーフは顔に不遜な笑みを浮かべた。
「俺を抑えりゃリーフが手も足もでねぇと思ったか? 残念! テメェらが真っ先に始末しとくべきだったのはこっちの方だったのさ」
くけけけけ、と耳障りな声でリーフが嗤った。
「硬化能力か」
ジフトは剣を構え直しながら言った。刃を掴む瞬間、リーフの掌が白く染まっていたのを見ていた。それがリーフの血筋に由来する能力だと気付いた。
「ちょっと違うなぁ。コイツの能力は純粋な〈守り〉だ。息の根を止めようと思ったら、昔の俺よりもしぶといんじゃねぇの」
急に、ん? とリーフは首を傾げた。
「っつーことは、あれか。もしかしなくても、いけるのか」
「何の話だ」
嫌な予感がするリーフの行動に、それでもジフトは問いかけざるをえなかった。
「いや、コイツの身体なら、俺もかなり本気を出しちまっても大丈夫な気がしてきたんだよな。今まで誰にも試したことねぇけど、ちょっと本気出してみるか」
リーフは口の左端をにいっ、とつり上げた。魔剣の薄紅色の刃の上で黒い光が弾ける。
ジフトの背筋に震えが走った。
「かなり世話になったし、ひとつ見せてやるか――」
リーフがゆらりと魔剣を構えた。
「ジフトさんっ」
ベナがリーフとジフトの間に割って入った。
壊れかけた翼を必死に動かし、鳥もギルに向かって突っ込んだ。
「本物の神の雷ってやつをなあっ!」
「危ないっ――」
リーフが剣を薙いだ時、全てが終わっていた。
炸裂した黒い雷が、魔剣の鳥とベナを両断していた。涙に塗れた顔は右目寄りで二つに割られ、小さい方の頭蓋が床に落ちた。つられて切断面から脳漿が零れ落ち、鮮血を僅かに薄めた。
ジフトも右腕を胸筋の一部と共に落とされ、ベナの大きな方の欠片を胸に抱いて血の海に沈んだ。
ちっ、と舌打ちが漏れた。
「幻覚、いや、霧の目眩しか。つーことはこのガキ蛙かよ……命拾いしたな、狩人さんよぅ」
ギルは二人共屠るつもりで雷を放った。しかし、少女の捨て身の術が男の命を救っていた。ベナの持つ能力は、水に関係する錯視だったようだ。
狙いが雑だったのも幸いし、ジフトは重傷だったが即死には至っていなかった。
そして、驚くことにまだジフトには意識があった。ジフトもまた、なかなかに頑丈な種族のようだった。
「ま、しかし」
ギルはやる気無さげに上を見た。天井には大きな亀裂が走っていた。足下にも、同じような跡が刻まれている筈だ。
「建物ごと潰れて燃えちまえば、一緒だよな」
劇場の柱はあちらこちらで悲鳴にも似た軋みを奏でていた。木材が火で炙られて爆ぜる音と煙の臭いも感じられる程に迫ってきている。
「じゃあな、いつか混沌の底で会おうぜ」
リーフは落ちていたリーフの剣を拾うと、くるりと回して鞘に収めた。魔剣の帯をつけていなかったので、魔剣は肩に担いでジフトに背を向けた。
その一瞬、リーフの気が緩んだ。
「この……糞がっ!」
最後の抵抗とばかりに、ジフトは残った左腕の近くにあった鳥の魔剣の欠片を握りしめ、投げた。
リーフに斬られ、鋭く尖ったその切っ先はリーフの背中に吸い込まれるように真っ直ぐと飛ぶ。
リーフは瞬時に反応し剣を叩き落そうとしたが、間に合わなかった。
守りを固めていないリーフの脇腹に、無情にも剣が突き刺さり――切っ先で止まった。
魔剣の欠片を投げることに力を使い果たし、ジフトの目は既に焦点を失っていた。
――あーあ、助けてやるつもりはなかったのに。
どこからか、声が響き渡った。その声にギルは聞き覚えがあった。
「テメェ、いつの間に」
リーフの目が素早く周囲を見渡した。焼け焦げていく部屋の中に、リーフ以外の人影はなかった。
――今回だけは、特別だぞ。
欠片を阻んだのは、リーフと同質の白い結晶だった。
◆ ◆ ◆
昨日の放火事件は、火が周囲の区画に広がる前に消し止められたが、劇場は再建不能な状態だった。
焼け跡からは殺された四人の遺体が見つかったが、何故か事の詳細は広まることなく、行方不明として片付けられた。
町の一角で火災があったにもかかわらず、エスペの朝はいつもと変わりがなかった。
朝一番の乗り合い馬車が城門を抜け、南へと進路をとった。
馬車はこれから緩い坂道を延々と登り、山間を抜けていく。
山間のその先にあるのは、孤高の宗教国家ギリスアン――リーフの最終目的地である。
リーフとリンは、いつもと異なる格好で馬車に乗り込んでいた。
リーフは黒い外套をしまい込んでリンの上着に袖を通していた。外套よりも身体の線が見える格好だが、何故か普段以上に男らしく見えた。
リンは、リーフに渡された修道服を着ていた。足首まで隠れるような黒い長袖のワンピースに、真っ白な付け襟の上からスカーフを巻いたその姿は、清楚な教徒に完璧に擬態していた。
「いよいよ、ギリスアンかぁ」
馬車の後ろから顔を出し、リンは呟いた。
朝一番ということもあって、乗り合い馬車は二人の貸し切り状態だった。これから幾つかの村でも人を乗せていくので、次第に人は増えていくだろう。
「そうだね」
リーフはいつもと全く変わらない声音でぼそりと相槌をうった。
リンが顔を盗み見ても、特に変わったところは見られなかった。
「……」
「……」
「ねえ、前から聞きたかったんだけど」
「何を」
「リーフは、私のことをどう思ってるの」
「今の君はどうなんだい」
「私はっ……その、まだ好きだよ。仲間としてっ!」
顔を真っ赤にして、リンは言葉を絞り出した。
「そうなんだ」
「ねえ、それで」
「分からない」
「え?」
「ボクには分からない、ボクが」
リーフがリンの顔を見つめた。
感情の薄過ぎる人形のような瞳に見つめられ、リンの火照っていた顔も徐々に冷めていった。
「君達のために死ぬことができるのか」
戦場に立っていないリーフの目は、いつも虚ろだった。
何事にも拠り所を持てない、死んだ宝石の目だった。
「敵が回り込んでこないって安心ね。下手すればお尻が燃えちゃうけど」
今、二人が行っているのは掃討戦だった。敵の勢力圏を潰し、徐々に敵の移動範囲を絞っていく。最悪、ギルが見つからずに炎にまかれたとしても、燃え跡から回収すればいいという考えだ。
先行していたリーフが立ち止まった。ブーツの先は開けた場所だった。
「いる」
振り向いて後ろのリンに視線を送った。
「用意はいいかい」
「とっくにできてる」
「なら、始めようか」
リーフは剣を収め、前に飛び出した。二人がいるのは渡り廊下の上階で下へと階段がのびている。
リーフは軽やかに階段の手すりに跳びのった。階下に滑るように駆け下りると同時、炸裂音が壁の装飾品を吹き飛ばす。
リーフが飛び出した先は舞台の出入り口がある大回廊だった。通路の左右に女神を象った彫像が置かれ、壁にも獅子のレリーフが掛けられている。
これらの彫刻群は、攻撃を防ぐ盾であり、敵を隠す障害物だった。
安全地帯から飛び出したリーフに、物陰から攻撃が飛んでくるのは必然であった。
走りながら横に跳躍するとリーフの外套の裾を弾丸が掠めた。
既にリーフには、敵が何処にいるのか全てお見通しだった。相手が優秀な狙撃手であるため、リーフに弾丸は一発も当たらない。殺意の方向と弾丸の軌道が一致しているからだ。
「嘘だろ」
全く移動の足が鈍らないリーフに、狙撃手は後退せざるをえなかった。狙撃手はクラメスだった。
銃を手に撤退するクラメスを追ってリーフは観客席へと飛び込んだ。
リーフの感覚通り、クラメスが逃げた先ではクイノンが立ちはだかった。観客席の通路の中央で神殺しの魔剣を構えている。
「待っていたぞ」
斬撃と共に客席の背が低くなる。リーフは客席の間に潜り込んでかわし、椅子の背を蹴って跳躍した下を魔剣がくぐった。
あからさまな殺意を宿した刃はリーフに擦りもしない。
「よくも、よくもスザリエをっ!」
それでもクイノンは憤怒のままに攻めの手を緩めない。フェイントを織り交ぜられた剣技がリーフに幾度も迫った。
しかし、その度にリーフは紙一重で斬撃をいなし続ける。
木片と布と綿が飛び散り、黒い外套をはためかせて隙間を跳ぶ。
「このっ――」
クイノンがなぎ払おうとした剣が、座席の下に引っかかった。魔剣が優れた武器といえど、刃の切れ味には限度がある。
この絶好の瞬間をリーフは逃さなかった。クイノンの足下に滑り込み、足払いをかけた。
闘技大会でその技を知っていたクイノンは後方に跳びずさって回避した。
そして、クイノンは背後からの轟音に倒れ臥した。
リーフから少し遅れて駆けつけたリンが、クイノンの後頭部に銃口を向けていた。弾丸はクイノンの延髄を貫いていた。即死である。
「ざまあみなさいっての」
最初から、リーフにはクイノンと正面からやり合う気はなかった。
強力な魔剣の一撃を受け止める強度などリーフの手持ちの剣は持ち合わせていないし、暗器で隙を突き一撃で仕留められる程容易い相手でもない。
元から勝負はリンに丸投げしていた。リーフは只、リンに道を作り、クイノンの注意をひいて確実に仕留められるようお膳立てをしたのだ。
「これで残るは四人――いや、三人か。どうやら、一人は昨日ギルが仕留めていたみたいだ」
リーフは視界外の敵の数を正確に把握していた。
大きな音が薄い壁を抜けてしまうように、明確なぎらついた敵意は距離が多少開いていてもリーフには手に取るように分かった。
「一人は上、二人はこの階にいる。上の奴は移動中だけれど、二人は全く動かない」
視線を彷徨わせ、リーフは立体的な地形と感覚を擦り合わせた。
「おそらく、一人で行動しているのが狙撃手で、二人がいる場所にギルがいる」
「根拠は?」
「あれに敵対意識を持って無事でいられると思うかい? 自称最強の憑依霊を、数日で無力化できるとでも? おそらく悪さをしないように監視を継続している筈だ」
リーフが右手で上階を指さした。
「リン、あいつの始末を頼めるかい」
「任せてよ、銃が上手いだけのおじさんになんて負けないんだから」
リンは長銃に弾を装填し、リーフが指し示した方へと歩みを進めた。
「リーフも絶対、勝ってよね」
去り際の言葉に、リーフは無言で返した。
リーフが敵意を追い、辿り着いた先は祭壇のような場所だった。
元は劇場の道具部屋か稽古場だったのだろうが、窓に幕を幾重にも重ね、壁には大量に武器が吊されている。
何の警戒もせずに、リーフは中に堂々と入っていった。
祭壇の間にはジフトと、鉄の鳥を従えた少女がいた。少女の頭の上にはあの日の夜と同じく鉄の翼が広がっていた。
二人の立つ場所の奥には、鎖で厳重に縛られた魔剣ギルスムニルが横たえられていた。
リーフの足音に気付いて、二人はギルから視線を外した。ジフトは僅かに眉をしかめただけだったが、少女は目を見開いた。
「取り戻しに来てしまいましたか」
半ばリーフの逆襲を予想していたように、ジフトは言った。
「此処まで来たってことは……」
少女が口を開いた。
「立ちはだかった者は皆、殺しました」
ジフトの顔が険しくなり、少女の顔からは血の気が引いた。
「そんなっ、スザリエだけじゃなくてクイノンまでっ」
少女の頬を大粒の涙が伝った。
「ベナ、落ち着け」
ジフトは少女の肩に手を置き、落ち着かせようとした。だが、少女はその手を振り払った。
「よくも……許さないっ!」
声を荒げたベナの頭上で、ばさり、と鳥の翼が大きく開いた。
とんできた殺意にリーフが両腕を顔の前で交差させると、鋭い爪が手首を掴んだ。
鳥の形をした魔剣が、一瞬でリーフの眼前にまで距離を詰めていた。顔を庇うのが少しでも遅れていたら、目玉を抉り出されていただろう。
鳥はリーフを軽々と引きずって持ち上げ、壁に叩きつけた。
続いて、今度こそ目を抉り出そうと嘴がリーフの顔に突き出される。
リーフは怯むことなく嘴を手のひらで受け止め、前のめりになって鳥を抑え込んだ。
鉤爪から腕を抜き、翼の根元に暗器を突き立てた。魔剣は耐久性に優れるとはいえ、絡繰りの可動部は繊細な造りで貧弱だとよんでの攻撃だ。
使った暗器は刃が折れて使い物にならなくなったが、翼の関節に傷を入れ、刃物の欠片を噛ませることに成功。
それでもまだ腕にしつこくしがみつく鳥を踏みつけて引き剥がし、リーフは剣を抜きながらベナに突貫した。
「ひゃっ!」
ベナは怯えて悲鳴を漏らした。予想だにしない展開に、少女は硬直して守りさえ放棄していた。
リーフの行動はベナの理解の範疇外だった。
鉄さえも抉り取る魔剣の爪を食らって、どうして未だにリーフが血塗れになっていないのか、全く分からなかった。
ベナを守る為に、ジフトは剣を抜いてリーフに立ち向かった。鋭い突きが真正面からリーフを狙った。
リーフはそれを素手で掴んだ。
逸らし、身を捩ってジフトの側面に回る。
しかし、驚愕するジフトに目もくれず、剣を捨て、その後ろの魔剣ギルスムニルへと手を伸ばし――掴んだ。
朱色の火花を散らして、鎖が一気に弾け飛んだ。床の上をごろりと一回転し、リーフは立ち上がった。
「残念だったな、くそ野郎共」
両手剣を肩に担ぎ、リーフは顔に不遜な笑みを浮かべた。
「俺を抑えりゃリーフが手も足もでねぇと思ったか? 残念! テメェらが真っ先に始末しとくべきだったのはこっちの方だったのさ」
くけけけけ、と耳障りな声でリーフが嗤った。
「硬化能力か」
ジフトは剣を構え直しながら言った。刃を掴む瞬間、リーフの掌が白く染まっていたのを見ていた。それがリーフの血筋に由来する能力だと気付いた。
「ちょっと違うなぁ。コイツの能力は純粋な〈守り〉だ。息の根を止めようと思ったら、昔の俺よりもしぶといんじゃねぇの」
急に、ん? とリーフは首を傾げた。
「っつーことは、あれか。もしかしなくても、いけるのか」
「何の話だ」
嫌な予感がするリーフの行動に、それでもジフトは問いかけざるをえなかった。
「いや、コイツの身体なら、俺もかなり本気を出しちまっても大丈夫な気がしてきたんだよな。今まで誰にも試したことねぇけど、ちょっと本気出してみるか」
リーフは口の左端をにいっ、とつり上げた。魔剣の薄紅色の刃の上で黒い光が弾ける。
ジフトの背筋に震えが走った。
「かなり世話になったし、ひとつ見せてやるか――」
リーフがゆらりと魔剣を構えた。
「ジフトさんっ」
ベナがリーフとジフトの間に割って入った。
壊れかけた翼を必死に動かし、鳥もギルに向かって突っ込んだ。
「本物の神の雷ってやつをなあっ!」
「危ないっ――」
リーフが剣を薙いだ時、全てが終わっていた。
炸裂した黒い雷が、魔剣の鳥とベナを両断していた。涙に塗れた顔は右目寄りで二つに割られ、小さい方の頭蓋が床に落ちた。つられて切断面から脳漿が零れ落ち、鮮血を僅かに薄めた。
ジフトも右腕を胸筋の一部と共に落とされ、ベナの大きな方の欠片を胸に抱いて血の海に沈んだ。
ちっ、と舌打ちが漏れた。
「幻覚、いや、霧の目眩しか。つーことはこのガキ蛙かよ……命拾いしたな、狩人さんよぅ」
ギルは二人共屠るつもりで雷を放った。しかし、少女の捨て身の術が男の命を救っていた。ベナの持つ能力は、水に関係する錯視だったようだ。
狙いが雑だったのも幸いし、ジフトは重傷だったが即死には至っていなかった。
そして、驚くことにまだジフトには意識があった。ジフトもまた、なかなかに頑丈な種族のようだった。
「ま、しかし」
ギルはやる気無さげに上を見た。天井には大きな亀裂が走っていた。足下にも、同じような跡が刻まれている筈だ。
「建物ごと潰れて燃えちまえば、一緒だよな」
劇場の柱はあちらこちらで悲鳴にも似た軋みを奏でていた。木材が火で炙られて爆ぜる音と煙の臭いも感じられる程に迫ってきている。
「じゃあな、いつか混沌の底で会おうぜ」
リーフは落ちていたリーフの剣を拾うと、くるりと回して鞘に収めた。魔剣の帯をつけていなかったので、魔剣は肩に担いでジフトに背を向けた。
その一瞬、リーフの気が緩んだ。
「この……糞がっ!」
最後の抵抗とばかりに、ジフトは残った左腕の近くにあった鳥の魔剣の欠片を握りしめ、投げた。
リーフに斬られ、鋭く尖ったその切っ先はリーフの背中に吸い込まれるように真っ直ぐと飛ぶ。
リーフは瞬時に反応し剣を叩き落そうとしたが、間に合わなかった。
守りを固めていないリーフの脇腹に、無情にも剣が突き刺さり――切っ先で止まった。
魔剣の欠片を投げることに力を使い果たし、ジフトの目は既に焦点を失っていた。
――あーあ、助けてやるつもりはなかったのに。
どこからか、声が響き渡った。その声にギルは聞き覚えがあった。
「テメェ、いつの間に」
リーフの目が素早く周囲を見渡した。焼け焦げていく部屋の中に、リーフ以外の人影はなかった。
――今回だけは、特別だぞ。
欠片を阻んだのは、リーフと同質の白い結晶だった。
◆ ◆ ◆
昨日の放火事件は、火が周囲の区画に広がる前に消し止められたが、劇場は再建不能な状態だった。
焼け跡からは殺された四人の遺体が見つかったが、何故か事の詳細は広まることなく、行方不明として片付けられた。
町の一角で火災があったにもかかわらず、エスペの朝はいつもと変わりがなかった。
朝一番の乗り合い馬車が城門を抜け、南へと進路をとった。
馬車はこれから緩い坂道を延々と登り、山間を抜けていく。
山間のその先にあるのは、孤高の宗教国家ギリスアン――リーフの最終目的地である。
リーフとリンは、いつもと異なる格好で馬車に乗り込んでいた。
リーフは黒い外套をしまい込んでリンの上着に袖を通していた。外套よりも身体の線が見える格好だが、何故か普段以上に男らしく見えた。
リンは、リーフに渡された修道服を着ていた。足首まで隠れるような黒い長袖のワンピースに、真っ白な付け襟の上からスカーフを巻いたその姿は、清楚な教徒に完璧に擬態していた。
「いよいよ、ギリスアンかぁ」
馬車の後ろから顔を出し、リンは呟いた。
朝一番ということもあって、乗り合い馬車は二人の貸し切り状態だった。これから幾つかの村でも人を乗せていくので、次第に人は増えていくだろう。
「そうだね」
リーフはいつもと全く変わらない声音でぼそりと相槌をうった。
リンが顔を盗み見ても、特に変わったところは見られなかった。
「……」
「……」
「ねえ、前から聞きたかったんだけど」
「何を」
「リーフは、私のことをどう思ってるの」
「今の君はどうなんだい」
「私はっ……その、まだ好きだよ。仲間としてっ!」
顔を真っ赤にして、リンは言葉を絞り出した。
「そうなんだ」
「ねえ、それで」
「分からない」
「え?」
「ボクには分からない、ボクが」
リーフがリンの顔を見つめた。
感情の薄過ぎる人形のような瞳に見つめられ、リンの火照っていた顔も徐々に冷めていった。
「君達のために死ぬことができるのか」
戦場に立っていないリーフの目は、いつも虚ろだった。
何事にも拠り所を持てない、死んだ宝石の目だった。