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作者: 草上アケミ
残酷な描写あり R-15
天使が死んで、生まれた日(2)
 聖ギリスアン教国は、守護神ロエールを祀り、その御名みなを掲げる敬月教ロエールの発祥の地であった。
 その都はロエールの降り立った地として崇められ、聖都と呼ばれている。

 かつて、敬月教はモンスターに怯える人々の心の拠り所として、モンスターの闊歩する外地イパーナと接した殆どの国で厚く信仰を集めていた。
 しかし、銃を始めとする対モンスター兵器の発明と、モンスター防除の植樹活動が確立されると、リドバルド王国のような大国では急速に廃れ始め、王権がようりつする独自の宗教が優勢となり権力を失っていった。

 今となっては、敬月教は資源に乏しく植樹にも不向きな南の荒野の地と、歴史と聖地を保持するギリスアンでのみ深く信仰されている。僅かな武力で小康状態を保っている国々では、未だ宗教による固い結束が必要不可欠なのだ。

 衰退しつつあることは否めないが、それでも敬月教の影響力は十数カ国に根強く残っており、内紛の激しい大陸中央部にも、遠い東の地にすらその名は知れ渡っている。

 二人を乗せた乗り合い馬車は、そんな由緒ある国の都に到着した。

 聖都は、長大な白い城壁に囲まれた城塞都市だった。
 白亜の城壁はそれほど高さはないが、四方に併設された巨大な塔には小さな窓が無数にあった。有事の際には窓から弓を放ち、モンスターの襲撃から都を守っていたことは想像に難くない。

 外地との境が遠くなった現代に、かつての暗黒時代の壮絶さを伝えていた。

 城壁の門の前には検問があったが、公認の印を吊り下げた馬車は止められることなく門をくぐった。
 門の先は、広大な通りに続いていた。門の幅よりも内部の通りの方が広く造られ、車道と歩道とを分けて石畳が敷かれている。
 煉瓦造りの建物は建築様式と色彩が揃えられ、整然とした町並みが通りに沿って形作られていた。

 その広い通りは都の中心にある大聖堂まで真っ直ぐに届いていた。かなり距離があるにもかかわらず、御者台の後ろの小窓からでも門の両脇に傅く天使の像が目視出来るほどだった。
 都市の中枢までの道が真っ直ぐで攻められやすいのは城塞都市としてあまり褒められた造りではないが、これは平和になってから外観重視で町並みを再建したためである。

 馬車は大聖堂に至る前に交差点で右折し、馬車の駅として設けられた広場で足を止めた。
 駅で待機していた役人が御者から乗客名簿を預かり、形ばかりの確認が交わされた後、リーフとリンは馬車を降りた。

「で、これからどうするの?」

 リンは、馬車の中でお喋りの相手をしてもらっていた娘に手を振りながら、リーフに尋ねた。

「その前に、重たそうな振りだけでもしたらどうかと思うのだけれど」

 リンの振る舞いにリーフの指摘が入ったのは本日で二回目だった。

 リンは少しだけ視線を落とした。手元の馬鹿でかい旅行鞄――大の男でも持ち歩くには苦労しそうな大きさと重量を誇る、まるで金庫のような革張りの箱を、片手で持ち歩いている。

 通行人の何人かは、ごつい鞄と細腕の少女の組み合わせにちらちらと目を向けていた。リンは今更ながら、年頃の女性の膂力りょりょくがいかに乏しいものかを思い出して、そっと鞄を路上に下ろした。

「……重たーい、リーフ持ってー」

 リンのわざとらしい悲鳴を聞き届けてから、リーフは無言で旅行鞄を持ち上げた。あまりの重さに少しよろめく。
 それでも両足で踏ん張り、できるだけ重心を安定させてからそろりそろりと歩き出した。

「近くに巡礼者向けの安い宿がある。案内しよう」

 できるだけ市民と目を合わせないようにリーフは宿へと向かった。

「本当に気持ち悪いくらい紳士的ね、ありがと」

 正体を隠すためとはいえ、まともに女の子扱いをされて、リンもまんざらではなかった。いつもなら、リンが煩いくらいに頼み込んでようやく予備の弾薬を肩に提げる程度なのだ。
 リーフは首筋をじっとりと汗で濡らしながら、宿まで荷物を運んだ。

 宿に着いて部屋に荷物を放り込むまでの間も、リーフは努めてリンを気遣うような態度を周囲に見せていた。

 部屋に入った後は、荷解きを全てリンに任せて宿から借りた新聞を広げていたが。

「明日は準備と休息に費やす。作戦の決行は二日後だ」

 宿から借りた二冊の新聞の記事を読み比べながらリーフはそっけなく言った。

「外出しても大丈夫?」

 リンは、普段着ている方のシャツを鞄から引っ張り出して皺を伸ばしながらリーフに問いかけた。
 観光目的で来たのではないが、珍しい町並みにリンの目は輝いていた。

 リーフは少し視線を上げ、あごに軽く指を当てた。

「大聖堂に近づかなければいい。ボクは外に出られないから、買い物と食事の用意を頼みたい」

 変装をしているとはいえ、リーフは顔見知りに出会えば見破られる可能性が高い。
 その点、この国に一度として立ち入った事の無いリンならば余程のドジを踏まない限り自由に行動することができると考えたのだ。

「分かった、何かご注文は?」
「果物とパン、後は任せる」

 いつもと代わり映えのしない食事内容かつ曖昧な注文だった。この町で出回っているものなら高い物から安い物まで大体食べた事があったので、リーフとしては地雷になるような食べ物がないことは知っていた。

「じゃ、観光楽しんできまーす」

 広げかけていた荷物を放り出し、修道女の格好のままリンは部屋を飛び出した。
 散々リーフが年頃の女性らしく、大人しくしろと言ったにもかかわらず、リンの足取りはとてつもなく軽やかで、宿の廊下を兎の如く駆け抜けていくのが聞こえた。

「リンに、ていしゅくな乙女の真似事はできないらしい」
――本性が猟犬か狼みてぇな奴に無茶言いやがるなぁ、テメェも。いや、そもそもひろだから狼だったな。

 リーフの溜め息を伴った呟きに、どこからともなく声が応えた。軽薄そうな若い男の声で、神経を少し逆撫でするような響きがあった。

「ボクはいつでも切り替えができるのだけれど」

 姿の見えない声に対して、リーフは別に取り乱す風もなく冷静に返した。

 声の主は、リーフの所有する魔剣ギルスムニルに宿る魂だった。
 馬車の中で踏み躙ったあの両手剣である。

 リーフやリンのような魔戦士タクシディードにしかその声を聞く事はできないが、外では他の魔戦士と遭遇したときのことも考えて滅多に言葉を交わす事はない。今は周囲に盗み聞きするような者もいないので、リーフも特に罰を与えず相手にしていた。

――テメェが器用すぎんだよ。

 事も無げに言うリーフに対し、ギルは若干呆れていた。

――っつーか、何でテメェみたいなのにあの狼女はついてくるのかよく分かんねぇんだけど。骨付き肉でも投げて手なずけたのかよ。

 ギルは嫌みのない口調で嫌みをぽいぽい投げた。リンが聞いていれば間違いなく口喧嘩に発展していただろう。

「その言葉選びを意図的にやっているなら、やめておいた方がお前の頭の出来から考えて身の為だと言っておこうか」
――……はあ?

 リーフの忠告の意味を理解できなかったようで、ギルは生返事をした。

「分からないのなら別にいい。それで、リンがどうしてボクについてくるのかと言うと、それは退屈が嫌いだからだ」

 リーフは読み終えた新聞をたたみ始めた。

「女の身で外地警備隊に所属し、縁談を全て蹴ってきたらしい。となると、己を国へと捧げる程の盲目的な愛国心を持っているか、平穏な日常が嫌いで死ぬ程の刺激を求める馬鹿のどちらかということになる。そして、ボクにくっついて国を出た時点で愛国者という線は消える。つまり、リンは只の狩人バカだ」

 本人の前ではとても口にできないような、身も蓋もない評価をリーフは下した。否、本人がいたとしてもリーフは堂々と言っていただろう。

――いや、そうじゃなくてだな。
「何か反論でもあるのかい」

 煮え切らない様子でギルはしばらくもごもご言っていたが、足りない頭なりに適切な言葉を組み立てられたのか、一息でこう叫んだ。

――俺はな、どうしてアイツがテメェにべた惚れしたのか聞いてんだよ! だからついてきてんだろ。

 リーフの新聞を片付ける手が止まった。

「惚れてるの?」

 リーフは目を見開いて、衝撃の事実を受け止めた。それなりに好意は抱かれていると思っていたが、そこまでとは予想外だったのだ。

――いや、アレはどう見ても惚れてるだろ。女同士だが、まあテメェはほぼ男みてぇなもんだし。顔もすげぇいいし。性格は終わってるけどな。

 リンと出会ってからは一度もリーフは表で女性として振る舞ったことはなかった。
 女二人旅は目立つ上に馬鹿な輩が寄りつきやすく、都合の悪いことが多い。その点、男女組ならそれほど珍しくもなければ宿で一部屋取るのも楽である。

「否定はしない」

――それで、身に覚えは?
「……さあ、ボクには分からない。あまり碌なことはなかった気がするのだけれど」

 リーフはリンに出会った時のことを思い出した。

 野盗に見間違えられて一戦交えた末、僅差でリーフがリンを殴り倒したのだ。今にして思えば、リンがただの怪力で腕力以外の身体能力が並だったおかげでリーフが勝てたのだ。
 もう少し戦いが長引けば、逆にリーフが撲殺されていてもおかしくはなかった。

 そんな血みどろの出会いの中でリンがリーフに好意を持った切っ掛けが、リーフには全く思い当たらなかった。

――テメェが此処で死ぬつもりってことはアイツに直接言ってねぇんだろ。どうするんだろうな。

 リーフが命を賭して何かをしようとしていることに気付いている節はあるが、事が終わった後で死ぬつもりであることを言葉にしたことはなかった。

「リンは強かだからね、ボクがいなくてもやっていけるだろう。ここまで付き合ってくれたんだ、リンの分の帰り道くらいは確保してあげよう」

 雨が降ったから傘を買って差そう、というような軽さでリーフは言った。



 日暮れ頃、宿に戻ってきたリンは大量のお土産を買い占めていた。

 食料だけでも瓶詰めにされた干し杏に、若いチーズ、煮豆と肉を挟んだパン、瓶入りの薄いビールと真水が一本ずつ、人参のピクルスの瓶、油紙に包まれた堅い焼き菓子、そして小瓶に詰められた蜂蜜。

 さすがにか弱い信者の格好で武器屋に入ることは控えたようだが、灯り用の油と安物の陶器の小瓶に毛糸という、個別ではありふれているが組み合わせると怪しい材料が揃えられていた。
 先日、狩人とのギルの争奪戦で手持ちの焼夷剤を使い果たしていたので、その補充のようだ。

「さあ、ご飯にしよ!」

 最後に、簡素な木の額縁をテーブルの上に伏せて置くと、リンはパンに巻かれた油紙を開いた。

 リーフはパンよりも先にビールへと手を伸ばし、瓶に直接口をつけて喉を潤した。リンは酒に弱いため、これはリーフの分だと明白だった。

「短い時間だったけど、見て回った感触としてはかなり治安がよさそうな都市ね。警吏が巡回してるから揉め事が起きにくいし、こっちの区画には掃き溜めもなかったし」

 パンをちまちま齧りながら、リンは外の様子をリーフに報告した。観光を楽しみつつも、自分達が此処に何をしにきたのかは忘れていなかった。

「食べ物はそこそこの値段で美味しいものが食べられるし、水も綺麗なのが比較的簡単に手に入る部類かな。経済的にも安定している感じ? 後、大聖堂には近づかなかったけど、怖ーい教会騎士が警備しているのがちらほら見えたよ」
「……」

 リンが報告している間に、リーフは黙々とパンを食べた。まるでリンに意識を向けていないように見えたが、リンは構わず喋り続けた。

「で、こっそり近づいて――あ、接触してないからね――教会騎士が身につけている剣を見てびっくりしちゃった。だって、リーフがいつも腰に提げてるヤツとそっくりなんだもん。さらに、巡礼者向けの土産物を取り扱っているところでもう一度びっくり」

 リンはサンドイッチを持っていない左手で、テーブルに伏せた額縁を起こした。

 安っぽい塗装の額縁の中には、一枚の版画が収まっていた。
 柔らかな黄色の漂白されていない紙に、黒と白のインクで少女の肖像画が刷られている。豊かな白い長髪を持つ、修道女の服を着た美しい少女だった。

 少女の顔は、険の無い時のリーフと酷似していた。

 リーフは版画にちらりと目を向けただけで、すぐに食べる作業に戻った。

「この虫も殺せそうにない美少女は、次の敬月教の教皇の最有力候補らしいよ。買ったついでに店員に聞いてみれば、ふたつきくらい前に異端者共に襲われて負傷して、それから表には出ていないって」

 敬月教には幾つかの宗派があり、現代において正統とされるもの以外は、異端として弾圧されている。

 異端と目される集団のうち、弾圧に耐え忍びながらも聖都で活動を広げていたのが、革新派と自称する一派だった。

 敬月教の教皇は、守護神ロエールが民の下に遣わせた実子――すなわち天使の子孫から選出される決まりとなっている。それも、単純に血統を継いでいるだけではなく、天使の外見的特徴を持っていなければならない。

 その特徴には細かく規定があるが、一番分かりやすく目立つのは髪の色だった。銀色に黒が少し混ざった髪色を月色と定義し、天使は全てその髪色を生まれながらに持っていた。

 対して革新派は、現在の神族血統主義を時代遅れのものとし、教皇を血統ではなく枢機卿から選出すべきだと主張した。
 その思想は、途絶えつつある教皇の血統に不安を抱く一部の教会幹部からも徐々に支持を集め始めていた。

 しかし、神の直系である教皇の絶対性を疑わない一般教徒からの声は冷たく、殺し屋を雇い入れているとの噂も相まって、恐怖の対象として見られていた。

 それがとうとう正統派と武力衝突し、敗北した――というのが表向きの顛末である。

「虫も殺せそうにない……って、本気で思っているのかい?」

 ようやくリーフが口を開いた。表情に全く揺らぎがなかった。

「少なくとも、一般市民はそう思ってるっぽい。でも、私は何故かもの凄くよく似た超絶美人が遠慮容赦なく人斬ってるのを飽きちゃうくらい見てるから、血の海の真ん中で立っていても驚かないかも」
――俺なら、このお嬢様がナイフで死体の目ん玉くり貫こうが、女子供を蹴り殺そうが驚かねぇぜ。

 おどけたリンに乗っかって、ギルも血なまぐさいことを口走った。

「よく似ているんじゃなくて、実際本人なのだけれど」

 ぶはっ、とリンは折角食べ終わりかけていたパンを噴き出した。気管に入りかけた豆の欠片を出すために、更に大きくむせた。

 しばらく咳き込んで、ようやく呼吸が落ち着いてから、リンは苦笑とも呆れともつかない顔でリーフに問いかけた。

「……断言しちゃって、いいわけ?」

「他人のそら似か、生き別れの双子の姉か妹とでも誤摩化してしまった方が良かったのかい。別に、君にボクの正体が知られても何も困らないし」

 三つ目のパンに手をつけながら、リーフは静かに言った。

「その通り、ボクが現教皇の養女にして次期教皇候補の、シルヴィア・アンネ・ギリスアンだ」

 まあ、もう教皇にはなれないけどね、そもそもボクは元から教皇の血筋とは違うみたいだし、とリーフはどうでもよさそうに付け加えた。

「困るわけじゃなかったら、どうして教えてくれなかったの」

 少し拗ねた口調で、リンがリーフに問いかけた。

「言う必要がない。言ったところで信じられるわけがないだろう? ボクの振る舞いと目的には見事に合致しないのだから」
「……確かに」
――まあ、普通の奴が聞いても頭イカれちまったって思うな。

 リンとギルは、すぐに腑に落ちたようだった。

 リーフがリンと二人きりでいるときに時折見せる女性としての仕草に、貴族の作法がにじみ出てきてしまうことはあった。
 だが、村を一つ潰して魔剣を奪い、ちょっかいをかけてきた狩人を血祭りにあげるような人物を誰が聖職者だと思うだろうか。

 むしろ、何故そんな深窓の令嬢が剣を振るえるのか問い詰めてもよいくらいだ。もっとも、これはリンにも言えることだがリンには軍属だったという職歴がある。

「ということは、聖都に流れている噂は……」
「勿論全て出鱈目さ。事実が外に漏れ出せば、暴動が起きるだろうからね」

 リーフは食べかけのパンをテーブルに置いて、残ったビールを一気に煽った。

――つーか、北の守り手が絶滅寸前とか、やべぇな。
「そういえば、なんか前に言ってたわよね、北の……何だっけ」

 ギルの意味深な言葉に、リンはふと思い出した。レニウム村でギルがリーフの能力を見て妙なことを口走っていた。

――北の大御所、テメェらの守護神のことだよ。直接会ったことはねぇけど、中立派の頭なのは戦争行った奴なら誰でも知ってるぜ。

 ギルの言葉には敬月教の教えとと大きながあった。

「ん? 中立? 人類を守ったんなら魔王と敵対したんじゃないの?」
――そんなわけねぇだろ、景月かげ族ほど人類に興味ねぇ奴らがあるか。なのにわざわざ人里に降りて滅びるとか冗談きついっての。

 その景月かげ族――もとい天使が目の前にいるというのに、ギルはお構いなしにののしった。

「実際もう滅びているよ、ロエールの直系は。シルヴィアは六歳のときに見つかった孤児ということになっているから、おそらくロエールの血とは関係がない。実子を養子と偽る利などないのだからね」

 自分の種族をけなされているというのに、リーフは全く腹を立てなかった。同族に殆ど会ったことがないせいか、血族という概念も希薄だった。

「『孤児ということになっている』?」
「聖都に連れてこられるよりも前のことは何も覚えていない。シルヴィアは孤児院で見出されたという記録だけれども、外見を継ぐためのはらしか価値のない女だ。過去に何があったとしても驚くことはないよ」

 リンの目がまるくなった。に疎いとはいえ、全く分からないほど子供ではない。

 弱い木を生き延びさせるために、丈夫な木から全てを削ぎ落として枝を刺し、継がせる。そういう話なのだ。

「古すぎて真っ黒とかいうレベルじゃないわね」
「だから言っただろう、この国のものは何もかも取り残されているのさ」

 リーフは聖女がはめこまれた額縁をそっと机の上に伏せた。
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